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2026年6月30日 (火)

「ベネズエラの巨大地震は日本に何を訴えているか。正にこの世の地獄である」

◇気候変動による地球の危機は私たちの想像を超えて激しい。南極の巨大な氷塊が溶けて漂っていることは、言われて久しいことだ。南極の棚氷は途方もなく大きい。有名なのはロス棚氷である。これは南極最大の面積で日本の本州ほどの大きさを誇る。南極の氷の40%以上が過去25年間で縮小を続け恢復の兆しは見えていない。この現象は地球の気候の危機と繋がっていることを私たちは認識しなければならない。私たちは南極の氷の存在及びその変化が地球全体にとっていかに重要な意味をもつかについて危機意識が薄いといえる。この状況は日本にも直接影響を及ぼすことであるから、学校教育で声を大にして叫ばねばならない。

 世界の気候は海洋に支配されていると言える。従って海流の変化は私たちにとって死活問題であり、海洋国家日本にとっては特に重要である。現在、地球温暖化の影響により海流に大きな変化が生じていると言われる。そして世界の海流に大きな変化が生じていることは、私たちの食生活を大きく揺すっている。海流の蛇行が変化したことで今まで取れた魚が獲れなくなった、逆に取れなかった魚が獲れるようになった等、盛んにマスコミが報じている。私たちの食生活がいかに海に依存しているかを知らされる。私たちは海の恵みで生きていることをかみ締める。日本は国土が狭いが限りない島々を通じて海の幸を享受している。つくづく恵まれた国だと痛感する。

◇ベネズエラの地震は発生後27日を迎えた。27日間は地震に関して特別の意味がある。27日間で生存率が急激に下がるからだ。マグニチュード7超が立て続けに起きた。現地は筆舌に尽くせぬ惨状である。気温は30度を超え強烈な腐敗臭があたりを覆っているという。正にこの世の地獄である。死者は1,430人に達したという。なんの呪いでこのようなことがと考えてしまう。悲劇の状況は政治のシステムと大きく関わっているに違いない。「資源の呪い」を考えてしまう。地震大国日本として学ぶべきことは余りに大きい。日本では首都直下や南海トラフが迫っている。高齢化はまったなしで加速している。災害弱者を救うのは政治の責任であり、日頃の備えが何よりだ。ベネズエラの地震は日本に対して何を訴えているのか私たちはしっかり受け止めねばならない。「天明の生死を分けた十七段」をかみ締める。(読者に感謝)

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2026年6月29日 (月)

「巨大地震の足音が聞こえる。関東大震災の教訓を生かさねば」

◇地震大国日本の地震さわぎがにわかに高まっている。何か大きな変化が新たに始まっていると思えてならない。今月28日の岩手県沖の地震はM6.1、最大震度5弱を記録した。巨大地震が近づいていると言われて久しいが関東大震災が思い出される。それは1912年で103年前のことである。その大きさといえばM7.9を超える日本の自然災害史上最悪の被害をもたらした。昼時の発生であることと、折悪く強風が吹いていたことも災害を大きくした。亡き母が語っていた。「前橋でも立っていられないほどだった」と。教訓とすべきことは多い。災害は忘れた頃にやってくる。忘れ難い大事件であるが時と共に痛みは薄れ遠ざかる。フェイクな情報は面白いからパッと広がる。人間の心理は変わらない。いや、変わらないどころか悪くなっている。心の基盤がひび割れてぐらぐらしているところへ悪質な情報が容赦なく忍び込みかき乱すのだ。

 情報はいつの時代でも生きる指針である。今日、科学の異常な発達により情報は複雑化し増々高度になっている。人間がそれに対応することは時と共に難しくなっている。

◇しばらく前、国連事務総長が「地球は沸騰している」と発言して話題になった。「沸騰」の表現は当時衝撃的に受け取られたが、この言葉は部分的に切り取ってはならない。「これは始まりにすぎない」と続いたことが重要なのだ。この先、地球はどうなるのか。この恐れが急に現実的になってきた。地球温暖化により海面が上昇している。そして、水没の危機に直面している太平洋の島が続出しているのだ。島民がオーストラリア大陸へ移住する島々が出ていることは衝撃的である。ツバル、モルディブ、キリバス、マーシャル諸島などは、2100年までに国土の大半が水没すると予測されており、すでに高潮や浸食の被害が現実化しているのだ。地球的規模で進む異変は他人事ではなく、日本も深刻な危機に晒されている。日本では海抜ゼロメートルの沿岸部が広がっている。特に三つの大きな湾の部分が恐れられている。東京湾、伊勢湾、大阪湾などである。日本の人口が集中し、政治と経済の最重要地帯が現在危機にある。現在日本は安全保障の上で非常に厳しい情況にある。それは主に北朝鮮、中国、ロシアなどの関係で言われているが、それと共に地球温暖化による国の危機を見詰める時なのだ。日本は正に開闢以来の危機に直面している。内憂外患という言葉の意味を自分事として受け止めねばならない。(読者に感謝)

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2026年6月28日 (日)

死の川を越えて 第242回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

「これは昔の教え子、副島悟郎君が関西のある新聞の記事を送ってきたものです。驚くべきことが出ているのです」

「ああ、熊本県庁の方で、依然わざわざ湯の川へ来て、義務の衝突という難しい話をされた人ですね」

 正助が懐かしそうに言った。

「おお、そうです。彼はあれ以来、時々各地の情報を寄せてきております。他県の実情はここと比べ悲惨です。それだけに、われわれは自覚が足りないのかも知れません。これからそういう訳にいかないでしょう」

「ところで水野さん、新聞の記事とは何ですかな」

 万場老人がもどかしそうに言った。

「はい、ハンセン病患者の刑務所を草津温泉の地に造るというのです。内務省と司法省が協議して計画を進めているそうです」

「まさか、草津に刑務所を造るなんで。草津の名声を台無しにすることではありませんか」

 正太郎が憤然として言った。

「四国民報の伝えるところによればですね、たちの悪いハンセン病の患者をですね、温泉で病を治しながら矯正させる。そういう世界に誇るべき文化施設にすることになっています」

 水野の説明に正太郎が首をかしげながら言った。

「刑務所と、教育と、文化と、これからが並び立つことが、実際可能なんでしょうか」

「さあ、疑問ですね。政府のお手並み拝見ということですな。戦争が始まって、荒々しい嵐が吹いている。国家総動員が叫ばれている中です。矯正とか文化とかがうまく進められるか疑問ですね。国家にそれだけの余裕がありますかね」

 水野は口元に冷ややかな笑いを浮かべて言った。

つづく

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2026年6月27日 (土)

死の川を越えて 第241回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 ある日のこと、万場軍兵衛、水野高明、正助、正太郎父子が生生塾で会っていた。正太郎が尋ねた。

「日中戦争がとうとう始まりました。最近新聞では国家総動員、国家総動員と大騒ぎしています。日中戦争とどういう関係があるのですか」

 万場老人が直ちに答えた。

「中国は途方もなく広い。そこで小さな戦いを広げるのじゃ。まさに総戦力。総力を挙げても追いつかぬ。人も物も全て駆り立てなければ戦いはできぬ。そこで国を挙げての総動員をと呼び掛けているのじゃ」

 水野が継いで言う。

「無謀な戦いだが、始めたからにはやむを得ないのだろう。しかし乱暴なものです。国家総動員とはですね、法律には、国防目的達成のため、国の全力を最も有効に発揮させる様に人も物も運用することと書かれているのです。そして、さらに重大なことはですね、天皇の命令で国民を徴用できると定められていることです。国会は要らないではないかという議論が国会内で起きたそうです。当然です」

「それで国会議員はどうしたのですか」

 今度は正助が尋ねた。水野は答える。

「強い反対意見もありましたが、結局は皆賛成となったようです。社会大衆党も賛成しました。この党のある議員は、賛成演説の中で、近衛首相は、ヒトラーのごとく、ムッソリーニのごとく確信に満ちた指導者たれと激励している始末です」

「三国が手を組む姿を予感させるようじゃ」

「では、この国家総動員法は、この湯の川や私たちとどう関わることになりますか」

 正助が深刻な表情で尋ねた。万場老人が頷いて答える。

「国民が心を一つにして戦争に向かわねばならないというのが法の目的じゃ。ハンセン病はこの目的の妨げになるというのが国の考えでな、このままでは、われわれはこの法律の下でますます厳しく管理されることになるだろう。わしの所へ入る情報では、厳しくなる管理に患者は反発する、そういう不穏分子を国はさらに厳しく押さえ込もうとする、こういう悪循環が加速しているらしい」

「そのことですがね。万場先生、これをご覧ください」

 水野はそう言って手にした封筒から何やら畳んだ書類を取り出した。

つづく

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2026年6月26日 (金)

