死の川を越えて 第88回
※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。
万場老人は、正助を見据えて言った。
「差別と偏見は弱い所に向かう。今回の朝鮮人虐待には権力がその弱い人間の弱点を利用している向きがある。これも全体主義の現れと見なければならぬ。個人よりも、国家社会が大切という考えじゃ。国家は何のためにあるかがこういう時にこそ問われる。国家は弱者のためにあることを今こそ見詰めねばならぬ。だからハンセン病患者は朝鮮人虐待と無関係と思ってはならぬぞ」
万場老人はここで話すのを止め、しばらく考えていたがやがて毅然として口を開いた。
「傍観して朝鮮人を守れなかった警察官の使命を忘れた者として言わねばならぬ。そして、人道の一片も解さぬ人々だ。朝鮮人を守れない警察は日本人も守れないのだ」
「この草津にも朝鮮人はいます。この湯の川地区にもいます。俺は韓国で朝鮮人に助けられた。その恩返しのためにも、俺は仲間に呼びかけて朝鮮人を守ります」
正助はきっぱりと決意を示した。
「それがいい。この問題はお前個人の恩返しということを越えて、人道上の問題なのじゃ。このことを行動で示すことが、われわれハンセン病の解放にもつながることになる。藤岡の朝鮮人虐殺の問題は、県会議員に良識があれば県議会でも大きく取り上げられるに違いない」
万場老人の頭には、この時森山抱月の姿があった。
帝都を見舞った未曾有の大災害を前に、政府は治安の乱れを極度に恐れた。それは体制の動揺につながると考えたからであった。全国から多くの警察官が動員され、地方は手薄になっていた。問題の藤岡署であるがここも23名中14名が東京に出ていた。隣接する埼玉県神保原町などでは9月3日ごろ、朝鮮人166人が殺された。騒然とした空気が藤岡に伝わってきた。
各地は自警団を組織したが、それは狂気の集団と化していた。藤岡署には自警団が朝鮮人の引き渡しを求め、それに青年団が加わり、留置場の破壊を始めた。
つづく
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