「解体新書を訳した蘭医杉田玄白の執念に感動。シーボルトが愛したおたくさん。行方不明の認知症患者を救え」
◇私の重要な財産の一つは原稿用紙。毎日いろいろ書くがこの400字のマス目が私の心の世界の入口である。多くの人が読んでいる。原稿用紙は情報の発信基地でもある。気付けば84年生きて来た。天が与えたこの心、天が授けたこの身体を謙虚と感謝で受け止めている。
84歳まで生きた人で頭に浮かぶのは杉田玄白である。この人は江戸時代の蘭学医で、82歳の時和蘭事始(オランダことはじめ)を書いた。若き日オランダ医書・解体新書を翻訳した時のことを回顧したもの。江戸時代の蘭学者がオランダ語の解剖書の解明に奮闘する姿は胸を打つ。私は若い頃、「若き日の杉田玄白」を読んで興奮したことがある。82歳の人の著作で後の世、これほど多くの人を感動させた書物はないと言われている。江戸時代、蘭医は幕府に重要視されていなかった。鎖国政策により西洋の文化が日本に入ることは非常に限られていた。ドイツ人医師シーボルトは国外持ち出しを禁じられていた日本の地図を持ち出そうとして国外追放になった。シーボルト事件である。この事件に連座した学者に高野長英がいる。群馬には私の知人の祖先で長英を匿った屋敷を持つ人がいる。
シーボルトは日本人女性「おたきさん」を愛した。植物に関する学者でもあったシーボルトは、アジサイの学名に“オタクサ”を用いた。おたくさんはアジサイのように美しく異人の目に映ったのだ。今日でもアジサイの学名には“オタクサ”の文字がある。シーボルトとおたくさんの間に生まれた女性・楠本イネは日本で最初の産婦人科医師となった。今に残るイネの写真は大変な美人である。異人の血が入った女性は当時生きるのが大変であった。イネの波乱の生涯は胸を打つ。
◇超高齢社会で認知症は予備群を入れれば1千万人超といわれる時代である。認知症の人の行方不明が大きな社会問題になって久しい。警視庁はこの程、発見時の状況を初公表した。人命救助、安全確保には欠かせない情報である。発見時に死亡が確認されたのは491人で、そのうち約8割の382人が最後に姿が確認された場所から5キロ圏内で発見された。これらのうち最も多くが「河川・河川敷」で命を落としている。行方不明者についてはいかに早く捜索するかが課題なのだからこのような事情を踏まえることは非常に有効と思われる。科学が発達している時代であるから、それを有効に利用することが重要である。家族は普段から対策を研究しておくことが必要である。(読者に感謝)
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