「ベネズエラM7.2の巨大地震は語る。天明の生死を分けた17段。日本のポンペイを振り返る」

◇地震の巣と言われ、毎日どこかで地震が起きている日本でも驚くべき情況である。25日朝、青森県で震度6度の地震があり、青森、岩手両県で11人が負傷した。首都直下、南海トラフの巨大地震が近い近いと言われている矢先である。遂に来たかと誰もが思う。日本だけではないのだ。日本から見て地球の裏側ベネズエラでも大異変が起きている。ここではM7.2が発生し、その40秒後に7.5が起きた。人的被害は少なくとも死者164人負傷者971人という。複数の都市で住宅や建物が倒壊し、被害はさらに増える可能性が高いという。ベネズエラの石油埋蔵量は世界1位である。それにもかかわらず国民は極度の貧困に苦しんでいる。「資源の呪い」が典型的にあてはまる国なのだ。この言葉が示す政治の貧困と乱れは自然災害から国民の生命と財産を守れない結果を生んでいる。正に資源の呪いである。日本では地震を政治の乱れと結びつけて論ずる習慣があった。科学が発達せず、迷信が支配した時代では当然のことであったと思う。今日の科学の時代であっても地の底から大地が揺れ動く恐怖は唯事ではない。今回、現地住民は「揺れが激しく、近くのものをつかむことさえ出来なかった」と語る。トランプ大統領はSNSに「壊滅的な死者数だ」と投稿した。外務省によれば25日の時点で邦人は約280でその被害情報は確認されていない情況である。「資源の呪い」は他人事でなく他山の石としなければならない。関東大震災を思い出す。1923年9月1日11時58分であった。流言飛語が飛び交い、人々は翻弄された。時を経て科学が飛躍的に進歩しても人間の心理は変わらない。あの時、多くの朝鮮人が犠牲になった。人権意識の貧しさと差別の思想があった。人間の底流にあるものは変わらない。差別や偏見は人間の心に棲む不変的な悪魔に違いない。「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などというフェイクな情報が燎原の火のように広がったのだ。現在、超巨大な地震や災害の足音が近づいている。最近、日本のポンペイと言われる鎌原観音堂を訪れた。埋没石段に立つ石柱には「天明の生死を分けた十七段」の文字が静かに語りかけていた。今も老人たちが語り継ぐ大和讃の声が悲しく響いていた。「妻なき人の妻となり、主なき人の主となり」と。時を経ても人間の心理は変わらない。そして災害は繰り返す。鴨長明の方丈記を読んだ。「ゆく川の流れは絶えずして」。ここに流れる無常観は心の真理として時を超えて私の心にも流れている。(読者に感謝)

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2026年6月25日 (木)

「地球温暖化の衝撃は迫る。エボラ熱の恐怖と地球の一体化の現実」

◇焦熱地獄という言葉がある。南フランスでは44.3度を記録した所もある。暑さを逃れようと川に飛び込み溺死した者は相次ぎ少なくとも50人が犠牲になったと言われる。文化が進んでいるフランスでなぜかと思う。フランスは日本などと比べエアコンの普及率が低いとされる。その上サハラ砂漠の影響である。サハラ砂漠の暑さは想像を超えるものだ。それは50℃を超えることもあり、過去リビアでは58℃を記録した。地球の温暖化は加速している。これはどこまで上がるのか、また人間はどこまで耐えられるのか。このままいくと地球の温暖化は今世紀末までに約5.7℃上がると予想されている。温暖化による海面の上昇は過酷である。国土の平均海抜が1~2メートル以下の島国は危機に瀕している。南太平洋の島国ではオーストラリアへの移住が行われている現実である。特にツバルやモルディブなどは危機的状況にあり、早ければ2050年までに国土の大部分が浸水すると予測されている場所もある。その深刻さのランキングを示すと次のようだとされる。1位はツバルで、平均海抜は2~3メートルで、大潮の時は国土の大部分が海水に浸かる被害が既に発生している。2位はモルディブである。国土を構成する島の約8割が海抜1メートル未満で、有効な対策を講じなければ今世紀中には居住が不可能になると指摘されている。3位はキリバスである。33の環礁から成る島国で、住民の他国への移住計画、国土のかさ上げなどが急務とされている。4位はマーシャル諸島、5位はバングラディシュと続く。これらの国々は資金もとぼしく国際的な支援策が求められている。

◇エボラ熱の流行がアフリカのコンゴで本格化しているといわれる。フランス保健省は、コンゴから帰国した医師の感染を確認したと発表した。コンゴで広がるエボラ出血熱の感染者は1,000人を超え、死者は267人に達したと言われる。有効なワクチンはなく、拡大に歯止めがかかっていない。非常に怖い感染症で、現在世界で大問題となっている。この感染症は90%に達する非常に高い致死率と重症化すると全身からの出血や多臓器不全を引き起こす。今日の世界は一体化が増々加速しているからコンゴという遠い国の出来事だからといって油断することは禁物である。病気に対する基礎知識を得て万一の場合に備えることが重要である。コンゴといえば中央アフリカのジャングルの国と思いがちである。世界の一体化は想像を超える勢いで進んでいる。今や、少年王者の国は手が届く距離なのだ。(読者に感謝)

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2026年6月24日 (水)

「ノルウェー対スウェーデン戦に思うこと。バイキングの歴史に夢と力をもらう」

◇サッカーの対チュニジア戦を引き込まれて見た。ゴールのたびに異常に熱狂する。国際的動きには驚くばかりだ。知らず知らずのうちに「日本!日本!」と叫んでいる自分に気づく。ナショナリズムの渦の中に巻き込まれているのだ。チュニジアとはいかなる国かと想像力が駆り立てられた。

 チュニジアは北アフリカに位置し北は地中海、南はサハラ砂漠である。地中海もサハラ砂漠も私たちにとって地の果ての存在である。そこには限りない歴史が蓄積されている。国際試合というのは実に面白いものだ。肌の色や宗教がぶつかり合っている。平和の祭典であるが国運をかけ命がけである。

◇サッカー戦、ノルウェー対スウェーデン戦は応援の光景が素晴らしかった。ノルウェーには海賊バイキングの歴史がある。少年の頃、「長い船団」というバイキングの映画に胸をときめかした思い出がある。ノルウェーの人々は優れた造船と航海術をもって世界の海で活躍した。コロンブスより遥か前にアメリカ大陸に達していた。その死をも恐れぬ勇壮ぶりは若き日の私の血を湧かせたものであった。カークダグラス主演の「バイキング」は一つ一つの場面が印象深く焼き付いている。

 先日行われたサッカー戦では観客席の応援団が一体となって「バイキングロウ」をやっていた。掛け声に合わせて船を漕ぐパフォーマンスは昔のバイキングの姿を甦らせるものであった。サッカーの国際試合も歴史と結び付けてみると一味も二味も違って面白い。広いスタンドが海と化し赤い姿の人々がバイキングに成りきっているように見えた。彼らの血は時を超えて、先祖のバイキングの霊力によって不思議な力を獲得しているのかも知れない。ここでは堅苦しい科学はひとまず片隅へ追いやってバイキングの世界に素直に入り込むことが賢明に違いない。ロマンの世界に浸るには子どもに返らねばならない。夢見る子どもの心は夢をエネルギーとして限りない可能性を生み出すものだ。ドイツの考古学者シュリーマンは、神話に登場する伝説の都市「トロイア」や「ミケーネ」の実在を信じ、神話の物語を歴史的事実として証明し、エーゲ文明発見の端緒を開いた。「求めよ、さらば与えられん。叩けよ、さらば開かれん」。これは新約聖書の言葉である。私は聖書を生きる一つの指針としている。不思議とは無限の可能性を秘めていることを意味する。それを信じて生き抜こうと思う。神を信じるか否かの差は計り知れない。(読者に感謝)

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2026年6月23日 (火)

「85年を生きてきて、夜間高校を振り返る。私に東大を勧めた人々」

◇「若き日に人を殴りしこぶしかな 夜間高校灯火のもとで」。85年生きて熱い日々が甦る。夜間高校時代は、流れに例えれば激流であり、色で表せば燃える炎であった。青春は誰にとっても熱いものであるが私の青春も例外ではなかった。社会の底辺で生きているという重圧があった。暗い地の底から抜け出したいという思いは、私を動かすエネルギー源であった。目指す脱出のルートは二つあると思い、その選択に苦しんだのである。一つは起業家になって金を掴むことである。これは貧しさにもがいていた身とすれば当然であった。もう一つは学問をすることであった。しかし、前者は私の理想主義が許さなかったのである。ところで学問で身を立てるなどは、およそ雲をつかむようなことであった。しかし振り返って少年の理想を目指す心には恐るべきエネルギーが潜んでいるものだ。ある時私は不忍の家を通って本郷の東大に足を踏み入れる機会を得た。天下の東大は驚くほど広大な敷地で正に権力の象徴に思えた。その中でも安田講堂はひときわ高くそびえ私の胸に何かを訴えているように思えた。構内には学生らしき者が三三五五歩く姿があった。大きな立て看板が立ち、その前では学生たちがマイクを握り何かを叫んでいる。前橋高校の定時制課程にいた時に、学問の上で私に大きな影響を与えてくれた先生が二人居られた。早稲田の研究室にいいて夜間高校でも教えていた妙見先生、及び昼間の前橋高校と兼務で夜も私たちに教えていた前田先生であった。前田先生は江田島の海軍兵学校出身で終戦後に東大英文科を卒業された。前田先生には数年前にお亡くなりになる前まで公私にわたり大変お世話になった。

