死の川を越えて 第64回
※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。
「金と朴なので安心していました。実は以前大変なことがありました」
「あの洞窟の中でですか」
「そうです。日本軍に頼まれて3人の兵士を脱出させようとしたのですが、入ったまま出て来なかった。分かれる所を間違えたのでしょう」
正助は李の話を聞いて、あたら馬手身震いする思いであった。漁船は韓国の沿岸のわびしい漁村に着いた。待っていたのは馬が引く荷車である。正助が長い道のりを歩くのは無理と考えたハンセン病の人々の配慮だった。いくつもの村や町を過ぎた。緊張して身を隠す場面もあった。長い距離を経過した時、李が言った。
「あの山を越えた所がわれわれの集落です」
李の指す方向に木が茂る小高い山があり細い道はその中に伸びている。暗い森を越えた時、正助は思わず声をあげた。
「わあっ。あれが京城ですか」
はるか前方に街並みが光って見え、その手前に村落が広がる。そして、急斜面の眼下には、一筋の川の流れが白く光っている。正助は懐かしい古里の風景に似ていると思った。
「あの奥が我々の集落です」
李は川の上流を指した。二つの尾根が合わさる谷合からゆっくり煙が立ち上がっている。近づくと朽ちたようなわら屋根の小屋が点在し、動物のなめし皮を張った板が並んでいた。犬が激しく吠えている。正助はウラジオストクの死の谷を思い浮かべハンセン病の集落の共通な雰囲気を感じていた。犬の声の方向に、朽ちかけた土塀を巡らせた大きなわら屋根の家があった。正助が驚いた顔を向けると、それに李が応える。
「お頭の家です。朝鮮半島の虐げられた人々を束ねておられる」
つづく
| 固定リンク
最近のコメント