「ふるさと塾で教皇や環境家の少女グレタを語る」
◇28日土曜日は炎暑が続く中の「ふるさと塾」であった。テーマのいくつかは塾生以外にも知って欲しいものなので、このブログで紹介したい。沖縄戦、異色の教皇フランシスコ、環境活動家の少女グレタ・トゥーンベリなどだ。
6月23日は沖縄戦没者追悼式の日。沖縄戦は民間人を巻き込んだ地獄の戦場であった。そして武士道から外れた状況を随所に示した戦いであった。戦争とはそういうものということを痛感させられる。海外の戦場でも同様だったろうと想像させられた。「バンザイクリフ」は降伏を禁じられた多くの民間人が断崖(クリフ)からバンザイを叫びながら飛び降りた悲しい物語である。自然洞窟「ガマ」は住民の避難壕、日本軍の陣地、野戦病院としても使われ閉鎖空間では多くの悲劇が起きた。日本にとっては絶好の砦であったが米兵にとっては恐怖の存在であったから、洞窟は火災放射器で焼かれた。91歳の語り部の女性は累々たる死体は真っ白なウジでふくれ、その臭いは今でも鼻の奥に残るようだと語る。「ひめゆり部隊」は看護要因として動員された師範学校や高等女学校の生徒たちである。240人中136人が死亡。一部の生徒は手榴弾で自決した。ヒメユリの名にふさわしい可憐な乙女たちの最後を思うと込み上げるものがある。
◇前教皇フランシスコは波乱に満ちた壮大な人生を生きた人である。南米アルゼンチンのブエノスアイレスに生まれ、両親はイタリアからの移民であった。化学技師やナイトクラブの用心棒として働いた後、20歳で神学校に入学した。悪童たちを教え、受刑者の足を洗い、ブエノスアイレス市内各所にあるスラム街へと通った。その温厚な表情からナイトクラブの用心棒を想像することは難しい。黒人男性の前に跪き足にキスする姿に塾生たちは驚いていた。
私はここで脱線して過去の誤った自分の行動に触れた。「教皇はあの笑顔で激しい行動を泰然として行いました。私は夜間高校のとき心のマグマを抑えられず人に障害をお与えました」。教皇と自分の差がいかに大きいかを痛感して語ったのだ。
◇教皇フランシスコとスウェーデンの少女グレタ・トゥーンベリの対面の光景は思わず心を明るくする。少女の無邪気ではじけるような笑顔と教皇との対面の光景は胸を打つ。少女の手には「気候のためにストライキを」と書かれた文字が。教皇は、「取り組みを続けてください。続けるのです」と語った。トランプは少女を「奇妙な人物だ。若く怒りに満ちている」と評した。すれ違って視線を交わす場面は面白い。明日につづく。
(読者に感謝)
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