« 2026年4月 | トップページ | 2026年6月 »

2026年5月31日 (日)

死の川を越えて 第235回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 日本軍の侵略が進む中で、日中両軍の対立状況はついに沸点に近づき、何かわずかなことでもあれば全面衝突になることは明白であった。このような状況下、北京郊外の盧溝橋で対峙する両軍間に誤って発砲事件が起き、これがきっかけで全面戦争に発展していった。昭和12(1937)年の日中戦争の始まりである。これがアメリカとの決定的な対決につながることを考えると、4年後の太平洋戦争は実質的にはこの日中戦によって開始されたといえる。

 この日中戦争勃発は国民に、そして特に湯の川地区の人々に強い衝撃を与えた。ある日、戦争が本格的に拡大していく情報と緊張に駆り立てられるようにして、生生塾の人々は集まった。万場老人の呼び掛けであった。その中にひときわ目を引く若者がいた。眉目秀麗できりっとしたこの男こそ、下村正太郎であった。正太郎は草津小学校を卒業した後、聖ルカ病院の職員として働いていたのだ。

 万場老人が口を開いた。

「恐れていたことが起きてしまった。日中の全面戦争じゃ。困った。本当に困ったことじゃ。日本全体が大波にのみ込まれたのじゃ。もはや評論家のように国を批判してばかりはおれない。日本が滅びるか生き残れるかという重大なところに放り込まれたのじゃ。心をしっかりもたないとわれわれも分からぬところにのみ込まれる。目の前が真っ暗になってどうしていいのか分からなくなってしまう」

 万場老人の深刻そうな表情を見て正助が言った。

「先生、ハンセン病の光はどうなるのですか。栗生園の中に自由地区ができましたが、これはどうなっていくのですか」

「うむ。この嵐の中で守らねばならぬ。お前は昔、夜、白砂川まで歩いて理想の療養地区に思いをはせた。森山さんやわしも同じように歩き、その後安田内務大臣までが視察したな。正太郎君が県議会行って元気に返事をしたこともつながっておる。どうじゃ。正太郎君、覚えておるであろう」

つづく

|

2026年5月30日 (土)

死の川を越えて 第234回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

第10章 大転換

 

 時は巡り、この間時代は激しく動いた。日本が狂奔する中で、ハンセン病の人々は激流にますます翻弄されていた。そして、草津栗生園は人々の当初の願いとは別の方向に動きだしていた。その象徴とも言える出来事が草津栗生園における特別室・銃官房の設置であった。

 そして、国際情勢の変化には驚くべきものが見られた、万場軍兵衛や水野高明が恐れたように、日本と中国の対立は決定的となりつつあったのだ。

 中国大陸の事態は、水野高明が語ったように推移した。それは満州国の建国とそれに対する世界の非難である。日本は満州国設立を認めない国際連盟を脱退し、国際的孤立を深める中で、中国そして中国を後押しするアメリカとの対立は抜き差しならない状態になっていく。

 日本軍、およびそれと運命を共にする日本は果てしなく広がる中国大陸の泥沼に足を踏み入れていったのだ。

 一方ヨーロッパでは、ふぉいつ人宣教師カールが湯川で語った危険思想の渦が現実の形となりつつあった。危険思想を掲げて突き進むのはナチス党を率いるヒトラーであった。日本が国際連盟を脱退するのとほぼ時を同じくして、ドイツではヒトラーが独裁政権を握るに至った。

 日本は中国大陸の泥沼でもがく中で全面戦争に突き進んでいった。正しい情報が伝わらない国民にも異常な緊張が走り、国内は騒然と沸き立っていた。

 草津栗生園に特別病室という名の極限の懲罰施設「銃官房」が設置されたのは、日中戦争開始の翌年のこと、昭和13年であった。

 物語は時の流れ乗って矢のように動き、新たな舞台の上で展開しつつあった。そこでは必死で時を刻む人々がいた。いよいよ老境に深く踏み入れたマーガレット・リーや万場老人、人生の円熟期を迎えた正助、さや、こずえ、そして老境に入った水野高明。また、正太郎は立派な若者に成長していた。

つづく

 

|

2026年5月29日 (金)

「国家情報会議法の意義。入管法悪用は許されない。排外主義は心に棲む悪魔」

◇国家情報会議法が成立した。情報活動の司令塔機能強化を目指すもの。高市首相は「情報力を高めることで困難な課題に的確に対応する。国民の安全安心と国益を守る」と強調した。国民への監視強化やプライバシー侵害などが懸念されている。外国のスパイ活動が盛んであり、日本はその格好の舞台となってきた。今日、国際環境は対立と混乱が加速しており日本は対立の最前線にいる。安全保障は最重要課題の一つなのだ。国家情報会議法の成立はこの課題解決に向けた重要な一歩である。懸念とされる点は人間尊重を高く掲げる憲法を踏まえて国民がしっかりと監視しなければならない。

◇改正入管法案が参院法務委員会で可決された。外国人の在留手続きに関する手数料の上限額を大幅に引き上げる法案である。手数料を負担しきれず在留資格を失いかねない人々の救済措置が焦点となっている。参院法務委員会の審議は衆院法務委員会と同様、わずか3日間で終えた。国会外では「早すぎる」、「外国人いじめだ」という抗議の声が上がっている。深刻化する労働力不足に対応するための「外国人労働者の受け入れ・育成」と不法滞在や難民認定制度の悪用を防ぐための「厳格な措置、在留管理」のバランスを図ることが課題となっている。現行の制度を悪用、濫用する弊害を適切に管理することは重要である。難民認定の申請中は原則として強制送還が停止される。これを悪用して強制送還を回避するために「申請中」に申請を繰り返すことが行われてきた。そこで2024年の改正入管法では申請は原則2回までと上限が設けられた。つまり3回目以降は「相当の理由」を示す新たな資料を提出しなければ強制送還されることになった。不正に入国しようとする者には厳格に対応しなければならない。同時に外国人の排斥に当たらぬように注意すべきは当然である。日本は現在深刻な人口減少が加速する中にあるから外国人受け入れ、共存は喫緊の課題なのだ。日本は人権尊重を高く掲げる国であることをしっかり踏まえねばならない。外国人排斥は耳に心地よく響く傾向がある。外国人との共存共栄は現在の私たちに課せられた最も重要な試練である。かつて外国人の入国に反対する参政党が異常な躍進を示したことがあった。日本は島国で、その上鎖国を続けた歴史を持つ。排外主義は日本人の心に棲む悪魔かも知れない。人間尊重とグローバル化の流れを踏まえて、日本の進べき新しい流れを肝に銘じなくてはならない。(読者に感謝)

|

2026年5月28日 (木)

「阿部監督辞任の衝撃。心が貧しくなった日本の悲劇。私の人生の軌跡を振り返る」

◇巨人の阿部監督が辞任した。難しい世の中であるから些細と見えることも対応が慎重さを欠くと大変なことになってしまう。辞任の理由は18歳の長女に対する暴行容疑である。長女はAIに相談しその回答に基づき児相に相談した。原因となったトラブルについては次のようであったらしい。「長女と次女が自宅で喧嘩した。阿部監督は止めに入ったが長女から言い返されて腹を立て投げ飛ばすなどの暴行を加えた」。暴力行為は刑法に当たる違法行為でるから形式的に問題にすれば面倒なことになってしまう。私にも娘がいる。一緒に暮らしていた頃はトラブルもあった。自由気ままに一つ屋根の下で生きていいれば当然のことである。そういう中で親子の情も磨かれ、生きる知恵を身につけていくのだと思う。今日、家庭の分解が叫ばれている。かつて社会が貧しかった頃、狭い空間で肌を寄せ合うようにして生きたことが懐かしい。私は貧しい時代の中でもことさら厳しい情況の中で生きた思いがあるため、一層その感が強いのかも知れない。私は貧しい中を必死で生きた経験を今では貴重な財産であると振り返る。現在、日本は物は豊かになったが心は貧しくなったと言われる。心が貧しくなったことは大変なことである。人間は言うまでもなく心の生き物である。あらゆる文化も心が生み出すものだ。心は人間存在の源泉なのだ。その泉が枯れていくとは、これほど恐ろしいことはない。世界は現在大きな節目にあるが、その中で日本の役割は増々大きくなっている。それは日本が「広島」と「長崎」という人類史上初の核の悲劇を経て再生したことと結び付いている。ここで私たちは重要な諺をかみ締めねばならない。「のどもと過ぎれば熱さ忘れる」である。私は85歳で戦争の悲惨さは私の人生の原点になっている。戦争の体験があるだけにそれを現在に活かさねばならないことを痛感するのだ。周りを見て戦争を知る人が非常に少なくなったことに衝撃を受ける。前橋市街が焼け野原になり赤城山が身近に感じられたことが甦る。正に国破れて山河ありであった。その情況に追われるように赤城の山奥の開墾生活に入った。そこから始まった人生の軌跡を改めて振り返る。残りの人生はこの軌跡を如何に活かすかにあることを改めて感じる。夜間高校時代の苦闘、異次元の如く思えた東大の世界等々、様々なことが劇画の世界にように目の前に展開する。これから起承転結の「結」に入る。新たな決意で頑張らねばと思う。(読者に感謝)

|

2026年5月27日 (水)

