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2026年6月 8日 (月)

「林道で少年王者の世界を甦らせる。私塾こそ教育の原点だ」

◇今月のある日、田舎道を歩きながら回想したのは「少年王者」の世界であった。アフリカ・コンゴの奥地、マウントサタンと呼ばれる地域である。マウントサタンの谷やジャングルは、私の頭では子どもの頃過ごした宮城村の谷の奥に似ていた。その情況はマウントサタンの想像力を駆り立てる力となっていた。事実、宮城村の奥地にはキリスト教徒がおり神父も存在し、そういう進歩的な文化が根付いていたのである。子どもの頃、村の集会所で神父様がコロンブスの物語をしたのを面白くきいた記憶が鮮明である。振り返れば、子どもの頃宮城というあんな山奥でコロンブスの話に胸を躍らせたことは驚きであった。コロンブスが大冒険によって大海を渡り新大陸を発見したという壮大な出来事は私の胸に小さな種を落とした。その種は小さな芽を出した。それはごく小さな芽であったが偉大な力を潜めていたのである。なぜならその芽はやがて根を張り大きく成長し私の人生を支ええることになったからである。85歳の私は人生を振り返って、少年の頃宮城村の小さな集会所で目を輝かしてコロンブスの冒険に耳を傾けた姿を思い出す。そして、これこそ教育の原点に違いないと思い当たるのである。教育の目的は生きる力を与えることにあると言われる。そうに違いないが、コロンブスの物語を踏まえれば、教育の力は子どもの胸に夢を育てることだと思う。こう考える時、現在の教育がこの役割を果たしているか疑問に思えてくる。知識偏重で、受験技術を競う姿は本来の教育に背を向けることだと思う。

 日本にもかつては優れた教育組織と教育者が存在した。江戸時代の私塾はその一例だと思う。私は学習塾に深く関わった経験があるがそこで得たものは、私塾こそ教育の原点という信念である。教育は権力によって管理されるものであってはならない。現在、多様性ということが叫ばれている。多様性の尊重とは一人一人の個性を重視することである。個性を尊重するのでなければ隠された能力は気づかれずに埋もれてしまう。権力によって管理された一律の教育によって、いかに多くの個性が犠牲にされ、光を当てられないまま消え去ったことか。私は東大の学生生活の中で多くのいわゆる「秀才」をみてきた。その中には魅力のない頭でっかちの存在が多かったことを振り返る。東大に対比されるのが京都大学である。そして、京都大学からノーベル賞受賞者を初め多くの優れた学者が排出されていることは示唆的である。京大には東大と比べ反権力の伝統を誇る校風がある。かつての寺子屋には教育の原点として今日大いに尊重すべきものがある。現在、特色ある多くの私学が頑張っていることは日本の教育にとって大きな救いである。(読者に感謝)

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