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2026年7月 4日 (土)

死の川を越えて 第242回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 ある日のこと、正太郎が興奮した表情で言った。

「お父さん、上地区の正門の近くで変な建築が始まっているよ。水野先生が言った文化施設という刑務所ではないだろうか」

「何、栗生園の中に。それは大変だ。調べてみよう」

 正助は早速動いた。正太郎の言った通り、正門近くの西側に引っ込んだ谷に臨むところでコンクリートの基礎工事が始まっていた。工事をやっているのは地元の建設業者である。水野が苦労して情報を集めたところによると、国の指示で特殊な病室を建設するのだということが分かった。

 万場老人が言った。

「特殊な病室か。問題は中身じゃ。病室とは名ばかりで、問題の刑務所であろうか。大変な時局柄、われわれには難しい問題じゃ。どうです。水野先生、すぐみ反対運動というわけにもゆかんでしょう」

「そう思います。特殊な病室というものの運用が問題ですね。冷静に観察し、打つ手を研究することにしましょう」

 水野の表情はいかにも不安そうだ。しかし、人々の不安をよそに建築作業は着々と進められた。

 草津栗生園の正門から中、下地区に向かって道路が伸びる。この道路の西側、道路から見えにくい小高い林の奥で建設は進められていた。建設中の特殊施設の奥は谷が落ち込んでいる。あそこは熊や猪が出るし、マムシや青大将もいる。そんな声も聞かれた。昭和13年12月、特殊な病室という名の刑務所が完成に近づいていた。

「あれが新聞にあった世界の文化施設ですか。とてもそんな風には見えませんよ」

 正太郎が笑う顔には厳めしいコンクリートの塊を軽蔑する様子がうかがえた。そして、その表情は怒りに変わっていった。

つづく

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