「サンパウロ移民資料館の衝撃。ブラジルで日本を語った。ブラジルで武蔵に会った驚き」

◇現在、県会議長当時のことを整理している。貴重な体験が忘却の彼方へ消え去ることを防ぐ意味がある。その作業の中で、誇りの中からいろいろな物が甦るのは楽しくてうれしいことである。頭を現わしたものの中で一つ紹介したいことがある。南米サンパウロで移民資料館を訪ねた時のことである。ここで初めて初期の移民の悲惨さを知った。世界各国で奴隷解放が進み、ブラジルでは1888年に奴隷解放が行われた。奴隷の受け入れが出来なくなり代わりの労働者としてアジアの労働者が受け入れられた。日本の第一回ブラジル移民は1908年であった。資料館には粗末な掘立小屋の模型があり、日本人は奴隷がすんだ小屋に皆入れられたという。サンパウロを訪ねてから20年余りが過ぎた。グローバル化が急速に進んでいる中で、ブラジルの日系社会はどう変化しているか気になることだ。

◇私は現在多くの留学生に日本語を教える学校に関わっている。地球の反対側からやって来る若者はたくましい。日本の若者が進取の意気を失っているから一層そう感じるのかも知れない。人口減少と共に日本の若者の無気力さに日本の危機を感じる。このままでは日本は滅びてしまう。原因はどこにあるか真剣に考える時だ。サムライの精神を甦らせねばならない。

◇今、ブラジルのことを書いていて、群馬県人文化協会創立60周年記念式典で挨拶したことが甦る。その時ブラジルで思ったことは今でも重要だと思うので挨拶の大要をここに記したいと思う。

「地球の反対側に当たるブラジルで群馬の血が流れる人々が活躍している姿を見て感動した。移民一世の人々ははるかな海を越えて過酷な世界に飛び込んで新しい道をひらいた。県人会の歩みは、先輩移住者の築いた基盤の上でつくり上げられた輝かしい歴史である。日本は経済大国になったが曲がり角に立っている。物は豊かになったが心は貧しくなったと言われている。これは日本の危機である。今、日本人に求められる最大の課題は、かつて移民の人々が地球の反対側まで出かけ命がけで頑張った姿に学ぶことである」。

 ブラジルのある県人会でサムライのことが話題になった。移民の人たちが瞳を輝かしてサムライを懐かしがっていた。驚いたのはそこである人が宮本武蔵のことを語ったのだ。私は地球の裏側で武蔵に出会ったような衝撃を受けた。忘れているサムライの姿を心によみがえらせることの意味を痛感した。居眠りをしているような日本人の心に活を入れる時が来た。(読者に感謝)

|

2026年5月26日 (火)

「ふるさと塾で謎の新人ジェームズ・タラリコを話す。その衝撃のキャラクター。エバ・ペロンは凄い」

◇今日(5月23日)は「ふるさと未来塾」である。まんねりにならないようしっかりやる決意。緊張感に鞭打つように気温が低い。早朝の気温は12度だ。いささか驚いた。ランニング姿で走った。よい刺激だが少し寒い。行き交う人が声をかける。「寒くないですか」、「ちょっとね」と笑って返した。この温度差、普通の高齢者には身体に響くに違いない。

「ふるさと未来塾」はアメリカ大統領がメインであるが、その中で意外な新人ジェームズ・タラリコを取り上げる。アメリカの大統領選は日本の運命と大きく関わるから目が離せないが今回は特別である。彗星のように現れたタラリコ氏が選挙戦の動向を面白くしているのだ。ジェームズ・タラリコのキャラクターは衝撃的である。大統領選にあまり興味を持たぬ人も驚くに違いない。南部テキサス州という保守色の強い所から民主党の新人として登場した。選挙は戦ってみなければ分からないが今回はまさかのサプライズがあるかも知れないのだ。久しぶりに今回は胸を躍らせる結果になるかも知れない。長年選挙を経験した者として、それも踏まえて熱く語るつもりだ。このブログが届く頃には「ふるさと未来塾」が終わっているのが残念だが、「塾」には力を入れる考えである。ジェームズ・タラリコはテキサス州出身で37歳の新人である。この人物は元教師、「神学生」で「愛の政治」を掲げ、「隣人を愛せよ」を合言葉にして穏やかな語り口で分断を避ける手法で運動を展開している。はったりを売り物にするトランプとは対照的である。私は太平洋をはさんでタラリコを応援したい気持ちである。「塾」では共和党、民主党の対立の歴史にも触れたいと思う。

◇「ふるさと未来塾」ではもうひとつ、地球の反対側の大きな問題に触れたいと思う。言わずと知れた33歳で「がん死」した世紀の美女エバ・ペロンである。私は県会議長の時、アルゼンチンを訪ね、この美女に直面するような衝撃を受けた。アルゼンチンは民主主義が遅れた国だから女性の差別はひどく、女として生きるのは並大抵ではなかった。持って生まれた美貌も最大限武器にした。そして遂に大統領夫人に登り詰めたのだ。その生い立ちの故に弱い者の味方を貫き、上流階級からは悪魔と恐れられ、下層からは天使と慕われた。美人薄命。33歳でがんで死んだ時、通夜は3日間続いた。日本にも大量の小麦を援助するなどした。日露戦争でも大いに援助した。この美女を見つめなおしたい。(読者に感謝)

|

2026年5月25日 (月)

「人類が生きられる限界は近い。紀元前の壊滅的な洪水は再現するのか」

◇地球温暖化はどこまで進むのか。火の玉の地球は人類と共に燃え尽きるのか。そんな悲鳴が聞こえてきそうである。かつてグテーレス国連事務総長が酷暑の地球につき「沸騰」という表現を使ったことに衝撃を感じた。しかしこの分だとこの表現が違和感なく受け取れるのがそう先ではないとも感じられる。温暖化対策は今やあらゆる身近な手段を駆使しなければならない段階に来ているようである。「コンビニに立ち寄る」、「涼める休憩所を設ける」などの提案がなされている。このような動きを大きく広げ、やり尽くした後はどうするのか。政治の役割は極めて重要である。個人の暑さ対策には金がかかる。暑さ対策も金次第と言うべきか。誰かがこんなことを言っていた。「人間が想像することはみな実現するんだ」と。人間は昔から地獄を想像し、焦熱地獄で焼かれることを思い浮かべた。

 5月だというのに全国914地点中200地点で30度以上の真夏日となった。「夏本番をどう凌ぐか」という悲鳴が聞こえてくるようだ。気象庁によれば広島県安芸高田市で34.8度、大分県日田市で34.3度、甲府市で32.5度を記録した。2026年の真夏は全国的に平均を上回る猛暑の見通しである。40度に迫る、あるいは40度を超える危険な酷暑日が予想されている。日本の観測史上の最高気温は2025年8月5日に記録された伊勢崎市の41.8度である。人間はマイナス50度からプラス50度の間なら生きられると言われている。しかし、現在未曾有の高齢化が進行中である。体力が衰えた高齢者はいかにしてこの酷暑の大波を乗り越えるのか。人類が直面する最大の課題に違いない。

◇紀元前5000年頃、メソポタミア地方(現在のイラク周辺)で文明を脅かすほどの壊滅的な局地的大洪水が実際に起きたとされている。地質調査などからメソポタミアのチグリス川、ユーフラテス川のあたりのことが明らかになっているのだ。歴史学者は「歴史は過去と現在との対話だ」と語る。地層は嘘をつかない。掘り起こした地層は数千年を遡って語り掛け、過去はそれに対して壮大な物語を答えてくれる。私たちは長く続く物語の途中の段階で地層の「語り」に耳を傾けているのだ。これからいかなる事実が顔を出すか謎である。それに対して古い地層が何を話すかも大いなる謎なのだ。大切なことは私たちの胸にある好奇心である。好奇心は地層をお掘り起こすスコップである。スコップを磨くことが大切である。(読者に感謝)

|

2026年5月24日 (日)

死の川を越えて 第233回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 万場老人が頷いて言った。

「その通りじゃ。しかし、日本とて戦争になれば、人ごとでなくなる。何が起きるか分からない。厳しい波は弱いところを打つ。そのためにもわれわれは他県のことを知らねばならぬ。副島さんの話を聞こうではないか」

