« 死の川を越えて 第242回 | トップページ | 「アメリカの独立宣言の衝撃は時を超えて。解体新書翻訳の姿に感銘する」 »

2026年7月 5日 (日)

死の川を越えて 第243回

 昭和13年の暮れ、シートが取り払われると林の陰に重々しい不思議な建物が忽然と姿を現わした。建坪は約32坪余り、周囲は高さ約4メートルの鉄筋コンクリートの塀で囲まれている。その姿は不気味な要塞である。背後の落ち込んだ谷から見上げると中世ヨーロッパの牢獄のようで不気味さとともに鬼気迫るものがあった。正太郎たちは、この段階でまだ過酷な内部構造は知らないのである。しかし、文化施設などと銘打ったことがいかに国家の欺瞞であるかは一目瞭然であった。

 栗生園の人たちは「文化施設」の実態から目をそらし、あるいは気付かぬふりをする人が多かった。園の役人の姿勢が自然と患者たちにそうした態度をとらせていたのである。

 日が経つにつれ、特別病室の存在は栗生園の人々を言い知れぬ不安に駆り立てていた。

 やがて内部の構造までが漏れ伝わるようになった。それによれば、内部も外と同じような高さの鉄筋コンクリート塀によって幾重にも仕切られ、八つの房から成る。そして各房の広さは便所も含めて約4畳半で、くぐり戸式の出入り口は厚さ約15センチの重い鉄塀で閉ざされていた。そして、窓は縦13センチ、横75センチのものが一つ付いた半暗室で、食事の出し入れ口は足元にあり、汁の椀と飯の箱がやっと通るほどのすき間であった。

 実態をひそかに知って、人々はこれは病室どころか重罪人が入る刑務所だと言って恐れおののいた。

「どういう人が、どういう手続きであそこに入れられるのだろう」

 人々はさまざまな想像を巡らし不安に駆られた。実はやがて明らかになるが「手続き」などと呼べるものは存在しなかった。本来なら刑罰を科すには司法の手続きに従うことが当然であるが、ここにはそのようなものは皆無であった。人間無視の無法の世界が展開していくのである。(読者に感謝)

|

« 死の川を越えて 第242回 | トップページ | 「アメリカの独立宣言の衝撃は時を超えて。解体新書翻訳の姿に感銘する」 »