死の川を越えて 第89回
※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。
狂気の集団を抑えることはもはや出できなかった。民衆が狂気の集団と化して、朝鮮人の虐待に動いた背景には、政治体制擁護のために政府が意図的に大衆をあおった事実を否定することはできない。警察の及び腰も政府の動きと連動していた。実は、県議会の見識ある一部の者は、これを見抜いていたのである。
正助が万場軍兵衛とこのような言葉を交わした直後、一人の朝鮮人がおびえた表情で、早朝に正助を訪ねた。麓の村に住んでいるが、家に石を投げられたり、殺してやると書いた紙が貼られたという。男は、麓の鉱山で仲間の朝鮮人たちと働いていた。昔、仲間がこの集落の万場軍兵衛という人に助けられたこと、また、正助が韓国から帰った人で朝鮮人を差別しない人と知ってやって来たと話した。
「あちこちで朝鮮人が殺されているので不安です」
「この集落はあなたたちの味方です。万場老人と相談して、草津の警察に話します。一度、警察に見回ってもらえば変なことは起きないでしょう」
正助がこう話すと、男は警察は守ってくれるかと不安そうにつぶやきながら帰って行った。
正助は、警察が本当にやってきれるか心配になった。その時、はっとひらめくことがあった。
〈そうだ、この人をおいて他にない〉。大門親分が頭に浮かんだ。
「おう、そういうことなら任せてくれ。俺も立場の弱え朝鮮人にひでえ事をするのは許せねえ」
大門太平は、早速動いた。麓の村の朝鮮人が住む辺りを見回ることにしたのだ。一人の子分を連れて朝鮮人が動く鉄山の近くにさしかかった時である。数人の男が朝鮮人を囲んで争っている。振り上げる棒の下で朝鮮人が悲鳴を上げているではないか。大門は、ぐっと踏み出して言った。
「やいやい、てめえたちは一体何をやってやがる。俺は朝鮮人に味方する日本人だ。湯の川地区のもんよ。朝鮮人も湯の川のもんも、てめえたちにも同じ赤え血が流れていることを一つ見せてやろうじゃねえか。それが分からねえようなら分からしてやる。根性据えてかかってきやがれ」
つづく
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