 人々は副島の話に身を乗り出すようにして耳を傾けた。副島は本妙寺集落の事実、それに熊本の菊地恵楓園および鹿児島の星塚敬愛園の実態などを話した。

 正助が驚きの声をあげた。

「俺たちの湯の川とはずい分違うんですね」

 万場老人がそれに応じた。

「ここは他と比べたら恵まれている。温泉がある上、何と言っても自治の仕組みがあって助け合っている。リー先生のような民間の力がいかに素晴らしいか改めて分かるではないか」

 水野が大きく頷いて言った。

「ハンセンの光、喜びの谷の意味が他と比べてよく分かる。君の感想を聞きたい」

「はい、先生。まず皆さんの真剣に生きる力が伝わってきます。湯の川は皆さんのすごい力が息づいていることを感じます。行政の者として大変勉強になります。また、おおいに勇気づけられます。義務の衝突、板挟みの悩みについても解決のヒントがもらえる気が致します。九州からやってきたかいがありました。いっぱい学んで帰ります」

 副島の弾んだ声に、万場老人たちは大きく頷いた。

つづく

|

2026年5月23日 (土)

死の川を越えて 第232回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

「この音が湯川ですか。命の存在を許さない死の川と聞いています。ここで皆さんは助け合って生きておられることを思うと、この川は、命懸けで生きろと励ます命の川と思えます」

 副島の言葉に水野は大きく頷いて言った。

「君、よく言ってくれた。その通りなのです。生と死は一体です。死に直前することは、生きることへの挑戦です。私はこの湯の川に入って、そのことを発見したのです。この万場老人は、ここをハンセンの光が発するところと表現し、またこちらのマーガレット・リーさんは喜びの谷と言っております。いずれも、死に直面して生きる人々の生きる喜びを言っているのです。そう思うと、この湯の川の音は君の言う通り、限りない励ましの声に聞こえます」

「先生、ぼろ切れのように、そして汚物のように扱われる患者の姿を見て、私は、これは人権を踏みにじり、人道に反することだと思うのです。先生は大学で人権と人道は普通の法律よりも次元の高い、人間が従わねばならない規範であるとおっしゃいました。これは二つの矛盾した義務、私が大学で質問した義務の衝突ですね」

 この時水野は大きく頷き、膝を打って言った。

「その通りです、君。二つの義務が一人の人間の胸で衝突する場面です。いわば板挟みですな。あの時、面白い、そして難しい質問をする学生がいるものだと驚きました。あの学生が目の前にいる君とは、実に不思議な思いです」

「先生、私は一人の役人です。身近な法律の義務に従わねばなりません。悩みましたが法律には解釈の枠があります。その枠の中で人道上の義務を生かすことですね」

「その通りです。それ以上に出ようとすれば、法律違反として罪を犯さねばならぬからな。革命家になるか、政治家になって法律を改正するか。どちらも現実的ではありませんな」

 この時である。黙って聞いていた正助が口を開いた。

「前にドイツ人のカールさんが来て、ドイツで生きるに値しない命ということが問題になっていると言いました。ヒトラーという人が権力を握って、もし生きるに値しない命を消せという法律をつくったとしたら、同じように義務の衝突で悩む人がたくさん現れるでしょうね」

つづき

|

2026年5月22日 (金)

「9割の親が学校に性教育を求めるとは。議長の時のアルゼンチン訪問を思い出す」

◇混乱で崩れゆく危機を感じていた社会である。世論調査にはほっとするものを感じた。学校での性教育の充実を9割の親が求めているという。性は人間が生きる根幹をなす。従ってその乱れは社会の崩壊に繋がる。「9割近の親」が学校に求めているという事実は衝撃ですらある。教育とは何か、学校は役割を果たしているかを突き付けているといえる。私は教えることの現場から離れて久しい。長いこと学習塾に関わった。様々な現実に出会って、反省することも多い。あっという間の85歳であるが「まだまだ」である。昨日、小雨の中赤城南面の道路を約1時間ジョギングした。その爽快感は生きている証だ。書庫の奥に懸垂の機会が置かれている。30回可能でこれも生きている証である。

 日課となっているブログは400字詰め原稿用紙でおよそ2枚半。原稿用紙は修練の舞台。文は短く書くことを心掛けている。俳句は省略の文学で、日本の文学の象徴である。削って削って骨で語るのだ。省略のかたちには、読む人に参加の機会を与えるという意味もある。

◇新聞に県会議長に金井さんの就任が報じられている。私が議長時代、アルゼンチンを訪ね、永井特命全権大使に話したエバ・ペロンのことを懐かしく思い出している。次のことだ。「エバは私生児から身を起こし女優となり大統領夫人になった。救貧活動や社会福祉に力を入れ、上流階級からは悪魔と恐れられ、下層階級からは天使と慕われた。日本が食糧難で苦しんだ時、小麦粉などを大量に援助してくれた」。エバは33歳でがんで亡くなった。エバ・ペロンの生涯は感動の人生だった。ふるさと塾でも話したことがある。アルゼンチンは民主主義が遅れている国であるから女性の差別は激しかったと思われる。エバはそういう逆境をしたたかに必死で生きた。私がアルゼンチンを訪ねたのは議長の時であった。私を乗せた車が大統領官邸の前を通った時、ガイドは指さして言った。「あのバルコニーからエバはよく演説をしました」と。エバの葬儀の時、通夜は三日間続いた。私はアルゼンチンの街でエバの写真を買った。美しい笑顔を見て、この人が今なお国民的人気を得ていることが分かる気がした。しかし、それは美しさだけではないと思った。その生い立ち、差別の中で女として立派に生きたその生き様が多くの人の心を打ったのだ。地球の反対側で、距離は余りに遠いが非常に身近に感じられる。日ロ戦争の時アルゼンチンが2隻の軍艦を売ってくれ、これが日本海海戦に大いに貢献したことも銘記したい。アルゼンチンとの交流を深めたいと思う。(読者に感謝)

|

2026年5月21日 (木)

「義務学校設置の意義とは。壮大な教育の実験を生かす時。現在の日本の役割は」

◇昭和村全4小中学校統合が大きく動き出した。義務教育学校の設置は少子化による児童、生徒数の減少と既存校舎の老朽化への対応として進められている。統合の意義を踏み込んで考えたい。それは9年間の一貫した教育環境の整備、集団生活を通じた社会性の育成、教育資源の効率化による魅力ある学校づくりに集約されるといえる。

 激変する社会に義務教育をいかに対応させるかは、日本の社会存立に関わることである。そればかりでなく、人間を創るという大きな意義をもつ。それが昭和村という小さな自治体で動き出したことは驚くべきことだ。「地方創生」が言われ出して久しい。地方こそ社会の原点、そして地方こそ民主主義を支える基盤であることを改めて痛感する。

 昭和村の動きは現代日本の社会が抱える教育の根本に関わるだけに、今後の動きと発展につき大いに注目する積りである。

 具体的な意義をしっかりと踏まえたい。先ず義務教育学校は、9年間の学びを一つの学校で一貫して行う新しい種類の学校である。大きな意義は小中間の連携強化である。小学校と中学校のギャップを解消しなければならない。発達段階に応じた柔軟で系統的なカリキュラムを実現し、異学年交流による豊かな社会性を創らねばならない。戦後の教育制度が実施されて長い年月が過ぎた。それは壮大な教育の実験であった。その成果を厳しく検証しなくてはならない。反省すべき点も多くあった筈だ。それをいかに活かすかに日本の未来はかかっている。息を呑むような激流が渦を巻いている。それを泳ぎ抜く力を養うことが教育の目的でなければならない。1945年を堺に日本社会は大きく変化した。その変化は一種の革命であった。それ以前の社会を全て否定することは正しくない。そこには日本の本質を支えてきた輝かしい文化と伝統があった筈である。歴史は「過去と現在の対話」である。現在、いかなる対話が行われているかを私たちは謙虚に見詰めねばならない。時は激流となって動いている。従ってこの「対話」も基本軸をしっかり踏まえて見詰めることが重要である。それは日本が

「広島」と「長崎」を経て再生したという厳然たる事実である。現在核戦争の足音が聞こえる情況である。ここで日本の役割と使命は限りなく大きい。現在の危機は人間の心にあると言わねばならない。私は、日本が太古から築いてきた歴史から学ぶことが増々大きくなっていると信じる。(読者に感謝)

|

2026年5月20日 (水)

