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2026年8月 3日 (月)

「地球沸騰の衝撃度。『広島と長崎』が近づいた。私は戦中派。仲間が次々に死ぬ」

◇歴史的な夏に襲われている。「災害級」と言われる夏の暑さである。グテーレス国連事務総長は2023年に「地球沸騰が到来した」と表現した。地球を代表する人物の言葉は大きな影響力をもつ。酷暑の状況は加速している。一人一人の心構えが重要なのだ。次代を担う子どもたちの心に状況の深刻さを刻むことは特に重要である。将来、若者たちは想像を超えた暑さに立ち向かわなくてはならない。教育の力と役割は増々大きくなっている。教室で学ぶことは受験競争の技術を磨くことではない。「教育の目的は生きる力を養うため」とは昔から言われているが、それが差し迫ってきた。「沸騰」とはもはや単に物理現象を指す言葉ではない。人間の心がパニックになり「狂乱」情況に陥っていることを示すものである。

 歴史を振り返れば、平安時代は天変地異が相次いで人々は成す術を知らず右往左往した。その後の戦国時代は同じ民族でありながら文字通り血を洗う争いを繰り広げた。日本人はそこから何を学んだのか。その後、開闢以来の出来事に遭遇した。核兵器の洗礼を受けたのだ。「広島」と「長崎」の悲劇から日本人は、そして人類は何を学んだのだろう。それは教育の根源的な使命の筈である。教育が空振りをしていたと思わずにはいられない。広島及び長崎の悲劇は昭和20年(1945年)8月の出来事である。広島は8月6日、長崎は8月9日でその日が目前に迫った。昭和20年は、私が4歳に手が届かぬ頃であった。私は幼かったが戦争の悲惨さを覚えている。県庁前の住宅で母親たちがバケツの水をリレーして壁にかけ消火訓練をした光景、母親に手を引かれて防空壕に逃げ込んだこと、二人の小父さんがネズミを焼いて食べていた光景などこれらはその後幾つも見た戦争映画よりもリアルに幼い私の脳裏に焼き付いている。これらの事実は「お前は戦争経験者であり戦中派なのだ」といつも私に突き付けているのだ。

 私は父母と共にこのような世情の中、赤城の谷の奥の開墾地に入った。赤城の山々のことは一つ一つが新鮮で衝撃的であった。私は時々この地域に足を踏み入れる。その度に当時のことが新しい衣をまとったように甦る。その時の世相と共に私の原点なのだ。当時のことを書いた「上州の山河と共に」を時々読み返している。私の原点は私の財産である。幸いなことにこの地域は多くがそのまま残っている。変わったのは人間である。多くの人が亡くなった。昔の名簿で、元気に頑張っている人は少なくなくなった。85歳の私はまだまだ健在である。(読者に感謝)

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