 東大に入学した時の忘れ難い光景がある。オリエンテーションの時であった。前橋高校出身の小池君という男が、私のことを少し大げさに紹介したのだ。定時制から合格したことを朝日新聞で取り上げていたので、それを説明したのであった。小池君はその後予備校講師として本領を発揮していた。この人物は学生運動にも力を入れており、予備校ではその話がかなり好評で何の先生かという声もあったほどである。波乱の人生であったがガンで死亡した。私とはいろいろな思い出があるが本人とすれば志半ばであったに違いない。先日大胡町の前田宅を訪ねお線香を上げた。奥さまとしみじみと語り合った。「行く川の流れは絶えず」とある方丈記を思い出す。85年の無常の流れを感じつつ。(読者に感謝)

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2026年6月22日 (月)

「日本中が沸騰している。チュニジアとはいかなる国か」

◇情報教育が抱える課題は非常に深刻である。教育界には危機感が加速している。国は次期学習指導要領の下で始まる「情報科」教育の先行実施を検討している。それは、まったなしの情況であることを物語っているといえる。この情況の背景には現在の情報環境の混乱がある。情報管理がしっかりしていないとAIの悪用により、にせ情報が容易につくられ国の根幹が脅かされる事態が生じる。それは国家の危機である。それは何としても避けねばならない。情報の重要性は長い時を経ても変わることはない。いや、社会が複雑化し世界の一体化が加速する中で、増々重要性を増している。孫子は言った。「敵を知り、己を知らば百戦危うからず」と。情報の重要性は時を超えた永遠の真理なのだ。

◇日本中が沸騰している。気温のことではない。サッカーワールドカップで、チュニジアを4―0で下したことである。スポーツの戦いでこの騒ぎよう、そして熱狂ぶりは何を意味するのか。何よりも世界が平和であることを物語る事実である。そして従来、あまり注目しなかったチュニジアという国の存在に驚いた。チュニジアとはいかなる国か。平和主義と国際協調を高く掲げる日本にとって、同国との関係をスポーツを契機にして深めることは素晴らしいことである。改めて世界地図を広げた。北アフリカの地中海に面し、背後はサハラ砂漠である。砂漠といえば「月の砂漠をはるばると」と歌の文句が自然に浮かぶ。地中海と砂漠、私たちにとっては限りないロマンと結びつく。国土は日本の約5分の2、首都はチュニスである。アフリカ大陸はかつて文明国による植民地獲得競争の対象となった。地中海を挟んでフランスの対岸ということもあり、フランスとの関係が深かった。北アフリカのアルジェリア、モロッコ、チュニジアは、かつてフランスの広大な植民地であった。激しい独立戦争が行われ多くの血が流されたことを忘れない。シャルルドゴールと言えば第二次世界大戦でフランスがドイツに降伏した後、ロンドンに亡命し国民に徹底抗戦を叫びかけた決然とした政治姿勢が甦る。何度となく暗殺の危機にも晒されながら祖国のために命をかけた彼の姿とそれを支えたフランス国民の熱い血。私はそこに流れるフランス革命以来の民族のたぎるようなドラマに震える思いがする。ギロチン台で露と消えたマリー・アントワネットは今日の世界情勢を天国でどのような心で見詰めているであろうか。歴史は面白い。(読者に感謝)

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2026年6月21日 (日)

死の川を越えて 第240回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

「もちろん、よく覚えております。湯の川でも岡本トヨ先生にそのことを教えて頂き、ここで先生に話して頂き、飛び上がるほどうれしかったのです」

「免疫力って体が生み出す力だとすれば、それは心が大きく関係するのですか。希望を失ったらそういう力も生まれないのでは」

「まったくその通りですよ君。自由がいかに大切か私は言いたい。閉じ込められ、自由を失えば希望も失い、心が縮み心の力など生まれません。私はね、あなたたち二人の女性が去って行く姿をこの窓から見て、国の隔離政策は間違っていると確信したのです。草津から出てきたあなたの元気な姿は、この病気が治る証拠と思えました。治るのに生涯隔離なんておかしいと確信したのです。施設に隔離すれば、あの輝くような笑顔は失われてしまう。これは人間の本質に基づく非常に重要なことです。私はね、あなたたちが去った後、同僚と話したのです。草津の湯の川という所は患者さんたちが助け合って村を運営している。そういう助け合いが免疫力を生み出していると言えるんじゃないかってね」

 この小河原医師の言葉に正太郎は大きく頷いて言った。

「先生、それは大変重要なことですね。今、湯の川に大きな変化が起きています。近くに国立の療養所ができて、湯の川地区は取り込まれようとしています。戦争が近づいている中で、どうすることにできません」

「困ったことです。国を挙げて一つの方向を目指す時、それに異を唱えることはとても難しいことと思います。しかし、できることを守って時を待つことです。京都大学は全国でも極く少ないハンセン病の外来診療をやっているところです。どこまで貫けるか不安ではありますが、私なりに命がけでがんばる決意です」

 小河原医師は唇を噛んできっぱりと言った。小河原の言葉を正太郎はずしりと重く胸に受け止めたのであった。正太郎と母さやは帝都帝大までやってきた成果を胸いっぱいに受け止め、上州に向けて帰って行った。

つづく

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2026年6月20日 (土)

死の川を越えて 第239回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

母が深く頷くのを見ながら正太郎が言った。

「下村正太郎です。先生に大変お世話になって、私がここにいるのです。運命というものは不思議だと思います」

「実にその通りです。こんなに立派に成長したのですね。感無量です。命の大切さと偉大さを突きつけられる思いです」

「この大学と先生のことは母から聞いていました。先生にお会いして、僕の命がここと深く関わっていたことを実感できました。本当に不思議です」

「同感です。あの時、草津温泉ということで深く印象付けられました。お母さん、私はあの時あなたに会って、隔離しないで治療するというここの方針が正しいことを実感したのです。もう一人の女性の方がおられましたね。遺伝はしない、感染力は非常に弱いという私の説明をお二人は怖いほど真剣に聞いておられた。あの食い入るような瞳が私の瞼に焼き付いています」

「こずえさんのことよ」

 さやがそっと正太郎に囁いた。

「この子の父親が戦地にいて、私は本当に不安でした。先生のことが救いの神様に見えました。お礼を申し上げることができず、長い年月が経ってしまいました。本当にありがとうございました」

 さやは目頭を拭っている。

「父はシベリアで生死の境をさまよった時、僕たちのことを思って頑張ったそうです。このことを聞いて、僕は家族の強い絆を感じました。また、人の命というものは神秘的だと思いました。だから尊いのですね」

「その通りです。私は昔、ここで確か、体の中にある菌と戦う力、免疫力のことを話しました。覚えていますか」

 小河原はさやに顔を向けて言った。

つづく

 

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2026年6月19日 (金)

「鎖国をも貫いたオランダとの絆を思う。解体新書翻訳の衝撃。犯罪手段の進化に思う」

◇天皇、皇后両陛下は17日、首都アムステルダムでオランダ国王夫妻の晩餐会に出席した。天皇は挨拶で大戦の惨禍に触れた。第二次世界大戦で、日本とオランダはオランダ領東インドをめぐって激しく戦った。日本の主な目的は石油資源の確保であった。1942年、海戦と同時に日本軍は圧倒的な戦力でオランダを攻め多くの犠牲者を出した。この戦いは両国間に深い傷を残したが、もともと両国間には深い絆が存在した。鎖国の時も両国は、ヨーロッパの国で唯一、長崎の出島を通して密接な関係を続けた。長崎は西洋の最新情報や技術をもたらす貴重な密口となった。幕府はオランダ船が来航するたびに、世界の情勢をまとめた報告書を提出させ海外の情報を独占的に把握していた。

 オランダを通じた西洋学(蘭学)は、西洋の文化と共に、日本の近代化に重要な役割を果たした。私は少年の頃、辞書もない情況で杉田玄白等が驚くべき苦心の末、「解体新書」を翻訳した話に強く感動した。当時、私の大学受験と重なっていたこともあった。杉田玄白や前野良沢等が「解体新書」の翻訳に取り組む姿から、私は限りない勇気をもらったのである。彼らは解剖書の正確さに衝撃を受けた。人体を正しく理解することは医学の原点であり、医師の使命感を支える根本であったのだ。

 医師等が額を寄せ合って、一語一語の解明に心血を注ぐ姿は人命の尊重を追及するあらゆる人々の究極の原点であった。現在、科学の進歩は目覚ましい。科学は細分化され、それぞれの分野の発展は異常ともいえる。異常な程の発展の渦に巻き込まれて人間の尊重という本命を見失ってはならない。

最近の犯罪状況は深刻である。今年に入り、同じ会社や住宅が繰り返し狙われる強盗や窃盗が相次いでいる。犯罪現象は同様な社会情況を背景に起こるから、私たち市民は社会の複雑な動きに敏感になることが自衛の第一歩であることを自覚しなくてはならない。

