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2026年7月31日 (金)

「甦れ観音堂。熊本地震の衝撃度。72時間命の闘い」

◇「副首都立候補」に注目し賛成である。山本知事は指定に向け立候補の姿勢を示した。この問題は巨大災害と大いに関わることである。現在大災害の足音が聞こえるような状況である。首都直下、南海トラフ、富士山噴火などだ。群馬県は大丈夫という安全神話が支配的らしい。果たしてそうかと疑うべきではないか。警鐘の役割を意識してこのブログで時々触れているのは「天明の生死をわけた十七段」である。かつて見た鎌原観音堂の光景は衝撃的であった。老人たちが口をそろえて和讃を唱えていた。「妻なき人の妻となり、主なき人の主となり」と。

 安全神話は否定すべきであるが総体的にみて群馬は安全地帯といえる。天明の大事件はいかに安全と言われる所でも大自然の威力を謙虚に怖れねばならないという警告と受け止めるべきである。

24日の「熊本地震」の衝撃度は日を追うように大きくなっている。熊本県は、熊本地震の死者につき調査中を含め34人になったと発表した。

◇酷暑の中の大地震ということが問題の深刻さを増加させている。地震がなくても熱中症で搬送される人が相次いでいるのだ。今回の地震は災害対応について新たな課題を浮き彫りにしている。夏の災害、暑さ対策である。高齢化が加速する中、限界の状況で生きるための闘いを強いられている。地球温暖化は継続する課題である。地球温暖化は先進国が目先の利益を求めて暴走した結果であるから自業自得といえる。後進国や発展途上国こそ気の毒である。地球は一つということを今こそかみ締める時である。

 熊本地震では酷暑の中、爆発で閉じ込められ、あるいは下敷きになった人々が懸命な命の闘いを続けている。「限界」といわれる72時間との闘いでもある。人間の生命力は個人差があり、過去には驚くべき例もあるから決してあきらめてはならない。72時間は阪神大震災での経験を踏まえた指標とされる。様々な条件と共に個人の生命力が大きなカギになると思われる。戦場で傷ついた兵士の霊が多く語られている。「生きて帰れぬニューギニア」と言われた。私は親しい人の体験を基に小著「今見る地獄の戦場」を書いた。亡き知人は傷口に生まれたウジと共に生きたと語った。ウジが沸いた人が不思議に助かったという。ウジを使った治療も開発されているというから面白い。下等動物ほど神秘な力を秘めていることは示唆的である。「人間は万物の霊長」とは思い上がりである。(読者に感謝)

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2026年7月30日 (木)

「震度7の衝撃に思う。巨大地震が近づいている。観音堂の悲劇を考える」

◇今回ばかりは地震の恐ろしい力を痛感した。毎日のように地震と付き合って、すっかり慣れっこになっている筈なのに。28日午後4時27分ごろであった。恐らく日本の地震史に残る出来事になることであろう。過去の巨大地震でまず頭に浮かぶのは関東大震災である。亡き母がよく言っていたことを思い出す。「立っていられないようだった」と。また「東京が真っ赤に燃えていた」こともよく聞かされてきた。流言飛語が飛び交い社会は大混乱に陥った。多くの朝鮮人が犠牲になった。本県にも被害は及んだ。藤岡市の警察で保護されていた朝鮮人17人が群衆に引きずり出されて殺害されたのである。群衆真理は恐ろしい。パニックになると人間は変わってしまう。社会が進歩し教育が進んでも人間の心の本質は変わらないことを私たちは自覚すべきである。

 巨大地震が確実に迫っている。魔人の足音が聞こえるようだ。首都直下、南海トラフ、富士山大爆発等々だ。群馬は大丈夫という安全神話が怖い。ブログ等で繰り返し書いてきたが、大災害は必ず起こる。災害は忘れた頃に来ると言われるが、人間は忘れることの達人である。

 日本のポンペイと言われる東吾妻の鎌原観音堂の悲しい物語が甦る。石段わきの石柱の言葉が全てを雄弁に物語る。「天明の生死をわけた十七段」である。本県の歴史にも深く刻まれる悲しい出来事は天明3(1783)年のことであった。和讃は語る。「妻なき人の妻となり、主なき人の主となり」と恐ろしい速さの熱泥流に追われ「十七段」より上に逃げた人は助かった。助かった男女は村の有力者の計らいで組み合わせを作った。つまり夫婦を形成したのだ。「あの人がいい」とか「この人はいや」など少しでも我がままを通せばなにも実現できないことは明らかである。地を裂く炎、押し寄せる泥流、全山火と化し想像を超えて実現したこの世の地獄が人々を限りなく謙虚にしたに違いない。かくして夫婦となった男女は世にも稀な人生の道を歩むことになった。私はかつて観音堂を訪ね、老人たちが口を揃えて和讃を称えている光景を不思議な思いで眺めた。あれから何十年か過ぎた。老人たちのあの姿はまだ続いているか非常に気になることだ。世代を超えて伝統の行事を続けることの困難さを思う。「歴史とは現代と過去との対話」であるが、その対話を活かすことは容易ではない。学校で歴史教育は如何に行われているか気に掛かる。単に知識を増やして受験技術を競うことであってはならない。(読者に感謝)

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2026年7月29日 (水)

「震度7の衝撃を活かす時。天明の生死をわけた17段。歴史は現在と過去との対話。日本の使命は」

◇「来たな。更に大きな何かの前兆かも」私は叫んだ。7月28日午後4時27分、テレビの画面は異常な情況を映し出していた。熊本地方を震源とする地震である。次々に情報が入る。震度7、火災発生、怪我人は多数にのぼり数十人が安否不明、多くの人が閉じ込められているとも。高い煙突が折れた様は地震の凄さを物語る。地震の巣の上に居る日本人にとって他人事ではない。日本のポンペイと言われる鎌原観音堂の物語が甦る。「天明の生死をわけた17段」。大自然の警告は謙虚に受け止めねばならない。私たちは束の間の平穏の中で生きている。束の間を永遠と勘違いすることが悲しい習慣になっているのだ。

◇巨大災害の足音が近づいてきた。今回の熊本地震はその足音に違いない。大自然の重大な警告と受け止めねばならない。来る来ると言われ続けてきた巨大災害が現実のものとなりつつある。首都直下、南海トラフ、富士山の爆発など。そして私たちは浅間山の不気味な沈黙も警戒しなければならない。大自然の威力と仕組みは人知では測り難い。最も大切なことは謙虚に自然に耳を傾けることだ。そして歴史的事実を冷静に見詰めそれから学ばねばならない。

 歴史は嘘をつかない。重要な課題は私たち歴史から学ぶ側にある。イギリスの歴史学者E・H・カーは言った。「歴史とは現在と過去との対話である」と。それは次のような意味である。歴史とは単なる過去の事実の羅列や暗記ではなく、歴史家が現在の視点や問題意識をもって過去の事実に働きかけ、互いに影響し合う終わりのないプロセスである。重要な点は過去の事実に働きかけるのは単なる個々の歴史家ではない。その時々の時代の声である。また時代の声とは民主主義とか基本的人権という普遍的な価値観でなければならない。そしてこの「対話」は人類の進歩の基盤でなければならないから正しい歴史感に基づいたものでなければならない。そして正しい歴史感を考える場合、日本の人類史的役割と使命は大きい。なぜなら私たちは開闢以来の貴重な体験を有しているからである。「広島」と「長崎」である。現在、また核の足音が聞こえる。核保有国が増えてしまった。危険な核が、それを民主的にコントロールする制度を持たない国の手に握られている。日本は核使用の最前線に立たされている。日本国憲法は核使用をコントロールする重要な使命の基盤である。そしてこれを活かすのは主権者たる私たちの自覚にかかっている。(読者に感謝)

 

 

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2026年7月27日 (月)

「8月15日こそ新日本の原点だ。新しい人生のスタートを目指すとき」

◇7月が終わりに近づいた。また8月15日が来る。私にとっての人生の一大転機を迎えたのだ。赤城の嶺霊園でこの一文を書いている。人生の転機は新しい出発点でもある。85年を生きて、その意味をしっかり踏まえる時である。大変な人生と振り返る。その意味は増々深くなっている。赤城の山奥から85年の人生を振り返るとよくやったと我ながら思う。1940年に生を受けた。それは県庁の近くであった。時代の転換点は新しい出発点でもある。それは何か新しい人生を展望する決意で、これからの新しい人生は何かを書くことにしよう。著作は精神活動の成果を示すことを意味する。それは人生のオリジナリティを型にすることだ。85年、様々なことがあった。そして様々な人に会った。全ては天から与えられたものである。嶺霊園を新しい発見の地にしたい。ここには大きなそして深い意味がある。赤城を見上げる緑の中であることは偶然ではない。神が導いた場所で思える。谷の奥の開墾の地が甦る。目の前の霊園の小さな木造の机は神が用意したものではなかろうか。木々に囲まれて右手には墓がある。小鳥のさえずりが聞こえる。頭上の空で響くのはカラスの声だ。かわった人間に何かを呼び掛けているに違いない。目の前の机に三冊の小作品がある。「生まれいき そして未来へ」、「議員日記 第三巻激動の群馬」、そして「楫取素彦読本」である。多くの作品群の一部である。改めて思う。私のエネルギーの姿を。この三冊が訴えている。「ここに描かれていることの続きとして何かを書け」と。この霊園は「想」を練るにはふさわしい。自分が書いたものから何かを選べ。そして新しいものを生み出すことだ。山の中の小さな机で作品の一部に目を走らせた。議員日記の中味は多岐にわたる。玉石混交と捉える姿勢こそが力の源泉になる。選んで、その一つ一つを掘り下げねばならない。読者の胸にぐさりと衝撃を与えるものを選ばねばならない。作りっぱなしで放置するのは罪である。新しい作業をはじめよう。頭上のカラスが実行に移せと叫んでいる。腕時計を見た。それそろ山の机を去る時が来たようだ。カラスよ、また会おう。しばしの別れだ。

