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2025年5月 5日 (月)

死の川を越えて 第110回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 ある時、正助はさやとこずえに向かって言った。

「俺の胸にはどうやら小さなイエス様が押すまいになっておられるようだ」

「まあ」

 2人は同時に叫んだ。

「私たちも同じなの」

 さやがこずえを見ながら言うと、こずえは大きく頷くのであった。

 ある日正助は万場軍兵衛を訪ねて言った。

「先生、朝鮮人の虐待を見ていると、カールさんの言ったドイツの怖い話は日本でも起こりそうな気がしてなりません」

「うむ。わしも同じ思いなのじゃ。日本が危ない方向に向かっておる。そのことがハンセン病対策に現れておる。お前は、今回の世界大戦の地獄が分かったであろう」

「その点、カールさんのドイツは大変だったのでしょうね。国が戦場になり、その上敗戦だから」

「今度の戦争の特色は総力戦ということじゃ」

「総力戦とはどういうことですか。これまでの戦争とどう違うのですか」

「文字通り国の総力を挙げた戦いということじゃ。戦場の兵士だけではない。全国民、全ての資源、科学の力、あらゆるものを注ぎ込まねばならない。全ての要素の総和が戦力なのじゃ」

「人間も資源ですね」

「人的資源というではないか。最も重要な資源じゃ。そこで問題がある。人間を大切にしない国柄のところでは、人間を勢い物質と見ることになる。人間を消耗品と考えるから悲劇が始まるのじゃ」

「突き詰めると、戦争に役立たぬ人間は不要ということですか」

「恐ろしい。戦争は人間をそこまで追い込むことになる。カールさんの訴えたことを肝に銘じなければならぬ。ところでな、日本がいよいよ危うい方向に動きだしているように思えてならぬ」

つづく

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