◇匿流に関する情況が重層的に加速している。犯罪手段の進化は衝撃的である。社会全体でこの流れを阻止しなければ大変なことになる。そのためには先ず敵を知ることである。犯罪の各グループが絡み合っている。窃盗や強盗などの計画をつくる「案件屋」、計画の具体化を指示役に依頼する仲介役などなど、捜査関係者は、分業があり兼任もあるとしている。呆れるばかりだ。現代の犯罪情況に適切に対応する手段を身につけねばならない。「匿流」と呼ばれる現代の怪物に勝つ秘策は我々の胸にあるのだ。(読者に感謝)

 

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2026年6月18日 (木)

「日中友好協会総会で大使館が甦る。不忍池の蛇屋のこと」

◇昨日6月17日、市内のホテルで群馬県日中友好協会の総会が行われた。私は会長として挨拶した。同協会は2013年3月に設立された。日中関係が最も冷え込んでいた時であった。福田康夫元首相と力を合わせ日中関係を本来の姿で大きく発展させたいという熱意があった。大使館の中庭には群馬県を象徴する「群馬の松」が植えられ大きく成長している。そして、その根元には私と福田さんの合作である石碑が置かれている。合作の意味は「友情の絆」につき、文は私がつくり福田さんが文字を書いたからである。この中庭には日本各県の植物が植えられているが群馬の松が中心を占め、大きな存在感を発揮している。17日の総会では大使館を訪ね「あの松に会って来よう」と提案がなされた。大使館の康暁雷参事官も「お待ちしています」と歓迎の意を示した。前回の大使館訪問が甦る。大使館だけでなく思い出になる有意義な一日にしようという声があがって東大の私の研究室を訪ねることになったのだ。本郷三丁目のキャンパスは上野駅から近く、私がよく歩いた領域であった。不忍池は昔、忍びの屋敷があったとも伝えられている。いつも蛇屋がいて、その口上が面白く立ち止まったものだ。蛇に噛ませて傷口に薬を塗ると言っている。袋が置かれ、蛇が入っていると言うが見たことはなかった。そのおじさんがある時テレビに出たことがあった。その時は数匹の蛇を扱っていた。「どこで暮らしているのか」と思った。私は蛇が大嫌いなので、蛇屋の隣り近所の人のことを思ってしまう。ずいぶんと時が流れた。蛇屋も天国かもしれない。天国で一緒に暮らしているのかとふと考えた。近い将来東大を訪ねることになるかもしれない。一般の人は、中の施設に大きな興味を持っているらしい。学生運動が盛んな頃は、安田講堂は大きな戦の砦であった。また昔は権力の象徴であった。広大な敷地は強大な権力を物語るものだ。安田講堂は静かに佇んでいる。学生運動に関わった人は「つわ者どもの夢の跡」という故事を連想するかもしれない。今回は、ストーリーを工夫して散策するのが良いかと思う。例えば「心字池」である。緑の中を囲むように細い道が巡っている。恋人と歩くには理想的だ。恋人に縁がない人も一時夢の世界に没入することは可能である。卒後何十年も経て、この池でばったりS君に会った時は夢かと思った。S君は学生運動の闘士であった。どんな人生を生きたのか想像するのが楽しかった。(読者に感謝)

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2026年6月17日 (水)

「日中友好協会の総会の意味。核戦争の足音が聞こえる状況下での日本の役割を思う」

◇初夏のそよ風は肌にやさしい。いつものように走っていると呼び止められた。「先生、食べますか」。庭先でご夫婦が竹の子を剥いている。「ああ、大好きなんです」、「とれたてはうんめえよ。少し持っていきない」、「これはこれはありがとうございます」、「あくをとるのも世話ねえよ。塩を加えて茹でるだけでいいんだよ」。こんな会話がはずんだ。竹の子は山ほどあって、分けて頂いたのもかなりの量である。帰途、早速親しい家におすそ分けした。昔はこのような光景がよく見られた。時代が変化して、地域社会が崩壊の危機にある。わずかな竹の子が作る人間の絆の大切さを考えた。

◇日中友好協会の事務局から打ち合わせの連絡があった。今朝は日中友好協会の総会なのだ。今、走りながら何を話すか考えたところである。現在、国際環境は険悪な情況である。その中で米中の対立は激化し、日本の役割は増々重要になっている。日本はアメリカの最も重要な同盟国であるが、アメリカに振り回されるばかりでは情けない。主張すべきことはきちんと主張することが日本のためであり、また世界の利益に繋がることを銘記すべきなのだ。世界には発展途上国をはじめ、小さな存在が限りなく存在する。このような国々にとって中国の強圧的姿勢は脅威となっている。中国は新しい国際秩序をつくるべき従来の状況を変えようとしている。無数に広がる小さな国々は太刀打ちできない状況が広がるのを無視してはならない。既成秩序を定着させれば世界の平和は崩れていく。世界の歴史を振り返れば、超大国の横暴を許したことによる反省すべきことが余りに多い。日本もかつては侵略国であった。「広島」・「長崎」の体験を経て生まれ変わった事実をかみ締めねばならない。現在の国際政治は混乱と対立の中で非常に危険な所に来ていると言わねばならない。核戦争の足音が聞こえるようである。歴史は繰り返す。日本は世界の対立の最前線に立っている。目と鼻の先に北朝鮮、ロシア、中国が存在することはそれを物語る。戦争を避けてこれらの国々といかに共存するかに日本の運命がかかっているのだ。したたかな外交力が求められている。国際社会は過酷な弱肉強食の世界である。国際協調と平和主義に立つ日本であるが力の重要性は非常に大きい。戦うことを含めた日本の国力は世界に無数に広がる発展途上国と強い絆を築くことである。日本国憲法の意義を今改めて正しく認識すべきである。かつて理想的過ぎると言われたが、今その意味は増々重要になっているのだ。(読者に感謝)

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2026年6月16日 (火)

「国民総認知症時代と図書館の意義。武蔵を読む。お通は永遠の理想の女性」

◇私の文化活動の大切な拠点として県立図書館がある。こことの付き合いは長い。かつては前橋市日吉町の広瀬川のほとりにあった。色々な人が出入りしていた。今でも目に浮かぶ顔がある。図書館とはそういう場所なのである。今日の社会の特色として、情報が洪水のように渦巻いていることがあげられる。余りの勢いに埋没し、押し流される恐怖を感じることがある。そういう状況の中で受付係の親切な対応には救われる思いである。私は各地の図書館を訪れるが、図書館は地域社会の文化度を物語っている。現在、器械文明が異常に進んでいる。そして、社会の高齢化と認知症が凄い勢いで加速している。図書館はこういう状況に適切に対応しなければならず、それは図書館の重要な社会的責務と言わねばならない。

 認知症患者の状況は唯事ではない。現在その数は、厚労省の試算では約443万人で、軽度の者を含めると約計1,000万人を超えると言われる。これは高齢者の3~4人に1人に相当する。高齢化の勢いは加速するばかりであるから、日本全体が不気味な底なし沼に沈んでいくような恐怖を感じる。誰もが避けられないこの問題を何とかしなければならない。現在、認知症やその疑いで行方不明になっている人は年間1万8,000人に至り、毎年数百人単位で累積している。1日あたり約50人が行方不明になっているのだ。そして年間約500人前後が亡くなった状況で発見されている。先日、私が長くお世話になったある美しい女性が行方不明になったことを聞いて耳を疑った。こういう事態がひたひたと押し寄せていることを感じる。それは社会の高齢化と不可分のかたちで増加している。私は現在85歳。「まだまだ大丈夫」と思いながらも物忘れが少しずつ多くなっていることを感じる。生活習慣は各人様々であるから、一人一人が工夫を重ねねばならない。私に関して言えば「心に刺激を与えること」が第一と考えて努力している。その一例として愛読書を手の届く所に置いて自分が心をときめかせた所を繰り返しかみ締めるのである。一度読んだ所も時を経て変化した心で接すると違った収穫が得られるのだ。吉川英治の宮本武蔵では、厳流島の小次郎との対決に際し、お通が手を突いて見送る場面がいい。お通は私の理想の女性である。お通は砂浜に手をついて「お心置きなく行ってらっしゃいませ」と言った。お通にとっても命がけの勝負の舞台であった。お通が人生の最期と意を決して訴える場面がある。「ただ一言、仰って下さいませ。つ、妻じゃと一言」、そしてお通は賢明な力で武蔵の手を掴んで叫んだ。「死んでも、お通は死んでも・・・」。お通はそれ以上を言葉にして言えなかった。「あなたの妻です」と。武蔵は小舟に乗って出ていく。お通は走った。波打際近くに座り、武蔵の舟に手を合わせていた。ドラマの中で描かれる昔の日本女性の心理を想像した。何百年という時を経て時代が途方もなく変化した。人も心が変化するのは当然である。女性が変わるのも当たり前である。しかし永遠に変化しないものがあってもいい。私は少年の頃から宮本武蔵のお通に憧れてきた。お通は大和なでしこの象徴である。長い時を経ても、日本文化の底に流れる女性の不変の姿があってもいい。いやあって欲しい。私は若い頃理想として描いた女性像があったが、お通を念頭に置いたものであった。八千草薫が演じるお通はよかった。(読者に感謝)