「激流の夜間高校を振り返る。自転車置場での殴り合い」

「若き日に人を殴りし拳かな夜間高校燈火の下で」。最近のある日、この一句を詠んだ。

 85年を生きて少年時代を振り返る。川の流れに例えれば激流であった。溺れそうなことが何度かあった。危険な流れの一つが夜間高校であった。複雑な社会情況を背景にして教室は荒れていた。節くれたこぶしを眺めればO君を殴った場面と暗い自転車置き場の決闘の光景が甦る。前高の定時制は現在の生涯学習センターの所で、あたり一面は田畑だった。午後5時45分が近づく頃、斜めに伸びた通学路は生徒で溢れた。この中に私と喧嘩したO君やS君らもいた。私は現在85歳、O・S両君もほぼ同じ年である。健在かとふと気になる。かつて争ったことは忘却の彼方に去って、今では懐かしいおとぎ話になっている。あれは音楽鑑賞の時間であった。音楽室で名曲を聴くことになっていたが、名曲に耳を傾けることなど柄ではないという連中が半分はいただろう。名曲が進行する中で騒ぐグループがあった。夢の世界が展開する中で品のない声をあげる者があった。私は目を閉じて耐えた。夜間高校、定時制という教育環境に腹がたった。名門前高ということに幾分救いを求めていたのにぶち壊しであった。時は静かに流れていた。その時である。鋭い声が響いた。「静かにしろ」頼もしい毅然とした声は私の胸を打った。萩原君であった。一瞬静かになったが、その時不穏な空気が流れ私は不安を感じた。「無事には納まらないだろう」。私の予感は的中したのだ。音楽室から萩原君が戻るのを待ち受けていた者がいた。その男O君は一言もなく萩原君の顔面にパンチを入れた。眼鏡は二つに割れて落ちた。私の中で激情が走った。眼鏡が落ちるのとほぼ同時であった。私の拳がO君の顔面に炸裂したのだ。若気の至りであった。

◇この出来事について、私は小著「生まれいきそして未来へ」の中で一ページを設けて書いた。その一節をここで紹介したい。「明らかに傷害罪に当たる出来事でした。私は校長に始末書を提出し、O君は私を許しました。しかしO君の仲間は許さなかったのです。自転車置き場の裸電球の下で今度は私が殴られる事態になりました。一時の激情で人を傷つけることがどういう結果を生むかを胸に刻み付けた青春の出来事でした」

 現代社会いは増々生きるのが難しくなっている。そしてこの社会は厳しい生存競争の場でもある。そして私たちは法治主義の舞台で生きねばならない。社会の仕組みを理解し、したたかに、そして賢明に生き抜かねばならないのだ。(読者に感謝)

 

|

2026年5月19日 (火)

「赤城の林道を歩いて考えたこと。山林火災は怖い。消火剤と健康対策について」

◇赤城南麓林道は散策には理想的である。気に入った林道がいくつかある。長いこと歩いたり走った場所である。むせるような新緑が盛りである。しかし今年は情況が少し異なるのだ。それは熊公のおかげである。従来熊の出没は秋が多かった。冬眠に備えて秋に大量のえさを必要とするからだ。ところが今年は春から各地で出没情報が寄せられている。人里で容易にえさを得られることを学習した可能性があるらしい。熊は学習能力が高い。人を恐れない新世代の熊が増えている可能性もあるだろう。私は小さい頃から「クマさん」といって親しんできた。だから熊に恐怖心を抱いていない。妻に厳しく叱られたこともあり、最近は用心することにしている。今回の林道は車で走ることにした。遭遇に、心の隅で期待するところもあったが賢い熊は私との出会いを避けたに違いない。

◇林道を覆う、水も滴るような緑の中で、この情況が火の海に化すのかと不思議に思った。最近は大規模な山火事が相次いでいる。堆積した落ち葉は想像を超えて火を蓄えることが分かった。火だねの威力は凄い。子どもの頃、畑の畔でよく火遊びをした。火には人間の心理を刺激する不思議な力があるものだ。一度発生した山火事を消すのは容易な事ではない。昨年岩手県大船渡市では平成で最大の3,370ヘクタールが焼け、今年4月の岩手県大槌町では1,633ヘクタールが焼けた。住民の家に迫る光景は恐ろしい。乾燥の状況やその時の風の勢いによっては大惨事になり兼ねない。総務省は山火事対策として消火剤の活用を促す方針を打ち出した。大規模化する近年の林野火災に対抗するには国を挙げての決意が求められる。最近の山火事ではヘリコプターで水を運ぶ光景がよく見られるが、消火剤の利用は効果的だと言われる。ただ消火剤は科学薬品であるから環境への影響を考えねばならない。消火剤の効果は水の約二倍といわれる。消火剤を有効に使うことを前提にその弊害を考えねばならない。総務省は新たな対策として消火剤の活用を全国の消防機関に促す方針である。アメリカでは飛行機で消火剤が大量に散布されている。総務省は、科学的根拠に基づいて消火剤を活用できるよう導入を促す方針だ。そのための研究を急がねばならない。生物への毒性や環境への影響などだ。水源周辺への散布は住民の健康に対する深刻な問題を生じる可能性がある。山火事対策は人間の健康対策であることを銘記すべきである。(読者に感謝)

|

2026年5月18日 (月)

「まだまだ進む温暖化の衝撃。南極の氷が融け始めた。タイタニック号の悲劇を思う」

◇5月半ばなのに真夏の暑さである。異常な気温は確実に常態化しているようだ。この先どうなるのだろうか。焦熱地獄までもが常態となればこの世も終わりである。地球温暖化は専門家によれば早ければ2030年代前半にも世界の平均気温が産業革命前より1.5度上昇すると言われる。その結果としてどのような事態がもたらされるのか。

 地球の平均気温が1.5度上昇すると、猛暑や豪雨などの異常気象が劇的に増加し、サンゴ礁の大部分が死滅するなど生態系や人間社会に回復不能な壊滅的な被害が生じると予測されている。専門家はわずか0.5度の違いでも影響は桁違いに深刻だと警告している。具体的な被害をしっかりと受け止めねばならない。10年に1度レベルの猛暑の発生頻度が大幅に増え、干ばつや巨大台風、巨大豪雨による大規模な水害や土砂災害が日常化するのは避けられないのだ。また海温上昇などの海の環境変化により、熱帯のサンゴ礁は70%~90%が消失するとされる。また北極海の氷が大きく融解する現象も頻発する。

 また最も恐れるべきは南極の氷の動向である。南極の氷は桁違いの量である。それに現在不気味な変化が生じているのだ。南極には地球上の氷の約9割が集中しており、すべて消滅すれば海面は約60~70m上昇すると試算されており、東京などの大都市や世界の沿岸部が広範囲水没するのだ。東京のゼロメートル地帯や大阪・名古屋などの沿岸部、平野部が広範囲に水没の危機に晒される。現在南極の棚氷が崩れ想像を超える大きさのものが漂い出している。

 現在海水温が上昇し、それが南極の棚氷融解という型になって地球環境を脅かしている。南極大陸から崩れて漂っている氷の大きさは事態の深刻さを雄弁に物語っているのだ。

 南極の棚氷から分離して漂流している氷の大きさは想像を遥かに超えるが事実なのだ。危機に慣れ、その意識が麻痺している我々の意識を醒ますため、漂っている氷の大きさを敢えてここに記したい。現在も漂流中の世界最大の氷山は「A23a」で、最盛期には東京都の約2倍の面積を誇ったが、2026年4月西大西洋で細かく砕け散り約40年にわたる歴史に幕を閉じた。海水温の変化に翻弄されながら無数の氷山が漂流しているに違いない。映画「タイタニック号の最期」を思い出す。事実は1912年4月14日であった。1,500名以上の命が失われた。映画では様々な人間模様が見られた。現実はもっともっと深刻であった筈だ。(読者に感謝)

|

2026年5月17日 (日)

死の川を越えて 第231回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

「副島君から、新たな変化に関する各地の状況を聞くことが今日の第一ですが、その前に先ほど少し触れた義務の衝突ということについて話をさせてください。なぜかと言うと、

これは副島君の現在の立場を理解する上で大変重要なことだからです。そればかりか私たちの悩みや苦しみそして行動とも関わることだからです」

 副島が大きく頷いた。そして、万場老人の身を乗り出すような姿が見られた。それを確かめるようにして水野は続けた。

「義務の衝突とは、自分が直面する現実の法律上の義務と、法律にはないがもっと高い価値の人道主義があって、両者が矛盾する時どちらに従うべきかという事です。こんな質問が昔教室で出されたことは驚きでした。それを再びこの生生塾で問題にできることが私には不思議であります。副島君、君の立場でこのことを皆に分かるように具体的に話してくれたまえ。おっと、その前にひとこと言っておきます。九州男児よ。弱気を出して、理想の旗を簡単に降ろしてはならんぞ」

「はい、分かりました。肥後もっこすの根性を忘れるなとおっしゃるのでしょう。心得ております。私は熊本県庁の衛生部の保健担当です。末端の係なのでハンセン病の患者の実態に肌で触れます。まことに悲惨です。私の義務は浮浪の患者ばかりでなく、在宅の者たちを容赦なく押し出して隔離することです。上司は妙な仏心はお国のためにならぬと叱咤します。上司は、戸惑いためらう私の心を察して、癩予防法を読め、そして熊本県の癩予防法施行手続きを徹底せよと命じます。そこではこまごまと、患者の家から身の回りのあらゆる物まで消毒を義務づけています。私は市町村の行政と連携し、また、これを指導してやっておりますが、警察を中心とした行政のやり方、つまり患者やその家族に対する無慈悲な扱いには心を痛め耐えられない思いです。消毒したり廃棄したりする古着などと同様に、人間を汚物として扱っていることに心が痛みます」

