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<title>中村紀雄(中村のりお）の議員日記　　※毎日更新中！</title>
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<description>元群馬県議会議員</description>
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<item rdf:about="http://kengi-nakamura.txt-nifty.com/diary/2026/06/post-5cd3df.html">
<title>「国民総認知症時代と図書館の意義。武蔵を読む。お通は永遠の理想の女性」</title>
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<description>◇私の文化活動の大切な拠点として県立図書館がある。こことの付き合いは長い。かつて...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: 14pt;">◇私の文化活動の大切な拠点として県立図書館がある。こことの付き合いは長い。かつては前橋市日吉町の広瀬川のほとりにあった。色々な人が出入りしていた。今でも目に浮かぶ顔がある。図書館とはそういう場所なのである。今日の社会の特色として、情報が洪水のように渦巻いていることがあげられる。余りの勢いに埋没し、押し流される恐怖を感じることがある。そういう状況の中で受付係の親切な対応には救われる思いである。私は各地の図書館を訪れるが、図書館は地域社会の文化度を物語っている。現在、器械文明が異常に進んでいる。そして、社会の高齢化と認知症が凄い勢いで加速している。図書館はこういう状況に適切に対応しなければならず、それは図書館の重要な社会的責務と言わねばならない。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　認知症患者の状況は唯事ではない。現在その数は、厚労省の試算では約４４３万人で、軽度の者を含めると約計１，０００万人を超えると言われる。これは高齢者の３～４人に１人に相当する。高齢化の勢いは加速するばかりであるから、日本全体が不気味な底なし沼に沈んでいくような恐怖を感じる。誰もが避けられないこの問題を何とかしなければならない。現在、認知症やその疑いで行方不明になっている人は年間１万８，０００人に至り、毎年数百人単位で累積している。１日あたり約５０人が行方不明になっているのだ。そして年間約５００人前後が亡くなった状況で発見されている。先日、私が長くお世話になったある美しい女性が行方不明になったことを聞いて耳を疑った。こういう事態がひたひたと押し寄せていることを感じる。それは社会の高齢化と不可分のかたちで増加している。私は現在８５歳。「まだまだ大丈夫」と思いながらも物忘れが少しずつ多くなっていることを感じる。生活習慣は各人様々であるから、一人一人が工夫を重ねねばならない。私に関して言えば「心に刺激を与えること」が第一と考えて努力している。その一例として愛読書を手の届く所に置いて自分が心をときめかせた所を繰り返しかみ締めるのである。一度読んだ所も時を経て変化した心で接すると違った収穫が得られるのだ。吉川英治の宮本武蔵では、厳流島の小次郎との対決に際し、お通が手を突いて見送る場面がいい。お通は私の理想の女性である。お通は砂浜に手をついて「お心置きなく行ってらっしゃいませ」と言った。お通にとっても命がけの勝負の舞台であった。お通が人生の最期と意を決して訴える場面がある。「ただ一言、仰って下さいませ。つ、妻じゃと一言」、そしてお通は賢明な力で武蔵の手を掴んで叫んだ。「死んでも、お通は死んでも・・・」。お通はそれ以上を言葉にして言えなかった。「あなたの妻です」と。武蔵は小舟に乗って出ていく。お通は走った。波打際近くに座り、武蔵の舟に手を合わせていた。ドラマの中で描かれる昔の日本女性の心理を想像した。何百年という時を経て時代が途方もなく変化した。人も心が変化するのは当然である。女性が変わるのも当たり前である。しかし永遠に変化しないものがあってもいい。私は少年の頃から宮本武蔵のお通に憧れてきた。お通は大和なでしこの象徴である。長い時を経ても、日本文化の底に流れる女性の不変の姿があってもいい。いやあって欲しい。私は若い頃理想として描いた女性像があったが、お通を念頭に置いたものであった。八千草薫が演じるお通はよかった。（読者に感謝）</span></p>]]></content:encoded>