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2026年6月15日 (月)

「赤城の湖畔で原稿を書く心地よさ。涼風の中、八十五年を振り返る」

◇ある日の午後、陽光が輝く中、赤城南麓の「ふれあいの森」入口に着いた。一筆書いて湖畔に登ろう。上に着いたらソフトクリームを食べよう。妻に電話しよう。15分で着くぞ。こう思いながらアクセルを踏んだ。

 2時45分上頂に着く。ソフトクリームを注文した。店の女性が覚えていて「前も窓の所で何か書いていましたね」と笑顔を向けた。

 非常に涼しい。寒いくらいである。上着を持ってきてよかったと思う。これから湖畔の店に向かう。今日は体重のことを考えてところてんにするか、などと思いを巡らす。目の前を若いペアーが歩いていく。肩に手をまわしている。「うまくいっているな」と思う。ニュースにふと耳をそばだてる。「トランプ大統領が80歳の誕生日を迎えました」と報じている。俺と比べ何が勝って何が劣っているか、と思った。「腕相撲は敗けない」と呟いた。「走ることも敗けないぞ」と心で叫んだ。「おそらく文を書くことも俺が上だ」と思う。「俺は百二歳まで走る」と誓いを立てている。トランプにはできないに違いない。世界一の権力者と比べ、敗けない点が多くある。赤城のてっぺんでこんなことを想像する人は多くないだろう。愉快なことだ。この山頂から叫んだ。「俺は天下のサムライだ」と。天下を取ったような気分である。

 山頂に立つとおのずと85年の生涯を辿る気分になった。改めて思う。「よく頑張ってきた」と。粗筋を書いてみよう。県庁の近くで生まれ、赤城山の谷の奥で開墾生活を送った。極貧で定時制高校(夜間)に通った。昼間は「せんべい屋」をしながら、自転車で英語の単語を暗記した。自分で言うのもなんだが、記憶力は抜群で、英語のリーダー「ニューメソッド・イングリッシュリーダーズブック」を丸暗記した。夜間高校から東大に合格した時は朝日新聞に大きく出た。世の中に反抗する気持ちがエネルギーになっていた。元総社町の牛池川のほとりの掘立小屋は目蓋に焼き付いて離れない。中学3年生の時は破れかぶれでやけっぱちの気持ちだった。得意科目は国語で、作文は前橋全体の代表になり本になったこともあった。大館先生は卒業の時言った。「君は何か書き続けた方がいい」と。地獄で仏のような言葉であった。地獄に仏と言えば、定時制から東大受験を進めてくれた妙見先生も仏様であった。教師としての最大の使命は子どもの可能性を見抜くことである。社会の底辺でもがく生徒に東大受験を勧める先生がいたことは正に暗夜の光明であった。不思議なことと今は振り返るばかりである。大館先生、妙見先生御二人がおられなかったら私の現在はなかったに違いない。東大に合格した時、駒場寮の仲間も東大のクラスの者たちの大変な驚きようであった。社会を怨む気持ちを心の底に持っていた私は「ざまあみろ」と叫んだ。 ここで夜間高校の時の仲間平田宏君を思い出した。仲間の幸せを自分のことのように心底喜べる人は本当の親友である。平田君こそ、その名に恥じない親友なのだ。平田君は不遇な生い立ちであった。中学の時、成績は良かったが貧しさ故に夜間高校に進み昼は企業で働いた。私が東大に合格した時の彼の姿は目に焼き付いている。駒場寮に飛んできて東大の校章を買い込みその喜ぶ姿は尋常ではなかった。その後も彼は寮に出入りし、寮の人たちと長く交際することになった。その頃私は、総社町の山王廃寺があった集落に住んでいた。ある日彼は訪ねて来て母が作ったざるのうどんを二人で全部たらげたことがあった。食べ盛りの若者の胃袋は底なし沼のようであった。今でも懐かしい思い出になっている。(読者に感謝)

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2026年6月14日 (日)

死の川を越えて 第238回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

  小河原は大変驚き、すぐにも会いたいと言った。さやは、正太郎の興奮した表情を見て、自分もぜひ会って一言お礼を言いたいと言った。早く報告し礼を言うべきなのに、それができずずっと心にかかっていたのだ。そういうことで、さやが同行することになった。

 ある日、京都帝国大学の構内に踏み入れる母子の姿が見られた。

「こずえさんと初めてここを訪れた時のことが昨日のように思い出されるのよ。あの高い塔を見上げて足が竦む思いでいるとね、こずえさんがおなかの小さな赤ちゃんが頑張れと応援していると言ったの。すると、お前の動きが感じられてね、本当に励ましてきれているようだったの。それで私は勇気を出したのよ」

 さやは、時計塔を見上げて言った。

「僕がここを通るのは2度目ということになるんだね」

 正太郎が不思議そうに言った。受付に告げると、2人はすぐに一室に通された。〈わあー〉さやは心で叫んだ。こずえと訪れた20年前の昔がそこにあった。思いにふけっているとドアが開いた。

「やあ、お待ちしておりました。実にお久しぶりです。小河原です」

「まあ」

 さやは胸が詰まって、小河原が差し出す手を握ったまま声が出なかった。自分がここに立っているのが不思議であった。目の前の人物は一目見た時、かなり年を重ねたように見えたが、懐かしそうに笑う顔は、一変して長い歳月を吹き飛ばしたかのように若々しかった。

「この方ですか」

 小河原は正太郎をじっと見た。昔、さやがおなかをそっとさすりながらすがるような目で小河原の話に耳を傾けていた姿を思い出していた。さやがその後子どもを産んだことは水野から聞いていた。

つづく

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2026年6月13日 (土)

死の川を越えて 第237回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 ある日、さやはじっと息子の顔を見つめていたが意を決したように静かに語り始めた。正太郎は初めて聞く自分の出生の秘密に固唾をのんだ。ハンセン病を継いで生まれるのではないかと母がいかに悩み苦しんだか、聖ルカ病院の女医に相談し、京都帝国大学まで出掛けて偉い先生の話を聞いて自分を生む決心をしたことなど、母の話を聞いて正太郎の胸に熱いものが湧いた。それは京都帝大の壮大な構内と小河原という医師の姿であった。正太郎はそれに強く惹かれ、その思いは日ごとに募った。

 正太郎は母の話を聞いて、自分の生が大きな意味を持つもので、その根は社会の動きや深い人間の歴史と結びついているように思えるのであった。正太郎は自分の生をもっと知りたいと思った。そして、自分をこの世に送り出すことに不思議な関わりをもった小河原という人物に会いたいと願った。会うことによって、自分の人生についてさらに何か深い意味が発見できるかも知れない。水野高明先生が知り合いだと話していたことを思い出した。水野に話すと即座に言った。

「正太郎君、私も会うことを強く勧めます。小河原さんはきっと喜びますよ。彼は京大の同窓です。時々話すのですが、彼は草津の山の中からおなかに子どもを抱えた女がわざわざ京都まで出てきて、産むか否かを必死で聞いたことに大変驚いていました。その後、女が子を産んで、健康に育っていることを知った時、自分が信念を持って語ったことが人間の運命を決定したことに感激し、また、大きな責任を感じると言っていました。彼は君の成長した姿を知らない。彼は今、医学の世界で孤立している。君と会えば恐らく百万の味方を得た思いを抱くだろう」

 正太郎は、水野の言葉によって決心した。一刻も早く会いたいと思った。水野によれば、まだ京都大学の診療に当たっているという。

「日本でハンセン病患者の外来診療をやっているのは数少ないのです。京都帝大の反権力の姿勢が彼を守っているに違いない」

 こう言って、水野は早速連絡を取った。

つづく

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2026年6月12日 (金)

「天才宇宙学者ブラウンの衝撃。人間以外の知的生命体の存在は。ホーキングは東大で警告した」

◇現在6月12日午前7時45分、間もなく9時53分にロケットが打ち上げられる。H36号機打上げの主なる目的は、地球観測であるが私はそれ以上に宇宙時代に本格的に突入したことにわくわくする。今回の打上げは日本の宇宙開発の行方を占うという重要な意味をもつ。つまり「だいち9号」の軌道投入を主な目的としている。災害状況の把握や国土の観測、地球環境の変動観測を行うための地球観測衛星である。

 私はここで天才ロケット工学者フォンブラウンの業績に胸をときめかす。今日本格的な宇宙時代に突入したが、驚くべき宇宙を論ずる時フォンブラウンの存在は欠かせない。その生涯を見れば正に天才である。宇宙はビッグバンに始まり限りなく膨脹を続けている。その膨脹は止まるのは、止まった後収縮に転じるのか。ビッグバンと膨脹宇宙は今日定説となっている。

