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2024年12月31日 (火)

死の川を越えて 第71回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

  • 再会

 

 段取りが進んでいたらしく、正助の身は日本軍の部隊に移され、一応の取り調べを受け、軍の病院に入ることになった。病院で検査を受けたところによると、正助の傷はかなり深刻であった。弾丸が貫通した太ももの機能は回復しておらず、従軍して重労働に従事するのは無理と判断された。

 また、正助が長いこと抱えているハンセン病について、これまで、厳密に軍の手で検査を受けることはなかったが、この入院で正式に調べられた。その結果、病状の進行はないがハンセン病の患者を軍に置くことはできないということになった。これらの事情で、正助はひとまず軍を除隊し本国に帰ることになったのである。

 意外な展開に正助は驚いた。不名誉と思う一方で、古里の山河が浮かぶ。さやとわが子、正太郎に会える。先日までのことを思うと激しい変化に戸惑うばかりであった。

 正助はさやに手紙を書いた。「正太郎は元気に成長していますか」。そう語りかける紙面に元気な男の子の顔が浮かぶ。「けがをして帰ることになったが命に別状はないから大丈夫です」と書き、ウラジオストクのハンセン病の集落などに触れ、「詳しくは帰ってから話すから楽しみに待っていておくれ、万場先生や権太たちにもよろしく伝えてください」と結んだ。さやの喜ぶ顔が見えるようだ。正助の心は早くも古里に飛んでいた。

 正助が、他の送還される兵士とともに福岡の港に着いたのは、ある秋の日のことであった。踏み締める大地も町の家並みも正助を温かく迎えているようであった。

 万場老人の家の戸を激しく叩く者があった。老人が何事かと戸口を開くと息を切らしたさやが叫んだ。

「正さんが帰るの」

「えっ、本当か」

 万場老人も叫んだ。

「これを見てください。正さんの手紙です」

 老人は受け取ると食い入るように呼んでいる。

「うーむ、正助は大変な経験をしたらしい。海底の洞窟の事が書かれているな。恐ろしいことだ。正助があそこを通ったとは不思議な因縁じゃ」

 万場老人はそう言って、目を閉じしばらく考えている様子であった。恐ろしい暗黒の場面を想像しているのであろうとさやは思った。それにしても、万場老人は、その洞窟をなぜ知っているのだろうと不思議に思った。

つづく

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2024年12月30日 (月)

死の川を越えて 第70回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 万場老人は森山議員が承知しているから心配ないと言ったが、世間をはばかって生きる者として、県議会という大変な場所にいることは針の筵に座るような心地であった。

「朝鮮でも、シベリアでも、日本が大変厳しい状況にあるとき、国内が政治の信を取り戻さねばならないのだ」

 と木檜が発言した時、こずえは隣のさやにそっとささやいた。

「正さんはどうしているかしら」

 さやは黙って頷き、こずえの手を握った。この時、さやの心はまだ見ぬ戦地で戦う正助の姿を必死で追っていたのだった。

 木檜泰山は、最後に重要な地元新聞があると言って、ハンセン病の問題を取り上げた。ハンセン病、湯の川地区という言葉を聞いたさやとこずえは身を固くして固唾をのんだ。

「私の地元、草津の湯の川には、ハンセン病の人たちが住んでいる。差別された人たちを救うのは、国と県の使命ではないか。県は何をしているか。ハンセン病の人たちを救うのは社会の正義である。政党色をむき出しにして、不公平な施策を行っている大山知事に、人間を救う正義を実現できるのか問いたい」

 木檜のこの発言に大きな拍手が湧いた。さやとこずえは、顔を見合わせてうなずき合った。2人の女は、怖いと思っていた県議会に意外な味方を発見した思いで大きな勇気を得たのであった。

 木檜は、ハンセン病に関する中央の動きを示し、群馬は意識が低い、こんなことで国家社会に真に貢献できるのかと訴えた。

 さやとこずえは、県議の木檜の様子を万場老人に報告した。老人は身を乗り出して、2人が互いに語ることを一語も聞き逃さじと耳を傾けていた。

 聞き終わると静かに言った。

「森山さんの言ったことは本当だった。今の話でそれが分かったぞ。木檜という人は、ハンセン病という社会の不正義を許さないと、森山さんが言った意味が分かったのじゃ。お前たち、本当にご苦労であった」

 さやとこずえは褒められていかにも嬉しそうであった。

「いずれ、森山さんに頼んで、木檜先生に会わねばならぬ。地元であるから何よりも重要な人物なのじゃ」

 万場老人は自分に言い聞かせるように言った。その後、木檜泰山の身に大きな変化が起きた。大正9年、この人は国政に打って出て、帝国議会の衆議院に入ることになるのである。

つづく

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2024年12月29日 (日)

死の川を越えて 第69回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

「政友会の選挙のために道路予算を立てたと言われても仕方あるまい。現在民間では政友会なら道をつけてもらえる。政友会に願わなければ何もできないと言われている。政友会に頼らねば何事もできないという空気が充満しておる。こんなことでまともな県政が行えるのか」

「問題外、問題外、中止、中止、議長、なぜ中止を命じないのか」

「中止を命じます」

 本島議長の言葉は騒然とした怒号の中でかすれている。

「私の質問演説だ。問題外ではない」

 木檜は政友会議員をにらんで言い放った。

「このような党利党略の県政で県民の生命と幸せを守れるのか。今、内外ともに多難、まさに国難の時ではないか。このような時、真に県民のための予算を編成して、県民の信を得て、力を合わせることこそ肝要ではないか」

「そうだ」

 傍聴席から声が飛んだ。

 木檜泰山の万丈気炎の演説は日頃差別扱いされている民政党議員の留飲を下げるものであったから、彼らの間から大きな拍手が湧いた。さらに注目すべき議場の光景が傍聴席に見られた。この日、傍聴席が燃えていたのは、木檜泰山の発言内容が衝撃的であったからであるが、実はそれだけでなく、木檜の地元の支持者が大挙参加していたからであった。

 そして、これらの人々の一角にあって、木檜の熱演をじっと見守る数人の若者がいた。一団はそのつつましい傍聴ぶりで明らかに他と異なっていたが、特にその中の美女に人々の目が引きつけられていた。実は、この人たちは湯の川地区の人たちで、美しい女性はこずえに他ならなかった。彼らは万場軍兵衛によい勉強だからと勧められて参加したが、病をもつ身で何かとがめられはしないかと不安の念を抱いていた。

 つづく

 

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2024年12月28日 (土)

死の川を越えて 第68回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 この人物は歴代群馬県知事の中で最も政党色を露骨に出した人として知られる。非政友会系の県会議員に露骨な嫌がらせをしたり、党勢拡張のため党利党略の政策を打ち出した。このような大山知事の政治姿勢に敢然と闘志を燃え立たせた県会議員が民政党の木檜泰山であった。大正8年の県議会は飛び交う騒然たるものとなった。

 議長本島悟市が閉会を宣すると、会場がざわつき始めた。木檜泰山がいきなり予告なしに手を挙げて発言を求めたからだ。何かが起こる。議員たちの目はそう語っていた。議場に緊張が走った。

「過日の予算説明について知事に質問したい」

 木檜の声は感情を抑えたように落ち着いていて静かであった。議員たちには、それが何かの予兆であるかのように不気味に思えた。

「当局者の説明を聞いてからだ」

「日程にないぞ」

と、政友会議員たちの声が飛んだ。木檜の毅然とした姿は、周りの雑音をはね返して意に介さない。

「大山知事は群馬県知事として本県に赴任されたか、それとも群馬県の政友会知事として来たか、県民はそれを知りたがっている」

「そうだ」

 傍聴席から声が上がった。議長がきっとして視線を投げた。本島議長は政友会所属であった。木檜がいきなりとんでもないことを言い出した。議員たちはこう思って、次に何がこの男の口から飛び出すかと固唾をのんで待った。