 副島は、ここで話すのを止めて耳を傾けるしぐさをした。

つづく

 

|

2026年5月16日 (土)

死の川を越えて 第230回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 水野は思った。全国のハンセン病の患者を知る必要がある。湯の川だけでは井の中の蛙になる。それではハンセンの光も喜びの谷も実現できないのだ。

 水野は早速、副島に返事を書いた。〈ハンセン病に関する他県の状況をぜひ知りたい。この湯の川には、ぜひ君に伝えたい歴史がある。また、紹介したい面白い人物がいる。全財産を投げ出して救癩に生涯をささげている英国人女性もその一人だ。交流は互いの利益になるだろう〉。こういう内容であった。

 万場老人と正助に話すと二人は大変喜んだ。

「わしらは外の世界の実現に目を向けなかった。葦の髄から天井を覗くではいかんということじゃな。天下の情勢は大いに動いている。それを知らねば判断を誤る」

「その人も九州帝大で先生の生徒だった人ですね。この湯の川が、先生の言う生きた大学になります。俺も真剣に勉強しなければ置いていかれます」

 正助は真剣だった。半月ほどして、副島から連絡が来た。

 副島悟郎の手紙によると、出張で東京の内務省へ行く際草津の視察も認められたというのだ。草津では、皆さんに会うのが楽しみで、今後の協力大勢を話し合いたいとあった。

 しばらくして、副島からその日が決まったと連絡があった。法学士水野高明は記憶の中で副島という男の姿を探していた。やがてその日がやってきた。人々は彼を生生塾で迎えた。一見して役人風の若者は丁寧に頭を下げて言った。

「先生、お久しぶりです」

 水野は若者に目を向けてにこやかに応えた。

「おお、やはり君か。初め思い出せず、記憶をたどっていた。あれは法文1号館の教室であったかな。思い出したぞ。手を挙げて質問した男がいた。確か義務の衝突でしたな」

「そうです、先生。よく思い出してくださいました。今、僕は職場でその衝突の中にいます。あの頃が懐かしい。先生とお会いして、あの教室の続きのようです」

「同感です。あの教室の続きといえば、君、ここにはその実態があるのです。ここは生生塾といってな、この塾を中心にこの集落全体が生きた大学なのですよ。そうそう、前置きが長くなった。お互いを紹介しなければなりません」

 そう言って、水野はまず副島悟郎を皆に説明し、次いで万場軍兵衛、マーガレット・リー女史、正助らを副島に紹介して続けた。

つづく

|

2026年5月15日 (金)

「貞観地震の衝撃は真実を物語る。地質学の方法のすごさ」

◇日本列島は地震の巣と言われ、私たちの感覚は慣れっこになり麻痺しているともいえる。しかし、それでも現実が迫ると怖い。

 日本近海に「超巨大地震」の「切迫性が高い」という国の情報である。北海道や沖縄付近で起こる大地震について新たなリスクを示す論文が相次いで発表されたのだ。それは規模が桁違いに大きく、大津波を起こすというものだ。超巨大の地震は過去に繰り返し起きている。「狼が来た」という諺がある。私たちは騙されてもいい、空振りを恐れずにその都度備えをしなければならないのだ。

◇巨大地震の恐ろしさを教訓とするためには過去の事実から学ぶこと、そして積み重ねてきた研究の成果を振り返ることが何より大切である。そのために貞観地震と津波を振り返ってみる。それは869年、貞観11年7月13日に発生した。三陸沖の日本海溝付近を震源とする推定M8.3の巨大地震であった。現在の宮城県周辺を襲い、多賀城下で約1,000人が溺死するという大被害をもたらした。この災害については、後に引前大学の箕浦教授が地質学の方法によって実証的な研を行い優れた成果を上げている。箕浦教授は体験に基づいて貴重な発言をされている。「科学は未来を予測できなくても過去を正確に知ることができるし、そのことから災害の悲劇を繰り返さないためにどう備えなければならないかを提言できるはずだ。科学は人々の命を守るためのものでなければならない」と。教授は個々の地域に過去に起きた巨大災害の特性を古文書と地層の記録から読み解くことにより、地域の防災計画に貢献する研究に取り組んだ。

 歴史学者E・Hカーは言った。「歴史は過去と現在の対話である」と。現代の資料をもって問いかければ過去は正直に答えてくれるのだ。

 箕浦教授は、地層に遂年的に蓄積された堆積物を掘削して、津波の痕跡を探すという地味な方法を貫いた。そのため古文書など古い記録を丹念に用いた。記録には「光を伴った鳴動と共に大地震が起き、次いで押し寄せた津波は平野の奥深くまで侵入して陸奥国府の城下まで達し、一千名を越す溺死者が出た」とある。教授はこの記録が真実かどうか海岸から約3キロの多賀城付近まで地面をボーリングして調べた。採取した地層から資料はみごとなまでに千年以上前の出来事を物語っていたと分かった。それは仙台平野には三陸地方のような大きな津波は襲ってこないことを科学的に否定する研究の成果であった。地質学の方法は素晴らしいと思う。(読者に感謝)

|

2026年5月14日 (木)

「少林山のだるまと大谷翔平との遭遇は。宇宙時代と神の存在」

◇上毛かるたには、「縁起だるまの少林山」がある。だるまといえば「七転び八起き」である。これは不撓不屈の精神を象徴する。子どもの頃、初市に行けばだるまの山とそれを売る威勢のいいおじさんの姿があった。なんとなく「よし今年もやるぞ」という気分になったものだ。

 時は流れグローバル化の波は加速している。この大波の中に時代の寵児大谷翔平が登場した。それも地方文化に深く根差した高崎だるまと手をたずさえたようにして出現したことに驚く。

 大谷正平をイメージした高崎だるまに注目が集まる。群馬の伝統工芸品に新たな脚光が当たりそうだ。大谷は輝く舞台で活躍するが背景には幾度もの手術やリハビリを乗り越えた苦闘の歩みがある。それは七転び八起きのだるまの姿でもあるのだ。輝く光は良いことばかりではない筈だ。様々なプレッシャーもあるだろう。それと闘いながら、絶えず自分を鍛えねば舞台から振り落とされてしまう。背後には交替を待つものがひしめいているのだ。

 筆で一つ一つだるまに表情を書き込む女性の姿が紹介されている。「ドジャース」と「17」の文字に命が吹き込まれるようだ。手作りだから数が限定されるだろうがメディアの波に乗れば世界に広まるチャンスを与えられるに違いない。ここで、「面壁九年」と言われるだるまの起源に思いを馳せたい。だるまの起源であるだるまの大師は6世紀頃インドから中国へ禅宗を伝えた仏教僧である。「面壁九年」とは九年間壁に向かって座禅したことを指す。座り通して手足が駄目になってしまったという伝説となっている。超便利な現代社会の対極にある禅の世界に学ぶことは大きい。禅が追及しようとした人間の精神の世界が遠ざかっていく。精神の世界が危機に直面している現在、改めて「面壁九年」の伝説に学びたいものである。

◇宇宙時代の中を私たちは突き進んでいる。超科学の世界は精神の世界と密接に繋がっていると思える。初めて月に立った宇宙飛行士は月面で「神の臨在」を体験したという。初めて月に立ったアームストロング船長以外でも宇宙という極限の環境で神を感じた飛行士は多いと言われる。アポロ15号のジム・アウイン、アポロ10号のユージン・サーナン、アポロ14号のエドガー・ミッチェルなどが神の存在を確信したと語っている。これから本格的に宇宙に突入するにあたって、神の存在と科学の関係はますます大きな課題になるのではなかろうか。精神が不毛の時代が進む。人間の精神の神秘について真剣に取り組む時に来ていると思う。(読者に感謝)

|

2026年5月13日 (水)