 この人物は「アメリカ宇宙開発の父」と呼ばれ、人類を月に送ったアポロ計画のサターンVロケットの開発を主導した。この人が開発を主導したV2号ロケットは世界初の実用弾道ミサイルである。第二次世界大戦中、このロケットは成層圏まで達し、ロンドンを直撃した。遥かな天空から落下するロケット弾にロンドン市民はドイツの科学の力に怯え震え上がったのである。ブラウンは戦後アメリカに渡り、NASAに入り、アメリカ初の人工衛星打ち上げを成功に導いた。ブラウンが宇宙時代の発展に大きく尽くしたことは間違いないが、その影には強制収容所での多くの労働者の犠牲があったし、世界の戦争の時代を劇的に前進させたという悲劇もあった。この人は第二次大戦後にドイツからアメリカに帰化し、米ソの宇宙開発競争における代名詞的な人物とされている。第二次大戦後、ソ連はこの人物を非常に欲しがったと言われる。当然であろう。ブラウンは膨大な資料を土産にアメリカを選んだのである。

 ブラウンは技術者としてのみならず、テレビ番組や雑誌を通して一般大衆に向けて宇宙開発の重要性を説いた。人類の月面着陸や火星探査のビジョンを広めたこの人の功績は大きい。

 本格的な宇宙時代に入り、私たちの夢は果てしなく広がる。私の夢は少年のようである。私の好奇心の最大の的はこの宇宙に人間のような知的生命体が存在するかどうかである。一説ではあと数年でそれが分かるだろうという。車椅子の天才ホーキングは東大で宇宙人との接触について警告した。コロンブスのアメリカ発見のような、高度の文明による悲劇を説いたのだ。そのことを現実的な問題として考えるべき時に至っているのだ。(読者に感謝)

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2026年6月11日 (木)

「恐るべきクマの能力。歩くことで認知症の克服を。認知症の勢いは止まらない」

◇クマの被害情報が頻繁である。赤城山の林道に向かうとき「気を付けて下さい」という妻の声に普段と違った切実な響きがあった。「分かった。気をつけるよ」。私も真剣に答えた。クマに襲われ食われたという情報も伝わっている。人間が食えることを学習したという可能性があると言われる。最近はクマの賢さがもっぱら報じられている。鍵を開ける、それをスライドさせる、水道の蛇口を開ける等の驚くべき知能の高さも報じられている。クマの出没地域も広がっている。うまいエサが存在することを学習した可能性も指摘されている。子連れの母子の姿は可愛らしい。私たちは「くまさん」として親しんできた。赤城の林道は私の大切な活動領域であるがクマの活動領域と重なることを重視しなければならない。林道には川があり樹木が覆い茂っている所がある。かつていきなりイノシシが飛び出してきて腰を抜かすほど驚いたことがある。彼らは人間を非常に恐れている筈だからパニックになって防衛のために飛び掛かってくることがあるに違いない。彼らの世界にも大きな変化が生じ、人間を恐れぬ世代が現れているかもしれないのだ。クマの身体能力には素晴らしいものがある。鋭い爪で、木をどこまでも登る。泳ぐことも非常に巧みである。今日も林道を歩く予定であるが一層の注意を心掛けねばならない。

◇生活習慣が寿命と結び付いていることはほとんどの人が納得しているに違いない。ただ生活習慣といっても漠然としているし限りないことだからどの生活習慣が重要かとなる。そこで現在、科学的にも医学的にも注目されているのが歩くことである。最近発表された研究によれば一日に5,000~7,500歩歩くと認知機能の低下を平均約7年遅らせることができるとされている。これはハーバード大学医学部を中心とする研究チームが行った研究成果である。これまで認知症の原因としてアルツハイマー病が深く関わっていると考えられてきた。そしてアルツハイマー病の原因として考えられていたのがアミロイドβというたんぱく質のゴミであった。これが発症の10年から20年も前から脳の中に溜まり「老人班」と呼ばれるシミのようなものが出来ることでニューロンがダメージを受け認知機能に悪影響が出るとされてきた。そこでアミロイドβの除去法が盛んに研究されてきた。その成果がやっと現れてきたのだ。日本の認知症患者は約443万人とされ、高齢者の8人に1人と推計されているのだ。(読者に感謝)

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2026年6月10日 (水)

「独立宣言に現れた恐るべき革命権の思想。マリー・アントワネット、ルイ16世はギロチンで斬首に」

◇トランプ大統領の奔放な姿を見るにつけ、この大統領の頭には格調高いアメリカ建国の精神があるのかと疑ってしまう。私は東大の教養学部時代、中屋健一教授の「アメリカ史」のゼミに出た。少人数のグループで英文の原書に取り組んだ。中屋先生の性格には情熱が感じられたが、この題材には先生が語るにふさわしいアメリカの開拓時代のフロンティア精神があふれていた。中屋先生がアメリカ独立宣言を説明する姿からは、西部へ向けて進む幌馬車隊の光景が窺えた。アメリカの13州の代表がフィラデルフィアで、独立宣言を発表したのは1776年7月4日のことであった。独立宣言の中心は、次の点にあった。「すべての人は生命、自由、幸福追求の権利を神から与えられている。これらの権利を確保する目的のために政府がつくられている。もし政府がこれらの目的を破壊するものになった場合にはその政府を改革し、あるいは廃止して人民の目的を達する最も適切な政府をつくることが人民の権利である」

 ここに書かれている恐るべきことは「革命権」である。この思想の大きな影響を受けてフランス革命が誕生した。1789年5月のことであった。憲法制定を求める民衆は憲法が制定されるまで解散しないことを誓った。これは民衆が集まった場所の名からいわゆるテニスコートの誓いと言われた。国民議会は憲法制定議会と称して憲法の起草にとりかかった。ところが国王は保守的な貴族に動かされ、武力で議会を弾圧しようとした。これに怒ったパリの民衆は7月14日、ついに暴動を起こし圧政の象徴バスチーユ牢獄を占領した。この知らせが伝わると全国に暴動が起こり、農民は貴族、官吏、富豪の家を襲い、一部の貴族は国外に亡命をはじめた。8月4日国民議会は封建的特権の廃止を決定し、アメリカの独立宣言にならって、ラファイエットらの起草した宣言を採択した。これが世に言う有名な人権宣言である。この宣言はすべての人間の自由、平等、主権在民、言論の自由、私有財産の不可侵など、近代市民社会の原理を主張した。しかし国王はこれを認めようとせず、なおも議会の弾圧を企てたのでパリの民衆は再び立ち上がり10月はじめ女性たちを先頭にヴェルサイユに押し寄せ国王をパリに連行した。1791年6月ルイ16世はマリー・アントワネットに動かされ、革命に対抗するため国外逃亡をはかり連れ戻された。これは国王への国民の信頼を失わせ革命の気勢は上がった。1793年ルイ16世は断頭台で首を落とされた。(読者に感謝)

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2026年6月 9日 (火)

「私の著書を破った若者の衝撃。人間を信じられない寂しさを」

◇数年前、中国の学者たちを私が学んだ東大西洋史の研究室を案内したことがあった。彼らは東大を権力の象徴のように受け止めていたらしく、私の話と現実い接し認識を改めていたようであった。東大も私がいた頃と比べ大きく変化したようだ。かつて立て看板が林立していた光景は今は昔のように変わった。アジ演説もすっかり陰をひそめた。しかしふと不安に思ったことがある。それは、立て看板やアジ演説の底にあった学生たちの燃えるようなエネルギーがどこかへ行ってしまった恐れである。最近、駒場と本郷のキャンパスを訪れて静かな雰囲気の底に本来あるべき活気がどこへ行ったのかと淋しく感じた。学生運動のエネルギーは学問への情熱とどこか通じているものがあるに違いない。

◇著書を真っ二つに破られた。怒りがこみ上げそして悲しくなった。6月7日午後3時、私の屋敷内のことであった。目の前の鳥取駐在所へ走った。事実だけは警察に伝えねば腹が治まらぬ思いであったのだ。日曜日なので電話で、話がつながらない。それにしても不思議なことである。

 破られたのは2種の本で、その一冊は「生まれいき、そして未来へ」、約6千冊を発行した。上毛新聞の「ひろば」の欄で取り上げられたものに、それぞれ私のコメントを添えたものである。全体は117ページであるが、50ページと51ページの中央の所で二つに破られていた。もう一冊は楫取素彦(吉田松陰が夢を託した男)である。これは全体が207ページのもので、122ページと123ページの中央で破られた。ひろば欄に関する方は、破った若者の顔と名前を覚えている。そして楫取素彦の方は前の桑畑に破り捨てられていたものを近所の方が発見してくれた。それにしても不思議でならないのだ。破ったと見られる少年は芳賀中、そして前橋高校出身だと言っていた。教育上も社会的にもこのまま済まされるものではない。数人のグループによる行動らしい。そのうちの一人は真面目らしい表情で「すみません」と頭を下げていた。この少年が破ったのでないことは明らかである。今日、破られた現物をもって、芳賀中及び前橋高校へ行くつもりである。できれば少年と対面し、破った理由を訊いてみたい。社会が大きく変化している。そしておかしな方向に動いていると思える。そういう流れの中の出来事なのだ。それゆえに放置してはならない問題なのだ。

(読者に感謝)

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2026年6月 8日 (月)

