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2025年1月26日 (日)

死の川を越えて 第80回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

「逃げねえ、戦います。教えてください」

 正男が言った。

「よく言った。われわれの宿命なのだ。大切なことはハンセン病だけではないということだ。ハンセン病だけの問題と捉えるなら、世の中が変らないからハンセン病も解決できない。娼婦の実態は実に悲惨であった。自分の体を売り、自由を奪われ、牛馬のように蔑まされ、病気にまみれて死んでいく」

 万場老人の表情は沈んでいた。

「では、群馬がやったことは奴隷解放ではないですか」

 正助が興奮して言った。万場老人はそれを目で受けて続けた。

「ハンセン病の問題と共通するとは、このようなことなのじゃ。廃娼で輝かしい業績を挙げた群馬県が、ハンセン病でも成果を示してほしいと願うばかりじゃ。それは難しいことだが、われわれの努力にもかかっていると思わねばならぬ。こういう覚悟で森山県議を迎えようではないか。どうじゃ、少しは納得がいったかな」

 老人は自分の感情を抑えるようにして、若者たち一人一人に鋭い視線を投げた。

「人間は峰平等でそれを実現することが人間の尊重ですか。それがハンセン病の光の元になることですね。分かるような気がするなあ。それにしても、あの有名は吉田松陰の義兄弟が群馬県の初めての知事だったとは知らなかった。不勉強ですみません。しかし、それは明治のことでしょう。この大正の時代に森山先生がなぜ廃娼運動なのですか」

 正助が不思議そうに言った。

「うむ、そこじゃ。廃娼は一筋縄ではいかなかった。楫取県令が去ると、次の知事は廃娼の制度を復活させようとした。その時、大いに頑張ったのが上毛の青年たちであった。全県下の青年たちの中に森山抱月さんがおったのじゃ。その後も折りに触れ、公娼復活の動きがある。森山さんは県議になっても、この廃娼に信念をもって取り組んでおられる。繰り返すが、ハンセン病の問題と廃娼は、人間の解放ということで共通じゃ。森山県議と会った時に、このことをしっかりと承知してもらいたいと思う」

 正助たちは事の重大さを知って、身構える思いでその時を待った。

つづく

 

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