「日本への留学生急増の意義。日本は発展途上国と力を合わせるべきだ。地球を救うための日本の使命」

◇日本への留学生が2024年度に33万人を超え、過去最多となった。国は留学生受け入れ40万人を目指す。外国人留学生の増加は日本にとって非常に重要な意義を有する。

 主な意義は次の3点である。①日本の経済社会の維持・活性化②高等教育の国際化③次世代の親日・知日派の育成。そして、注目すべきはアジアからの留学生が急増しており特にベトナムからの留学生が急増していること。この流れを支える背景として、円安・治安の良さ、特に日本の文化へのつよい関心がある。私は現在非常に多くの留学生と接している。彼らの多くは日本語を学ぶことを目的としているが、日本の歴史や習慣に高い敬意を払っていることが窺える。彼らの多くが高く評価しているのは日本に強く流れる思いやりの文化である。多くの留学生がコンビニなどの実社会に関わっている。外国語を学ぶ第一のコツは生きた外国語を学ぶことである。コンビニ、レストラン、ホテルなどで彼らは日本社会の生きた動きに接している。彼らに対する日本人の評価は大変によい。「日本人より礼儀正しい  」こんな声が良く聞かれるのだ。日本人が忘れようとしている美徳を彼らは新鮮な感覚と驚きで受け止めているのではなかろうか。現在世界は超大国の横暴に圧倒されている。彼らの力の支配を許してはならない。日本の使命は限りなく大きい。かつては軍国主義で世界に覇をとなえようとした日本は、「広島」、「長崎」を体験して生まれ変わったのだ。歴史は繰り返すといわれる。このことは長い歴史の過程で事実として示されてきた。現在、核戦争の足音が聞こえる状況である。日本の隣国には北朝鮮、ロシア、中国などの危険な存在がある。日本は大きく対立する超大国の間にあって、一触即発の最前線にある。私は、日本は勇気と自信を持つべきだと信じる。世界で超大国の力の支配にはらはらしている無数の小さい国々、 そして発展途上国が信頼し、頼りにしているのは日本である。これらの国々と力を合わせて混乱と対立の世界に新しい平和を実現しなければならない。世界は幾重にも重なるように危機に襲われている。地球温暖化は人類が直面する開闢以来の課題である。超異常気象が常態化している。水没の危機にある太平洋の島々は他人事ではない。地球は人類共有のものである。偏狭なナショナリズムは許されない。憲法の「人類多年にわたる努力の成果」、「過去幾多の試練に堪えた」これらの文言を真にかみ締める時が来たのだ。(読者に感謝)

|

2026年5月12日 (火)

「日本の首都移転は焦眉の急。天明の生死をわけた十五段の衝撃」

◇首都直下型、南海トラフ型など超巨大災害が身近に迫っている。世界各国で首都機能の移転が急務となっているが、巨大災害が迫る日本こそ、「移転」は焦眉の急である。海外ではインドネシア、マレーシア、ミャンマー、エジプトなどで首都機能の移転が行われている。注目されるのはインドネシア、エジプトなどだ。インドネシアはジャカルタから約1200キロ離れたジャングルを切り開いて新首都への移転が進められているし、エジプトではカイロの東方にある砂漠の中に新首都を建設している。

 日本では2026年9月1日、関東大震災から103年の節目を迎える。死者不明10万5千人、倒壊家屋37万棟という未曾有の巨大災害であった。現在、次なる巨大災害が目前に迫っている。地震だけではない。不気味に沈黙する富士山もマグマをいっぱい溜め込んで、その時を見計らっているに違ない。浅間山の静けさはいかにも不気味である。

 天明3(1783)年の惨状は正にこの世の地獄であった。「天明の生死をわけた十五だん」、鎌原観音堂の石段わき立つこの文を刻んだ石碑が当時を雄弁に物語っている。辛うじて観音堂に駆け上って助かった人々は村の長老らの指導で組み合わせをつくり夫婦になってその後を生きた。世界的にも珍しい出来事であった。浅間山噴火大和山は次のように語る。「ついに八日の巳の刻に天地も崩るばかりにて、噴火と共に押し出し、吾妻川辺銚子まで、三十二ケ村押し通し、家数は五百三十余、村村あまたある中で、一つのあわれは鎌原よ、人畜田畑家屋まで、皆泥海の下となり、牛馬の数を数うれば、一百六十五頭となり、人間の数を数うれば、老若男女諸共に、四百七十七人が十万億土へ誘われて、夫に分かれ子に分かれ、あやめもわからぬ死出の旅、残り人数九十三、悲しみさけぶあわれさよ、観音堂にと集まりて、七日七夜のその間、呑まず食わずに泣きあかす、南無や大悲の観世音、助け給えと一心に念じ上げたる甲斐ありて、結ぶ縁もつき果てず、隣村有志の情にて、妻なき人の妻となり、主なき人の主となり、細き煙を営みて、泣く泣く月日は送れども、夜毎夜毎の泣き声は、魂魄この上に止まりて、子供は親を慕いしか、親は子故に迷いしか、悲鳴の声の恐ろしさ、毎夜毎夜のことなれば花のお江戸の御本山、東叡山に哀訴して聖の来迎願いける。・・・」生き残った人々を天明4年の大飢饉がおそった。大災害は必ず再来することを胆に銘じなければならない。(読者に感謝)

|

2026年5月11日 (月)

「大統領選とジェームズ・タラリコ。平和の海、太平洋と日本の使命」

◇36歳のタラリコが面白い。アメリカの大統領選の中間選挙は2026年11月である。アメリカの大統領選は全世界が注目する世紀のイベントである。日本の運命にも大いに関わることだ。ここにジェームズ・タラリコという若者が彗星のように現れた。彼は本物か、大統領選はどう動いていくのか。期待と興味が交差してアメリカ社会に新しい渦が生まれようとしている。私たち日本人には観客席が与えられているに過ぎないが、ことがことだけに傍聴人と決め込むわけにもいかない。先ずタラリコとは何者かから始めねばならない。

 この人物は現テキサス州下院議員である。元教師、神学生で保守地盤の強いテキサス州で接戦を制して民主党の候補者として選出された。民主党ではスター不足が実情だけにこの人物のキャラクターが一層注目されているようだ。「愛の政治」を掲げて「隣人を愛せよ」を合言葉に穏やかな語り口で分断を避ける手法が特徴であるらしい。今年11月の中間選挙に向けた民主党の新星は、果たして民主党の期待にどこまで応えられるのか。結果を楽しみにしたい。日本はかつて太平洋を舞台にして死闘を展開した。「昨日の敵は今日の友」という諺がある。太平洋に流した夥しい血を無駄にしてはならない。

◇日本とアメリカの近代の歴史はダイナミックで面白い。両国を結ぶ原点に太平洋があることを現在認識すべきであると痛感する。それは「太平洋」の語源と共に興味深いものだ。16世紀に探検家マゼランが世界一周の航海の途上で南米南端の荒れた海峡を抜けた時のことである。そこには驚くほど穏やかで平穏な海が果てしなく広がっていたので、ラテン語で「平和な」、「穏やかな」を意味するPacific Oceanと命名した。このパシフィック・オーシャンをアメリカと日本が手を結ぶ型で囲むことには不思議な思いすらする。日本は平和主義、国際協調主義、そして人間尊重を国是とする国である。太平洋の平和は世界の平和を支えるもの。現在、大国間の緊張、分断、そして対立が進む。古来、海は万物の母、命の母と言われてきた。生命は約38億年前海で誕生し進化してきた。日本は世界有数の海洋国家であり、海の資源は海洋技術の進歩と共に極めて多くの可能性を秘めている。母なる海は現在危機に直面している。海洋の汚染が叫ばれて久しい。命の母なる海洋をゴミ捨て場にしてはならない。多くの核実験が海で行われてきた。これは地球の自殺を意味する。この蛮行は産業革命以後止まることがない。地球が真に目覚める時である。(読者に感謝)

|

2026年5月10日 (日)

死の川を越えて 第229回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

  • 無癩県運動の激化

 

 昭和6年「癩予防法」ができ、その目的を達するために、各県では「無癩県運動」が官民挙げて行われた。

 水野高明と正助が一杯やった後のある日、水野の下に一通の封書が届けられた。差出人は熊本県の副島悟郎とある。水野は何かを感じ逸る思いで封を切った。

「私は副島悟郎と申します。依然、九大の頃先生の講義を受けた者です」

 始めの部分を見て、水野は「ほほう」と驚いた。教壇に立っていた頃のことが目に浮かぶ。しかし、なぜあの時の学生がと思う。文面は続く。

「先生が健康を害され大学を去られたことは知りましたが、その後のことは存じ上げませんでした。ところが、本県出身の安田内務大臣が草津を視察されてから、そちらのことがにわかに話題になるようになり、その中で先生の活躍を知った次第であります。実は私、熊本県庁に奉職致し、現在衛生部の末端でハンセン病に関する職務に関わっております」

〈いやいや、これはこれは〉。水野は心中呟いて先に目をやる。

「大学で先生に教えられた人権ということに今、まさに直面し、現実の厳しさにたじろいでおります。熊本には菊池恵楓園、鹿児島には星塚敬愛園、そして香川県瀬戸内には大島青松園があって、情報を交換し合い、研究し、必死で取り組んでおります。患者さんの現実は悲惨です。先生に教えられた人権の理想は常に胸にあります。これと行政の板挟みでいつも苦しんでおります。そんな時いつも、先生に教えを請いたいと思います。草津の湯の川地区のことはよく承知しております。そちらも変化の大波に洗われているのでしょうね。熊本の本妙寺集落は私の担当ですが、いろいろ悩んでおります。できることなら、一度草津をお訪ねし先生の教えを受けたいと存じます」

