死の川を越えて 第109回
※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。
こずえがそれに答えた。
「人間はいつも動きますね。だから隣人は決まった人のことではないと思うの。誰が隣りになっても隣人だとすれば、隣人とは全ての人を意味するのではないかしら。貧しい人も病の人も、ハンセン病の人も」
「オオ、ワンダフル。あなた大変賢い。その通りです。隣人を愛せとは、全ての人を愛しなさい、人種も上下の差もなく、人間は皆同じように大切にという考えです。イエス様はローマに逆らう者だと密告され、ゴルゴタの丘で磔になりました。しかし、イエス様の考えは不滅です。私たちは、イエス様は復活され、その考えを訴え続けたと信じています。私は遠くイギリスからこの国にやって参りました。海を越えいくつもの国を越え、言葉も違う国に来て、病と差別に苦しむ皆さまを知りました。皆さまは隣人です。私はこずえ様の言葉で、今あらためてイエス様の隣人を愛せよの意味を噛み締めております。私は皆さまのおかげで、ここにイエス様がいらっしゃることを感じております」
リー女史が少女のように高揚する姿を見て、3人も神の雰囲気に知らぬうちに浸っていた。
正助たちは、キリストの生涯に始まって、ローマ帝国の権力と闘う人々の歴史に次第に引き込まれていった。海を囲むという壮大なローマ帝国、それを支配する強大な力、諸民族の戦い。正助は、時と空間を超えた人間のドラマに息をのんだ。目をつむるとゴルゴタの丘で十字架にかけられ槍で刺されるイエスの姿が目に浮かんだ。
正助には、ローマ帝国の強大さと重なってイエスの存在が大変重いものに感じられた。リー女史は、イエスの死は1900年も前のことだが、その教えは不滅だと言った。リー女史がイエスを語り、それに心を揺さぶられる自分がいる。この事実こそリー女史の話が絵空事でないことを雄弁に物語っていると思えた。
つづく
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