◇8月15日を真摯に振り返る意義の大きさは測り知れない。天皇は自らを人間であると宣言した。神の座から降りたことを単に神話のレベルで捉えるべきでない。憲法第一条は記す。「天皇は日本国の象徴でありその地位は主権者たる国民の総意に基づく」と。これによって国民主権が現実のものとなり、民主主義の基盤が確立した。国民主権の国民は全ての国民を指す。そして必然的に国民の平等を導く。国民の平等こそ無限の力を生む源泉である。かくして日本は民主主義の真価を実証する国となった。民主主義は平等主義によって真価を発揮することを確認したい。(読者に感謝)

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2026年7月26日 (日)

死の川を越えて 第249回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 ある予感が湧いたのである。目を閉じると重監房の姿が浮かんだ。同時に水野は、昔本妙寺の集落に調査で踏み込んだ時のことを思い出していた。しかし、無法無秩序と言われる中にもある種の静かな秩序と統率が不気味に感じられた。隣県にまで代表を送って寄付金を集めることを長いこと続けているが、その歳使われる知事の許可証は偽造であるとのうわさが流れていた。水野がひそかに調べたところによれば、知事がそのようなことを許可するはずがないというのがおおかたの見方であった。長い間とがめられずに習慣と化し、違法感覚がなくなっていた恐れがある。しかし、きちんと調べ偽造と判断すれば、公文書の偽造罪および同行使罪を働いたことになる。その他に無法地帯で闇に葬られた犯罪は多いと言われてきた。目を閉じた水野の脳裏をこれらのことが瞬時に流れた。

 水野はふたたび副島の書面に目を戻した。

「本県知事は、国の方針を受け入れて本妙寺集落の人々を一斉検挙することを決定しました。先生、私は心を痛めていますが、これはどうすることもできません。混乱を防ぐため秘密にしなければならないこと、どうかご理解願います。今までの経験から分かっていることですが、事前にハンセン病集落の検挙に向かうと知ると警察官が尻込みして効果が上がらないのです。警察には現場に突入する直前に目的を知らせる必要があります。問題は一斉検挙後でございます。全国の国立療養所の監禁所へ分散して送ることになると思います。私が最も心配していることは、その中の一部が草津の特殊監禁所へ送られるのではないかということです。聞くところによれば、そこは刑務所以上にひどいところだそうですね。そうなった場合には、人々を救済するためにできるだけのことをする決意です。その時はどうか、先生および湯の川地区の皆さまのお力をお貸しください」

 水野の予期した通りであった。

〈大変なことになるぞ〉。水野は呟いて万場老人や正助たちに話した。水野はある面白い話を聞かされていた。いつものように、本妙寺の寄付集めが知事の許可証をもってある大きな屋敷に入っていた時のこと。立派な風采の主人が許可証を一見して叫んだというのだ。

「わしはこんなもの許可した覚えはない」

 烈火の如く怒ったその主人は、許可証に名を書かれた元熊本県知事であったという。

つづく

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2026年7月25日 (土)

死の川を越えて 第249回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 昭和15年に入ると国内外の動きは一層沸き立った。ヨーロッパ戦線で、ドイツの進撃には実際目を見張るものがあった。ドイツと同様に国際連盟を脱退し侵略戦争の道を進む日本では、これに刺激されドイツに乗り遅れるなという機運が高まっていた。ついに万場軍兵衛が口ぐせのように言っていた事態が発生した。15年9月の日独伊三国同盟の締結である。もはやアメリカとの関係は引き返すことができないところに来てしまったのだ。

 日本国内も戦争に向けて国民全体が興奮状態にあった。同年の群馬県議会では、次のような知事の発言が見られる。

「日独伊三国条約の成立、また紀元二千六百年祝典に当たり、天皇陛下より勅語が発せられた。恐れ多いことです。しかし、帝国の前途は容易ならず。我ら国民は一億一心一体となって高度国防国家を完成し国の総力をあげて難局を打開したい」

 この年、全国で紀元前の記念式典が行われた。この年は、日本書記にある神武天皇即位の紀元元年から2600年に当たるとされたのだ。戦争協力への機運を盛り上げる狙いがあった。

 

三 重監房の中で

 

 6月の終わりが近づいていたある日、熊本県庁の副島悟郎から水野高明の下に一通の手紙が届いた。それには次のようにあった。大変な時局となり、ハンセン病の関係も深刻な状況が進んでいると感じられること、そしてそちらに造られた「特別病室」のことがとても気掛かりだと述べ、この書面で特に伝えたいことは本妙寺集落のことだとして、

「わが県の特殊地域として本妙寺集落があることは既にご承知の通りと思われます。この集落は、歴史のあることでわが県も目をつむってきたところもありますが、非常時に突入した現在、そういうことは許されなくなりました。困難に立ち向かい、聖域を戦い抜くためには、この国全体がきれいにならなければならないのに、ハンセン病の集落は社会を汚す存在だ、その上ハンセン病は恐ろしい伝染病だから放置すると国民の体力が落ちる。これが上の方の考えです。残念ながら先生が説かれている人権尊重はここには見られません。最近、国から県に指令がありました。そこで本妙寺の無法状態、つまり一種の治外法権は許されなくなりました。近く、早ければ今月中にも本妙寺集落に官憲の手が入るでしょう。今、ひそかに準備を進めています。私個人とすれば集落の人々に対する同情の念もありますが、いかんともできません。ところで、先生とすれば特にお知らせしなければならぬことがあります」

 水野はここまで読んで、紙面から目を逸らした。つづく

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2026年7月24日 (金)

「壮大な人類の実験 ― アメリカの建国」

◇今回のふるさと未来塾は「アメリカの建国」です。独立宣言は1776年で、今から250年前のことです。人類史における正に画期的な出来事でした。「ペンは剣よりも強し」という諺がありますが、それが全人類を巻き込んで実現されたのです。18世紀のヨーロッパは思想という怪物が荒れ狂った時代でした。ペンは思想と一体となって途方もない力を発揮します。独立宣言を改めて読んでみました。大学時代の西洋史の研究室が甦ります。大変なことが記述されています。「人民は、生命、自由、幸福追求の権利を確保するために政府をつくることが出来る。政府がこの目的を破ることがあれば人民はその政府を廃止して、人民に幸福をもたらす新しい政府をつくることが出来る」というものです。これは革命権の提起です。荒れ狂う革命の炎の中で、ギロチンによって首を落とされた王妃マリー・アントワネットなどの悲劇が幻のように渦巻いています。洋の東西を問わず歴史の歩みは死山血河の中で行われました。日本でも最大級の悲劇として比叡山の焼き討ちがあります。比叡山は中世以来の強大な寺院勢力の拠点でした。しかしその実態は宗教の本質を忘れて腐敗したものであり、社会の進歩のために大改革は避けられない存在でした。そこで、焼き討ちは信長の断固とした決断の下で行われたのです。「信長公記」などの資料によれば、僧侶、子ども、女性などを含め3,000人から4,000人が首をはねられるなどして犠牲になったのです。山上だけでなく麓の門前町である坂本の町や日吉社なども標的となり徹底的な破壊と殺戮が行われました。私は少年の頃胸をときめかせてこの焼き討ちの史料を読んだ記憶が鮮明にあります。天下は麻のごとく乱れに乱れた状況であり、これを静めるためには余程の大鉈を振るわなければなりません。悪魔のような信長の存在が必要であったことがよく分かります。良く言われているように、歴史は現在と過去との対話です。変転極まりない状況の中で、また限りなく生起する事実の中から、一つ二つを拾いあげてそれを材料にして判断しなければならないのです。燃え盛る炎の中の出来事は正に革命です。私たちの歴史の流れを振り返れば、そのような奔流の連続でした。そこから何を選択したか、そしてその選択の判断は正しかったのかを私たちは謙虚に反省しなければなりません。現在開闢以来の変化に直面しています。今こそ最大の国難の状況の中で、正しい判断と決断が求められています。歴史に於ける現代と過去との対話の重要性をかみ締める時です。(読者に感謝)

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2026年7月23日 (木)

「点滴大便混入の衝撃。父の心臓喘息はこの世の地獄。子どもの夢は宇宙だ」

◇摩訶不思議な出来事があるものだと驚いた。未だ犯人も動機も特定されていないが、週刊誌などでは「点滴に大便殺人」と大騒ぎである。入院中の高齢者(75歳)につながる点滴チューブに異常な変色が認められた。51歳の病院の看護師が殺人容疑で逮捕された。点滴のチューブに大便を混入させた疑いである。