 木檜泰山は、言葉を切って知事を見据えた。会場は水を打ったように静かになった。

「何を挙げる。県会議員選挙に臨んでは極端に官憲の力を乱用して政友会関係者の当選に努めた。実例を挙げれば、県の土木課長が吾妻郡に電話して、人を集めさせ、道路のことは知事様のお考え一つでどうにでもなるから村民に政友会を応援させてほしいと働きかけた。また、長野原役場にも同様の働きかけを行った」

「議長、中止させるべきだ」

 木檜は意に介することなく続ける。

つづく

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2024年12月27日 (金)

「AIの恐るべき技術とその悪用。戦場に晒される北の兵士の哀れ。自衛官不足と国際状況」

◇オモチャ遊びのつもりで他を傷付けてしまう。AIの発達は恐ろしい。指示すれば服を脱がし裸の姿までつくってしまうとは。生成AIの技術が急速に進歩している。ある女性の写真を示して裸に加工してと指示すると実写であるような画像が瞬時に出来上がってしまう。興味が裸の女性の性的な画像に向うことは自然である。盗撮画像がネット上で出回る時代である。AI技術の登場によりある身近な女性が裸に加工され衆目に晒されることが現実となっている。被害者の救済手段はあるのか。AIの利用は急速に広がっており、そのマイナス面も指摘されている。法的規制が間に合わない。

 アメリカ・ニュージャージー州のある高校では女子生徒の裸画像が出回る事件が起き、作った生徒は定額処分になった。同州議会では規制の法案が審議されている。日本もAIという超利器を前にして法規制を急がねば社会は混乱する。名誉毀損罪とか公然ワイセツ罪などの既存の法律では対応できない問題だと思われる。国も地方も議論を重ね研究しなければならない。

◇プーチンの侵略で始まった悲惨な戦場が新たな状況を生みながら年を越す。トランプ大統領の世界政策と北朝鮮の動きが大いに気に掛かる。プーチンは大統領に就任したら直ちにウクライナの戦争を終わらせると発言した。何をしようとしているのか、予測をつけながらもその結果の重大性を考えて世界は固唾を呑んでいる。

 ゼレンスキー大統領は北朝鮮軍の死傷者が3,000人を超えたと公表した。丸々と肥えた金正恩と巨大な兵器、その背景には寒さと飢えに苦しむ多くの国民の涙がある。脱北者が伝える市民の惨状は想像を超える。3,000人超の死傷者数はいかに多くの兵士が大義なき戦いに駆り出されているかを物語る。実戦の場での訓練が不足している人々がいきなり前戦に立たされる光景は哀れでならない。

 ゼレンスキー大統領はロ朝の軍事協力強化は全ての国への脅威であるから国際社会の強い対応が必要だと訴えている。勿論、日本にとっても大変な脅威である。

◇政府は自衛官の処遇を改善する基本方針をまとめた。日本周辺の安全保障環境が悪化する中、自衛官の不足が深刻なのだ。国民を守る使命は重大だが平和主義日本では国民に信頼される自衛官であることが第一だ。自衛隊のセクハラやパワハラの多発があった。真のサムライが求められる時。(読者に感謝)

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2024年12月26日 (木)

「闇バイトを求める手は海外にまで。人口減は止まらない。市議選の異変」

◇闇バイトを募る触手が海外にまで広がっている。日本と関係が深く距離的にも近い台湾が多くターゲットになっているらしい。背景には闇バイトの担い手不足があると言われる。20代の若い世代が相次いで逮捕されているが若い心理には日本の若者と共通性があるのだろう。犯罪に加わるという罪の意識は薄く、遊ぶ金欲しさで稼げるなら何でもいいの感覚だろう。多くの外国人が日本を訪れる時代が加速している。豊かで隙だらけ、認知症だらけですぐ騙せる。そんなイメージが外国人の間に広まっているとしたら大変だ。闇バイトの背景には暴力団などの闇の勢力が広まっているに違いない。日本の警察力が試練の時を迎えている。安全で美しい国日本を守らねばならない。

◇厚労省によれば、今年10月の統計から出生数70万人割れが確実である。少子化に歯止めがかからない。出産する年代の女性が減っていることが大きな要因といわれる。しかし地域ごとに異なる課題があるからその地域に合った少子化対策が必要である。政府は異次元の対策をと叫んでいるが地域に秘められた可能性を活かし切っていない。地域によって若い世代の移住者が増えていることはそれを物語る。移住者が魅力を感じる所は子育て環境も良いに違いない。行政の責任は大きい。国、県、市町村の各行政が連携し知恵を出さねばならない。

◇行政の使命を果たすうえで地方議会の役割は大きい。前橋市議選が目前に迫った。一つの異変ともいえる現象が起きている。通常の地方の情勢は出馬者が少なく議会の定数を減らして選挙を実現しようとしている。地方の危機なのだ。ところが前橋市では前代未聞の激戦が予想されている。私のふるさと塾からも4人程が準備している。私はかねて政治の劣化を憂え、「恥を知れ、恥を」の気概を訴えてきた。私の心意気が影響を与えていると感じられて嬉しい。良質の候補者像を期待できる。選挙を軽く見る人がいるが民主主義の根幹に繋がっている。当人は人生をかけている。それを支える地域の人の絆は沈み行く地域社会にとっての救いに思える。来年の前橋市議選にちょっぴり新風が流れることを期待する。激戦に勝利する新議員の胸中を思う。かつて県議会に初登庁した光景が甦る。当選を伝える新聞は「中村氏激戦を制す」と報じた。異次元の世界に臨む私は「処女の如く」おどおど、そして新鮮だった。新人に望む。「脱兎の如く」逃げないことを。激流に挑戦する闘士たれ。除夜の鐘が近づく。煩悩との戦いである。(読者に感謝)

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2024年12月25日 (水)

「懸垂20回、腕立て250回、私は84歳。バイデン氏は37人の死刑囚に減刑の特赦を。中国の執行猶予付死刑に驚く」

◇ふるさと塾のメンバーであり、かつ同じ年のI氏が書庫を訪れた。その一角にある懸垂の装置に目を止めた。「やってるんですか」、「やってみましょうか」。軽々と20回やってみせた。毎日欠かさず実行している成果にI氏は大変驚いていた。84歳でこの実績は少ないようだ。腹筋は30回、腕立て伏せは250回、50回ずつ少し間をおいて行う。毎朝風呂場で冷水を頭から7杯を自分に課している。決して無理をしていないつもり。群馬マラソンは10キロを完走した。周りの同年代の人々を見ると、歩けない人、認知症の人、施設に入った人、既にあの世の人などが枚挙にいとまがない状態である。厚労省は本県の健康寿命を発表した。男性73.37歳、女性75.54歳とのことだ。私は10歳以上上回ることに。

大統領交替が目前に迫った。超大国のトップとして最後に何かをとバイデン氏の胸は複雑に違いない。死刑に関して「おや」と思わせる報道があった。40人の死刑囚中37人を終身刑に減刑した。対象外の3人はボストンマラソンの爆弾テロの犯人である。欧米では死刑存置国が少なくなっている。アメリカは州によって事情が異なるが執行例は減少している。アメリカ映画では最後の瞬間まで大統領の電話の有無を確認する光景が見られる。バイデン氏はクリスチャンである。この人の死刑制度反対には宗教的信条が深く関わっていると思われる。私は死刑制度に反対である。日本も早晩変化すると思うが現在反対の緒論の一つに現実論として終身刑を設けるべきという立法論がある。刑の重さの順で死刑とその次の無期刑が余りに違い過ぎるからだ。トランプ次期大統領は死刑に賛成である。被害者の立場を考えるらしい。

◇中国で死刑に関する興味ある判決が出た。執行猶予付死刑である。交通事件で小学生18人を含む30人に怪我を負わせた。執行猶予2年の死刑の中味は2年を模範囚として過ごすと無期刑に減刑される。中国は国家権力が強い非民主主義の国であるから人権事情は日本と大いに異なる。世論の反対もなく頻繁に執行されている。その中で執行猶予付死刑は国の情けを示す意味もあるのだろうか。黒人死刑囚が一人の女性記者との出会いから奇跡の立ち直りを果たす実話を基にした映画クリップスを観た。この男はかつてギャング団のボスとしてロスで君臨していた。地獄からの生還であった。(読者に感謝)