<dc:creator>nakamura</dc:creator>
<dc:date>2026-06-16T00:00:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://kengi-nakamura.txt-nifty.com/diary/2026/06/post-833977.html">
<title>「赤城の湖畔で原稿を書く心地よさ。涼風の中、八十五年を振り返る」</title>
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<description>◇ある日の午後、陽光が輝く中、赤城南麓の「ふれあいの森」入口に着いた。一筆書いて...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: 14pt;">◇ある日の午後、陽光が輝く中、赤城南麓の「ふれあいの森」入口に着いた。一筆書いて湖畔に登ろう。上に着いたらソフトクリームを食べよう。妻に電話しよう。１５分で着くぞ。こう思いながらアクセルを踏んだ。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　２時４５分上頂に着く。ソフトクリームを注文した。店の女性が覚えていて「前も窓の所で何か書いていましたね」と笑顔を向けた。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　非常に涼しい。寒いくらいである。上着を持ってきてよかったと思う。これから湖畔の店に向かう。今日は体重のことを考えてところてんにするか、などと思いを巡らす。目の前を若いペアーが歩いていく。肩に手をまわしている。「うまくいっているな」と思う。ニュースにふと耳をそばだてる。「トランプ大統領が８０歳の誕生日を迎えました」と報じている。俺と比べ何が勝って何が劣っているか、と思った。「腕相撲は敗けない」と呟いた。「走ることも敗けないぞ」と心で叫んだ。「おそらく文を書くことも俺が上だ」と思う。「俺は百二歳まで走る」と誓いを立てている。トランプにはできないに違いない。世界一の権力者と比べ、敗けない点が多くある。赤城のてっぺんでこんなことを想像する人は多くないだろう。愉快なことだ。この山頂から叫んだ。「俺は天下のサムライだ」と。天下を取ったような気分である。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　山頂に立つとおのずと８５年の生涯を辿る気分になった。改めて思う。「よく頑張ってきた」と。粗筋を書いてみよう。県庁の近くで生まれ、赤城山の谷の奥で開墾生活を送った。極貧で定時制高校（夜間）に通った。昼間は「せんべい屋」をしながら、自転車で英語の単語を暗記した。自分で言うのもなんだが、記憶力は抜群で、英語のリーダー「ニューメソッド・イングリッシュリーダーズブック」を丸暗記した。夜間高校から東大に合格した時は朝日新聞に大きく出た。世の中に反抗する気持ちがエネルギーになっていた。元総社町の牛池川のほとりの掘立小屋は目蓋に焼き付いて離れない。中学３年生の時は破れかぶれでやけっぱちの気持ちだった。得意科目は国語で、作文は前橋全体の代表になり本になったこともあった。大館先生は卒業の時言った。「君は何か書き続けた方がいい」と。地獄で仏のような言葉であった。地獄に仏と言えば、定時制から東大受験を進めてくれた妙見先生も仏様であった。教師としての最大の使命は子どもの可能性を見抜くことである。社会の底辺でもがく生徒に東大受験を勧める先生がいたことは正に暗夜の光明であった。不思議なことと今は振り返るばかりである。大館先生、妙見先生御二人がおられなかったら私の現在はなかったに違いない。東大に合格した時、駒場寮の仲間も東大のクラスの者たちの大変な驚きようであった。社会を怨む気持ちを心の底に持っていた私は「ざまあみろ」と叫んだ。　ここで夜間高校の時の仲間平田宏君を思い出した。仲間の幸せを自分のことのように心底喜べる人は本当の親友である。平田君こそ、その名に恥じない親友なのだ。平田君は不遇な生い立ちであった。中学の時、成績は良かったが貧しさ故に夜間高校に進み昼は企業で働いた。私が東大に合格した時の彼の姿は目に焼き付いている。駒場寮に飛んできて東大の校章を買い込みその喜ぶ姿は尋常ではなかった。その後も彼は寮に出入りし、寮の人たちと長く交際することになった。その頃私は、総社町の山王廃寺があった集落に住んでいた。ある日彼は訪ねて来て母が作ったざるのうどんを二人で全部たらげたことがあった。食べ盛りの若者の胃袋は底なし沼のようであった。今でも懐かしい思い出になっている。（読者に感謝）</span></p>]]></content:encoded>



<dc:creator>nakamura</dc:creator>
<dc:date>2026-06-15T11:59:44+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://kengi-nakamura.txt-nifty.com/diary/2026/06/post-4b6f41.html">
<title>死の川を越えて　第238回</title>
<link>http://kengi-nakamura.txt-nifty.com/diary/2026/06/post-4b6f41.html</link>
<description>※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。
 