 人間の大便中には膨大な量の細菌がいる。その数は何と1グラムあたり約1兆個と言われる。腸内には500~1000種類、総数にして約600~1000兆個の細菌が存在し、主に大腸内で増殖する。これらが通常のルートを辿って排泄されれば問題ないが点滴の手段で血液中に混入されたなら大変なことになるに違いない。事件は千葉県柏市の柏たなか病院で起きた。医に対する信頼を根底から揺るがす出来事である。この病院は医療法人「葵会」が運営する一般病院で、救急医療から在宅医療まで幅広く対応する総合的な地域中核病院であり、事件は同院の入院病棟で発生した。地域社会の動揺は想像を超えるものがあるだろう。昔から医は地域社会を支える柱であった。医者は地域社会にあって「〇〇様」と呼ばれることが昔から多くあった。地域医療について忘れ得ぬことがある。父には深刻な持病があった。心臓喘息で冬になると発作が起きた。呼吸が出来なく、苦しさにのたうち回るのだ。正にこの世の地獄であった。母は「助けて下さい」と叫んで走り回り、私は地域の医者に必死で走った。元総社町の牛池川のほとりでの出来事であった。元総社で代々存在した医者は何故か「けんさい様」と呼ばれていた。父に憑りついた悪魔の如き病は元総社から西片貝に引っ越したら不思議に起きなくなった。父が亡くなって久しい。私も85歳になった。私は102歳まで走ることを小冊子で宣言し、それを実現するために毎日走ることを課題にしている。これは社会に対する約束であると同時に自分との約束である。私は上記の小冊子を手元に置き、折に触れて見ることにしている。自分との約束を破らぬようにとの心がけの一環である。更に約束を破らぬ以上に、状況は絶えず変化しているのでそれとの関係を認識することが重要だからだ。およそ8年前(2018年8月31日)に書いたものに「子どもに宇宙時代の夢を」がある。そこでは「現代の子どもにふさわしい夢は宇宙です」とある。この瞬間にも宇宙は膨脹を続けている。知的生命体は現実の隣人である。その夢には恐怖も伴うことを忘れてはならない。各段に進歩した存在と接する意味を考える時なのだ

(読者に感謝)

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2026年7月22日 (水)

「手塚治虫のブラック・ジャックに惹かれる。医は仁を支えるのは日本国憲法だ」

◇私が漫画が大好きと言うと意外な顔をする人が居る。私の書庫には漫画が高く積んである。中でも手塚治虫の作品が好きである。手塚は漫画を通して新しい世界を切り開いたと言っても過言ではあるまい。漫画をいわゆる単なる笑いの対象から文学作品のレベルに押し上げた功績は大きいと言える。多くの作品があるが私の心の糧を積くのに役立っているのを一つ挙げれば「ブラック・ジャック」である。天才外科医の行動には不思議に深い感銘を受ける。ブラック・ジャックが次のように語る場面に引き込まれる。ブラック・ジャックが次のように語る部分である。

「3百万ドルとふっかけたら、オーケーと返事がきた。患者は、世界有数の多国籍大企業家ロッサムの現職会長。気のすすむ患者ではなかったが会うだけ会ってみようと私は思った」。そして次のような場面が続く。「現在私を必要とする患者に会わせてくれ」。そしてその患者に対面する。「あんたが悪名高い無免許医か。しかし腕まえは超一流だそうだな」「ブラック・ジャックです」。作者の手塚治虫が実際医師の経歴を持つだけにその医に関するストーリーには迫力と深みが伴う。かつて週刊少年チャンピオンに連載され人気を博した。私も愛読者の一人であった。あらゆる病院から見放された難病や奇病の患者たちの命を奇跡的に救っていく姿が胸を打つ。単なる表面的な人情ものではない。ブラック・ジャックは法外な報酬を得て医療を行う。既存の権威や道徳を冷笑し、世間から距離を置くニヒルな性格に惹かれる。医師といえば常識的には特権階級の人である。医師の世界にはどこか特権意識があったと思われる。手塚治虫の哲学の底にはそういった特権意識に対する反逆精神があったと思われる。古来、「医は仁」と言われてきた。手塚は医師としての誇りを取り戻したいという高い志を持っていたに違いない。江戸時代の優れた蘭学者たちの姿が甦る

、特に解体新書を翻訳した杉田玄白らの涙ぐましい努力には頭が下がる。この人たちは生命の尊さ、それを支える使命を担う医学の責任を十分に意識していたに違いない。私は近代医学の夜明けを切り開いた蘭学者たちの崇高な姿を今こそ甦らせるべきだと思う。「医は仁」を支える根本は人間の尊厳であり基本的人権の尊重である。その意味で医の根本を支えるものは日本国憲法の人権尊重の思想である。生命の尊重は平和を大前提とする。今日核戦争の足音が近づいている。医の根本をかみ締める時である。(読者に感謝)

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2026年7月21日 (火)

「宇宙時代に突入した衝撃。知的生命体は現実の隣人である」

◇天の一角が破れてそこの大量の水が一気に落下するかのような雨であった。それは県内で17日から18日にかけての記録的な豪雨のことである。85年の人生でも珍しいことに思えた。昭和22年のカスリン台風を思い出す。小学校一年の時であった。通学路にかかる二つの橋が落ちた。大自然の脅威を人生で最初に見せつけられた瞬間だった。目の前の赤城山が動き出して来るように感じられて恐かった。岩をかむ激流は狂った怪物のようであった。同級生の兄さんが足を滑らして流され命を落としたのはこの時である。この台風の惨状は戦後の森林政策が一因であったに違いない。台風が去った後、流木や岩が山のように重なり被害の凄さを物語っていた。振り返ればあの出来事は異常気象のスタートだったのかと思われる。今日、すっかり常態化した異常気象であるが、あの頃が異常の始まりだったものと思われる。今、地球は未曾有な変化の中にある。開闢以来という言葉があるが正にそれである。我々人類はこれまでも壮大な変化の渦の中で生きてきたが、今、全く違った局面に突入しつつあるのだ。今こそ宇宙時代という表現がふさわしい。宇宙時代にあって何を考えるべきか。それは他人事でなく私たち一人一人にとって切迫した問題なのだ。第一の最大の課題は知的生命体の存在である。知的生命体とは何か。人類を基準に考えればそれは心があるということである。そして心は不思議な存在である。それはあらゆるものを生み出してきた。歴史を振り返れば、心が描いたものは、そのほとんどが全て実現してきたといえる。心こそが魔法のランプなのだ。そこで、心と神とのつながりを考えないわけにはいかない。神話の世界は仮想のものか。アダムとイヴの物語は全くの空想なのか。どの民族にも神話がある。それは民族の心の源になっている。科学が進歩して、あらゆることが合理的に説明される時代が到来した。しかし全てを科学的に理詰めで語ろうとするのは人間の思い上がりではなかろうか。科学で語れないところにも真理が埋もれているに違いない。古代人が持っていた未知なる力を現代人は知らぬうちに失いつつあるのではないか。科学万能というが、それは科学に対する謙虚さを失いつつある証拠かも知れない。私たちは現在宇宙時代の極致ともいうべき膨脹宇宙のただ中にいる。知的生命体たる宇宙人は現実の隣人である。宇宙人はSFの世界のものではないのだ。私たちは無限に広い銀河の中の一粒の存在なのだ。私たち自身が革命的に変化する時なのだ。(読者に感謝)

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2026年7月20日 (月)

「宇宙時代に突入した衝撃。知的生命体は現実の隣人である」

◇天の一角が破れてそこの大量の水が一気に落下するかのような雨であった。それは県内で17日から18日にかけての記録的な豪雨のことである。85年の人生でも珍しいことに思えた。昭和22年のカスリン台風を思い出す。小学校一年の時であった。通学路にかかる二つの橋が落ちた。大自然の脅威を人生で最初に見せつけられた瞬間だった。目の前の赤城山が動き出して来るように感じられて恐かった。岩をかむ激流は狂った怪物のようであった。同級生の兄さんが足を滑らして流され命を落としたのはこの時である。この台風の惨状は戦後の森林政策が一因であったに違いない。台風が去った後、流木や岩が山のように重なり被害の凄さを物語っていた。振り返ればあの出来事は異常気象のスタートだったのかと思われる。今日、すっかり常態化した異常気象であるが、あの頃が異常の始まりだったものと思われる。今、地球は未曾有な変化の中にある。開闢以来という言葉があるが正にそれである。我々人類はこれまでも壮大な変化の渦の中で生きてきたが、今、全く違った局面に突入しつつあるのだ。今こそ宇宙時代という表現がふさわしい。宇宙時代にあって何を考えるべきか。それは他人事でなく私たち一人一人にとって切迫した問題なのだ。第一の最大の課題は知的生命体の存在である。知的生命体とは何か。人類を基準に考えればそれは心があるということである。そして心は不思議な存在である。それはあらゆるものを生み出してきた。歴史を振り返れば、心が描いたものは、そのほとんどが全て実現してきたといえる。心こそが魔法のランプなのだ。そこで、心と神とのつながりを考えないわけにはいかない。神話の世界は仮想のものか。アダムとイヴの物語は全くの空想なのか。どの民族にも神話がある。それは民族の心の源になっている。科学が進歩して、あらゆることが合理的に説明される時代が到来した。しかし全てを科学的に理詰めで語ろうとするのは人間の思い上がりではなかろうか。科学で語れないところにも真理が埋もれているに違いない。古代人が持っていた未知なる力を現代人は知らぬうちに失いつつあるのではないか。科学万能というが、それは科学に対する謙虚さを失いつつある証拠かも知れない。私たちは現在宇宙時代の極致ともいうべき膨脹宇宙のただ中にいる。知的生命体たる宇宙人は現実の隣人である。宇宙人はSFの世界のものではないのだ。私たちは無限に広い銀河の中の一粒の存在なのだ。私たち自身が革命的に変化する時なのだ。(読者に感謝)

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死の川を越えて 第248回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 重監房の存在は、軍靴の音と共にハンセン病患者の胸に重くのしかかった。中国大陸における戦雲はますます急で、国家総動員法は国民精神総動員の呼び掛けと一つになってあらゆる物と人を戦争へと駆り立てていた。国を挙げてのこのような動きは、ハンセン病の人々の耳に「お前たちも戦争に協力せよ。お前たちは国のために何ができるのか」と急き立てているように思えるのであった。