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2024年12月24日 (火)

「今年最後のふるさと塾で重大事を語る。コンビニ担当警官の存在意義」

◇今年最後の「ふるさと未来塾」は12月28日(土)である。一年を振り返って驚くべきことが次々に起きた。それらは激流の中を流されて行き私たちはやがて忘れ去る。そうであってはならない。私たちと結び付いているそれらの出来事の意味を受け止めねばならない。そして自分の明日を見る力を養うのだ。こういう観点から大切な出来事を解説するつもりだ。ファストフード店で中学生の男女を殺傷させた男があっさり逮捕された。43歳で近くの住民であった。誰でもよかったかのような事件。この種の事件が増えている。病んだ社会の黒い淵が口を開けているようだ。動機は何だったのか皆で考えて見たい。社会に不満を抱き八つ当たりのように怨みをぶつけうようとする人は多いに違いない。どのようにして社会を守ればよいのか。新しい捜査方法「リレー捜査」も注目される。防犯カメラ映像をつないで容疑者を追及する方法である。昨日ブログで書いた渡辺恒雄についても改めて取り上げるつもり。それほど面白い存在なのだ。東大時代は共産党員だった。

◇日本被団協のノーベル平和賞は画期的出来事。代表の田中煕巳さんは92歳。遠くなった広島と長崎が甦る。世界の情勢は核使用が近くなっている。核使用による終末時計の針は現在残り時間が少なくなっている。マンハッタン計画の指導者オッペンハイマーも取り上げる。

 隣国韓国政治の混乱は他人事ではない。尹大統領の弾劾案が可決された。民衆のデモのエネルギーは凄い。この国の民主主義が生きていることを示すものだ。光州事件が甦る。かつて日本が不当に支配した朝鮮半島の歴史問題はくすぶり続けている。日米韓の連携は喫緊の課題である。中国・ロシア・北朝鮮と直接国境を接する韓国の安定は日本の安定でもあるのだ。その他、闇バイト対策、同性婚除外と幸福追求権(高裁判決)、政策活動費全面廃止などを取り上げようと思う。今年最後のふるさと塾に期待する参加者は多いだろう。それに応えるつもりで頑張ろうと思う。

◇私は深夜に走る習慣で途中のコンビニに時々寄る。一人の外国人店員はスリランカの人で日本アカデミーの生徒だ。闇バイトに関する被害が増えコンビニが利用されることが多い。犯罪者にとってもコンビニエンスなのだ。これを防犯のために協力の拠点にすることは重要でコンビニ担当警官の制度が始まった。知恵と工夫で社会を守らねばと思う。(読者に感謝)

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2024年12月23日 (月)

「ナベツネの死とその評価。子どもへの性加害が止まらない」

◇メディア界の巨人「ナベツネ」、つまり渡辺恒雄氏が19日98歳で死去した。様々な評価や逸話が飛び交っている。「棺を覆って事定まる」という。やがて歴史の中で評価が定着していくのだろう。社内にも外の世界、特に政界に対しても特異な存在だった。その絶大な力を支えたものは発行部数一千万部を超える読売新聞の存在だった。

 東大文学部在籍中は共産党員だった。我が恩師元東大総長だった林健太郎先生も若い頃はマルキストだった。読売の記者になって頭角を現した渡辺恒雄は憲法改正を掲げる保守の論客と見られがちだが、強烈な反戦のリベラリストであった。若き日の共産党の体験なども彼の発展に影響を与えているかも知れない。朝日新聞を痛烈に批判したことは有名であるが、朝日の存在を評価してもいた。こんな言葉が残っている。「ぼくは新聞人生の半分以上を朝日への対抗で過ごしてきた」、「朝日新聞は嫌いであるが毎日最初に読まざるを得ない」。骨太の巨人でありサムライたる人物がまた世を去った。

◇児童生徒への教員の性加害が止まらない。文科省の調査では2023年度に性犯罪・性暴力などで懲役処分や訓告を受けた教員は前年度比79人増の320人に。初めて300人台となった。このうち児童生徒への行為は38人増の157人である。子どもへの被害が止まらない。教育の場の出来事は異常であり子どもが受けるダメージは深刻である。教員は児童生徒に対して圧倒的な支配関係にある。児童生徒は教員を信頼している。学校は道徳や倫理を説く場であるだけに事態は重大である。享楽が渦巻く外の世界が影響しているのか。SNSといった利器によって子どもと私的な接触が容易に可能となっている。保護手段の構築が後手になっている。文科省によれば最も多いのは性交の61人である。この中には東京都の元校長が過去に勤務した中学校の女子生徒への準強姦致傷罪も含まれる。この種の犯罪は表に出ないものが非常に多いに違いない。かつて中学の先生に相談を受けたことがある。体育の時間個室で生徒のパンツの奥の微妙な部分に治療行為としてテーピングをした。それが問題とされたが自分は何も悪いことをしていない、というのだ。私は李下に冠を正さずの教えを出して、そういう疑われることをしたことが絶対に悪いと指摘した。26年度には子どもと接触する仕事に就く人の性犯罪歴を雇用主側が確認する日本版DBSも始まる。事態はここまで来ているのだ。(読者に感謝)

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2024年12月22日 (日)

死の川を越えて 第67回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 この人物は吾川将軍と言われて地域の人に愛された。それは、書や漢詩をよくし吾川と号したことによるが、私心のない反骨で権力に屈することなく郷土を愛したことへの信頼と尊敬を物語るものだった。民衆は権力になびくが、同時に反権力には拍手を送りたい本性を持っている。

 木檜は大正8年の県議会で大山惣太知事と激しく対決した。これには2人の政治信条や属する政党の違いなどの理由があった。

 同年、中央政界の中心は政友会の原敬内閣であった。この時代、第一次世界大戦による自由と民主主義の世界的高揚の中で日本でも民主主義の機運が高まっていた。

 第一次世界大戦の中でロシア革命が発生するのは大正6(1917)年、この波及を抑えるために寺内内閣がシベリア出兵を決定するのは翌年であった。

 政府は社会主義思想の広まりを恐れ、それを抑えようとしたが、労働者を主体とする政権が生まれたことは、日本の民衆運動に影響を及ぼさずにおかなかった。

 このような状況の中で米騒動は起きた。大戦が長引く中で軍用米の需要が増え米価は急上昇したが、米商人は米の買い占めを行ったために米価はさらに急上昇し台所を直撃した。

 そこで富山県の漁村の主婦たちは追い詰められてついに立ち上がった。米の県外搬出を拒否し、その安売りを要求する行動を起こしたのだ。新聞は「越中女一揆」と報じたため米騒動は全国に広がり、政府は軍隊まで出して鎮圧にあたった。米騒動はおさまったが、寺内内閣は世論の激しい非難をあびて退陣した。もはや従来のような官僚内閣では世論の支持は得られない。

 そこで誕生したのが初めての政党内閣たる原内閣であった。衆議院に議席をもつ政友会総裁原敬は爵位を持たず平民宰相と呼ばれて国民から歓迎された。彼は、陸相、海相、外相を除く全閣僚を政友会員から選んだ。原は、せっかく生まれたこの流れを守るために党勢の拡張に努めた。従って、地方の知事にも政友会員を充てようとしたのは当然だった。かくして群馬県の政友会系知事大山惣太が登場する。

つづく

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2024年12月21日 (土)

死の川を越えて 第66回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 あの印のおかげで自分は今ここにいる。父親の話に娘は傍らで静かに耳を傾けている。そのただならぬ姿に正助は打たれるものを感じた。

「わしが日本に味方する理由は亡き妻の関わりだけではない。日本は開国とともに早くも四民平等を掲げ、人間尊重の姿勢を示した。アジアで初めて憲法をつくり、教育と科学に力を入れている。ハンセン病も日本のそういう力で解決される日が来るに違いない。われわれ差別された人間が人並の人間として生きられる力が日本から生まれると信じている。お前の古里には学ぶことが多いようだ」