 　小河原は大...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: 14pt;">※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;"> </span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;"> 　小河原は大変驚き、すぐにも会いたいと言った。さやは、正太郎の興奮した表情を見て、自分もぜひ会って一言お礼を言いたいと言った。早く報告し礼を言うべきなのに、それができずずっと心にかかっていたのだ。そういうことで、さやが同行することになった。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　ある日、京都帝国大学の構内に踏み入れる母子の姿が見られた。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「こずえさんと初めてここを訪れた時のことが昨日のように思い出されるのよ。あの高い塔を見上げて足が竦む思いでいるとね、こずえさんがおなかの小さな赤ちゃんが頑張れと応援していると言ったの。すると、お前の動きが感じられてね、本当に励ましてきれているようだったの。それで私は勇気を出したのよ」</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　さやは、時計塔を見上げて言った。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「僕がここを通るのは２度目ということになるんだね」</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　正太郎が不思議そうに言った。受付に告げると、２人はすぐに一室に通された。〈わあー〉さやは心で叫んだ。こずえと訪れた２０年前の昔がそこにあった。思いにふけっているとドアが開いた。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「やあ、お待ちしておりました。実にお久しぶりです。小河原です」</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「まあ」</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　さやは胸が詰まって、小河原が差し出す手を握ったまま声が出なかった。自分がここに立っているのが不思議であった。目の前の人物は一目見た時、かなり年を重ねたように見えたが、懐かしそうに笑う顔は、一変して長い歳月を吹き飛ばしたかのように若々しかった。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「この方ですか」</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　小河原は正太郎をじっと見た。昔、さやがおなかをそっとさすりながらすがるような目で小河原の話に耳を傾けていた姿を思い出していた。さやがその後子どもを産んだことは水野から聞いていた。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">つづく</span></p>]]></content:encoded>



<dc:creator>nakamura</dc:creator>
<dc:date>2026-06-14T12:11:04+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://kengi-nakamura.txt-nifty.com/diary/2026/06/post-f36911.html">
<title>死の川を越えて　第237回</title>
<link>http://kengi-nakamura.txt-nifty.com/diary/2026/06/post-f36911.html</link>
<description>※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。
 
　ある日、さや...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: 14pt;">※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;"> </span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　ある日、さやはじっと息子の顔を見つめていたが意を決したように静かに語り始めた。正太郎は初めて聞く自分の出生の秘密に固唾をのんだ。ハンセン病を継いで生まれるのではないかと母がいかに悩み苦しんだか、聖ルカ病院の女医に相談し、京都帝国大学まで出掛けて偉い先生の話を聞いて自分を生む決心をしたことなど、母の話を聞いて正太郎の胸に熱いものが湧いた。それは京都帝大の壮大な構内と小河原という医師の姿であった。正太郎はそれに強く惹かれ、その思いは日ごとに募った。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　正太郎は母の話を聞いて、自分の生が大きな意味を持つもので、その根は社会の動きや深い人間の歴史と結びついているように思えるのであった。正太郎は自分の生をもっと知りたいと思った。そして、自分をこの世に送り出すことに不思議な関わりをもった小河原という人物に会いたいと願った。会うことによって、自分の人生についてさらに何か深い意味が発見できるかも知れない。水野高明先生が知り合いだと話していたことを思い出した。水野に話すと即座に言った。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「正太郎君、私も会うことを強く勧めます。小河原さんはきっと喜びますよ。彼は京大の同窓です。時々話すのですが、彼は草津の山の中からおなかに子どもを抱えた女がわざわざ京都まで出てきて、産むか否かを必死で聞いたことに大変驚いていました。その後、女が子を産んで、健康に育っていることを知った時、自分が信念を持って語ったことが人間の運命を決定したことに感激し、また、大きな責任を感じると言っていました。彼は君の成長した姿を知らない。彼は今、医学の世界で孤立している。君と会えば恐らく百万の味方を得た思いを抱くだろう」</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　正太郎は、水野の言葉によって決心した。一刻も早く会いたいと思った。水野によれば、まだ京都大学の診療に当たっているという。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「日本でハンセン病患者の外来診療をやっているのは数少ないのです。京都帝大の反権力の姿勢が彼を守っているに違いない」</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　こう言って、水野は早速連絡を取った。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">つづく</span></p>]]></content:encoded>