 正助は居たたまれないような声で万場老人に向かって言った。

「先生、社会の動きは俺たちにお前たちは存在意義があるのかと問いかけているように思えてなりません。あのドイツ人宣教師カールさんのことが思い出されてならないのです」

「おお、正助よ、わしも今同じことを考えていた。ドイツは大変なのじゃ。あのヒトラーが独裁政権を握って、条約を無視して軍備の増強を大々的に始めたそうじゃ。国民は熱狂的にこの男を支持しておるらしい。国民を煽る演説のうまさは天才的で、国民は酔ったように、熱にうかされたように一つの方向に突き進んでいるらしい。非常に危険な兆候で、このままでは欧州は世界大戦に突入するかも知れん。前からわしが心配しととることは、日本が同じような方向に進んでいると思えることじゃ。行き着く先はわれわれが生きるに値しないという烙印を押されることじゃ」

 万場老人が恐れていたことが実現されるときが来た。重監房が設置された翌年の昭和14(1939)年、ヨーロッパを中心にして第2次世界大戦が勃発したのだ。ドイツの破竹の躍進は日本軍と日本国民を大いに刺激した。万場老人が語るヨーロッパの情勢を聞いて正助が不安そうに尋ねた。

「俺たちはどうなるのですか」

 これに対して今まで黙って聞いていた水口が口を開いた。

「ドイツではひどいことが起きています。ヒトラーはドイツ民族の優秀性を貫くためにユダヤ人を消し去ろうとしています。なぜかというと、ユダヤ人のために前の大戦では負けたと信じているのです。ドイツからユダヤ人を抹殺し、ドイツ民族の血の純粋性を守ることで初めてドイツは一つになって戦える。だからこの戦いに勝つためにユダヤ人を消滅させることが必要だという考えです。つまり、ユダヤ人は生きるに値しない命だというのです。恐ろしいことです。この思想が日本に本格的に影響することを私は恐れています」

 水野の言葉は現実のこととなりつつあった。

 つづく

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2026年7月19日 (日)

死の川を越えて 第247回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

「私は長島事件について詳しく聞いております。ひどい状態に対して患者が怒りを爆発させたそうですね。常に定員を大幅に超え、居室は極端に狭く、食事も不十分、作業賃までカットされた。ついに患者たちは作業スト、ハンストをやり、施設幹部の辞任を求め、自治活動の権利まで要求するに至ったといいます」

 水野は熊本県庁にいるかつての生徒、副島から細かく報告を受けていたのだ。副島は報告書の中で、厳しい時代状況がハンセン病の生徒の患者にしわ寄せとなって気の毒だと感想を述べていた。古田園長も同じようなことを語った。

「長島愛生園だけでなく、不穏な空気が全国の療養所に広がっています。中国で戦争が広がる中で、国も殺気立っています。物質は不足していますから、ハンセン病どころではないという状況で、国立療養所はどこも締め付けが厳しくなり患者の反発も起きます。不穏分子を厳しく取り締まらねばということで、特殊監禁所の提案となりました。

 草津が候補地に上がった時、まさかと思い、私は反対しましたが、世界に誇る文化施設にする、厳しく罰するだけでなく、温泉を利用して病気を治しながら悪い性格も直すという理屈で押し切られました。その後、この園の中にあのような建造物が造られてしまったことに、だまされたという思いとともに怒りを覚えます」

 こう言って、園長は話を無銭飲食の清水佐助に戻した。繰り返す犯行に手を焼いていたので懲らしめて反省させるつもりだったのだ。そして言った。

「皆さんの話はよく分かりました。清水もずいぶん反省したことでしょう」

 こうして、清水は特別病室入室は一日で釈放された。

 このことは直ちに園中に伝わり、同時に特別室の実態が知られ、恐怖の象徴となった。患者たちは苛藤精市をますます恐れ、人々の心は萎縮していった。清水の事件によって特別室とな名ばかりで、実は犯罪人を扱う牢屋であるから監房と呼ぶにふさわしい、しかも特別の重罪を扱う監房というべきだから重監房だということになり、いつしか重監房と呼ばれるようになった。

つづく

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2026年7月18日 (土)

死の川を越えて 第246回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 園長を訪ねると、万場老人がまず口を開いた。

「栗生園開園に至る歴史は園長も十分にご存じのはず。特別病室なるものが、あれよあれよという間に造られた。驚きじゃ。現在、非常時であることは十分承知しております。国には深い考えがあると思うが、開園に至る経緯には国家のわれわれに対する約束がある。特別病室の運営にはこの歴史に十分な配慮を願わねばなりません」

 園長は、一瞬たじろぐ表情をみせたがぐっとつばを飲み込んで言った。

「分かっております。それを承知しているが故にあそこはできるだけ使わないように心掛けておるつもりです」

 この時、正助は身を乗り出すようにして言った。

「湯の川には、世界にも礼がないと言われた患者たちの自治の組織がありました。私たちはハンセンの光が発するところと誇りを抱いてきました。当時の牛川知事は、移転の時はこのことを尊重して理想の場所に移すと約束されました。内田内務大臣も湯の川を視察され、湯の川の人たちが助け合って生きている姿に感動し、療養所を造るについては、実際にこの辺りを私たちと一緒に歩かれ、私たちの願いが実現できるようにすると約束されました。さらに申し上げるなら、地元の国会議員木檜泰山は帝国議会で、湯の川地区の素晴らしさを取り上げ、新しい療養所はいかにあるべきかを強く訴えてくださいました。そのようにしてやっと実現したこの草津栗生園です」

 正助は一気に語った。正助の胸には、内田大臣や木檜代議士などを案内して、この辺りを広く歩いた光景、そして幼い正太郎と共に県議会に出かけてひげの先生たちの前で湯の川のハンセン病の光について訴えた姿が描かれていた。

 古田園長は、正助の熱い口元を見つめ時々深く頷くのであった。そして、正助の話を聞き終えた時、古田は重い表情で語り始めた。

「全国ハンセン病療養所の所長会議が開かれましてな、そこで特殊監禁所の設置が提案されました。ハンセン病の問題で大きな影響力を持つ人の主導のため、動かされてしまったのです。その背景には、長島事件がありました」

 古田園長が言葉を切った時、それまで黙って聞いていた水野が言った。

つづく

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2026年7月17日 (金)

「助産師が点滴に便混入の衝撃。国旗損壊罪は違憲の疑い」

◇奇怪な事件があるものだ。何でもありの狂乱、怒涛の世相を映す一コマなのか。県の助産師が勤務先の病院で入院患者の点滴に便を混入させ殺害したとして逮捕された。被害者は75歳の老人である。かつて福祉施設で、生きるに値しない命として多くの入所者の命をゴミのように奪った事件があった。その事が頭をかすめた。今回の便混入事件は7月15日千葉県で起きた。逮捕された51歳の女性容疑者は被害者のフロアの看護責任者であった。点滴チューブ内に茶色の物質が残っており警察は人間の便の可能性が高いと判断している。そしてこの看護長が便を混入させたとみている。正に前代未聞の怪事である。

◇国旗損壊罪が成立の動きである。17日の参院本会議で成立する。法案は「人に著しく不快嫌悪の情」を催させる方法で公然と国旗を損壊した場合に2年以下の禁固刑か20万円以下の罰金刑とするという内容である。非常に問題のある法案だと思う。国民に刑罰を科す法律は基本的人権を守る上で最も慎重でなければならない。この法案が非常に問題なのは、どんな行為が処罰対象となるか否かの線引きがはっきりしない点だと専門家は指摘する。刑法がイロハとすべき「罪刑法定主義」が形骸化することもあってはならない。国会で3人の参考人中2人が違憲の可能性が高いと述べた。また国会外でも148人の刑法学者が異論を唱えた。この人たちは言う。「感情を理由に処罰規定を作ってはならない」と。余りにも当然のことである。参考人の憲法学者の一人は何が犯罪かを「前もって明確に定めなければ」、「刑罰は後出しじゃんけんになる」と述べる。罪刑法定主義とは、後出しじゃんけんの禁止に他ならない。国旗の問題を軽々に愛国心と結び付けるべきではない。愛国心は長い歴史と日本の深い文化を基礎とするものである。私は今こそ真の愛国心が求められていると考える。憲法97条は叫ぶ。「この憲法が保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の成果であって、これらの権利は過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と。敗戦と共に日本の歴史と文化の流れが断絶した観があるが決してそうではない。憲法は敗戦を機に一変したが全てが変化した訳ではない。憲法の底を時を越えて脈々と流れ続ける日本人の文化と伝統は変化に応じながらもその根幹は永遠のものである。人類は開闢以来の宇宙時代に入った。変化の力はこれに応じることが出来るか。(読者に感謝)

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2026年7月16日 (木)

「焦熱地獄文化の地球の先にある恐怖。地球を救う大義の旗を日本が振れ」

◇14日、県内の最高気温は桐生市で37.3度に達した。また15日の本県では今年初めて熱中症警戒アラートが発表された。毎年夏の暑さ騒ぎは今後永遠に続くのか、とんでもないことを想像するとぞっとする。地球全体がフライパンの上で焦がされているようではないか。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)などの最新予測では、温室効果ガスの排出を大幅に削減しても、少なくとも今世紀半ばまでは世界平均気温の上昇が続くとされている。このままのペースでは、2040年頃に産業革命以前から1.5度上昇する可能性が高いと予測されている。