 正助は鄭東順の鋭い眼光の奥に並々ならぬ知性を感じ、あの洞窟に消えた日本人妻とはどういう人だったのかと想像し、またそれらの人々を湯の川地区の万場軍兵衛の姿に重ねて思いをはせた。

 正助は湯の川地区のことおよび、ハンセン病の光と言われるハンセン病の人たちの自治の仕組みのことを説明し、日本に帰れたら、仲間が平等に生きられる社会のために尽くしたいと語った。鄭は大きく頷いた。傍らの明霞は、いつか母の国に行きたいとつぶやいた。

 

  • 群馬県議会

 

 ある時、県会議員の森山抱月が万場老人につぶやいたことがある。2人は旧知の間柄であった。

「同志木檜泰山に注目すべきです。反骨の闘将で正義感にあふれている。彼はハンセン病という社会の不正義を許さない。民政党の同志だが、この男の目を湯の川に向けさせ一緒に仕事をしたい」

 木檜泰山は吾妻出身の県会議員であるが、その後衆議院に入り、湯の川地区のことを国会の場で天下に訴えた人物である。後に森山の狙い通り万場老人や正助が木檜泰山に近づき、不屈の硬骨漢を動かすことになる。

つづく

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2024年12月20日 (金)

「戦場のピアニストを観る。メロディは壊れた心にしみ通る。ユダヤ人を助けた一人の将校」

◇83年前の12月8日、日本は真珠湾を攻撃し太平洋戦争に突入した。ヨーロッパではその2年前ドイツがポーランドに侵入し第二次世界大戦が始まった。世界中至る所で死体の山が築かれていた。私は民衆の抵抗運動の物語が好きだ。それはドイツ占領下のフランスの地下水道で行われたし、ポーランドではナチスの虐殺に対するユダヤ人の抵抗があった。

 私は歴史的衝動に駆られて映画「戦場のピアニスト」を観た。ユダヤ人の天才ピアニスト、シュヒルマンは放送局で演奏する人で知らぬ人はなかった。実在の人をモデルにした映画は世界に反響を及ぼした。おびただしいユダヤ人の列が進む。行く手には死の収容所が待っていた。ドイツ兵は無差別に選んでひざまずかせ頭を撃ち抜く。あるドイツ兵が「あっ、シュヒルマンだ」と気付き「お前は殺さない。逃げろ、走らないで行け」と叫んだ。ユダヤ人の地下抵組織があった。シュヒルマンはそれに助けられ居所を転々とする。そして「私も戦う」と言った。ある時案内された隠れ家で組織の幹部は意外なことを口にした。「ここは最も安全な場所だ」。高いビルの上階から見ると眼下の向かいはドイツ軍の中枢だった。まさかここにゲリラが隠れているとは思わないのだ。シュヒルマンは屋根裏の一角で息を潜めていた。ある時立派な様子のドイツ軍将校が立っていた。「ユダヤ人か。職業は何か」、「ピアニストでした」。一台のピアノが置かれている。「何か弾いてみろ」。美しい旋律が流れる。外では激しい砲撃である。「あの音は何ですか」、「ロシア軍が迫っている。あと数週間耐えろ」。その後この人物はパンなどを差し入れてくれた。連合軍がノルマンジーに上陸した情報も入っていた。ドイツが降伏し多くのドイツ人が囚われ人になった。その中で叫ぶ人がいた。「私はピアニスト、シュヒルマンを助けた」。重要な地位にあったこの人はロシアの収容所に入れられたが80歳を超える長命を得たとナレーターは語った。人の命が木の葉のように扱われ虫けらのように虐殺される中で音楽は一つの救いであった。戦場では人間の心も破壊される。乾いた心に美しいメロディは干天の慈雨のように、また命の泉のように響いたのであった。現代人の心も乾いている。なかば死に体ともいえる。それだけに「戦場のピアニスト」は現実感をもって私の胸に響いた。(読者に感謝)

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2024年12月19日 (木)

「国をあげての闇バイト対策の行方。政治改革は進むのか。中学生死傷事件の怪」

◇闇バイトが話題にならない日はない。バイトという表現が翼になって一般市民をかすめて飛び交っている。被害が深刻になっている。闇バイトによる強盗事件の多発である。

 政府は緊急対策をまとめた。「即日即金」などの表現を使い、高い報酬で釣ろうとする。貧に耐える経験のない人が目先のエサに簡単に食いつく。対策の中心はSNS事業者に違法な募集の削除を促すことだ。対策は閣僚会議でまとめた。これは各省庁が本格的な対応に乗り出したことを意味する。トカゲの尻尾切りで終わり「指示役」まで辿れない現状を変えねばならない。受け子役で詐欺未遂で逮捕された中学生はクリスマスで遊ぶ金が欲しくてやったと供述した。

 シグナルなどの通信アプリは、通信記録が残らず一定時間でメッセージが消える。指示役特定の大きな壁になっているのだ。この秘匿性は利用者のプライバシーや安全性を守ることに繋がっている面がある。権威主義国では政府の検閲を避けるためにシグナルが使われる。容易にスパイにされ罰せられる国ではプライバシーを守ることは生死に関わることなのだ。

◇政治改革3法案が17日衆院を通過した。その一つに政策活動費の全廃がある。これには自民公明も賛成。改正法の動きの発端は裏金事件であった。衆院優位の原則で参院通過も間違いない。規制法改正の動きは裏金事件が発端だった。10月の衆院選大敗以後、大きな流れは政治不信である。政治改革3法が成立しても国民の不信が変わるとは思えない。「政治改革の本丸」と言われる企業・団体献金禁止法案は実現しなかった。企業献金がなくなれば自民党は干上がってしまうから必死である。来年の参院選がまた大きな山となる。

◇北九州市の中学生死傷事件は不可解である。病める社会の深淵を覗くようだ。中3の女子は死亡、同年の男子は重傷である。中学生が狙われたこと及び犯行の場がファストフード店であることなどから、社会は、殊に教育界は戦戦恐恐となっている。容疑者は軽装でサンダルばきとか。近隣の住民ということも有り得る。捕らえてみたら犯罪歴のない普通の市民ということも。病める社会は人の心をも病気にする。一見豊かで物はあふれているが、心は貧しくなり格差は広がり人々は孤独である。社会に対して不満や怨みを抱く人は増えている。潜在する予備群は多いだろう。最良の対策は逮捕することだ。防犯カメラにも写っていない。犯人は息を殺して潜んでいるのかも知れない。(読者に感謝)

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2024年12月18日 (水)

「杉田玄白に感動。尹氏の短い春。昭恵さんトランプ氏と面会、安倍氏の暗殺が甦る」

◇今年も残り少なくなって一年を振り返っている。外の世界にとっても私にとっても激しい一年であった。84年の人生を遥かに疾走してきたのだ。私はまだまだ走る。ふと足を止め、この年齢で死んだ何人かを回顧した。その一人が杉田玄白である。蘭方医玄白は82歳の時、若き日の翻訳の苦心を回顧した「和蘭事始」を書いた。これは「蘭学事始」として紹介された。82歳の著作で、これ程多くの人を感動させた書はないと言われる。玄白は仲間とオランダ語の解剖書「ターヘル・アナトミア」の翻訳を決意。辞書はなかった。図の人体の部位を囲んで一日を過ごす。有名な話がある。顔の中心にフルヘツヘンドなる語。鼻を指すこの語を何と訳すか。日も傾きかけた時、堆(うずたかし)と訳すことを思いつく。その時の嬉しさは例えようもなかったと玄白は振り返った。医学で世に貢献したいという執念に頭が下がる。

◇戒厳令の衝撃はいよいよ激しい。韓国検察は大統領に出頭を要請しているが大統領は応じない。繰り返し拒否した場合は身柄拘束に事態は進むらしい。尹氏の職務停止で外交は停滞である。弾劾訴追が可決された日、日韓外交筋は「短い春だった」と深いため息をついた。

