死の川を越えて 第244回
※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。
二、苛藤精市
人を支配したいというのは人間が持っている欲望である。本能といってもいいだろう。権力は時に悪魔の誘惑となって人を突き動かす。正常な理性と人権感覚は人間の野蛮な本性にとってブレーキとなる。もし、理性も人権感覚もない野蛮な人間が権力をほしいままにすることになったら悲惨な結果を生むことは火を見るより明らかなことである。
栗生園に苛藤精市という患者の管理業務を受け持つ男がいた。肩書きは看護長である。
日中先生が激化する中で、国内の治安維持は重要さを増し、ハンセン病患者の管理も一層深刻化していた。国立療養所の中は一般社会とは異なった別世界であった。そこでは、園長に治安維持の権限が与えられている。その手段が検束権である。
しかし、実際にその行使に当たるのは園長から管理を任されたものであり、この者の人柄や人間性などの個人的事情によってそれが大きく左右されることはやむを得ないといえる。栗生園の場合の担当者が苛藤であった。
苛藤は脂ぎった赤ら顔に大きな鋭い目を持ち、患者からは獲物を狙う猟犬のように恐れられていた。
各地の療養所には治安維持の手段として監禁所が設けられていたが、栗生園では苛藤の気ままな判断で監禁所へ入れられた人は少なくなかった。
彼は特別病室ができる以前からこの管理の特権に酔っていた。彼のさじ加減一つで監禁所へ入れることができたからだ。平身低頭し彼の顔色をうかがう患者を前に警察官とか裁判官にでもなった気分であった。悲しい人間の性である。
「少し涼しい所で反省するか」
と監禁所入りをほのめかすだけで哀れな患者は怯えて震え上がった。自分でも気付かぬサディスティックな感情、それと権利と義務の行使だという特権意識が一緒になって彼を突き動かしていた。
その上に、彼の背後に新たに特別病室という名の刑務所が守護神のように立ったのだ。彼が閻魔大王のような気分に陥ったとしても無理はなかった。
つづく
| 固定リンク



最近のコメント