 この温暖化は産業革命以降、人間が目先の利益を求めて暴走した結果である。「盲蛇に怖じず」というが目を失った人間は先を見ることが出来ぬ状態で走り続け今日を迎えている。環境の破壊は地球全体のことなので自業自得で済まされることではない。科学の発展の恩恵を受けぬ貧しい国や発展途上の国こそ迷惑で気の毒である。これらの力のない小さな国々は強国のなすがままであってはならない。小さな存在の国々の強みは数が多いことである。未開の国、発展途上の国々は理念によって力を合わせることが出来る。理念とは大義名分のことである。地球温暖化に立ち向かって地球を救うという大義ほど素晴らしい旗印はない。その旗を中心になって掲げるに値する第一の国は日本である。なぜなら地球を救うための最大の課題は核の回避であり、人類で唯一核の悲惨を、身をもって経験したのが日本だからである。かつて「ノストラダムスの大予言」なるものが出版されて世に衝撃を与えたことがある。その中に大魔王が天から降りてくるという下りがあったと思うが、それが核を暗示したとすれば人々の胆を冷やす力はあったに違いない。歴史を振り返れば古代に於いてはモーゼやイエスなどといった宗教的指導者が存在し、彼らは預言者でもあった。現代においてはそういうものはすっかり影を潜めた。科学の時代到来ということであろうが、人間の心がひからびて貧しくなっていくような気がしてならない。時を経ても人間の心の本質は変わらない筈だ。時と共にこの世は増々便利になっていく。それは人間が自分の頭を使って工夫を凝らして生きる努力を不要とすることでもある。このような情況は人間を退化させる道に繋がる。親方の下で技を磨く職人道が細くなっていく。受験競争と学歴社会が激化していく中で寺子屋時代とかつての中村塾が懐かしい。(読者に感謝)

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2026年7月15日 (水)

「憲法14条の平等理念と『えた』、『ひにん』に見る差別の現実」

◇日本国憲法の根幹は人間の尊重である。それは次の点によく現れている。14条、すべて国民は法の下に平等であって差別されない。この差別は人間の悲しい本性であり、永遠の課題である。私は漫画「カムイ伝」の愛読者である。そこではカムイが「ひにん」の出として描かれている。

 江戸時代、士農工商という身分制度を定めたが、さらにこの四民の下に「えた」「ひにん」とよばれる賤民身分を置いた。代表的な教科書、山川出版社の日本史では「えた」「ひにん」につき次のように記述する。

 「えた」とされた人々は農業に携わった他、牛馬の屍体処理や、皮革製造、わら細工などの零細な手工業、行刑の雑役などの生業をしいられた。「ひにん」は町の清掃や雑業に従事したり物乞いをした。両者はともに居住地を制限され、服装などにも差別をつけた。このような差別は戦後の新憲法の施行と共に姿を消した筈であるが、その名残はその後も社会に暗い影を落とし続けているようである。今日、教育の場でよくいじめが問題になる。いじめは何か弱点を見つけてそれをつつくという子どもの世界では珍しくないことである。しかし被害を受けた子は深刻なダメージを受けることもあり軽視はできない。いじめも差別も心の世界を傷つける点が重要である。いじめも差別も子どもの世界では遊びの延長であったり重なることがよくある。子どもの人権は非常に重大な社会の課題なのである。現在、学校嫌いとか学校に行けない子どもが多いと言われる。教育環境の多様化の必要性が叫ばれている。個に応じた教育の重要性と難しさを痛感する。社会は複雑に激しく変化している。大人にとって生きるのが難しい社会が進んでいる。子どもにとっては一層難しい社会であることを社会全体が真摯に受け止めて対応しなければならない。教育の目的は生きる力を養うことである。増々高度化し複雑化する社会をしたたかに生きる力を身につけさせねばならない。子どもたちの行く手に受験戦争や学歴社会が立ちはだかっている。子どもの可能性は無限である。それを押しつぶしているのが現在の教育システムではないか。教育の原点は反権力にある。日本は小資源国と言われるが人間こそ日本を支える資源である。技術の国と言われる。それを支えるのは教育である。教育の重要性、教育行政の課題を痛感する。宇宙時代である。宇宙人と対峙できる地球人を創り出さねばならない。宇宙は無限に広がっている。私たちはどこに向かっているのか。

(読者に感謝)

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2026年7月14日 (火)

「皇室典範の改正と国会軽視の衝撃」

◇皇室典範の改正案が、10日衆院を通過した。皇室典範は、日本国憲法に基づいて皇位の継承順位や皇族の身分及び範囲等を定める非常に重要な法律である。日本国憲法は第一条で天皇の象徴性を定め、続く2条でその象徴たる地位は皇室典範の定めによって継承すると記定する。このことから象徴天皇制は皇室典範と一体となっており、皇室典範は象徴天皇制を支える柱としての存在であるといえる。従って皇室典範の改正のいかんは象徴天皇制を揺るがすことになりかねない。このような重要な皇室典範改正に関する質疑が、わずか一日しかも3時間で終結したことは衝撃という他はない。

 このような憲法無視、国会軽視は滅多にあるものではない。国民は今こそ声を大にして怒らねば主権者に値しない。その意味で国民は試されているといえる。このような問題が生じた時、怒りの声を上げるのは若者であるべきである。最近東大のキャンパスを歩いた時、静かで立て看板もなかった。これは何を物語るのであろうか。若者の意識が低いのか、怒りのエネルギーがないのか。情けないことで淋しく感じた。「恥を知れ、恥を」と叫びたい。

 サミュエル・ウルマンの詩を思い出した。

「理想を失う時に初めて老いが来る。

 情熱を失う時に精神はしぼむ。

 人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。

 人は自由と共に若く、恐怖と共に老ゆる。

 希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる」

 この詩に刺激されてその夜は9時過ぎまで頑張った。

◇正しく怒ることの重要性をかみ締める時である。今日の日本社会には懸念すべき情況が生まれているようだ。怒らなくてもいいと思われることに大きく怒り、怒るべきことに声を上げないことだ。「公憤」という言葉がある。公憤とは正義のいかりであり、義憤のことである。つまり、公憤とは社会の悪についての私情を越えた憤りであり正義のいかりである。論語には「義を見てせざるが勇なきなり」とある。孔子のこの言葉は2千年余の時を越えた真理として生き続けている。公憤には私を越えて社会に参加するという視点がある。これは民主主義の価値観と繋がる。孔子の言葉が時を越えて新しい力を生み出していることを知る。現在、民主主義の危機が叫ばれている。人間の心が貧しくなっているのだ。民主主義を支えるものは広くて深い心である。憲法14条は高らかに謳う。全ての国民は平等で、人種、信条、性別によって差別されないと。人間の心にはその本性として差別が棲んでいる。(読者に感謝)

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2026年7月13日 (月)

「利根の急流を泳いだ少年の頃。地球沸騰の時代を人間は生き残れるか」

◇子どもの頃、県庁裏の利根川で泳いだことが懐かしい。かつての利根川は阪東太郎の名にふさわしく水勢が激しかった。私は庁舎の対岸から斜め北に向けて飛び込み必死で泳ぎ、流れに押し戻されながらやっと岸に辿り着くのだった。当時、川は子どもの遊び場であった。大きな口を開けての奮闘だから水を呑むことも当然あった。小さな川をせき止めて泳ぐこともあった。ある時、元総社の牛池川で泳いでいたら、大きなヘビがかま首を上げて見事に泳いでいるのに出合った。ヘビは泳ぎが巧である。恐ろしさを忘れ美しい泳ぐ姿に見とれていたのを思い出す。時を経て私たちの生活環境も生活習慣もすっかり変化し、子どもが川で泳ぐこともなくなった。ヘビを見ることも少なくなった。ヘビは生活環境を奪われ、結果として生きる困難に直面していると思われる。ヘビとの共存共生が出来なくなることは人間が自分で自分の首を絞めることを意味する。現在クマの被害が騒がれている。クマに罪はない。親子連れの姿を見ると彼らが厳しい環境で必死に生きていることを痛感する。人間は古来思い上がった存在である。この地球が人間のためにあると思い込んできた。産業革命以来、開発の名の下で猛烈な勢いで自然を破壊してきた。地球は遂にここまで来てしまった。国連事務総長は地球が沸騰していると表現した。その主な原因は人間活動による温室効果ガスの増加である。地球の悲劇はこれから加速するだろう。海面の上昇は続き、太平洋の小島の多くは水没の危機にある。オーストラリアへの移住が現実化している。北極の棚氷が溶け巨大な塊が漂流を始めている。中には日本列島ほど大きいやつもあるというから驚きを超えて呆れるばかりである。超大国の横暴を許すなという声が大きくなっているが、こういう状況の中で超大国の存在感は増すばかりである。小さい国々は諦める他はないのだろうか。そんなことは決してない。人類は知の存在ではないか。知とは即ち理念である。日本が生きる道、大きな存在感を発揮すべき点はこの理念であるべきだ。日本には誇るべき理念がある。日本は軍国主義の侵略国から「広島」、「長崎」を経て不死鳥のように変身して生き返った。この時、生命の元として手にしたのが平和の理念であった。現在宇宙時代に突入しつつある。宇宙は無限に膨脹しつつある。知的生命体との交流の時代である。宇宙人は隣人である。新たな遭遇の時が近づいている。コロンブスが新大陸を発見した時のように。(読者に感謝)

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2026年7月12日 (日)

死の川を越えて 第245回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 ある時、上地区の清水佐助という患者が事件を起こした。この男、湯の川集落の飲食店で無銭飲食をして捕まったのだが、日頃話題の常習犯であった。主人は開き直ったふてぶてしい態度が許せなかった。栗生園が管理できないなら草津の警察に突き出すということで騒ぎになった。

 園としては患者の管理責任を問題とされることはまずいことであった。古田園長はどのように警戒すべきか迷った。

 この時、苛藤は待ってましたとばかりに言った。

「とにかく国民の税金でつくった特別病室を使わないのはまずいんじゃないですか。無銭飲食という常習癖をなおすには本来刑務所に行くべきなのだから、少しあそこへ入れて反省させるべきだと思います」