 来年は日韓国交正常化60年。尹氏を国賓待遇で招くことを検討していた。戦後最悪に冷え込んだ関係の修復には尹氏の大きな力があったからだ。それも戒厳事件で絶望的になった。職務停止で本格的な首脳外交は不可に。韓首相が代行することになったがあくまで代行である。代行ではトランプ大統領とまともに渡り合えない。やっと出来た「日米韓」の枠組みは崩壊の危機にある。

◇世界の首脳のトランプ詣でが続いている。わが石破首相はなかなか会ってもらえないという状況の中、一つのサプライズが持ち上がった。安倍基首相夫人昭恵さんとトランプ氏の面会である。トランプ氏、メラニア夫人、昭恵さん、3人の写真が大きく報じられた。安倍氏暗殺後、トランプ氏は定期的に昭恵さんに電話して近況を尋ねていたと言われる。私邸マール・アラーゴでの会は私的なものとされるがどんな影響が今後生じるのか非常に興味深い。トランプ氏は銃撃され危機一髪だった。それを強さを示すことに利用し神の意志とまで讃える風潮が生じた。トランプ氏は安倍氏の悲運を自分と同じ運命と見ているかも知れない。このような情況を背景にして昭恵さんとの関係が築かれているのか。石破首相の存在感は薄い。トランプ氏と対面した時の光景は見劣りすると思えてならない。(読者に感謝)

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2024年12月17日 (火)

「アサド政権崩壊後の信じ難い光景は独裁者の末路を。弾劾訴追案の可決。75回の書道展」

◇中東シリアを強権で支配してきたアサド政権があっさり崩壊し、独裁者アサドはロシアに亡命した。長く続いた内戦と欧米などの制裁で経済は疲弊し国内政治は無理を重ねて滅茶苦茶だった。犠牲となったのは弱い一般国民だった。政権崩壊によって様々な信じ難い事実が白日の下に晒された。連日、拷問や処刑が繰り返された刑務所が解放された。国の経済を支えた「麻薬工場」も発見された。覚醒剤に似た作用を持つ薬物「カプタゴン」は末端価格が安いため「貧者のコカイン」の異名を持つ。シリアの最大の輸出品となっており周辺国の大きな社会問題になっている。カプタゴン輸出の収益はシリアの合法的な輸出の約2倍に当たる。

 独裁者アサドは豪邸で王様の暮らしをしていた。地下にはいざという時逃げるための長い通路があった。反対制派のある戦闘員は語った。

「アサドは王様のような暮らしをしたが最後は逃げた。これが独裁者の末路だ」

 世界には北朝鮮を初め多くの独裁者がいる。彼らは民衆を強権で押さえつけているから、いつの日か民衆が爆発することを恐れている。シリアで発見された脱出用の地下通路が計画されているのかも知れない。

◇韓国の国会は14日、尹大統領への弾劾訴追安を可決した。尹氏の大統領としての職務は停止される。これからは憲法裁判所が弾劾訴追の是非を判断する。憲法裁が弾劾を認めれば尹氏は罷免され、60日以内に大統領選となる。

 一方、検察や警察は内乱罪の捜査を進めている。戒厳令の宣布や国会への戒厳兵の派兵などが内乱に当たる可能性があるのだ。尹氏は弾劾案可決後コメントを発表した。「私は一時立ち止まるが決して諦めない」と。また自らの功績として「韓米日協力の復元」を強調した。

 アメリカなどは韓国のこのような一連の動きにつき民主主義が機能していると評価している。熱狂する市民は民主主義の勝利と叫んでいる。民衆がデモに決起する光景も民主主義の現れではある。しかし、時に民衆は暴走し止まらないことがある。尹大統領はかつての光州事件の再来を恐れているに違いない。

◇15日、高崎のホテルで第75回群馬県書道展の表彰式があった。私は表彰状の授与に参加し、来賓として挨拶した。「75回」は戦後すぐに始まったことを示す。復興を精神面で支えたともいえる。私は挨拶で「混乱と激変の中で最も求められることは堅固な精神である。優れた書に接すると心で書いたことが伝わる」と訴えた。機械任せで書離れが進む今日である。(読者に感謝)

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2024年12月16日 (月)

「同性婚を幸福追求権から認めた福岡高裁の意義。弾劾訴追案可決さる」

◇こうすけさん、まさひろさん、二人の男性の喜びの表情が大きく報じられた。福岡高裁は同性婚を認めないのは憲法違反だとした。婚姻は憲法13条の幸福追求権として保障されている。それは、男性同士の場合も変わらないというのだ。だから同性婚を認めない民法と戸籍は憲法13条違反だというのが高裁の考えである。原告は「こうすけさん」。こうすけさんは、まさひろさんと交際を始め自宅を購入し一緒に暮らし互いの家族や友人とも親交を深めたが法的な家族としいての保障が受けられなかった。また税制、保健、ローンなどで不利益を受けているという。同性婚が憲法13条で保障されるなら現行のこれを認めない法制度は13条にストレートに違反する。この種の訴訟が全国で起きている。社会には長い生活習慣の伝統と歴史がある。それは婚姻を両性、つまり男性女性の結び付きと捉えるものだ。太古から人間には男女に形式的に分けられない実態があったに違いない。分けられる中で苦しむ人々があったのだ。日本国憲法は基本的人権を尊重しその中心に幸福追求権を位置付ける。福岡高裁の今回の判決は同性の結び付きに光を当てるもの。現実の社会には差別と偏見の重圧に抗し切れず表に出られない無数の人がいるに違いない。全国的な訴訟の波はこういう人々に大きな勇気を与えるだろう。それにつけても、こうすけさん、まさひろさんはどんな家庭生活、そして婚姻生活を送っているのだろうか。

◇遂に弾劾訴追安が14日可決された。尹大統領は大統領の職務を停止される。罷免をするかどうかは憲法裁判所が判断する。尹氏は「決して諦めない。最後の瞬間まで国のために最善を尽くす」との国民向け談話を発表した。これは憲法裁で争う決意を意味する。

 戒厳令を巡る尹氏の捜査が本格化している。捜査当局は戒厳令に共謀した前国防相や警察庁長官らを内乱罪で逮捕した。現職大統領には不起訴特権があるが内乱罪は例外である。

 弾劾訴追安が可決された14日、ソウル国会前には警察推計で約20万8千人の市民が集まり、「民主主義の勝利だ」と叫んだ。かつて1980年、戒厳令下で軍が市民を虐殺した。光州事件である。この事件を基につくられた抵抗歌を人々は歌った。20万余の轟く歌声が日本海を越えて日本人の胸に伝わってくるようである。厳しい独裁国家に囲まれた韓国で民主主義が勝利することに私は快哉を叫ぶ。平和に慣れハングリー精神を失った日本人には韓国の若者に学ぶべきことは多い。力を合わせたいと思う。(読者に感謝)

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2024年12月15日 (日)

死の川を越えて 第65回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 門をくぐると、赤いチョゴリをまとった細身の若い女が待ち受けていて正助に会釈した。

「頭の娘さんです」

 李がささやいた。正助は女の顔を見て、ふと誰かに似ていると思ったが深く留めることをしなかった。

 頭と呼ばれる男の鋭い眼光と口元には威厳があった。正助が予想していたハンセン病の風貌ではない。

「ご苦労であった。海底洞窟は肝を冷やしたであろう。出られたのは神の御加護か。は、は、は」

 頭は豪快に笑った。

「朴さんたちには大変助けられました。私は土の中に埋まっていたのです」

「聞いておる。手だけ出していたそうな」 

 流暢な日本語に正助が驚いているのを察して、頭は意外なことを語り出した。頭は鄭東順(チョンドンスン)と名乗った。娘の名は明霞(ミンシャ)。鄭は目で娘を指しながら言った。

