「利根の急流を泳いだ少年の頃。地球沸騰の時代を人間は生き残れるか」
◇子どもの頃、県庁裏の利根川で泳いだことが懐かしい。かつての利根川は阪東太郎の名にふさわしく水勢が激しかった。私は庁舎の対岸から斜め北に向けて飛び込み必死で泳ぎ、流れに押し戻されながらやっと岸に辿り着くのだった。当時、川は子どもの遊び場であった。大きな口を開けての奮闘だから水を呑むことも当然あった。小さな川をせき止めて泳ぐこともあった。ある時、元総社の牛池川で泳いでいたら、大きなヘビがかま首を上げて見事に泳いでいるのに出合った。ヘビは泳ぎが巧である。恐ろしさを忘れ美しい泳ぐ姿に見とれていたのを思い出す。時を経て私たちの生活環境も生活習慣もすっかり変化し、子どもが川で泳ぐこともなくなった。ヘビを見ることも少なくなった。ヘビは生活環境を奪われ、結果として生きる困難に直面していると思われる。ヘビとの共存共生が出来なくなることは人間が自分で自分の首を絞めることを意味する。現在クマの被害が騒がれている。クマに罪はない。親子連れの姿を見ると彼らが厳しい環境で必死に生きていることを痛感する。人間は古来思い上がった存在である。この地球が人間のためにあると思い込んできた。産業革命以来、開発の名の下で猛烈な勢いで自然を破壊してきた。地球は遂にここまで来てしまった。国連事務総長は地球が沸騰していると表現した。その主な原因は人間活動による温室効果ガスの増加である。地球の悲劇はこれから加速するだろう。海面の上昇は続き、太平洋の小島の多くは水没の危機にある。オーストラリアへの移住が現実化している。北極の棚氷が溶け巨大な塊が漂流を始めている。中には日本列島ほど大きいやつもあるというから驚きを超えて呆れるばかりである。超大国の横暴を許すなという声が大きくなっているが、こういう状況の中で超大国の存在感は増すばかりである。小さい国々は諦める他はないのだろうか。そんなことは決してない。人類は知の存在ではないか。知とは即ち理念である。日本が生きる道、大きな存在感を発揮すべき点はこの理念であるべきだ。日本には誇るべき理念がある。日本は軍国主義の侵略国から「広島」、「長崎」を経て不死鳥のように変身して生き返った。この時、生命の元として手にしたのが平和の理念であった。現在宇宙時代に突入しつつある。宇宙は無限に膨脹しつつある。知的生命体との交流の時代である。宇宙人は隣人である。新たな遭遇の時が近づいている。コロンブスが新大陸を発見した時のように。(読者に感謝)
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