<dc:creator>nakamura</dc:creator>
<dc:date>2026-06-13T00:00:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://kengi-nakamura.txt-nifty.com/diary/2026/06/post-85f682.html">
<title>「天才宇宙学者ブラウンの衝撃。人間以外の知的生命体の存在は。ホーキングは東大で警告した」</title>
<link>http://kengi-nakamura.txt-nifty.com/diary/2026/06/post-85f682.html</link>
<description>◇現在６月１２日午前７時４５分、間もなく９時５３分にロケットが打ち上げられる。H...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: 14pt;">◇現在６月１２日午前７時４５分、間もなく９時５３分にロケットが打ち上げられる。H３６号機打上げの主なる目的は、地球観測であるが私はそれ以上に宇宙時代に本格的に突入したことにわくわくする。今回の打上げは日本の宇宙開発の行方を占うという重要な意味をもつ。つまり「だいち９号」の軌道投入を主な目的としている。災害状況の把握や国土の観測、地球環境の変動観測を行うための地球観測衛星である。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　私はここで天才ロケット工学者フォンブラウンの業績に胸をときめかす。今日本格的な宇宙時代に突入したが、驚くべき宇宙を論ずる時フォンブラウンの存在は欠かせない。その生涯を見れば正に天才である。宇宙はビッグバンに始まり限りなく膨脹を続けている。その膨脹は止まるのは、止まった後収縮に転じるのか。ビッグバンと膨脹宇宙は今日定説となっている。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　この人物は「アメリカ宇宙開発の父」と呼ばれ、人類を月に送ったアポロ計画のサターンVロケットの開発を主導した。この人が開発を主導したV２号ロケットは世界初の実用弾道ミサイルである。第二次世界大戦中、このロケットは成層圏まで達し、ロンドンを直撃した。遥かな天空から落下するロケット弾にロンドン市民はドイツの科学の力に怯え震え上がったのである。ブラウンは戦後アメリカに渡り、NASAに入り、アメリカ初の人工衛星打ち上げを成功に導いた。ブラウンが宇宙時代の発展に大きく尽くしたことは間違いないが、その影には強制収容所での多くの労働者の犠牲があったし、世界の戦争の時代を劇的に前進させたという悲劇もあった。この人は第二次大戦後にドイツからアメリカに帰化し、米ソの宇宙開発競争における代名詞的な人物とされている。第二次大戦後、ソ連はこの人物を非常に欲しがったと言われる。当然であろう。ブラウンは膨大な資料を土産にアメリカを選んだのである。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　ブラウンは技術者としてのみならず、テレビ番組や雑誌を通して一般大衆に向けて宇宙開発の重要性を説いた。人類の月面着陸や火星探査のビジョンを広めたこの人の功績は大きい。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　本格的な宇宙時代に入り、私たちの夢は果てしなく広がる。私の夢は少年のようである。私の好奇心の最大の的はこの宇宙に人間のような知的生命体が存在するかどうかである。一説ではあと数年でそれが分かるだろうという。車椅子の天才ホーキングは東大で宇宙人との接触について警告した。コロンブスのアメリカ発見のような、高度の文明による悲劇を説いたのだ。そのことを現実的な問題として考えるべき時に至っているのだ。（読者に感謝）</span></p>]]></content:encoded>



<dc:creator>nakamura</dc:creator>
<dc:date>2026-06-12T10:54:40+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://kengi-nakamura.txt-nifty.com/diary/2026/06/post-94a569.html">
<title>「恐るべきクマの能力。歩くことで認知症の克服を。認知症の勢いは止まらない」</title>
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<description>◇クマの被害情報が頻繁である。赤城山の林道に向かうとき「気を付けて下さい」という...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: 14pt;">◇クマの被害情報が頻繁である。赤城山の林道に向かうとき「気を付けて下さい」という妻の声に普段と違った切実な響きがあった。「分かった。気をつけるよ」。私も真剣に答えた。クマに襲われ食われたという情報も伝わっている。人間が食えることを学習したという可能性があると言われる。最近はクマの賢さがもっぱら報じられている。鍵を開ける、それをスライドさせる、水道の蛇口を開ける等の驚くべき知能の高さも報じられている。クマの出没地域も広がっている。うまいエサが存在することを学習した可能性も指摘されている。子連れの母子の姿は可愛らしい。私たちは「くまさん」として親しんできた。赤城の林道は私の大切な活動領域であるがクマの活動領域と重なることを重視しなければならない。林道には川があり樹木が覆い茂っている所がある。かつていきなりイノシシが飛び出してきて腰を抜かすほど驚いたことがある。彼らは人間を非常に恐れている筈だからパニックになって防衛のために飛び掛かってくることがあるに違いない。彼らの世界にも大きな変化が生じ、人間を恐れぬ世代が現れているかもしれないのだ。クマの身体能力には素晴らしいものがある。鋭い爪で、木をどこまでも登る。泳ぐことも非常に巧みである。今日も林道を歩く予定であるが一層の注意を心掛けねばならない。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">◇生活習慣が寿命と結び付いていることはほとんどの人が納得しているに違いない。ただ生活習慣といっても漠然としているし限りないことだからどの生活習慣が重要かとなる。そこで現在、科学的にも医学的にも注目されているのが歩くことである。最近発表された研究によれば一日に5,000～7,500歩歩くと認知機能の低下を平均約７年遅らせることができるとされている。これはハーバード大学医学部を中心とする研究チームが行った研究成果である。これまで認知症の原因としてアルツハイマー病が深く関わっていると考えられてきた。そしてアルツハイマー病の原因として考えられていたのがアミロイドβというたんぱく質のゴミであった。これが発症の１０年から２０年も前から脳の中に溜まり「老人班」と呼ばれるシミのようなものが出来ることでニューロンがダメージを受け認知機能に悪影響が出るとされてきた。そこでアミロイドβの除去法が盛んに研究されてきた。その成果がやっと現れてきたのだ。日本の認知症患者は約４４３万人とされ、高齢者の８人に１人と推計されているのだ。（読者に感謝）</span></p>]]></content:encoded>



