死の川を越えて 第250回
※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。
昭和15年7月9日のことであった。午前5時、まだ夜の濃い闇が集落を包んでいた。異様な雰囲気に犬たちが気付いて一斉に吠えだした。こんな中、本妙寺の患者の一斉検挙は断行された。熊本県警察本部長の指揮の下、総勢220名で集落の寝込みを襲った。人々は事態が何なのか掴めぬまま、なすすべもなく検挙された。しどけない半裸の女の泣き叫ぶ姿も見られた。検挙は翌日まで続き、合計157名が一網打尽となった。これらの人々のうち患者でない者を除いた146名が各地の療養所へ分散して収容されることになり、群馬の草津には37名が送致されることになった。
群馬の山奥へ送られることを知った時、人々の動揺と不安は大きかった。
「草津ってどんなとこだ」
「とんでもねえ山だ。大分の耶馬渓みてえな所の奥だそう」
「いったい何でそんな所へ」
日頃差別された社会の底辺で生きてきた人々は被害者意識が強かった。異様な山並みへ送るのは殺して埋めるためではないかと恐れたのである。
ある者が言った。
「草津の奥には骨も溶かす毒水の流れる死の川があるという。昔、そこへ生きたハンセン病患者の者を投げ捨て、今でも投げ捨ての谷と言われているそうだ」
「俺たちもそこで殺すつもりだぞ。この厳重な警戒はその証拠に違いねえ」
根拠のない言葉が密閉された護送車の空間で人々の恐怖心を煽った。人々の恐怖は不気味な怪物のように成長していった。渋川駅で列車から収容バスとトラックに移され国道を一路西吾妻に向かう。美しいはずの山並みも人々の目には巨大な処刑場が待ち受ける姿のように映った。
やがて一行は吾妻渓谷にさしかかった。切り立つ絶壁は天を指し奇岩が頭上に迫る。深山幽谷の光景はもはやこの世のものと思えない。冷静さを失った人々には一行が地獄へ向かっているように思えた。
「わあー、殺されえるー。死ぬのは嫌だー」
つづく
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