「林道で少年王者の世界を甦らせる。私塾こそ教育の原点だ」

◇今月のある日、田舎道を歩きながら回想したのは「少年王者」の世界であった。アフリカ・コンゴの奥地、マウントサタンと呼ばれる地域である。マウントサタンの谷やジャングルは、私の頭では子どもの頃過ごした宮城村の谷の奥に似ていた。その情況はマウントサタンの想像力を駆り立てる力となっていた。事実、宮城村の奥地にはキリスト教徒がおり神父も存在し、そういう進歩的な文化が根付いていたのである。子どもの頃、村の集会所で神父様がコロンブスの物語をしたのを面白くきいた記憶が鮮明である。振り返れば、子どもの頃宮城というあんな山奥でコロンブスの話に胸を躍らせたことは驚きであった。コロンブスが大冒険によって大海を渡り新大陸を発見したという壮大な出来事は私の胸に小さな種を落とした。その種は小さな芽を出した。それはごく小さな芽であったが偉大な力を潜めていたのである。なぜならその芽はやがて根を張り大きく成長し私の人生を支ええることになったからである。85歳の私は人生を振り返って、少年の頃宮城村の小さな集会所で目を輝かしてコロンブスの冒険に耳を傾けた姿を思い出す。そして、これこそ教育の原点に違いないと思い当たるのである。教育の目的は生きる力を与えることにあると言われる。そうに違いないが、コロンブスの物語を踏まえれば、教育の力は子どもの胸に夢を育てることだと思う。こう考える時、現在の教育がこの役割を果たしているか疑問に思えてくる。知識偏重で、受験技術を競う姿は本来の教育に背を向けることだと思う。

 日本にもかつては優れた教育組織と教育者が存在した。江戸時代の私塾はその一例だと思う。私は学習塾に深く関わった経験があるがそこで得たものは、私塾こそ教育の原点という信念である。教育は権力によって管理されるものであってはならない。現在、多様性ということが叫ばれている。多様性の尊重とは一人一人の個性を重視することである。個性を尊重するのでなければ隠された能力は気づかれずに埋もれてしまう。権力によって管理された一律の教育によって、いかに多くの個性が犠牲にされ、光を当てられないまま消え去ったことか。私は東大の学生生活の中で多くのいわゆる「秀才」をみてきた。その中には魅力のない頭でっかちの存在が多かったことを振り返る。東大に対比されるのが京都大学である。そして、京都大学からノーベル賞受賞者を初め多くの優れた学者が排出されていることは示唆的である。京大には東大と比べ反権力の伝統を誇る校風がある。かつての寺子屋には教育の原点として今日大いに尊重すべきものがある。現在、特色ある多くの私学が頑張っていることは日本の教育にとって大きな救いである。(読者に感謝)

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2026年6月 6日 (土)

死の川を越えて 第236回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

「はい先生、忘れるはずはありません。天井のシャンデリアが輝いていました。森山先生がひげの先生を前に、お前のお父さんほど結城のある人はいないとおっしゃいました。忘れられない感動です。あれは僕の大きな誇りとなりました。辛いことがあっても、あの場面を思い出すと力は湧き頑張ることができました。僕の宝をどう生かすのか教えてください」

「そうじゃ、小さな光を嵐の中で守らねばならぬ。われわれの願いが入れられて、せっかく認められた自由地区を守り育てねばならない」

 万場老人は自分に言い聞かすように言った。頷く正太郎の瞳は生き生きとしていた。この時彼の胸には、自由地区だけではないぞという思いが生じていた。

 昭和6年にスタートした草津栗生園は、その後、上、中、下の3地区に分かれ定着していった。そして、主として湯の川の人たちが移り住む場所は下地区であり、そこには通称自由地区とも呼ばれた。湯の川地区の自由と自治の歴史を尊重する人々の努力が認められた成果である。

 下地区が特別地区扱いを求めて協議された経緯については既に述べた。正助たちは栗生園の内部の計画が明らかになりつつある時、国と県の関係者に鋭く迫った。湯の川地区の歴史は命を懸けて守る覚悟である。県も国も地元の政治家も私たちに約束した。それが守られないなら全住民で立ち上がると訴えたのである。このことは当局に衝撃を及ぼし下地区が約束通り自由地区として誕生することになったのである。

 湯の川地区は徐々に移り住んでいったがなお多くの人が残っていたし、生生塾は湯川の辺りにこだわっていた。ごうごうと流れる死の川こそ生生塾と切り離せない存在であった。

 流れの音は、湯川で生きる人々の命の鼓動であったからだ。しかし生生塾もやがてここから離れる時がやってくる。

 戦争の流れの中で、湯の川で生きる人々もそれぞれの変化を選ばねばならなかった。水野高明と下村正助は、ハンセン病の菌も認められなくなり、吾妻のある鉱山で働いていた。また、キリスト教徒となったさやとこずえは聖ルカ病院で職員として勤務していた。 

 正太郎は父からシベリアのことを聞いてから、自分の出自をもっと詳しくしりたくなった。

 つづく

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2026年6月 5日 (金)

「赤城の奥でアフリカの少年王者の世界を懐かしく想像する。アフリカのジャングルを訪ねてみたい」

◇赤城の林道の奥に来た。道は続くが車は止まれないようになっている。そして「関係者意外立ち入り禁止」の標示が立つ。前に来たことがある。想を練るには、あるいは昼寝などするには理想的である。近くに深町さんの土地がある。気味悪い程静かである。こんないい所に来たのだから何か書かねばという気持ちになった。鳥のさえずりが聞こえる。「何か獣が出ないかな」と思う。鹿でも熊でもいい。カバンにお菓子を見つけた。「いも大学」である。コーヒーが飲みたい。そうだ、簡単だ。魔法瓶(ポット)を用意すればいいのだ。山の「休憩所」は増々楽しい。今、2時38分。妻から電話。テレビでクマの被害をさかんいやっているらしい。左右は木や篠が密集している。これだけの山だから何かいる筈だ。人間が怖いのだろう。「サンタを連れてきったらさぞ喜ぶだろう」と思う。ここへ来る途中、社会福祉施設「愛誠園」があった。こういう施設にとっては理想的な場所である。

◇6月5日(金)、やはり赤城の林道の奥を歩いた。少年時代の心の世界を振り返った。心が向くのは赤城の谷の開墾時代である。激しいドラマであった。母の思い出がよみがえる。少年にとって母のことは激しく鮮明である。いずれ私の人生の軌跡を書くつもりであるが、いろいろなことが昨日のことのように身近に迫る。赤城の谷の奥の生活は少年時代に熱中した物語「少年王者」に重なる。この物語は山川惣治作画で、赤城の開墾生活は想像するアフリカの世界に思えた。舞台は中央アフリカコンゴであった。登場人物は日本人牧師牧村勇造と一子、真吾、いとこの美少女すい子、勇造に仕える剛勇の青年ザンバロなどであるがこれら善意の人たちと対立する魔人ウーラ、豹の老婆などが現れる。アフリカは暗黒大陸と言われた。それはジャングルと獣たちの世界で子どもの頃、人食い人種が実在するのかと思いを巡らせた。コンゴはかつてベルギーの植民地で、金やダイヤモンドが豊富でこのことも私の夢を掻き立てる要素であった。時は流れ、アフリカは大きく変化した。最早暗黒大陸ではない。近代化の波が激しく押し寄せている。しかし私には暗黒大陸が懐かしい。全て近代化に覆い尽くされる時は地球の危機に違いない。少年王者真吾が活躍した舞台は守らねばならない。アフリカは私がまだほとんど訪れたことのない大陸である。アフリカらしいジャングルが残されているうちに是非訪ねてみたい。昔、少年王者の歌をうたったことが懐かしい。(読者に感謝)

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2026年6月 4日 (木)

「台風6号は大災害を警告する。決断する責任者の判断は大丈夫か。鎌原観音堂の教え」

◇台風6号は相次ぐ氾濫警報と共に各地で記録的大雨をもたらし、3日明け方紀伊半島上陸後、日本の東へ抜けた。気象庁は和歌山県の古座川でレベル5氾濫特別警報を出した。氾濫のレベル4の危険警報は各地で相次いだ。東京都内の善福寺川、目黒川、神田川などでレベル4の氾濫危険警報が、品川区や横浜市、川崎市にもレベル4の大雨危険警報が出た。そして、東京、神奈川、千葉の3都県では少なくとも計165万人に避難指示が出された。人や建物の被害も各地で起きている。

 異常気象が常態化している今日である。こういう状況で、各学校が休校するかなど、危険判断を迫られる。学校や施設など置かれた状況はそれぞれ、川や堤などの条件が異なるから自治体や施設の長の判断には困難が伴い、その責任は大きい。生命や財産がその判断にかかっているからだ。自治体と施設の責任者は普段からいろいろな場合を想定して備えを研究しておかねばならない。文科省によれば休校に一律の基準はないという。各学校が作成する危険マニュアルに沿って学校長らが判断する。一律に休校を決める自治体もある。

