死の川を越えて 第246回
※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。
園長を訪ねると、万場老人がまず口を開いた。
「栗生園開園に至る歴史は園長も十分にご存じのはず。特別病室なるものが、あれよあれよという間に造られた。驚きじゃ。現在、非常時であることは十分承知しております。国には深い考えがあると思うが、開園に至る経緯には国家のわれわれに対する約束がある。特別病室の運営にはこの歴史に十分な配慮を願わねばなりません」
園長は、一瞬たじろぐ表情をみせたがぐっとつばを飲み込んで言った。
「分かっております。それを承知しているが故にあそこはできるだけ使わないように心掛けておるつもりです」
この時、正助は身を乗り出すようにして言った。
「湯の川には、世界にも礼がないと言われた患者たちの自治の組織がありました。私たちはハンセンの光が発するところと誇りを抱いてきました。当時の牛川知事は、移転の時はこのことを尊重して理想の場所に移すと約束されました。内田内務大臣も湯の川を視察され、湯の川の人たちが助け合って生きている姿に感動し、療養所を造るについては、実際にこの辺りを私たちと一緒に歩かれ、私たちの願いが実現できるようにすると約束されました。さらに申し上げるなら、地元の国会議員木檜泰山は帝国議会で、湯の川地区の素晴らしさを取り上げ、新しい療養所はいかにあるべきかを強く訴えてくださいました。そのようにしてやっと実現したこの草津栗生園です」
正助は一気に語った。正助の胸には、内田大臣や木檜代議士などを案内して、この辺りを広く歩いた光景、そして幼い正太郎と共に県議会に出かけてひげの先生たちの前で湯の川のハンセン病の光について訴えた姿が描かれていた。
古田園長は、正助の熱い口元を見つめ時々深く頷くのであった。そして、正助の話を聞き終えた時、古田は重い表情で語り始めた。
「全国ハンセン病療養所の所長会議が開かれましてな、そこで特殊監禁所の設置が提案されました。ハンセン病の問題で大きな影響力を持つ人の主導のため、動かされてしまったのです。その背景には、長島事件がありました」
古田園長が言葉を切った時、それまで黙って聞いていた水野が言った。
つづく
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