〈うーむ〉と、読み終えて水野は唸った。

 副島という人物は思い出せない。しかし、自分の考えでつながる師弟関係なのだ。自分が今、ハンセン病の患者となり、副島という人物は行政の上でハンセン病に取り組んでいる。奇縁というべきか。人生の不思議だと思うのであった。

つづく

|

2026年5月 9日 (土)

死の川を越えて 第228回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

「はい、知っているどころか、妻のさやが、おなかの子を産むかどうか悩んだ時、京都大学を訪ね、小河原先生の意見を聞いて産む決意をし、そして正太郎が生まれたんです。俺はその時朝鮮にいて、手紙で知って本当に驚きました。小河原先生は俺たち家族の恩人です」

「それは、奇縁ですね。小河原さんとは、実は大学の同窓です。愛知県のどこかの寺の出だと言ってました。当時から反骨の風格がありましたな。そうですか。正太郎君の命と彼の学問がつながっているとは不思議ですね。今度、会うことがあれば、正太郎君のことを話しましょう。彼、大変喜ぶに違いありません。正助君、勇気が湧くではありませんか。私たちハンセンの患者の存在は、人権を主張し、人権を求めて、社会の進歩に貢献できるのです。国家の誤りを正す日が必ず来ると思います。それを信じて頑張ろうではないか。君は私の立派なゼミ生です。よろしく頼みますよ」

「先生、感激です。これからもご指導お願いします」

 水野は声を潜めて言った。

「何ですか」

「最近国は浮浪するハンセンの患者、家庭に潜む患者を一掃して隔離する運動を強化しています。背後には民族浄化の恐ろしい思想があるに違いない。聖戦の妨げと見ているのです。国民を動かす大義名分は恐ろしい伝染病から国民を守ること、放置すればどこまでも広がるという考えです。地域社会も協力している。人権もへったくれもない。変化というのは、全国の隔離された人々が逃げ出してこの湯の川に入り込んでいることです。この状況をどう考えたらよいか」

「そのことなら俺も気付いています。この湯の川も行き先不安なとき、大変なことですね」

「ゼミの宿題にしようではありませんか。正助君、真剣に考えたまえ」

「分かりました」

「今日のゼミは、これで打ち上げとしましょう。それでは最後の一杯を干して乾杯と行きますか。正助君、元気よく音頭を取りたまえ」

「はい、分かりました。それでは、いきますよ。それではこの湯の川大学の発展のため、俺たちのゼミの発展のためを願って乾杯」

 夜は静かに更けていった。湯川の音が静かに響いていた。

 

つづく

|

2026年5月 7日 (木)

「受刑者の高齢化に思う。人間関係の希薄化を憂う。刑務所内の孤立は現代の大きな課題」

◇刑務所内の高齢化が進んでいる。新受刑者の約14%が65歳以上である。窃盗などの再犯で入所を繰り返す「累犯」が約7割に上る。背景には、社会的孤立、経済的困窮、認知機能の低下などがあり、刑務所が福祉施設化し、介護や看護の負担が現場で急増している。出所後半年内で再犯に走るケースが多いと言われる。主な罪名は万引き、つまり窃盗が最も多く、次いで覚せい剤取締法違反、道交法違反が続く。60歳以上の受刑者の1割強に認知症傾向が見られると言われる。高齢化が加速するっことに伴って当然のこととして認知症が増えている。現在(2022年時点)、65歳以上の認知症患者は約443万人で、軽度認知症障害を含めると約4人に1人で、2025年には約675万~700万人以上への増加が見込まれる。開闢以来の日本の危機と言わねばならない。日本が不気味な底なし沼に沈んでいくのだ。私は間もなく満86歳になる。まわりを見れば死屍累々である。同級生を探せば、あの人もいない、彼も姿を消したという状態なのだ。高齢社会を生き抜く厳しさを改めて痛感する。人間は支え合って生きねばならないのに、現代社会では人間関係の希薄化が加速し、高齢者にとって孤独と闘うことが最大の課題になっている。令和7年上半期において、自宅で死亡した一人暮らしの死体数は4万913体であった。この社会現象は誠に深刻である。法律上の身寄りや縁者はいても助けの手を伸ばさないという厳しい現実がある。古来、「秋深し隣は何をする人ぞ」と言われてきた。日本の社会は物は豊になったが心は貧しくなったと言われる。子どもの頃、隣近所で物を分け合う習慣があったことが懐かしい。心の羅針盤を失った日本人はどこへ漂流されていくのであろうか。

 刑務所での孤立は想像を超えるものに違いない。刑務所は福祉の代わりを担っていると言われる。物が余る日本は福祉の実を上げることは出来ないのか。孤立や貧困から罪を犯す高齢者は多いという。出所後に居場所がなく再び収監される例は少なくない。拘禁刑導入による福祉的処遇は進んだが、刑務所内の改革だけでは不十分である。社会全体が出所者を受け入れる体制を整えなければならない。それは社会を構成する私たち一人一人の問題でもある。人権尊重の日本国憲法を活かすのは私たち社会の構成員の課題である。憲法11条は、国民は全ての基本的人権の享有を妨げられないと定める。これを絵に描いた餅にしてはならない。(読者に感謝)

|

2026年5月 6日 (水)

死の川を越えて 第227回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

「私は大学で主に人権ということを話していました。人間の権利ですが、自由とか平等とかいう本質的なことで、憲法や法律の基礎にしなければならぬ問題です。この人権が湯の川の問題、われわれハンセンの問題と直結しているのです。その重大性を私はここに来て改めて実感した。ここのハンセンの患者は万場先生をのぞいて、このことの重要性に気付かぬ。その結果、人間としてのプライドを持てないでいる。つまり国面倒を見てもらっている。社会に迷惑をかけている。恥ずかしい病気を持っているということで卑屈な奴隷の心になっているのです。ゼミ生の正助君、実は、私はここに入ってついに大きな発見をしたのです。立派な論文のテーマです。それを君に知ってほしい」

 ここで、水野は盃を差し出し、正助は慌ててそれに注いだ。水野はぐっと杯を干して続ける。

「私も実は負い目を感じていたのです。国の世話になっているから、言いたいことも言えないと。しかし、それは間違っていると気付いたのだ。人権という人類の財産を私たち患者が形にして見せることで国の誤りを正すことは、社会の進歩と人類の発展に貢献する偉大なことなのです。リー女史が言った。この湯の川で日本人の本当の姿を知った。それがハンセンの光であり喜びの谷の実態だと。大きな発見というのはこれを世に知らせる責任が私たちにはあるということです。患者が力を合わせ、税金まで払って必死で生きていることを世間は知らない。それを知れば人々はきっと勇気を持つに違いない」

「まさにお国のためではありませんか。これを国民に正しく伝えることができれば、国難に向かう国民に大きな励ましを与えることになるに違いありません。その上、国の誤りを正すきっかけになるのです。国は明らかに間違ったことをやっている。恐ろしい伝染病だといって、消毒して隔離する。人間関係を破壊し、多くの犠牲者を出している。これこそ、国力の損失を招いていることですぞ。この湯の川にいれば、伝染しないこと、少なくも伝染力が非常に弱いことがよく分かるではありませんか。私の先輩の京大の医者は、ハンセンは伝染力が非常に弱い、治る病気だ、隔離する必要はないと主張し、学会で孤立しながら頑張っています。湯の川のわれわれのまさに同志ですよ」

 法学士水野高明はこのように力強く語った。この時、正助は盃を置いて言った。

「先生、そのお医者さんて、小河原先生ではありませんか」

「その通りです。ご存じですか」

つづく

|

2026年5月 5日 (火)

死の川を越えて 第226回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

「神の国とか神風というのも間違いですね」

「その通り。日本が神の国であれば、中国や朝鮮は何であるか。他国を見下すことになる。これは科学的ものの見方ではない。謙虚さに欠ける。昔、蒙古を破ったのも神風ではない。は、は、は。これ以上こういうことを大学で語ると、治安維持法です。特高の世話になる」

「何ですか先生。その治安維持法とか特高とは」

「おお、治安維持法は、政府に反対する危険思想の取り締まりが目的です。特高とは特別高等警察です。戦争に反対する思想、社会主義や労働運動などを容赦なく逮捕して牢屋にぶち込んでおる」

「ハンセンの患者を収容所に押し込めるのと似ていますね」

「その通り、戦争に一直線です。邪魔ものは排除せよというのが国の方針です。私はですな、世を捨てたつもりでここに入りましたが、この集落にいて、かえって世の中がよく見える、世界が分かるから不思議です」