 苛藤の言うことには一応の理屈があるので古田園長は考え込んでしまった。そして言った。

「よし、2、3日入れて様子を見ることにするか。よいか、君、2,3日ですよ。この特別病室にはもともと疑問があります。胸を張って使える施設とは思えませんからね」

「はい、よく分かりました。反省の効果が上がるようならすぐ出すことにしましょう」

 特別病室入りが決まった時の清水の狼狽ぶりは大変なものであった。もう絶対しねえからと苛藤に手をついて助けを求め、手を合わせて哀願するのであった。

 彼の哀れな態度は苛藤の残忍な心を煽った。

 清水が入れられた夜、特別病室からは泣き叫ぶ声が聞こえた。

 その翌日のことである。上地区の者2名が正助を訪ねてきた。

「確かに銭を払わねえで食ったヤツが悪いには違いねえが、あんなコンクリートの塊で窓もねえ牢屋にぶち込むとはひでえことです。人間のやることとは思えねえ。おれたちはヤツが哀れでなんねんです。何とかならねえものでしょうか。お願いします」

 正助は事の重大さをすぐに察知した。

 万場軍兵衛と水野高明に話すと、2人は異口同音にこれは捨て置けない、コンゴのこともあるから古田園長に話そうということになった。

つづく

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2026年7月11日 (土)

死の川を越えて 第244回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

二、苛藤精市

 

 人を支配したいというのは人間が持っている欲望である。本能といってもいいだろう。権力は時に悪魔の誘惑となって人を突き動かす。正常な理性と人権感覚は人間の野蛮な本性にとってブレーキとなる。もし、理性も人権感覚もない野蛮な人間が権力をほしいままにすることになったら悲惨な結果を生むことは火を見るより明らかなことである。

 栗生園に苛藤精市という患者の管理業務を受け持つ男がいた。肩書きは看護長である。

 日中先生が激化する中で、国内の治安維持は重要さを増し、ハンセン病患者の管理も一層深刻化していた。国立療養所の中は一般社会とは異なった別世界であった。そこでは、園長に治安維持の権限が与えられている。その手段が検束権である。

 しかし、実際にその行使に当たるのは園長から管理を任されたものであり、この者の人柄や人間性などの個人的事情によってそれが大きく左右されることはやむを得ないといえる。栗生園の場合の担当者が苛藤であった。

 苛藤は脂ぎった赤ら顔に大きな鋭い目を持ち、患者からは獲物を狙う猟犬のように恐れられていた。

 各地の療養所には治安維持の手段として監禁所が設けられていたが、栗生園では苛藤の気ままな判断で監禁所へ入れられた人は少なくなかった。

 彼は特別病室ができる以前からこの管理の特権に酔っていた。彼のさじ加減一つで監禁所へ入れることができたからだ。平身低頭し彼の顔色をうかがう患者を前に警察官とか裁判官にでもなった気分であった。悲しい人間の性である。

「少し涼しい所で反省するか」 

 と監禁所入りをほのめかすだけで哀れな患者は怯えて震え上がった。自分でも気付かぬサディスティックな感情、それと権利と義務の行使だという特権意識が一緒になって彼を突き動かしていた。

 その上に、彼の背後に新たに特別病室という名の刑務所が守護神のように立ったのだ。彼が閻魔大王のような気分に陥ったとしても無理はなかった。

つづく

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2026年7月10日 (金)

「クマとの共生共存は人間の最大の課題。求められる人間の資質は高い志だ」

◇クマ被害が各地で相次いでいる。私は連日のように赤城山麓の林道を通る。時々山の住人に出合う。今までに多いのはカモシカである。草食動物の姿は優しい。彼らも人間を恐れていないらしい。車を止め、手を振るとじっとこちらを見てやがて林に消える。彼らとの共生、共存は私たち人間の最大の課題なのだ。侵略者となって彼らを追い詰めてはならない。

 クマは危険な動物として対応が難しい。しかし、共存共生の大切さは変わらない。人間社会の知恵と工夫によって問題の解決に当たらねばならない。県はクマ被害対策を強化しようとしている。その一環として、狩猟免許試験でクマの駆除を担える自治体職員「ガバメントハンター」の受験枠を一般とは別に新設する方針である。その枠について、8月1日の試験から年4回の試験で各回15人程度とすることを明らかにしている。本県では狩猟免許の受験希望者が急増している。県は一般受験者の受け入れ規模を倍増させる方針である。また、これとは別だがガバメントハンターの受験枠を設けることで自治体員の免許取得を促そうとしている。県担当課は「狩猟免許試験によって得られる知識が鳥獣被害対策にも役立つことを期待する。県内自治体のガバメントハンター増加に資することになるに違いない。ガバメントハンターの増加は行政の本気度を示すことを意味し、この制度の適切な発展はクマという危険動物との共存、強制を支えることに繋がることになる。行政の本来のあるべき姿勢を支えるものとして期待したい。

 本県ではクマの本年度初めての人身被害が6月29日に発生した。現場は桐生市梅田市の鳴神山頂付近である。登山中の50代男性が襲われ頭部と腕を負傷した。2025年度の県内のクマの目撃出没件数は1,398件で前年度の2倍超となった。県は昨年、「県ツキノワグマ出没対応マニュアル」を新しい制度のあわせて改定した。本年度は8月~9月上旬頃から関係者による訓練を計画している。この時期にクマが多く出没するのだ。緊急猟銃で難しい技術が必要となるのが夜間猟銃であるから。これを担える捕獲者を育てるために技術向上研修も開く計画である。山本知事は、クマなどの被害対策を担う人材の確保を着実に進め県民の安全安心につなげたいと決意を語っている。求められる人材の資質として重要なのは社会公共のために尽くすという高い志である。現在の日本の課題はこの公共心がぐらついていることである。サムライの精神を取り戻さねばならない。(読者に感謝)

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2026年7月 9日 (木)

「蛇蝎のごとくと言うが。大量のヘビが逃げた。ヘビは魔物か。神通力は」

◇私はヘビが大嫌いなので、ヘビと聞くだけでぞっとする。「蛇蝎(だかつ)」の如くという言葉がある。人がもっとも嫌うもののことだ。蠍(さそり)はそれ程怖いと思わないが、ヘビは生理的に駄目である。歴史上ヘビは恐怖と畏怖の象徴として扱われてきた。私は、子どもの頃赤城の山奥で暮らしていたが、当時ヘビは至る所にいた。下の部落にお使いに行くとき、よく母が言った。「ヘビに出合ったら真っすぐ走って、急に曲がって逃げるんだよ」。漫画のような話であるがヘビを単純に恐れていたことが窺える。

 身近で大きいのはアオダイショウである。2メートルくらいになると言われているが、3メートルに達するものもあるらしい。

 古代人はヘビに神秘性を感じていたに違いない。ヘビを殺すと祟られるとよく言われてきた。農家では屋敷神として大切にしている所も少なくなかった。古事記では怪物ヤマタノオロチとして登場する。この怪物はスサノオのミコトによって退治される。

 ところで衝撃的なヘビのニュースが伝えられている。台風10号による記録的豪雨で、大量のヘビが養殖場から逃げ出し、噛まれて死亡した女性がいるというのだ。中国では何でも話が桁違いに大きくなる。中国南部は温暖、高湿度でヘビの生息に適しているので一大養殖地となっている。その飼育数は2千万匹近くにのぼるという。国営テレビは、川べりや草むらには近づかぬようにと呼びかけている。ヘビ養殖の目的は薬用である。日本でもマムシは焼酎につけて薬にする習慣がある。生きたまま焼酎の瓶につける。ヘビは魔物と言われ、強い生命力があると思われる。ヘビ焼酎は傷口につけたり、精力剤として飲む習慣は昔から定着している。私はよく山の谷に入るが、最近ヘビを見る機会はほとんどなくなった。ヘビは嫌いだが、彼らとの共存は大切なことである。

 ヘビの肉は美味しいらしい。ニューギニアで戦時中飢えと戦って生死の境をさまよった知人からよく話をきいた。南のジャングルには大きなヘビがいて、見つけると争ってブツ切りにして食べたという。巨大なアナコンダの話を聞いたことがある。目の前で現地人が呑まれたという。身体を洗っていたら音もなく近づいてあっという間に犠牲になった。引き上げて腹を裂いたら、既に溶け始めていたという。恐るべき力である。ジャングルも近代化で開発が進む。ヘビ達は生き延びられるか。(読者に感謝)

 

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2026年7月 8日 (水)

「宇宙時代の衝撃は迫っている。宇宙人はすぐそこにいる」

◇探査機はやぶさ2が小惑星の撮影に成功した。画像は驚くほど鮮明で関係者は「感動、鳥肌もの」と発言した。この計画には、小惑星が地球に衝突する危険に備える意味もある。はやぶさ2の開発には本県富岡市の企業も関わった。宇宙は夢に満ちているが危険もいっぱいである。小惑星が地球に衝突する恐れは常にある。有名なのはメキシコユカタン半島に衝突した巨大隕石が恐竜絶滅の一因になったと言われていること。また、ごく近い例では1908年6月シベリアのタイガに衝突した隕石がある。ツングースカ大爆発として知られるもので、直径40~60mの天体が上空で爆発、東京23区の面積に近い森林がなぎ倒された。衝突域がタイガ上空であったのは偶然のことであった。仮に東京などの人口密集地域であったことを想像すると身の毛がよだつ。人類はそういう危険に常に晒されながら束の間の平穏の中で生存している存在なのだ。かつて「ノストラダムスの大予言」がセンセーションを巻き起こしたことがあった。「1999年7の月、空から恐怖の大王がおりてくる」というもので、これを扱った五島勉の著書は1973年に出版された。ちょうど世紀末というタイミングで大きな関心を集めた。大王は隕石かと想像力をたくましくし、商業主義が便乗して盛んに煽った。時代の変化は誠に急激で現在は宇宙時代真っただ中である。現在の人々の最大の関心事は知的生命体の存在である。宇宙は限りなく広大であり、ビッグバンで始まった膨脹宇宙は、膨脹の力と速度を加速させている。知的生命体、つまり宇宙人の存在は今やSFの段階ではない。車椅子の天才ホーキング博士は宇宙人との接触に警告を発した。余りにも文明と科学の発達が違う存在が遭遇した時の悲劇を恐れているのだ。コロンブスが新大陸を発見した後、科学に於いて遅れた人々の悲惨は想像をこえるものであった。白人の天然痘、過酷な強制労働、殺戮などにより人類史上最大規模の悲劇を受けた。他の宇宙の知的生命体による悲劇は筆舌に尽くせぬものだろう。価値観も文化もあらゆることが根本から異なるからである。息つくひまもなく押し寄せる異文化の衝撃に対応することは不可能に違いない。専門家は宇宙人の存在が判明する日は意外に近いといっている。姿も形も頭の中味も全く異なる宇宙人はもうすぐ近くに来ているのかも知れない。はやぶさ2の資料には未知の情報が隠されていると思われる。(読者に感謝)

