遙かなる白根 第142回 子どもたちの叫び
―白根開善学校の創立時、本吉校長や父母会がしきりに“父母立学校”ということを叫んでいたことが思い出される。白根開善学校の原点を理解しない人たちが増えてきたのか、子どもたちが変わったのか、先生たちの力量不足なのか、あるいは、世の中全体が大きく変化していることが原因なのか。白根開善学校はいろいろな曲折を辿りながら歩み続けている。A君が指摘する白根開善学校も重荷を背負って歩み続ける一コマなのである。
あとがき
本書は、あさを社の月刊上州路に1998年12月号から2000年7月号まで連載した“遙かなる白根”に加筆、修正したものである。知的障害をもって生れた長男周平を実名で登場させた。かつては天を恨んだこともある私。世間に対して開きなおるという気負ったものが心の片隅にあったかも知れない。しかし、それよりも周平の姿を示すことによって教育とは何か、人間とは何かを考える1つの材料を提供したかった。周平は平成13年3月1日、白根開善学校高等部を卒業し名誉の開善賞を得た。中学一年から6年間を白根で頑張り、この間5度実施された100キロメートル強歩で3度完歩した。開善賞を手にした周平の晴れた笑顔に私は拍手した。周平はこの年4月、“宮城の里デイサービスセンター”に就職した。新たな100キロ強歩で完歩してくれることを祈る。
本書を世に出すについては煥乎堂の武藤貴代さんにお世話になった。又、さし絵は“上州路”に連載した時の反町隆子さんのものを使った。あさを社を始めこれらの方々のご協力に心から感謝申し上げる。
★この連載も、11月21日で終わります。次の連載は拙著「炎の山河」です。「地方から見た激動の昭和史」という副題がついています。恩師の林健太郎先生が「すぐれた歴史叙述」と評価してくれました。どうか、ご覧下さい。
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