死の川を越えて 第86回
※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。
正助の発言に不思議そうに耳首を傾げる議員たちの姿があった。
森山抱月は、この議会でハンセン病についてしっかりとした質問をしようとしていた。12月の議会で、森山は質問席に立った。
「ハンセン病患者の療養だが、草津の湯の川地区にいる400人は本県にとり大問題です。その生活問題をいかにするかは誠に重大です。療養に関してはキリスト教徒の婦人が資金を負担し、この人の下で医師はただ一人、これまたキリスト教徒の婦人が当たっているに過ぎぬ。私は日本人として、本県人として恥ずかしい。しかし、県の独力では困難です。社会問題としても人道問題としても国と県が協力して解決すべきであります。2つの歯車がかみ合わねば効果は上がりません。ところで県当局はこの点、国に対して交渉しておりますか」
ここで、外国人の一婦人とはマーガレット・リー女史のことであり、医師とは岡本トヨを指すことはもちろんである。森山は本来、国や県が金を出すべきところを外国人が命懸けで私財をなげうっている姿を見て、政治家として恥ずべきことと痛感したのだ。これに対して県当局は次のように答弁した。
「湯の川地区の問題は同感です。これは県および国の多年の懸案でありまして、内務省から2―3回、また伝染病研究所も度々見えて調査しています。県当局としても何とか解決したいと痛感していますので、内務省に対し県の意見を具申しておる次第であります」
「やる気があるのか」
議員から野次が飛んだ。野次に呼応するように傍聴席でざわめきが起きた。
日本は文明国でありながらハンセン病の対策が遅れていると批判されていた。政府はこれに対してハンセン病患者を調査した。1920年の調査では、全国の推定数は2万6,343人。これを踏まえて、既存の5か所の府県立連合療養所を拡張する計画を立てていた。森山が言うように国と県の歯車がかみ合う必要は迫られていたが、群馬の意識と動きはまだ低調だった。
つづく
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