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2026年7月 7日 (火)

「アメリカの建国の精神の普遍性を思う。日本国憲法の偉大さをかみ締める時」

◇アメリカの建国は、人類史の上で画期的な出来事であり、正に人類の夜明けを意味したといえる。アメリカは1776年7月4日、独立記念日を迎えた。この日、イギリスの植民地だった13の地域がイギリス本国の支配から離れ、新しい独立国家「アメリカ合衆国」として生きることを公式に決定し宣言したのだ。つまり、この日はアメリカ独立宣言が採択された驚くべき日なのである。宗教的迫害を受けていた清教徒(ピューリタン)は、1620年メイフラワー号で新大陸に渡った。現在のマサチューセッツ州プリマスである。彼らが船上で結んだ「メイフラワー誓約」はアメリカの民主主義の原点となった。彼らはイギリス国教会の強制に反対し信仰の自由を求める人々であった。

 アメリカは特定の宗教を国教としない「政教分離」を国の制度としている。この理念は時代を超え、人種を超えて、不変的理念として生き続けている。これこそアメリカの偉大なる姿である。日本国憲法はその20条で高らかに定める。「宗教の自由は何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も国から特権を受け、または政治上の権力を行使してはならない」。また97条は憲法を最高法規として次のように記す。「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は過去幾多の試練に堪え、現在および将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と。現在高市総理は憲法改正の強い決意を表明し、大きな問題となっている。首相は「時は来た」と発言し、来年春まで改正発議に目途をつける決意を示している。この発言の背景には、自民党が衆院で単独改憲勢力3分の2を占めたという歴史的情勢がある。改正議論の中心は言うまでもなく9条である。私たち国民は今こそ9条の文言をしっかりと受け止めるべきである。9条は、戦争の永久放棄を定め、この目的のために戦力は持たず、国の交戦権も認めない。現在国際情況は増々険悪となり、日本は米中対立の最前線に立つ。隣国に北朝鮮、中国、ロシアが迫る。国民の生命、自由、財産は国防にかかっている。日本の生きる道は国民が生きる道である。日本は「広島」「長崎」の経験を経て生まれ変わったのである。現在きな臭い情況になっている。日本は正念場に立たされている。かじ取り、外交力こそ日本の運命を決める。その基盤が平和憲法である。日本の原点は聖徳太子の決意「和」である。(読者に感謝)

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2026年7月 6日 (月)

「アメリカの建国の精神の普遍性を思う。日本国憲法の偉大さをかみ締める時」

◇アメリカの建国は、人類史の上で画期的な出来事であり、正に人類の夜明けを意味したといえる。アメリカは1776年7月4日、独立記念日を迎えた。この日、イギリスの植民地だった13の地域がイギリス本国の支配から離れ、新しい独立国家「アメリカ合衆国」として生きることを公式に決定し宣言したのだ。つまり、この日はアメリカ独立宣言が採択された驚くべき日なのである。宗教的迫害を受けていた清教徒(ピューリタン)は、1620年メイフラワー号で新大陸に渡った。現在のマサチューセッツ州プリマスである。彼らが船上で結んだ「メイフラワー誓約」はアメリカの民主主義の原点となった。彼らはイギリス国教会の強制に反対し信仰の自由を求める人々であった。

 アメリカは特定の宗教を国教としない「政教分離」を国の制度としている。この理念は時代を超え、人種を超えて、不変的理念として生き続けている。これこそアメリカの偉大なる姿である。日本国憲法はその20条で高らかに定める。「宗教の自由は何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も国から特権を受け、または政治上の権力を行使してはならない」。また97条は憲法を最高法規として次のように記す。「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は過去幾多の試練に堪え、現在および将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と。現在高市総理は憲法改正の強い決意を表明し、大きな問題となっている。首相は「時は来た」と発言し、来年春まで改正発議に目途をつける決意を示している。この発言の背景には、自民党が衆院で単独改憲勢力3分の2を占めたという歴史的情勢がある。改正議論の中心は言うまでもなく9条である。私たち国民は今こそ9条の文言をしっかりと受け止めるべきである。9条は、戦争の永久放棄を定め、この目的のために戦力は持たず、国の交戦権も認めない。現在国際情況は増々険悪となり、日本は米中対立の最前線に立つ。隣国に北朝鮮、中国、ロシアが迫る。国民の生命、自由、財産は国防にかかっている。日本の生きる道は国民が生きる道である。日本は「広島」「長崎」の経験を経て生まれ変わったのである。現在きな臭い情況になっている。日本は正念場に立たされている。かじ取り、外交力こそ日本の運命を決める。その基盤が平和憲法である。日本の原点は聖徳太子の決意「和」である。(読者に感謝)

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「アメリカの独立宣言の衝撃は時を超えて。解体新書翻訳の姿に感銘する」

◇85年を生き、アメリカの建国記念日に出会った。独立宣言の文言が躍る。それは1776年7月4日のことであった。そのわずか13日後にフランス革命の人権宣言が出された。戦争によって多くの命が奪われるのは、繰り返された歴史の現実で、人々はそれ程驚かないかも知れない。しかし思想の力により王や王妃が断頭台の露と消えることは大きな衝撃である。人類の文明と文化はそういう血の海を泳いで今日に至っているのだ。「宣言」を改めて読んだ。恐ろしい「魔物」がうごめいているのを感じる。

 人民の権利を守らない政府は打倒して適切な政府をつくることが出来ると定める。これは人民の抵抗権であり革命権の承認である。新興のアメリカ合衆国が発信したこのような宣言が政府に反感を抱く人々をいかに勇気づけたかは測り知れない。フランス革命にどのような影響を与えたかを想像する。「宣言後の13日間」は事態切迫の状況を雄弁に物語るものである。日本では杉田玄白が解体新書を書いた頃である。ヨーロッパで革命的思想をエネルギーとして歴史の新しい幕が上がろうとした頃、東洋の果ての日本は鎖国の最中で、その鎖国の隙間からわずかに文明のあかりがもれている状態であった。

 杉田玄白たちの医学に掛ける情熱と執念には頭が下がるし、日本人として誇りに思う。玄白たちはオランダの解剖学書を翻訳した。解体新書は日本初の本格的な西洋医学の翻訳書で日本の近代医学の礎となった。私は少年の頃、辞書もほとんどない状態で解剖書の翻訳に心血を注いだ玄白等の姿に測り知れない感銘と勇気を受けた。

「フルフツヘンド」を巡り悩み抜く玄白たちの姿は実に面白く、受験勉強をする私は大きな勇気を与えられた。ある時、玄白たちは罪人の解剖に立ち会った。解剖されたのは死刑になった女性の遺体であった。玄白等はオランダの解剖書「ターヘルアナトミア」の記述が人体の実際の構造と驚くほど一致していることに驚愕し、その日のうちに翻訳に取り掛かる決意をした。医師としての使命感と共にこの時の感動が翻訳を支えるエネルギーになったのだ。玄白等が解体新書の翻訳にとりかかったのは1771年の春であった。完成までに約3年から4年をかけた。江戸時代、日本の医学は漢方が主流であった。それは5世紀から6世紀にかけて中国から伝承した医学が日本人の体質や国土に合わせて独自に発展したもので、病気の治療から人々の健康管理まで、医療の根幹を担っていた。(読者に感謝)

 

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2026年7月 5日 (日)

死の川を越えて 第243回

 昭和13年の暮れ、シートが取り払われると林の陰に重々しい不思議な建物が忽然と姿を現わした。建坪は約32坪余り、周囲は高さ約4メートルの鉄筋コンクリートの塀で囲まれている。その姿は不気味な要塞である。背後の落ち込んだ谷から見上げると中世ヨーロッパの牢獄のようで不気味さとともに鬼気迫るものがあった。正太郎たちは、この段階でまだ過酷な内部構造は知らないのである。しかし、文化施設などと銘打ったことがいかに国家の欺瞞であるかは一目瞭然であった。

 栗生園の人たちは「文化施設」の実態から目をそらし、あるいは気付かぬふりをする人が多かった。園の役人の姿勢が自然と患者たちにそうした態度をとらせていたのである。

 日が経つにつれ、特別病室の存在は栗生園の人々を言い知れぬ不安に駆り立てていた。

 やがて内部の構造までが漏れ伝わるようになった。それによれば、内部も外と同じような高さの鉄筋コンクリート塀によって幾重にも仕切られ、八つの房から成る。そして各房の広さは便所も含めて約4畳半で、くぐり戸式の出入り口は厚さ約15センチの重い鉄塀で閉ざされていた。そして、窓は縦13センチ、横75センチのものが一つ付いた半暗室で、食事の出し入れ口は足元にあり、汁の椀と飯の箱がやっと通るほどのすき間であった。

