「赤城の湖畔で原稿を書く心地よさ。涼風の中、八十五年を振り返る」
◇ある日の午後、陽光が輝く中、赤城南麓の「ふれあいの森」入口に着いた。一筆書いて湖畔に登ろう。上に着いたらソフトクリームを食べよう。妻に電話しよう。15分で着くぞ。こう思いながらアクセルを踏んだ。
2時45分上頂に着く。ソフトクリームを注文した。店の女性が覚えていて「前も窓の所で何か書いていましたね」と笑顔を向けた。
非常に涼しい。寒いくらいである。上着を持ってきてよかったと思う。これから湖畔の店に向かう。今日は体重のことを考えてところてんにするか、などと思いを巡らす。目の前を若いペアーが歩いていく。肩に手をまわしている。「うまくいっているな」と思う。ニュースにふと耳をそばだてる。「トランプ大統領が80歳の誕生日を迎えました」と報じている。俺と比べ何が勝って何が劣っているか、と思った。「腕相撲は敗けない」と呟いた。「走ることも敗けないぞ」と心で叫んだ。「おそらく文を書くことも俺が上だ」と思う。「俺は百二歳まで走る」と誓いを立てている。トランプにはできないに違いない。世界一の権力者と比べ、敗けない点が多くある。赤城のてっぺんでこんなことを想像する人は多くないだろう。愉快なことだ。この山頂から叫んだ。「俺は天下のサムライだ」と。天下を取ったような気分である。
山頂に立つとおのずと85年の生涯を辿る気分になった。改めて思う。「よく頑張ってきた」と。粗筋を書いてみよう。県庁の近くで生まれ、赤城山の谷の奥で開墾生活を送った。極貧で定時制高校(夜間)に通った。昼間は「せんべい屋」をしながら、自転車で英語の単語を暗記した。自分で言うのもなんだが、記憶力は抜群で、英語のリーダー「ニューメソッド・イングリッシュリーダーズブック」を丸暗記した。夜間高校から東大に合格した時は朝日新聞に大きく出た。世の中に反抗する気持ちがエネルギーになっていた。元総社町の牛池川のほとりの掘立小屋は目蓋に焼き付いて離れない。中学3年生の時は破れかぶれでやけっぱちの気持ちだった。得意科目は国語で、作文は前橋全体の代表になり本になったこともあった。大館先生は卒業の時言った。「君は何か書き続けた方がいい」と。地獄で仏のような言葉であった。地獄に仏と言えば、定時制から東大受験を進めてくれた妙見先生も仏様であった。教師としての最大の使命は子どもの可能性を見抜くことである。社会の底辺でもがく生徒に東大受験を勧める先生がいたことは正に暗夜の光明であった。不思議なことと今は振り返るばかりである。大館先生、妙見先生御二人がおられなかったら私の現在はなかったに違いない。東大に合格した時、駒場寮の仲間も東大のクラスの者たちの大変な驚きようであった。社会を怨む気持ちを心の底に持っていた私は「ざまあみろ」と叫んだ。 ここで夜間高校の時の仲間平田宏君を思い出した。仲間の幸せを自分のことのように心底喜べる人は本当の親友である。平田君こそ、その名に恥じない親友なのだ。平田君は不遇な生い立ちであった。中学の時、成績は良かったが貧しさ故に夜間高校に進み昼は企業で働いた。私が東大に合格した時の彼の姿は目に焼き付いている。駒場寮に飛んできて東大の校章を買い込みその喜ぶ姿は尋常ではなかった。その後も彼は寮に出入りし、寮の人たちと長く交際することになった。その頃私は、総社町の山王廃寺があった集落に住んでいた。ある日彼は訪ねて来て母が作ったざるのうどんを二人で全部たらげたことがあった。食べ盛りの若者の胃袋は底なし沼のようであった。今でも懐かしい思い出になっている。(読者に感謝)
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