<dc:creator>nakamura</dc:creator>
<dc:date>2026-06-11T10:31:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://kengi-nakamura.txt-nifty.com/diary/2026/06/post-77ec43.html">
<title>「独立宣言に現れた恐るべき革命権の思想。マリー・アントワネット、ルイ１６世はギロチンで斬首に」</title>
<link>http://kengi-nakamura.txt-nifty.com/diary/2026/06/post-77ec43.html</link>
<description>◇トランプ大統領の奔放な姿を見るにつけ、この大統領の頭には格調高いアメリカ建国の...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: 14pt;">◇トランプ大統領の奔放な姿を見るにつけ、この大統領の頭には格調高いアメリカ建国の精神があるのかと疑ってしまう。私は東大の教養学部時代、中屋健一教授の「アメリカ史」のゼミに出た。少人数のグループで英文の原書に取り組んだ。中屋先生の性格には情熱が感じられたが、この題材には先生が語るにふさわしいアメリカの開拓時代のフロンティア精神があふれていた。中屋先生がアメリカ独立宣言を説明する姿からは、西部へ向けて進む幌馬車隊の光景が窺えた。アメリカの１３州の代表がフィラデルフィアで、独立宣言を発表したのは１７７６年７月４日のことであった。独立宣言の中心は、次の点にあった。「すべての人は生命、自由、幸福追求の権利を神から与えられている。これらの権利を確保する目的のために政府がつくられている。もし政府がこれらの目的を破壊するものになった場合にはその政府を改革し、あるいは廃止して人民の目的を達する最も適切な政府をつくることが人民の権利である」</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　ここに書かれている恐るべきことは「革命権」である。この思想の大きな影響を受けてフランス革命が誕生した。１７８９年５月のことであった。憲法制定を求める民衆は憲法が制定されるまで解散しないことを誓った。これは民衆が集まった場所の名からいわゆるテニスコートの誓いと言われた。国民議会は憲法制定議会と称して憲法の起草にとりかかった。ところが国王は保守的な貴族に動かされ、武力で議会を弾圧しようとした。これに怒ったパリの民衆は７月１４日、ついに暴動を起こし圧政の象徴バスチーユ牢獄を占領した。この知らせが伝わると全国に暴動が起こり、農民は貴族、官吏、富豪の家を襲い、一部の貴族は国外に亡命をはじめた。８月４日国民議会は封建的特権の廃止を決定し、アメリカの独立宣言にならって、ラファイエットらの起草した宣言を採択した。これが世に言う有名な人権宣言である。この宣言はすべての人間の自由、平等、主権在民、言論の自由、私有財産の不可侵など、近代市民社会の原理を主張した。しかし国王はこれを認めようとせず、なおも議会の弾圧を企てたのでパリの民衆は再び立ち上がり１０月はじめ女性たちを先頭にヴェルサイユに押し寄せ国王をパリに連行した。１７９１年６月ルイ１６世はマリー・アントワネットに動かされ、革命に対抗するため国外逃亡をはかり連れ戻された。これは国王への国民の信頼を失わせ革命の気勢は上がった。１７９３年ルイ１６世は断頭台で首を落とされた。（読者に感謝）</span></p>]]></content:encoded>



