死の川を越えて 第116回
※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。
「えっ、県知事様が何で私に」
「うむ、牛川知事は立派な人物でな、湯の川地区のことは重大な関心を持っておられる。先般君たちが県議会に来た様子を耳にしたそうだ。そして、このたび、ぜひ君に会いたいと申されておる。シベリアのことにも強い関心をもっておいでだ。では、知事が待っておられる。行くとしよう」
正助はえらいことになったと思った。
森山に案内されて知事室に近づくと秘書らしき人がドアの前で待っていた。
「やあ、この若者ですか。森山先生が草津まで行かれて会われたという人は。お座りください」
知事は手を差し出して正助に椅子を勧めた。
正助はたった今、知事室に来る途中、森山から、この知事は富山県出身、東京帝大出の傑出した知事だと聞かされたばかりなので、その緊張は大変であった。しかし牛川知事の如才ない対応は正助の心をすぐにほぐした。
「湯の川地区には、ハンセン病患者による患者のための自治の組織があると聞きますが左様ですか」
知事は単刀直入に質問した。正助は、湯の川地区のことについて真剣に語った。直前に森山に語ったことをしっかりと伝えたのだ。ハンセン病の光のことは特に丁寧に語った。正助の胸に、さや、正太郎たちの姿があった。
「うーむ。群馬の誇りとすべきことであるな」
知事は頷きながら正助の顔に鋭い視線を注いだ。群馬の誇りという言葉が胸に深く届き、正助は熱いものが湧くのを感じた。知事の質問は、さらにマーガレット・リー女史のこと、シベリア出兵のことに及んだ。正助が額に汗を浮かべながら話し終えると、知事はありがとうという表情を笑顔で示しながら言った。
「湯の川地区のこれからについて君の思いを聞かせてください」
「はい、ありがとうございます。申し上げます」
正助は、ここが正念場と思い姿勢を正した。
つづく
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