「あれの母親お藤は日本人だった。いろいろな経緯があってわしの妻となった。実はあの海底洞窟で行方不明になった」

「え」

 正助は思わず声を上げた。

 頭は語る。

「人のつながりは不思議という他はない。李という者が草津の万場軍兵衛に助けられたことを知って、わしは大いに驚いた。軍兵衛は、わしと浅からぬ縁がある者だ」

 意外な言葉を正助は信じられない思いで聞いた。

「妻の縁者の日本兵の救出が目的で、海底洞窟へ出かけることになった。止めたが、妻はどうしても行きたいと言い張った。その日本兵との関係を知ったとき、妻を止めることはできなかった。あの事件があって、あの分かれ道に印を付けさせた。それ以来、迷路に吸い込まれることはなくなった」正助は闇の岸壁に刻まれた奇妙な印の由来を知って不思議な気持ちに駆られた。

つづく

 

 

 

 

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2024年12月14日 (土)

死の川を越えて 第64回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

「金と朴なので安心していました。実は以前大変なことがありました」

「あの洞窟の中でですか」

「そうです。日本軍に頼まれて3人の兵士を脱出させようとしたのですが、入ったまま出て来なかった。分かれる所を間違えたのでしょう」

 正助は李の話を聞いて、あたら馬手身震いする思いであった。漁船は韓国の沿岸のわびしい漁村に着いた。待っていたのは馬が引く荷車である。正助が長い道のりを歩くのは無理と考えたハンセン病の人々の配慮だった。いくつもの村や町を過ぎた。緊張して身を隠す場面もあった。長い距離を経過した時、李が言った。

「あの山を越えた所がわれわれの集落です」

 李の指す方向に木が茂る小高い山があり細い道はその中に伸びている。暗い森を越えた時、正助は思わず声をあげた。

「わあっ。あれが京城ですか」

 はるか前方に街並みが光って見え、その手前に村落が広がる。そして、急斜面の眼下には、一筋の川の流れが白く光っている。正助は懐かしい古里の風景に似ていると思った。

「あの奥が我々の集落です」

 李は川の上流を指した。二つの尾根が合わさる谷合からゆっくり煙が立ち上がっている。近づくと朽ちたようなわら屋根の小屋が点在し、動物のなめし皮を張った板が並んでいた。犬が激しく吠えている。正助はウラジオストクの死の谷を思い浮かべハンセン病の集落の共通な雰囲気を感じていた。犬の声の方向に、朽ちかけた土塀を巡らせた大きなわら屋根の家があった。正助が驚いた顔を向けると、それに李が応える。

「お頭の家です。朝鮮半島の虐げられた人々を束ねておられる」

つづく

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2024年12月13日 (金)

「尹大統領と民主主義。弾劾訴追の行方。台湾有事の現実性。兵庫県知事の戦い方。元大阪検事正のハレンチ」

◇何と激しい変化なのだろうか。韓国の政変である。非常戒厳をめぐり、国防相の地位にあった権力者が逮捕され自殺を図った。尹大統領についても、立件を視野に入れて大統領府の家宅捜索が行われる動きだ。

 大統領府、国会、そして世論。これらが激しくせめぎ合う様が伝わってくる。激しいデモの状況から世論が重要な役割を担っていることが窺える。国会や世論の強い攻撃に屈したかにも見える尹氏は、自身の進退を含め与党に一任すると発言した。しかし大統領という権力の座にしがみつく姿勢も見える。

 早期退陣を決定づけるのは弾劾の可決だ。それには与党から8人の賛成が必要だが、現時点で少なくとも5人の賛成があるという。野党は14日に弾劾案を採決に持ち込む構え。

◇台湾を巡る波が一段と激化している。中国海軍が90隻余の艦船を展開し軍事活動を行っている。台湾は日本から肉眼で見える位置である。「台湾有事」が言われて久しい。日本の安全保障にも強く関わることである。1996年の台湾海峡危機以来の最大規模の海上軍事行動であることは確か。習主席は最近毛沢東を再評価しているが、毛沢東はかつて台湾海峡を血で染めてもと発言したことがあった。台湾有事と日本の安全保障を真剣に考える時が来た。

◇兵庫県知事の動きには大きな関心をもっていた。四面楚歌からの戦いでまさかの111万票を得た。雑誌のインタビューで、「なぜ絶対に諦めなかったのか」に答えている。孤独と不安を語るところが面白い。メンタル的に一番きつかったのは失職した日の朝、駅立ちした時だと振り返る。ポツンと一人で立つ、誰も足を止めない光景を私もみた。「本当に辛かった。ゼロ以下からのスタートだった」と心情を語る。組織の支援はなく、友人や同級生十数人が応援した。昔、私が初めて県議選に挑戦した時がそうだった。真のボランティアの同志は十数人でいいのだ。私のまわりには現在目前の市議選に臨む新人が数人いる。大きな組織に憧れるのではなく、小さな人の輪をつくれと私は呼びかけている。齋藤知事は「兵庫県知事が人生の夢だからどれだけ濁流に流されようと辞めたいとは思わない」と心中を明かした。

◇元大阪検事正の準強制性行罪に関わる事件は前代未聞である。被告は検事正在職中、官舎で酒に酔って抵抗出来ない状態の女性検事に性的暴行をしたとされる。被告は初公判で基礎内容を認めたが一転して無罪を主張する構えである。(読者に感謝)

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2024年12月12日 (木)

「ヒバクシャは世界を駆ける合言葉。三たび許すまじ世界の街に。女性を風俗に売る全国組織」

◇平和賞受賞は核を巡る厳しい世界の情勢にどんな影響を与えるのか。授賞式の12月20日はノーベルの命日であった。主な受賞理由は世界の「核タブー」確立に多大な貢献をしたことである。「ヒバクシャ」という言葉を世界に広めた。国連で採択された核兵器禁止条約の全文には「ヒバクシャの苦しみに留意する」と盛り込まれた。被団協はこれまで国連など世界の舞台で「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えた。この表現を世界のものにした意義は大きい。言葉は思想を運ぶ。その言葉が国境を超えるにはカタカナが適切なのだ。漢字を脱皮したことで普遍性という力を得たといえる。

 国際状況は深刻の度を増している。被団協の平和賞受賞はプーチンの核使用示唆に対する警鐘でもある。被爆の人々の献身的な努力にもかかわらず現実の壁は厳しい。核を脅しに使う政治家も存在する。プーチンや金正恩だ。授賞式に当たりノーベル委員会の委員長は語った。「被爆者の証言に耳を傾けろ」と。今回、92歳の田中さんのメッセージは電波の力で全世界に届いている。思想に年齢はない。

◇「原爆を許すまじ」の作詩者浅田石二さんが92歳になった。被団協の田中さんは「団歌」だと言っている。「ああ許すまじ原爆を、三たび許すまじ原爆を、われらの街に」。かつてこの歌は反核運動を奮い立たせた。アメリカの水爆実験に揺れた70年前のことである。被爆者たちに限らず一般大衆も口ずさんで、歌声は日本中に響き渡った。歌の力の威力が示した特異な例であった。「ああ許すまじ原爆を我らのわれらの街に」今、オスロから田中さんのメッセージと共にこの歌が甦る。歌は私の耳にこう響く。「三たび許すまじ原爆を世界の街に」。この歌をロシアの人々に、北朝鮮の人々に届けたい。日本人で広島・長崎の惨状の現実を知らない人は多い。平和賞受賞を機に広島・長崎を是非訪れて欲しい。「三たび許すまじ原爆を、われらの街に」、この歌を胸に。

◇大規模売春組織が摘発された。女性をソープランドなどの性風俗店へ売春目的であっせんし、女性が売春で得た金の一部を受け取った。組織犯罪処罰法違反である。あっせんした性風俗店は46都道府県の350店舗に及ぶという。群馬県も入っていると思われる。女性はSNSで容易に集まるというからこの犯罪の闇は現代的でどこまで広がっているか分からない。女性の写真を各店舗に送り紹介する。石破首相は闇バイトに国の危機感を募らせているがこの犯罪組織も闇バイトと繋がっているのだろうか。(読者に感謝)

 

