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2026年7月14日 (火)

「皇室典範の改正と国会軽視の衝撃」

◇皇室典範の改正案が、10日衆院を通過した。皇室典範は、日本国憲法に基づいて皇位の継承順位や皇族の身分及び範囲等を定める非常に重要な法律である。日本国憲法は第一条で天皇の象徴性を定め、続く2条でその象徴たる地位は皇室典範の定めによって継承すると記定する。このことから象徴天皇制は皇室典範と一体となっており、皇室典範は象徴天皇制を支える柱としての存在であるといえる。従って皇室典範の改正のいかんは象徴天皇制を揺るがすことになりかねない。このような重要な皇室典範改正に関する質疑が、わずか一日しかも3時間で終結したことは衝撃という他はない。

 このような憲法無視、国会軽視は滅多にあるものではない。国民は今こそ声を大にして怒らねば主権者に値しない。その意味で国民は試されているといえる。このような問題が生じた時、怒りの声を上げるのは若者であるべきである。最近東大のキャンパスを歩いた時、静かで立て看板もなかった。これは何を物語るのであろうか。若者の意識が低いのか、怒りのエネルギーがないのか。情けないことで淋しく感じた。「恥を知れ、恥を」と叫びたい。

 サミュエル・ウルマンの詩を思い出した。

「理想を失う時に初めて老いが来る。

 情熱を失う時に精神はしぼむ。

 人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。

 人は自由と共に若く、恐怖と共に老ゆる。

 希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる」

 この詩に刺激されてその夜は9時過ぎまで頑張った。

◇正しく怒ることの重要性をかみ締める時である。今日の日本社会には懸念すべき情況が生まれているようだ。怒らなくてもいいと思われることに大きく怒り、怒るべきことに声を上げないことだ。「公憤」という言葉がある。公憤とは正義のいかりであり、義憤のことである。つまり、公憤とは社会の悪についての私情を越えた憤りであり正義のいかりである。論語には「義を見てせざるが勇なきなり」とある。孔子のこの言葉は2千年余の時を越えた真理として生き続けている。公憤には私を越えて社会に参加するという視点がある。これは民主主義の価値観と繋がる。孔子の言葉が時を越えて新しい力を生み出していることを知る。現在、民主主義の危機が叫ばれている。人間の心が貧しくなっているのだ。民主主義を支えるものは広くて深い心である。憲法14条は高らかに謳う。全ての国民は平等で、人種、信条、性別によって差別されないと。人間の心にはその本性として差別が棲んでいる。(読者に感謝)

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