 水害だけの問題ではない。巨大災害の時代である。首都直下型、南海トラフ型などが近づいている。富士山の大爆発も近い。想定外などと言っていられないのだ。群馬県は災害が少ないと言って大災害に無関心の人が多い。しかし、それは災害の歴史に目を向けない誤った姿勢というべきだ。私は昭和22年カスリン台風を思い出す。私が小学校に入学した年であった。戦後間もない日本で記録的な集中豪雨を引き起こし関東や東北地方を中心に死者、行方不明者1,100名以上、負傷者2,420名と報じられた。この台風の時、学校は早く終了となって逃げるようにして家に向かったことが甦る。しかし宮城村を縦に流れる荒砥川は大氾濫となった。岩をかむ黒い濁流が頭に焼き付いている。

 先日吾妻郡の鎌原観音堂を訪ねた。埋没石段は静かに雄弁に歴史を語っていた。石段わきの石柱には「天明の生死を分けた十五だん」と刻まれている。15段より上に逃げた人々は村の有力者の協力で組み合わせにより夫婦となり新しい人生を始めた。今でも老人たちが歌う「和讃」は雄弁に当時を伝える。

「妻なき人の妻となり、主なき人の主となり」と。石段に残った、支え合うような二つの骨は、後の研究から「たいへんな美人だった」と指摘されている。二人は天国で近づく災害を警告しているかもしれない。(読者に感謝)

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2026年6月 3日 (水)

「赤城山で女性から素敵なプレゼント。赤城は素晴らしいオアシスだ。国定忠治を偲ぶ」

◇6月1日、赤城南麓の小さなレストランでコーヒーとしるこを注文した。これから大沼を目指す。道中に何か起こるか密かな期待があった。山の友だちに会えるかもしれないのだ。それはクマか、鹿か、ヘビか、それとも全く予想もしない新しい友だちか。湖畔を想像する。さぞ涼しいだろう。登り詰めた所でソフトクリームを食べるのが楽しみである。湖畔の涼風が迎えている。最高のご馳走は風景と風と緑である。まず途中の広場だ。あそこまで数分で、そこから上までは近い。登る車が多い。皆都会を脱出してオアシスを求めているのだ。しるこを食べていたらある女性に素敵な花をもらった。黄色い花でアルストロメリアという。黄色は珍しいとか。花言葉は「未来へのあこがれ」とか。ピッタリだ。赤城を目指しての成果の一号である。この時、この店にアジア系外国人女性3人が入ってきた。イスラム教とすぐ分かる装いである。日本で農業に従事しているという。国際化の波がこのような形で押し寄せている。

◇約15分で山頂についた。ソフトクリームを買った。450円。緑の風の中の味は格別である。腰が曲がった杖の老人が歩いている。うしろでは声の高い老人が何かを注文している。窓の外では若い女性がスマホを手にソフトクリームを食べている。

 3時20分、着信の音。妻であった。山の道を心配している声であった。様々な人が訪れている。赤城山は群馬県のオアシスである。腰を下ろした場所は「赤城山総合観光案内所」である。そして目の前が白樺牧場だ。この静寂からはかつてこの山が大爆発したことを想像することは難しい。赤城山は活火山で今でも足下ではマグマがたぎっているのだ。この周辺の温泉はその恩恵である。この店の一角にやくざの旅合羽がかかっている。かつて国定忠治が「赤城の山もこよい限り」と見栄を切った姿が想像される。そういえば、この山の中腹に忠治の隠れ穴があり私はかつて入ったことがある。忠治の存在が世に出たのは新国劇の辰巳柳太郎と島田正吾の力である。辰巳柳太郎の当たり役は忠治や宮本武蔵や王将だった。十八番の「国定忠治」の公演は通算3000回を超えたというから凄い。3時55分である。中村紀雄の国定忠治もそろそろ腰を上げることにした。

◇4時13分、湖畔に着く。さわやかな涼風が湖面を渡っていた。何とも言えぬ美味しさである。帰りの道は小沼を経て林道を下った。林道に期待した友だちが現れなかったのは残念であったが緑の森は私の原点であり、久しぶりに山の気分を満喫することができた。(読者に感謝)

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2026年6月 2日 (火)

「大きなガマガエルを助けた。林道の喜び、鹿との遭遇。野性動物との共存は人間の責任だ」

◇ある日の山の出来事である。ドキッとして思わずブレーキを踏んだ。目の前に不気味な怪物がいたのだ。それはペタンペタンと歩いている。大きなガマガエルなのだ。まわりの緑の木々に心を奪われていたら踏み潰すところであった。こういう連中も天から命を与えられて生きているのだ。ガマガエルを助けて悪い気はしなかった。カエルの恩返しが何らかの形であるかもしれない。「ケチな見返りを期待するのはケチな心だぞ」心のどこかでそんな声が沸き上がるようだ。カエルが進もうとしていた方向は深い谷である。ヘビがいるかもしれない。多くのヘビがひとかたまりになってうごめく光景を想像してぞっとした。幼少時代が甦る。山の中に裸足で踏み込んでも平気であった。自然から遠ざかって弱くなったとつくづく思う。改めて開墾時代を振り返る。原点を忘れていたことにはっとする。上品な都会人になったことに満足していたのだ。あのガマガエルから遠ざかる程、生の原点から離れ人間として弱くなっている。今回、赤城の山に入ったのは生の原点を少しでも取り返すためである。ガマガエルとの距離を縮めるためである。つまりガマガエルとの距離を縮めるためなのだ。

◇この日の午後、杉の林道で心躍ることがあった。目の前に突然鹿が現れたのだ。成獣の鹿は私の方をながめ頭を振るようにして林に消えた。私には「今日はこんな山の中へようこそ」と挨拶しているように見えた。「お前さんの領分に入らせてもらうよ」私はそう心で呟きながら前進した。この鹿と友だちになれたと感じられた瞬間であった。あの鹿は仲間の所で報告しているだろう。「林道で変な人間に会ったぜ。悪い人間には見えなかったが用心してすぐに森に飛び込んだんだ」と。それを聞いた仲間の声が想像できる。「お前はおひとよしで甘いんだよ。人間の恐ろしさが分からないなんて呆れたもんだ。人間はわれわれの仲間の肉を食い、皮を敷物に平気で使っているのだぞ」

 林道で鹿と会い改めて思った。野性の生物との接点が広がっていることだ。クマが都会に現れて大騒ぎする時代である。問題はクマだけではないのだ。動物愛護と人間の生活領域を守ることの両立を真剣に考える時である。あの鹿がいた谷には様々な生き物が暮らしているに違いない。私の開墾生活の時代は動物に恐怖を感じることはなかった。人間が領分を広げ動物を脅かしている現実の根っこを考えねばならない。(読者に感謝)

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2026年6月 1日 (月)

「緑のトンネルは心の力の原点だ。霊園の墓を見てまわった衝撃」

◇先日小坂子町の林道を走った。燃える緑に心も躍る。初夏である。よく「夏も近づく八十八夜」と歌ったものだ。八十八夜とは五月の初めであろう。昔の季節感は、今はない。世の中が変わったことを痛感する。頭上の小鳥のさえずりが胸に染み入る。命の洗濯を実感する。皆さっていく。今日は旧宮城村を目指そうと思う。どこかの家に寄りたいものだ。意外な出会いが楽しみである。昔の自分を見つけるドライブである。大崎つりぼりへ行こう。はっちゃん家にも寄ろう。どこかの林道にも入りたい。ホワイトハウスの肉も食べたいな。時々、車を止め緑の中で筆を走らせるのが良い。山の友達が出てきて挨拶を交わすかも知れない。熊も怖くない。蛇も平気だ。周りの木々はすべての生き物を包んで友達にしてしまう不思議な力を持っている。

◇5月31日(日)午前9時45分。嶺霊園の一角に車を止めた。ひらめくことがあった。「中村紀雄は甚五郎」である。魂のノミで中村紀雄の姿を彫るのだ。宮本武蔵は仏像を彫った。心のノミは鋭いものだ。周りの森が力を与えてくれるからだ。私の心の奥の力を引き出してくれる。それを謙虚に感謝せねばならない。それから少し緑のトンネルを走った。森の精気が伝わってくる。何かいるだろうか。木の板が表示している。危険動物に対する注意である。熊、イノシシ、蛇などが描かれている。彼らはみんな友達だと素直に思える。森の友達との共存と共生は人間にとって大切な課題である。人間はかつて森の住人であった。森から出て大切な魂を失いつつある。森は魂の棲家なのだ。森は呼んでいる。「帰ってこいようー」、「早くこーい」と。地球が壊れつつある。地球が壊れることは人間の心が壊れることに繋がる。それを防がねばならない。一人一人が左甚五郎になって本来の正しい心を心のノミで彫り進むのだ。

◇5月31日(日)、霊園の墓を見てまわった。墓石にそれぞれの一族の様々な思いが込められていることを感じた。墓じまいなどという言葉が流れている時世であるが人々の思いはそんなに単純でないことを痛感した。

 10時55分、例の食事処ホワイトハウスに入った。ステーキを頼む。目の前に私の著書が何冊か並ぶ。奥さんらしい人が訊いた。「何か書くお仕事ですか」と。「はいそうです」と応える。小学生の頃、この近辺は私の活動領域であった。夢のように時が流れた。これからの天から与えられた時間を活かすために原点を見詰め直さねば。

(読者に感謝)

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