「先生、今日のお酒は実においしいですね」

「うまい、実に。肴がいいのです。は、は、は」

「先生、大学でも先生と学生がこうして酒を飲んで話をすることがあるんですか」

「おお、よくあるのです。ゼミの生徒と飲みながら話します。楽しくて収穫がありました」

「俺、帝国大学の学生ですね」

「そうです。そうです。懐かしい限りです。さあ、ぐっとやりたまえ。こうして学生に注いで注がれたものです」

「では帝国大学の学生になったつもりで質問します。先ほどの本妙寺は俺たちの湯の川地区とどういう関係がありますか。そして、今後はどうなっていきますか。先生、教えて下さい。その前に、はい生徒から一杯」

「よし話そう。少し酔いが回ってきたぞ」

つづく

|

2026年5月 4日 (月)

死の川を越えて 第225回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

「は、は、そうですな。つい昔に戻ってしまって。愉快、愉快。ところで君は中国と朝鮮を見、シベリアへ行ったそうだ。貴重な経験ですよ。若者は天下国家を語らねばならん。井の中の蛙ではならん。天下国家を語るには、歴史を知らねばなりません。学ばねば貴重な経験も一片の思い出として忘却の彼方に消えるのみ。それを君に言いたい。今夜のゼミで良い収穫があることを祈る」

「先生は、満州国を話してくれました。満州進出はなぜ侵略ですか。満州は生命線とはどういうことですか」

「は、は。いよいよ大学の教室、ゼミになってきたぞ。実に愉快」

 水野はそう言って手にした杯を一気にのみ干した。

「明治の日本にとって、最大の脅威は北のロシアであった。ロシアは中国北辺を侵略し朝鮮半島をうかがった。日本は黒雲を賭ける覚悟でロシアと戦った。それが日露戦争であり日本海海戦だ。旅順は屍山血河大変だった。その結果ですが中国から見れば侵略です。日本は満足せず、満州全土を手に入れようとした。その手段が満州国でありました。大不況、そして国土の狭い日本、行き場のない失業者、だから満州は行き残るための生命線と考えたのも無理はない。しかし、勝手な理屈です。中国から見れば、中国の国土を日本は勝手に生命線とみて、侵略にかかったということです。中国が怒るのは当然でしょう。ここに根本がある。私は今、九州帝大にいれば学生にこのように説きます。今、私の大学に君がおる。十分です。久しぶりにすっきりしましたわい。肥後もっこすの鬱憤が晴れました。ああ、愉快。さあ一献」

「それでは水野先生、中国での戦いを正義とか聖戦とかいうのはおかしいのですね」

「その通りなのだ。正助君よ」

 法学士水野高明はドンと机をたたいた。

つづく

|

2026年5月 3日 (日)

死の川を越えて 第224回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

「実は、この中村実平さん、最近の世相を非常に心配しています。最近の手紙では、草津の療養所についても油断すると大変なことが起きると心配してくれています。また、本妙寺ではこれから先、何が起こるか分からないと大きな不安を訴えているのです」

「先生、今日は何か特別の用ですか」

「いや呼び立てて済みません。若い君と語り合いたくなったのです。何もないが一杯やりましょう。実はここに、熊本の地酒があります。昔は若者も哲也で天下国家を論じたものです」

 水野はそう言って、机の下から取り出した杯に酒を注いで勧めた。

「九州帝大の学生になった気分です」

「ありがとう。先ほど申した通り、大学はキャンパスと限りません。湯の川は素晴らしい生きた大学なのです。それが分かったことが世を捨てたつもりの私が得た最大の収穫です。さあ、一献。ぐっと」

「先生は、肥後もっこすとおっしゃいました」

「はは、つむじ曲がりの意地っ張りです。土佐はいごっそうです。上州は何ですか」

「特に思いつきません。歴史が貧しいということですか。俺たちは薄っぺらなのでしょうか」

「はは、ひがむな若者よ。適切な言葉がないだけです。この辺り、下には熱い溶岩があります。君らはそれに育てられた。浅間、白根、榛名、皆生きていますよ。君の心にも溶岩があるはずです。まあ、一献」

「はい、一献。今度は俺が注ぎます。ところで先生、天明の大噴火の時、上州は熊本藩に助けられたそうです。熊本は恩人です。先生は恩人の子孫です」

「は、は。よく言ってくれました。熊本も日の国です。お互い、火の国の縁。もっこすは、この火に鍛えられたもの。君ももっこすですよ。さあ一献」

「先生、待ってください。少し早すぎます」

つづく

|

2026年5月 2日 (土)

死の川を越えて 第223回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

「俺は、韓国の反日運動を思い出しましたよ」

「そうでしょうな。あのような大集会はこれから難しくなるでしょう。戦争が近づいている大変な時にお前たちは何だという世論が起きますからな。そういう中で、ぎりぎり、どうやってこの湯の川を守っていくか、私たちの人権を守るための闘いをどう続けるか、これが問題なのです」

「日本は地獄に向かっているのでしょうか」

「正直、私には分かりません。人間、謙虚さを失うと正しくものは見えなくなりますね。この湯の川にいると、それがよく分かる気がします。生生塾で、私の教え子が関東軍の中にいて、満州国の建国を身近に見た話をしました。覚えていますか。九州大学の時の生徒です。最近、彼から手紙が来ました」

 そう言って水野は、封書を手に取った。

「彼は、摂政薄儀を近くで見て寂しそうだ、それと比べて日本の官僚は傲慢だ、と書いています。彼が見ているのは、操り人形なのですよ。満州国の建国、中国への侵略は、謙虚さを忘れた日本人の姿ではありませんか」

「万場老人も同じことを言っています。そういう国の方向は、俺たちにどう関わるのですか」

「じわりじわりですよ。万場先生が言っておられるように、戦いに向かうには内を固めなければならないというのでハンセン病患者を取り上げ、学生に話したことがあります。人権の授業の教材でした。学生と一緒に本妙寺の集落に入って調べました。その時、知り合いになれた人がいます。立派な人物で、中村実平さんといって、集落の指導者でした。その後、私が発病したこともあって、この人とは一層親しくなりましてな、今も緊密な関係です。実は私が湯の川に来たのはこの人の勧めでした」

「本妙寺にそのような集落があるのですか」

 正助は初めて聞く水野法学士の話に驚くばかりであった。

つづく

|

2026年5月 1日 (金)

「旭山動物園職員の事件の衝撃。野性動物の命の輝きを思う。入園者はどう変化するか」

◇人の命を軽視する事件が多発している。日本人の倫理観、人権意識がおかしくなっていることと関係するのかと考えさせられる。そんな情況の中で旭山動物園の職員が逮捕された。妻の遺体焼却、損壊容疑の文字が躍る。またかという思いが湧く。第一に気に掛かるのは旭山動物園の倫理的特色である。

 朝日山動物園は1967年、日本最北の動物園として設立された。この動物園のテーマは「伝えるのは命」である。野性動物の命の輝きを展示する「行動展示」を具体化しようとするものだ。それは動物の自然な行動を引き出そうとする点に特色がある。動物が本来持つ能力や行動を引き出そうとするのがその「行動展示」の目的である。円柱水槽を泳ぐアザラシ、空を飛ぶようなペンギン、迫力ある猛獣の姿など、命の躍動を間近に感じられる試みが最大の特徴である。しかし、野性動物本来の命の輝きを展示することは容易ではない。「命の輝き」を実現するには人間がつくった箱庭のような環境では所詮無理なことである。野性動物の命の輝きは動物愛護をベースにするものでなければならない。「命の輝き」は自由を拘束しては実現不可能である。理想的な野性動物の命の輝きは日本のような狭い国土では無理に近い。アフリカの広大な原野で野性動物が自由に走り回る姿こそ命の輝きである。

 旭山動物園は、命の輝きを、無理を承知で精一杯実現しようと試みているものである。職員・鈴木達也容疑者の今回の逮捕事件は低い次元で命の輝きを砕いて泥にまみれさせるものである。いかにも情けない。旭山動物園の職員として先ず求められるのはその創立の精神である。妻の遺体を焼却炉に運び燃やして遺棄した。容疑者は殺害までほのめかしているという。道警が焼却炉を調べたところ遺体の一部が見つかった。焼却炉は死んだ動物の焼却のために使われていた。犯人は人間の遺体を死んだ動物と同じように扱っていたことになる。旭川市によれば、動物園は5月1日まで営業を延期したという。旭川動物園の一日の入園者数は、夏季の土日祝日には1万人を超える日が多く、ゴールデンウィークなどには3万人に達することもあるという。今回の衝撃の事件によって入園者はどう変化するか興味が持たれる。また、入園者は動物を見ながら、それぞれ今回の事件について思いを巡らすに違いない。それぞれ人間としての倫理観について複雑な心理に駆られるのではなかろうか。(読者に感謝)

|

« 2026年4月 | トップページ | 2026年6月 »