 実態をひそかに知って、人々はこれは病室どころか重罪人が入る刑務所だと言って恐れおののいた。

「どういう人が、どういう手続きであそこに入れられるのだろう」

 人々はさまざまな想像を巡らし不安に駆られた。実はやがて明らかになるが「手続き」などと呼べるものは存在しなかった。本来なら刑罰を科すには司法の手続きに従うことが当然であるが、ここにはそのようなものは皆無であった。人間無視の無法の世界が展開していくのである。(読者に感謝)

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2026年7月 4日 (土)

死の川を越えて 第242回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 ある日のこと、正太郎が興奮した表情で言った。

「お父さん、上地区の正門の近くで変な建築が始まっているよ。水野先生が言った文化施設という刑務所ではないだろうか」

「何、栗生園の中に。それは大変だ。調べてみよう」

 正助は早速動いた。正太郎の言った通り、正門近くの西側に引っ込んだ谷に臨むところでコンクリートの基礎工事が始まっていた。工事をやっているのは地元の建設業者である。水野が苦労して情報を集めたところによると、国の指示で特殊な病室を建設するのだということが分かった。

 万場老人が言った。

「特殊な病室か。問題は中身じゃ。病室とは名ばかりで、問題の刑務所であろうか。大変な時局柄、われわれには難しい問題じゃ。どうです。水野先生、すぐみ反対運動というわけにもゆかんでしょう」

「そう思います。特殊な病室というものの運用が問題ですね。冷静に観察し、打つ手を研究することにしましょう」

 水野の表情はいかにも不安そうだ。しかし、人々の不安をよそに建築作業は着々と進められた。

 草津栗生園の正門から中、下地区に向かって道路が伸びる。この道路の西側、道路から見えにくい小高い林の奥で建設は進められていた。建設中の特殊施設の奥は谷が落ち込んでいる。あそこは熊や猪が出るし、マムシや青大将もいる。そんな声も聞かれた。昭和13年12月、特殊な病室という名の刑務所が完成に近づいていた。

「あれが新聞にあった世界の文化施設ですか。とてもそんな風には見えませんよ」

 正太郎が笑う顔には厳めしいコンクリートの塊を軽蔑する様子がうかがえた。そして、その表情は怒りに変わっていった。

つづく

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2026年7月 3日 (金)

「認知検査で寿命を思う。林道で動物との共生を考える」

◇最近認知機能検査を受けた。ほとんど問題ないと思える情況であったが、85歳故に脳の避けられない変化を考える機会になった。超高齢社会が加速している。かつて信長は「人間50年」とうたった。人間の寿命はどこまで伸びるのか。不老長寿は全ての人にとっての永遠の願いといえる。歴史を振り返れば権力者は皆長寿を求めた。かの始皇帝も不老長寿の薬を求め捜させた。命ぜられた者が日本にやって来たという言い伝えは有名である。高齢化を背景に本格的な認知症時代に入った。65歳以上の約8人に1人(約443万人)が該当し、予備軍である軽度を含めると1,000万人を超えると言われ4人に1人とされている。正に他人事ではない。その波はひたひたと押し寄せ、明日は我が身と覚悟しなくてはならないのだ。配偶者が認知症になる例も多い。私のまわりにも認知症の妻の介護で苦しんだ例がある。世には「老老介護」とか「介護地獄」という表現がある。不可避の病気だとすれば、その実態を知り備えねばならない。日常生活における認知症との対応が重要らしい。生活習慣の改善が予防になり進行を遅らせるという事実は、自らの体験に照らしても説得力がある。私の生活習慣の中心には運動がある。緑のトンネル林道は幸せの空間である。時々鹿に出会う。車を止めて彼らの動きを待つが、真に友だちになりたいと思う。彼らもしばらくこちらを見ていて森に消える。人間に興味を持っているに違いない。爬虫類は苦手である。時々青大将に出会う。緑のトンネルの片方が深い沢なので彼らの世界になっているのだろう。少年の頃は赤城の山奥に住んでいて、藪に踏み込むことが平気だった。宮城村の小学校には強がってヘビを剥く奴がいた。ヘビは服を脱がすように剥けて、剥いた後もくねっていた。今なら動物愛護の関係で問題になるかもしれない。ヘビといえば、ラジオ物語「サン太物語」を思い出す。「おらあサンタだ、ある日のことだ」で始まる。。サン太は音楽の美人先生が好きで、ヘビでいじめるのだった。教室で先生が机をお開けるとヘビがいて、先生はよく気絶した。私が可愛がっている柴犬のサン太の名は、サン太物語からとった。私の顔を見ると散歩に行きたくてヒィヒィと鳴く。サン太は弱虫だからヘビに出会ったらどんな反応をするか。未だ出会ったことはない。そういえばヘビが少なくなった。ヘビの減少は人間の世界が狭くなっていることかも知れない。(読者に感謝)

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2026年7月 2日 (木)

「認知症検査と八十五年の人生。青春の暗夜の一言を思う」

◇7月1日、認知機能検査を受けた。予想していたような質問情況はほぼ問題なく経過できたようである。八十五歳の私にとって、認知症問題を考えるよい機会であった。検査の場も私の人生を振り返るにふさわしいと思えた。元総社町の総合交通センターは傍らに牛池川が流れ、かつて現在の元南小学校のところに母校の中学校があった。あたり一面は田圃で、ここに様々な出来事があったことを思うと感慨深いものがある。我が家である藁葺屋根の掘立小屋もここにあった。青い田の一角に立つ小屋は物語の一部を成すにふさわしく、よく写生の対象にもなった。「あれが中村の家だ」、そんな声が聞こえる時、身が縮む思いであった。この牛池川には蛇が多かった。大きな青大将が畳の上でのたくっていたのを見たこともある。元総社時代、私の心はいじけていた。赤城山の南麓から転校した時の衝撃は大きかった。元総社は「貧」ということの重圧に苦しんだ時代だった。元中の敷地は、かつての軍需産業、理研の一角で校庭には炭殻がごろごろしていた。理研の名残は随所にあった。ある時、ウサギの餌取りで空地に降りたら頭上に厚い鉄板を発見した。道路を構成していたのだ。早速地域の古物商に売った。「お兄さん大丈夫かい」と言われたことを覚えている。悪いことは他にもやった。近くに警察学校があり、その庭のクローバーを仲間と夜に刈って地域の牧場に売りに行ったこともある。当時、米は統制物質で、警察による没収の対象であった。元総社は新前橋駅に隣接していたから、いわゆる闇屋の活躍の場であった。窓の外を警察に追われて逃げるおじさんの姿が時々見られた。「〇〇のお父さんが逃げてるぞ」、その声に大勢が窓に走った光景が甦る。父親が追われている女の子は正に身が縮む思いであったに違いない。あの子も健全なら八十五歳。どうしているだろうかと心にかかる。私の得意科目は作文であった。コンクールで前橋全体の特選になったこともあった。「君は何か書き続けた方がいいよ」と女の先生が励ましてくれたのはこの頃のことであった。闇夜の光明であった。ほんの一言が少年の心を救う。八十五歳の現在、しみじみと人生の一コマを振り返る。波乱の歩みはまだ道半ばである。昨日も林道を車で走った。静かな杉の木立は私の心の中を遥かに伸びている。細い道は赤城の谷の奥へ向かっている。元総社の牛池川と共に私の心の原点なのだ。この道が東大に伸び県議会議長席に通じていることを誇りに思う。(読者に感謝)

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2026年7月 1日 (水)

「宇宙時代に人間の無常観を思う。宇宙人は必ずいる。距離と時間の壁を超えて会えるか」

◇7月1日、今日は運転免許認知症検査の日である。85歳の現実を突き付けられた思いである。信長は人間五十年と言った。寿命はどこまで伸びるのか。新聞のお悔やみ欄を見るのが習慣になっている。それは政治と長く関わってきた関係で知人の死を無視できないからだ。それにしても同級生が次々にこの世を去っていく。死屍累々と言っても過言ではない。鴨長明の方丈記が自然と浮かぶ。「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし」

 長明が生きたのは平安末期から鎌倉の初期で、稀に見る天下騒乱の時代であった。貴族の世から武士の時代へと社会が大転換した時でもあった。今、甦るのは大学時代、それは東大の教養学部の時、日本史の笠原一男先生が情熱を傾けて天下大乱と庶民の宗教について語っておられた姿である。笠原先生は、「一向一揆の研究」に生涯をかけた人である。八十五年を生きた私は今、笠原さんの人生観と宗教観に再会できることを幸せに思う。笠原さんは浄土真宗の思想を熱く深く学生たちに語ったことで印象深い。日本人の心は淡泊で宗教心が薄いと言われるが「そんなことはない」と学生たちに訴えたのが笠原さんであった。死も恐れずに権力に対抗した姿、そしてそれを支えた庶民の宗教心は学問とは何かにつき学生たちに気づかせるものがあったと思われる。

 笠原さんは教室で庶民の宗教心が時代を大きく動かした時期が三つあったと語った。それは平安から鎌倉へ幕末から明治へ、そして第二次でかい大戦後のことであった。笠原さんが語った時の時代観としてはその通りに違いない。

 しかし、現在日本は開闢以来の時代の転換点に居ることを見詰ねばならない。現在の壮大な変化を一言で現わせば宇宙時代である。知的生命体との遭遇を現実のものとして語られる時代になったのだ。車椅子の天才ホーキング博士は、宇宙人との接触は危険であることを警告している。それはコロンブスがアメリカ大陸を発見したことで生じた先住民の悲劇に似た事態を恐れているのである。遠い彼方から地球に到来できる科学力は測り知れない。価値観や文化も根本的に違うのだ。人類はそういう現実の中に今、一歩踏み入れようとしている。定説となっているビッグバン宇宙は今後どうなるのか。私の最大関心事は生きている間に宇宙のいかなる大事件に遭遇するかである。宇宙的なニュースの発表が近いかも知れない。(読者に感謝)

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