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2024年12月20日 (金)

「戦場のピアニストを観る。メロディは壊れた心にしみ通る。ユダヤ人を助けた一人の将校」

◇83年前の12月8日、日本は真珠湾を攻撃し太平洋戦争に突入した。ヨーロッパではその2年前ドイツがポーランドに侵入し第二次世界大戦が始まった。世界中至る所で死体の山が築かれていた。私は民衆の抵抗運動の物語が好きだ。それはドイツ占領下のフランスの地下水道で行われたし、ポーランドではナチスの虐殺に対するユダヤ人の抵抗があった。

 私は歴史的衝動に駆られて映画「戦場のピアニスト」を観た。ユダヤ人の天才ピアニスト、シュヒルマンは放送局で演奏する人で知らぬ人はなかった。実在の人をモデルにした映画は世界に反響を及ぼした。おびただしいユダヤ人の列が進む。行く手には死の収容所が待っていた。ドイツ兵は無差別に選んでひざまずかせ頭を撃ち抜く。あるドイツ兵が「あっ、シュヒルマンだ」と気付き「お前は殺さない。逃げろ、走らないで行け」と叫んだ。ユダヤ人の地下抵組織があった。シュヒルマンはそれに助けられ居所を転々とする。そして「私も戦う」と言った。ある時案内された隠れ家で組織の幹部は意外なことを口にした。「ここは最も安全な場所だ」。高いビルの上階から見ると眼下の向かいはドイツ軍の中枢だった。まさかここにゲリラが隠れているとは思わないのだ。シュヒルマンは屋根裏の一角で息を潜めていた。ある時立派な様子のドイツ軍将校が立っていた。「ユダヤ人か。職業は何か」、「ピアニストでした」。一台のピアノが置かれている。「何か弾いてみろ」。美しい旋律が流れる。外では激しい砲撃である。「あの音は何ですか」、「ロシア軍が迫っている。あと数週間耐えろ」。その後この人物はパンなどを差し入れてくれた。連合軍がノルマンジーに上陸した情報も入っていた。ドイツが降伏し多くのドイツ人が囚われ人になった。その中で叫ぶ人がいた。「私はピアニスト、シュヒルマンを助けた」。重要な地位にあったこの人はロシアの収容所に入れられたが80歳を超える長命を得たとナレーターは語った。人の命が木の葉のように扱われ虫けらのように虐殺される中で音楽は一つの救いであった。戦場では人間の心も破壊される。乾いた心に美しいメロディは干天の慈雨のように、また命の泉のように響いたのであった。現代人の心も乾いている。なかば死に体ともいえる。それだけに「戦場のピアニスト」は現実感をもって私の胸に響いた。(読者に感謝)

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