死の川を越えて 第82回
※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。
「おやかわいい坊やがなぜここに」
「おお、わしが紹介しますぞ」
万場老人は待っていたとばかりに声を上げた。
「その二人が両親でな、聖ルカ病院のキリスト教徒の医師も支えています。父親の正助は、シベリアから帰りました。この集落では、このように同病が助け合っております」
「何と言われた、シベリア出兵の機関兵とは驚きですな。聖ルカ病院のマーガレット女史は同宗の者として存じております。同病の方が立派に結婚して、こんなかわいい子を産んで育てておられるとは。シベリアは地獄だと聞きました。ご主人の留守を奥さんは立派に守り、子どもを育てたのですね」
「皆さんが助けて下さったおかげでございます」
さやが言った。そして正助が続けた。
「この湯の川は、ハンセン病患者の手で仲間を助ける仕組みができています。妻が私の留守に子どもを育てられたのもそのおかげです。会長を決め、ハンセン病の人が仲間のために旅館を経営し税金も納めます。私は、シベリアでも韓国でもハンセン病の集落を見ましたが、この湯の川のようなところはありません。万場先生が、ここのことをハンセン病の光と申しますが、私はこのことを身をもって体験し、納得いたしました。韓国、シベリアと外国へ行き、外から見て、この集落の素晴らしさが分かったのでございます」
「うーむ。ハンセン病患者の組織によって仲間を助ける。ハンセン病の光ですか。よい話ですな。今まで、ハンセン病の悲惨なことばかり想像してきましたが、認識を改めなくてはなりません。議会の中だけでは良い政策は生まれません。昔の廃娼運動の頃を思い出しました。大切なことは、生の人間を見詰めることですな」
森山抱月はしきりに感激し、何度も正太郎の頭をなでた。正助は求められるままに、シベリアと韓国の体験を話した。他の仲間が追い詰められて全滅したこと、ハンセン病患者の集落で助けられたこと、海底洞窟の恐怖にも触れた。聞き終わって森山抱月は言った。
「いや、感動の物語ですな。私だけで聞く話ではない。今日のことは議会で、皆に報告することに致します。それから一つ頼みがあります。議会の委員会で、正助君の話を聞きたいということになったら来てもらえますか」
つづく
| 固定リンク
最近のコメント