<dc:creator>nakamura</dc:creator>
<dc:date>2026-06-10T00:00:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://kengi-nakamura.txt-nifty.com/diary/2026/06/post-070b4b.html">
<title>「私の著書を破った若者の衝撃。人間を信じられない寂しさを」</title>
<link>http://kengi-nakamura.txt-nifty.com/diary/2026/06/post-070b4b.html</link>
<description>◇数年前、中国の学者たちを私が学んだ東大西洋史の研究室を案内したことがあった。彼...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: 14pt;">◇数年前、中国の学者たちを私が学んだ東大西洋史の研究室を案内したことがあった。彼らは東大を権力の象徴のように受け止めていたらしく、私の話と現実い接し認識を改めていたようであった。東大も私がいた頃と比べ大きく変化したようだ。かつて立て看板が林立していた光景は今は昔のように変わった。アジ演説もすっかり陰をひそめた。しかしふと不安に思ったことがある。それは、立て看板やアジ演説の底にあった学生たちの燃えるようなエネルギーがどこかへ行ってしまった恐れである。最近、駒場と本郷のキャンパスを訪れて静かな雰囲気の底に本来あるべき活気がどこへ行ったのかと淋しく感じた。学生運動のエネルギーは学問への情熱とどこか通じているものがあるに違いない。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">◇著書を真っ二つに破られた。怒りがこみ上げそして悲しくなった。６月７日午後３時、私の屋敷内のことであった。目の前の鳥取駐在所へ走った。事実だけは警察に伝えねば腹が治まらぬ思いであったのだ。日曜日なので電話で、話がつながらない。それにしても不思議なことである。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　破られたのは２種の本で、その一冊は「生まれいき、そして未来へ」、約６千冊を発行した。上毛新聞の「ひろば」の欄で取り上げられたものに、それぞれ私のコメントを添えたものである。全体は１１７ページであるが、５０ページと５１ページの中央の所で二つに破られていた。もう一冊は楫取素彦（吉田松陰が夢を託した男）である。これは全体が２０７ページのもので、１２２ページと１２３ページの中央で破られた。ひろば欄に関する方は、破った若者の顔と名前を覚えている。そして楫取素彦の方は前の桑畑に破り捨てられていたものを近所の方が発見してくれた。それにしても不思議でならないのだ。破ったと見られる少年は芳賀中、そして前橋高校出身だと言っていた。教育上も社会的にもこのまま済まされるものではない。数人のグループによる行動らしい。そのうちの一人は真面目らしい表情で「すみません」と頭を下げていた。この少年が破ったのでないことは明らかである。今日、破られた現物をもって、芳賀中及び前橋高校へ行くつもりである。できれば少年と対面し、破った理由を訊いてみたい。社会が大きく変化している。そしておかしな方向に動いていると思える。そういう流れの中の出来事なのだ。それゆえに放置してはならない問題なのだ。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">（読者に感謝）</span></p>]]></content:encoded>



