死の川を越えて 第235回
※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。
日本軍の侵略が進む中で、日中両軍の対立状況はついに沸点に近づき、何かわずかなことでもあれば全面衝突になることは明白であった。このような状況下、北京郊外の盧溝橋で対峙する両軍間に誤って発砲事件が起き、これがきっかけで全面戦争に発展していった。昭和12(1937)年の日中戦争の始まりである。これがアメリカとの決定的な対決につながることを考えると、4年後の太平洋戦争は実質的にはこの日中戦によって開始されたといえる。
この日中戦争勃発は国民に、そして特に湯の川地区の人々に強い衝撃を与えた。ある日、戦争が本格的に拡大していく情報と緊張に駆り立てられるようにして、生生塾の人々は集まった。万場老人の呼び掛けであった。その中にひときわ目を引く若者がいた。眉目秀麗できりっとしたこの男こそ、下村正太郎であった。正太郎は草津小学校を卒業した後、聖ルカ病院の職員として働いていたのだ。
万場老人が口を開いた。
「恐れていたことが起きてしまった。日中の全面戦争じゃ。困った。本当に困ったことじゃ。日本全体が大波にのみ込まれたのじゃ。もはや評論家のように国を批判してばかりはおれない。日本が滅びるか生き残れるかという重大なところに放り込まれたのじゃ。心をしっかりもたないとわれわれも分からぬところにのみ込まれる。目の前が真っ暗になってどうしていいのか分からなくなってしまう」
万場老人の深刻そうな表情を見て正助が言った。
「先生、ハンセン病の光はどうなるのですか。栗生園の中に自由地区ができましたが、これはどうなっていくのですか」
「うむ。この嵐の中で守らねばならぬ。お前は昔、夜、白砂川まで歩いて理想の療養地区に思いをはせた。森山さんやわしも同じように歩き、その後安田内務大臣までが視察したな。正太郎君が県議会行って元気に返事をしたこともつながっておる。どうじゃ。正太郎君、覚えておるであろう」
つづく
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