「認知症検査と八十五年の人生。青春の暗夜の一言を思う」
◇7月1日、認知機能検査を受けた。予想していたような質問情況はほぼ問題なく経過できたようである。八十五歳の私にとって、認知症問題を考えるよい機会であった。検査の場も私の人生を振り返るにふさわしいと思えた。元総社町の総合交通センターは傍らに牛池川が流れ、かつて現在の元南小学校のところに母校の中学校があった。あたり一面は田圃で、ここに様々な出来事があったことを思うと感慨深いものがある。我が家である藁葺屋根の掘立小屋もここにあった。青い田の一角に立つ小屋は物語の一部を成すにふさわしく、よく写生の対象にもなった。「あれが中村の家だ」、そんな声が聞こえる時、身が縮む思いであった。この牛池川には蛇が多かった。大きな青大将が畳の上でのたくっていたのを見たこともある。元総社時代、私の心はいじけていた。赤城山の南麓から転校した時の衝撃は大きかった。元総社は「貧」ということの重圧に苦しんだ時代だった。元中の敷地は、かつての軍需産業、理研の一角で校庭には炭殻がごろごろしていた。理研の名残は随所にあった。ある時、ウサギの餌取りで空地に降りたら頭上に厚い鉄板を発見した。道路を構成していたのだ。早速地域の古物商に売った。「お兄さん大丈夫かい」と言われたことを覚えている。悪いことは他にもやった。近くに警察学校があり、その庭のクローバーを仲間と夜に刈って地域の牧場に売りに行ったこともある。当時、米は統制物質で、警察による没収の対象であった。元総社は新前橋駅に隣接していたから、いわゆる闇屋の活躍の場であった。窓の外を警察に追われて逃げるおじさんの姿が時々見られた。「〇〇のお父さんが逃げてるぞ」、その声に大勢が窓に走った光景が甦る。父親が追われている女の子は正に身が縮む思いであったに違いない。あの子も健全なら八十五歳。どうしているだろうかと心にかかる。私の得意科目は作文であった。コンクールで前橋全体の特選になったこともあった。「君は何か書き続けた方がいいよ」と女の先生が励ましてくれたのはこの頃のことであった。闇夜の光明であった。ほんの一言が少年の心を救う。八十五歳の現在、しみじみと人生の一コマを振り返る。波乱の歩みはまだ道半ばである。昨日も林道を車で走った。静かな杉の木立は私の心の中を遥かに伸びている。細い道は赤城の谷の奥へ向かっている。元総社の牛池川と共に私の心の原点なのだ。この道が東大に伸び県議会議長席に通じていることを誇りに思う。(読者に感謝)
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