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2024年12月11日 (水)

「被団協のノーベル平和賞の意味。終末時計は90秒前を示す。コロナワクチンの是非。ぐんまマラソンの経済効果」

◇日本被団協のノーベル平和賞は真実平和賞の名に値するものだと思う。佐藤栄作元首相の受賞時は「エッ」と耳を疑った。そしてこの賞が軽いものに思えてならなかった。

 代表の田中熙巳さんは92歳である。正に被爆者として歴史の証人である。被爆者たちがこの世を去っていく。受賞は大きなバトンである。タイミング的にも重要である。核戦争の危機がかつてなく高まっているからだ。この受賞を機に全世界が人類初の被爆の現実を自分事として受け止めねばならない。

 核戦争の危機を警告する、人類滅亡までの残りの時間を示す「終末時計」は今、90秒前を示している。被団協代表の田中さんは「核兵器で本当に国や国民の命、財産が守れるのか。絶対に守れない」と強調した。田中さんは受賞演説で核使用が取り沙汰される現状に「限りない憤りを覚える」と訴えた。核兵器で命や財産を守るとは核抑止論のことである。日本もこの抑止論にのっている。核のボタンが理性を欠く独裁者の手に、また理性を期待できないシステムに握られている。核のボタンは敵を恐れる誤解によっても押され得る。過去何度もその例はあった。「終末時計」の90秒はこのような状況も踏まえているのだ。

◇「私たちは売りたくない」、この題名の本が16万部のベストセラーになっているという。この本の出現の背景は一人の青年の死である。健康そのものだった影山晃大さんはファイザー社のワクチン接種後急性心不全で亡くなった。この青年の父親の告白が反響を呼んでいる。「最愛の息子はワクチンで死んだ」を読んだ。こういうこともあるのかと思った。コロナワクチン後遺症の真実はどこにあるのだろう。国はコロナワクチンに対してどのような対応で臨んでいるのか。

 私は9日、掛かり付け医の所でコロナワクチンの接種を受けた。医師は接種後の状態を慎重に判断していた。私は不安を感じていなかった。医師との信頼関係が重要である。感染症は次々に現れ対応して薬が作られる。いたちごっこの感すらある。薬による事故や訴訟も繰り返されてきた。自分の身は自分の判断で守るしかない。

◇ぐんまマラソンの経済効果が発表された。それを見て、必死で得た完走証を改めて見つめた。人生の勲章なのだ。経済効果は3億8,500万円。エントリー数は1万6,831人でコロナ禍前とほぼ同じだった。あの大河のような人の流れが甦る。世をあげて健康指向の時代だ。上毛三山や利根川がぐんまマラソンを支えている。(読者に感謝)

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2024年12月10日 (火)

「玉音放送と終戦。阿南惟幾の最後。女性はモンペ姿に」

◇間もなく今年も終わる。新年は戦後80年である。満84歳の私は改めて廃墟となった街の光景を振り返る。県庁近くで生まれた私は、8月5日の前橋大空襲を母に手を引かれて逃げたその手の感触と共に覚えている。母は必死で防空豪を目指していた。眠くて眠くて歩きながら眠っている状態の私は、まちを焼く赤い炎で目を醒した。翌8月6日前橋市街は廃墟と化し赤城山が遮る物もなくぐっと近くに見えた。正に国破れて山河ありであった。

 この日、幼い私には分からなかったがとんでもない出来事があった。人類初の原爆投下である。広島の市街は一瞬にして地獄と化し消滅した。続いて9日長崎に投下、14日ポツダム宣言受諾、そして15日天皇の終戦詔書放送いわゆる玉音放送である。有史以来初の日本の敗北が決まったのだ。皇居前広場で腹を切る者もあった。

◇陸軍大臣阿南惟幾の最期は立派であった。8月14日、最後の御前会議の後、なお抗戦を叫ぶ将校たちに「聖断下る。不服の者はまずこの阿南を切れ」と言った。午前11時首相鈴木貫太郎を訪ね、終戦の議が始まって以来頑固に戦争継続を唱えた無礼を詫びた。彼が去った後、鈴木は迫水書記官長に「阿南君はいとまごいに来たのだ」と言った。時計が15日になったころ阿南は陸相官邸で遺書を書いた。そして義弟竹下中佐と酒を飲みながらいろいろ話したあと「腹を切ったあともしバタバタしたときは君が始末してくれ、しかしまあそんな心配はあるまい」と言った。15日の朝が来ようとしていた。「夜が明けて来たからそろそろはじめる」と縁側で皇居の方を向いて座り、割腹し、右頸部を左手でさぐり短刀でのどを切った。サムライとしての最期であった。大きな混乱と新しい一歩が始まった。内務省は地方長官に占領軍向け性的慰安施設設置を指令。8月28日、連合軍第一軍が厚木に到着した。県は「進駐軍に対する県民への御注意」を各町村に出した。その中で婦女子心得として「服装はいつも正しくかつ地味なものを用い薄物とか肌を見せる格好はしないこと。特に事故の未然防止はモンペ着用に限ること」古来洋の東西を問わず敗戦地に於ける混乱、特に女性の悲惨な状況があった。鬼畜米兵と教えられて来た米兵が現実に勝者として目前に現れたのである。人々はおののき流言飛語が飛び交った。こういう中、我が家は逃れるように赤城の山奥の開墾生活に入った。私の84年の人生の原点である。米兵による混乱はほとんどなかったのである。(読者に感謝)

 

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2024年12月 9日 (月)

「韓国の異常な混乱。非常戒厳と弾劾訴追。最低賃金上昇と中小企業の行方」

◇韓国の混乱の激しさはその国民性とそれを培った歴史を抜きにして語れないと思う。長い歴史の過程で常に強国に接し、その侵略に脅かされてきた。日本の不当な支配も一例だ。

 尹大統領が出した「非常戒厳」は国を挙げての凄まじい反対を引き起こした。わずか6時間後に解除を余儀なくされたことはそれを物語る。次に大統領を襲ったのは弾劾訴追である。弾劾とは大統領、大臣、その他の官吏裁判官などの非行を追及することで、日本では裁判官についてのみ弾劾裁判所が設けられる。

 尹氏の弾劾訴追を巡って与党内も足並みが乱れた。与党代表は「大統領の速やかな職務停止が必要だ」として野党提出の弾劾訴追案に賛成すべきだとの考えを示した。訴追案可決には与党から8人の賛成が必要で、私は息を呑んで行方を注目をした。採決は7日夕方に始まった。

◇採決に先立つ提案説明で野党議員が発言した。「戦時でもないのに憲法を破って非常戒厳を宣布するとは常識では到底理解できない」

 しかし与党議員の大半が退席し訴追案は不成立となった。ソウルの国会議事堂前の広場はこの日訴追案の可決を求める人々で埋め尽くされていた。訴追案は不成立とはいえ尹氏への信頼失墜は明らかである。日韓、日米韓の協力関係にとって打撃になるのは間違いない。

 尹氏は採決前の国民向け談話で「国民に不安を与えた」と謝罪。そして「私の任期も含め今後の政策の安定策は与党に一任する」と述べた。この談話に失望した市民は多い。国民の怒りは収まらないと見られる。「共に民主党」は今後、毎週、臨時国会を開き弾劾訴追案を提出する方針を示した。

◇毎日コンビニに行くが気付くことは従業員の数が少なくなり機械化が進んでいることだ。私が関わる日本語学校の生徒もよく教育されているらしく手際よく仕事をしている。遠く海を渡り異文化の中で深夜も働く彼らの姿に敬服する。

 本県の2024年度最低賃金の時給が10月に改定され985円となった。それでも本県の引き上げ額は隣県と比べ低く、働く人々が他県の高い所に流れることが懸念される。賃上げが続く中で中小企業の倒産が増えている。原材料費やエネルギー費が上がっているのだから賃金上昇に対応する価格転嫁が出来なければ経営が苦しくなるのは当然である。日本の企業は数に於いては90数%が中小零細企業である。大きな転換期に小回りが利かない状況は悲惨である。(読者に感謝)