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<dc:date>2026-06-09T06:00:00+09:00</dc:date>
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<title>「林道で少年王者の世界を甦らせる。私塾こそ教育の原点だ」</title>
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<description>◇今月のある日、田舎道を歩きながら回想したのは「少年王者」の世界であった。アフリ...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: 14pt;">◇今月のある日、田舎道を歩きながら回想したのは「少年王者」の世界であった。アフリカ・コンゴの奥地、マウントサタンと呼ばれる地域である。マウントサタンの谷やジャングルは、私の頭では子どもの頃過ごした宮城村の谷の奥に似ていた。その情況はマウントサタンの想像力を駆り立てる力となっていた。事実、宮城村の奥地にはキリスト教徒がおり神父も存在し、そういう進歩的な文化が根付いていたのである。子どもの頃、村の集会所で神父様がコロンブスの物語をしたのを面白くきいた記憶が鮮明である。振り返れば、子どもの頃宮城というあんな山奥でコロンブスの話に胸を躍らせたことは驚きであった。コロンブスが大冒険によって大海を渡り新大陸を発見したという壮大な出来事は私の胸に小さな種を落とした。その種は小さな芽を出した。それはごく小さな芽であったが偉大な力を潜めていたのである。なぜならその芽はやがて根を張り大きく成長し私の人生を支ええることになったからである。８５歳の私は人生を振り返って、少年の頃宮城村の小さな集会所で目を輝かしてコロンブスの冒険に耳を傾けた姿を思い出す。そして、これこそ教育の原点に違いないと思い当たるのである。教育の目的は生きる力を与えることにあると言われる。そうに違いないが、コロンブスの物語を踏まえれば、教育の力は子どもの胸に夢を育てることだと思う。こう考える時、現在の教育がこの役割を果たしているか疑問に思えてくる。知識偏重で、受験技術を競う姿は本来の教育に背を向けることだと思う。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　日本にもかつては優れた教育組織と教育者が存在した。江戸時代の私塾はその一例だと思う。私は学習塾に深く関わった経験があるがそこで得たものは、私塾こそ教育の原点という信念である。教育は権力によって管理されるものであってはならない。現在、多様性ということが叫ばれている。多様性の尊重とは一人一人の個性を重視することである。個性を尊重するのでなければ隠された能力は気づかれずに埋もれてしまう。権力によって管理された一律の教育によって、いかに多くの個性が犠牲にされ、光を当てられないまま消え去ったことか。私は東大の学生生活の中で多くのいわゆる「秀才」をみてきた。その中には魅力のない頭でっかちの存在が多かったことを振り返る。東大に対比されるのが京都大学である。そして、京都大学からノーベル賞受賞者を初め多くの優れた学者が排出されていることは示唆的である。京大には東大と比べ反権力の伝統を誇る校風がある。かつての寺子屋には教育の原点として今日大いに尊重すべきものがある。現在、特色ある多くの私学が頑張っていることは日本の教育にとって大きな救いである。（読者に感謝）</span></p>]]></content:encoded>



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<dc:date>2026-06-08T13:21:14+09:00</dc:date>
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<title>死の川を越えて　第236回</title>
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<description>※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。
 
「はい先生、忘...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: 14pt;">※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;"> </span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「はい先生、忘れるはずはありません。天井のシャンデリアが輝いていました。森山先生がひげの先生を前に、お前のお父さんほど結城のある人はいないとおっしゃいました。忘れられない感動です。あれは僕の大きな誇りとなりました。辛いことがあっても、あの場面を思い出すと力は湧き頑張ることができました。僕の宝をどう生かすのか教えてください」</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">「そうじゃ、小さな光を嵐の中で守らねばならぬ。われわれの願いが入れられて、せっかく認められた自由地区を守り育てねばならない」</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　万場老人は自分に言い聞かすように言った。頷く正太郎の瞳は生き生きとしていた。この時彼の胸には、自由地区だけではないぞという思いが生じていた。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　昭和６年にスタートした草津栗生園は、その後、上、中、下の３地区に分かれ定着していった。そして、主として湯の川の人たちが移り住む場所は下地区であり、そこには通称自由地区とも呼ばれた。湯の川地区の自由と自治の歴史を尊重する人々の努力が認められた成果である。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　下地区が特別地区扱いを求めて協議された経緯については既に述べた。正助たちは栗生園の内部の計画が明らかになりつつある時、国と県の関係者に鋭く迫った。湯の川地区の歴史は命を懸けて守る覚悟である。県も国も地元の政治家も私たちに約束した。それが守られないなら全住民で立ち上がると訴えたのである。このことは当局に衝撃を及ぼし下地区が約束通り自由地区として誕生することになったのである。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　湯の川地区は徐々に移り住んでいったがなお多くの人が残っていたし、生生塾は湯川の辺りにこだわっていた。ごうごうと流れる死の川こそ生生塾と切り離せない存在であった。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　流れの音は、湯川で生きる人々の命の鼓動であったからだ。しかし生生塾もやがてここから離れる時がやってくる。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　戦争の流れの中で、湯の川で生きる人々もそれぞれの変化を選ばねばならなかった。水野高明と下村正助は、ハンセン病の菌も認められなくなり、吾妻のある鉱山で働いていた。また、キリスト教徒となったさやとこずえは聖ルカ病院で職員として勤務していた。　</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　正太郎は父からシベリアのことを聞いてから、自分の出自をもっと詳しくしりたくなった。</span></p>
<p><span style="font-size: 14pt;">　つづく</span></p>]]></content:encoded>



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<dc:date>2026-06-06T12:22:35+09:00</dc:date>
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