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2026年8月 4日 (火)

「肛門から回虫の衝撃。砲丸投げの先生からのビンタを。タントを買って野山を走る」

◇続けて赤城山麓を振り返る。数年前のある日のこと、小学生時代の同級の女の子に会った。相当のお婆さんである。じっと私の顔を覗き込んでから言った。「勉強はうんと出来たけどチビだったよね。庭で並ぶと一番前だったもんね」。「あの時のあの女の子か」永い時を越えて鼻毛石小学校の光景が甦った。名簿を取り出すと、多くの箇所にバッテンが付いている。「あの顔も、あの顔も」天国の人なのだ。85年の歳月が自然に目の前に浮かぶ。通学路はもちろん舗装されていない。家を出る時はゴム草履であったが、途中桑の根に隠して裸足で走った。衛生状態が極端に悪かった。前の女の子の髪にうごめくのはシラミであった。学校では「ミグ」とか「カイジンソウ」という虫下しをのまされた。ある時、お尻からヌメッと何かがうごめくのを感じてトイレに走った。太い回虫であった。教室はすし詰め状態で一クラス50人はいたと思われる。ある国語の時間「手」を書けという場面があった。隣の席のK君はノートに手を広げ五本の指の形をなぞっていた。学校の裏にはイチゴ畑があった。物がなかった当時は何よりのご馳走であった。子どもたちが見逃す筈はない。「お前は級長のくせに」と先生のビンタが炸裂した。横沢先生は六尺豊の大男で砲丸投げの選手だった。頬の痛さと共に懐かしい思い出になっている。通学路はどこに何があるか、収穫時期はいつかを私たちはよく心得ていた。ある時、柿が見事に色づいていた。私は登って取った。飛び降りた所に釘が上向きに打ち付けられた板があり、足に刺さってしまった。膿んで修学旅行に行けなくなった。自業自得と観念した。後年クラス会があって言われたことがある。「中村が転校して、宮城村では農産物の収穫量が上がったぞ」と。野良荒らしは立派な泥棒であり、今日なら子どもの悪さでは済まないであろう。

 最近新車を買った。ダイハツの「タント」である。昔の悪戯の現場を走った。たいがいの細道、そして悪路でも走れる。ここにイチゴがここに柿がと昔の光景が甦る。現在の子どもたちは柿が色づいても興味を示さないに違いない。少し前、「今年は柿が当たり年」と話題になった。最近クマの被害がしきりである。クマは人間界の変化を知らないだろう。クマと人間が賢い協定を結べればと想像をめぐらしている。かつて物語の世界を通して、金太郎と共にクマさんは子ども達と良い関係であった。時代の変化は子どもの世界も変えていく。(読者に感謝)

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