死の川を越えて 第247回
※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。
「私は長島事件について詳しく聞いております。ひどい状態に対して患者が怒りを爆発させたそうですね。常に定員を大幅に超え、居室は極端に狭く、食事も不十分、作業賃までカットされた。ついに患者たちは作業スト、ハンストをやり、施設幹部の辞任を求め、自治活動の権利まで要求するに至ったといいます」
水野は熊本県庁にいるかつての生徒、副島から細かく報告を受けていたのだ。副島は報告書の中で、厳しい時代状況がハンセン病の生徒の患者にしわ寄せとなって気の毒だと感想を述べていた。古田園長も同じようなことを語った。
「長島愛生園だけでなく、不穏な空気が全国の療養所に広がっています。中国で戦争が広がる中で、国も殺気立っています。物質は不足していますから、ハンセン病どころではないという状況で、国立療養所はどこも締め付けが厳しくなり患者の反発も起きます。不穏分子を厳しく取り締まらねばということで、特殊監禁所の提案となりました。
草津が候補地に上がった時、まさかと思い、私は反対しましたが、世界に誇る文化施設にする、厳しく罰するだけでなく、温泉を利用して病気を治しながら悪い性格も直すという理屈で押し切られました。その後、この園の中にあのような建造物が造られてしまったことに、だまされたという思いとともに怒りを覚えます」
こう言って、園長は話を無銭飲食の清水佐助に戻した。繰り返す犯行に手を焼いていたので懲らしめて反省させるつもりだったのだ。そして言った。
「皆さんの話はよく分かりました。清水もずいぶん反省したことでしょう」
こうして、清水は特別病室入室は一日で釈放された。
このことは直ちに園中に伝わり、同時に特別室の実態が知られ、恐怖の象徴となった。患者たちは苛藤精市をますます恐れ、人々の心は萎縮していった。清水の事件によって特別室とな名ばかりで、実は犯罪人を扱う牢屋であるから監房と呼ぶにふさわしい、しかも特別の重罪を扱う監房というべきだから重監房だということになり、いつしか重監房と呼ばれるようになった。
つづく
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