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2024年12月 8日 (日)

死の川を越えて 第63回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

  • 赤いチョゴリの女

 

 正助の身は、韓国のハンセン病患者の組織に受け継がれた。人々の交わす言葉は少ない。すべては心得ているといった様子で事は進んだ。韓国の船が動き出した。

 しばらく沈黙が続いた。日本に帰れる実感に正助の胸は躍った。朝日を受けて光る海が日本に通じていると思うと、さやとまだ見ぬ正太郎の姿が想像され、正助は助かった喜びにひたった。

 漁船を装った小船は韓国を目指して南下した。しばらくした時、黙々と背を丸くして作業をしていた男が振り向いて言った。

「お久しぶりです」

「あっ、あなたはあの時の」

 正助は思わず叫んでいた。そのかさぶたの顔は紛れもなく兵舎の前で正助に紙片を渡した李であった。

「あの紙で助けられました。本当にありがとうございました」

「何の、頭の力でございます。韓国は間近です。上陸したら2日ほどかけて京城に向かいます。安心してくだせえ。韓国は日本ですから。ただね、警察とか何かにひっかかるとややこしくなるから、頭のところまでは、われわれでお連れ致せと言われています。任せてくだせえ」

「何分、よろしくお願いします。あなたたちの力は十分に分かっていますから安心です」

 正助がこう言うと李はうれしそうにうなずいた。正助は、ウラジオストクのハンセン病の谷のこと、そして先ほどの地底の洞窟のことを思い出していた。あの海流が渦巻く分岐点を想像すると身がすくんだ。あの岸壁の目印こそ、闇の組織の力を示すものだと思えた。

「危ない所を通れてよかったですね」

 李が笑顔を向けた。

「生きた心地がしませんでした」

つづく

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2024年12月 7日 (土)

死の川を越えて 第62回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 朴に促されて徐はたいまつをさらに高くした。朴が岩肌の一角をさおで突いている。青黒いコケの下から妙な図柄が現れた。目を凝らすと、何と舳先の絵であった。朴はじっとにらんでいたが、やがて一方を指した。

 船は違う流れに乗って暗黒の世界を矢のように進んだ。正助にはずいぶん長い距離が過ぎたように思えた。船を操っていた金が何か叫んでいる。

「出口が近いと言っているの」

 徐が大きな声で言った。

「前が少し白いようだ」

 朴の声も弾んでいる。やがて前の白い影が強い光に変った。

「わあー」

 一斉に声が上がった。

 吐き出されるように船が出た所は穏やかな入り江の奥であった。振り返ると今進んできた洞窟が何事もなかったように黒い口を開いている。

「ここに、韓国の仲間が現れることになっている。あなたを渡して、われわれは表の海を通って帰ります。国境は越えたのであなたは心配ない。私たちも何とかなります」

 正助は命を助けられたことに万感の思いで礼を言った。固く手を握り肩を抱き合って命の喜びをかみしめた。

「船が来たようです」

 金が前方を指して言った。

つづく

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2024年12月 6日 (金)

「首相が所信表明で闇バイトを取り上げた。トクリュウとは。西成暴動消滅の意味」

◇臨時国会が始まったが議場の様子が変だ。石破首相の所信表明演説を聞く議員たち、特に自民党議員たちの姿に緊張感が全くない。明らかに眠っていると見える人もいる。この光景は何を意味するのだろう。選挙で大敗し戦うことを諦めているのか、それとも首相を本気で支える気がないことを物語るのか。壇上の首相に目を醒させる迫力がないのは確かだ。

 所信表明演説でオヤッと思わせる場面があった。次のように述べたのだ。「闇バイトによる強盗、詐欺の報道を見ない日はありません」、「悪質な事件の主体となっている、いわゆる匿名・流動型犯罪グループの検挙を徹底する取組みを一層推進してまいります」。

 匿名流動型犯罪を「トクリュウ」という。この用語は新聞等でもよく見かけるようになった。一国の首相が所信表明の中で徹底して検挙すると発言した。これはこの犯罪がいかに深刻かを物語る。社会を侵食するこの犯罪は、国家的な問題になっているのだ。

 実行役の実態は30代から40代が多いという。SNSなどで「闇バイト」と称して集められる実行役は駒として使い捨てにされる。事件ごとに実行役は入れ替わる。彼らの多くは暴力団とは異なる。それだけにやっかいなのだ。普通の市民として社会的に弱いところに付け入る隣人でもあるのだ。合法を装い、スレスレの所を狙ってアメーバのように増殖している。首相が敢えて言及したのはトクリュウに危機感を抱いているからに他ならない。この危機感は居眠りをしている議員にどの程度伝わっているのだろうか。

◇「西成暴動」で名高い「あいりん総合センター」に数百人の人が向った。作業員、市職員、警官、裁判所執行官などだ。なぜこのような物々しい人々が。センター立ち退きを命じる判決が確定し、12月1日その執行のための人々である。過去幾度も労働者たちの激しい騒乱が起きていた。きらびやかで豊かな社会が広がる一方で貧しさに苦しみ、社会の矛盾に不満を抱く人が多くいた。あいりん地区はその象徴であり、騒動はそのストレスの暴発ともいえた。今回は、数百人の備えは空振りに終わった。ほとんど何も起こらなかったのだ。日雇い労働者たちは高齢化し、あいりん地区には騒動を起こすエネルギーはなかったのだ。かつての過激な空気を懐かしむ声もある。

 日本全体に高齢化は進むが、日本の社会で人々がエネルギーを失っているのは高齢化だけが原因ではない。不正に憤る精神が失われている。学生運動も過去のものに。日本はどこに向うのか。(読者に感謝)

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2024年12月 5日 (木)

「朝令暮改、尹大統領の混乱ぶり。日韓民間交流の重要さ。玉木代表の不倫の重さ」

◇朝令暮改とはこのことだろう。韓国の尹錫悦大統領は3日夜、緊急談話を出し、「非常戒厳」を宣言した。熱しやすい韓国の人々が一斉に動く姿が報じられた。45年ぶりという。信じ難いのは6時間後に解除に至ったことである。

 北朝鮮と激しく対立し一触即発の状態にあるとはいえ、一国の大統領がかくも簡単に非常な大権を行使し得る危険性におののく思いだ。朝鮮半島は火薬庫とされ引火性の高い国民と言われることがある。尹大統領の支持率が10%代に落ちていた。個人的な焦りがかくも国政に影響を与えうるものか。

 大統領は野党が国政を麻痺させており、内乱状態だ、その背景に北朝鮮がある、北朝鮮に従う勢力を清算し共産主義勢力から国を守るためだと決意を語った。国会は全会一致で宣言解除を求め大統領の辞任を求めるデモが大波のように寄せた。安保の時の日本の国会を想像する。大統領はこの動きに屈したに違いない。予想出来たことではないか。大統領弾劾訴追案が出されている。尹体制は風前の灯びの感がある。韓国の政情不安は直ちに日本に影響する。そして北の金正恩を喜ばせているかも知れない。日韓両国間には複雑な歴史問題があり尹大統領との間でそれを乗り越える機運が進んでいた。

◇国のトップが揺らぐ時こそ民間の文化交流は重要である。現在の両国の文化を担う若い世代に歴史的な偏見はない。来年は日韓国交正常化60年。この機を大いに活かさねばならない。

 韓国文化相は歌手や俳優などの芸能活動に必要なビザを相互に緩和・免除することを望んでいると言われる。日本の安全保障のためにも好機である。

◇国民民主党は玉木代表を役職停止3ヶ月に処した。これがどういう意味を持つか考えねばならない。享楽の世相の中なので不倫くらい大したことはないと受け止める向きは多い。

 しかし、そうではないのだ。政治不信の改革を叫ぶ顔に多くの人は清潔さをイメージしていたから裏切られたと思った筈だ。同党の榛葉幹事長は語る。「党の名誉ならびに信頼を傷付けた」と。その通りに違いない。この役職停止によって玉木氏は本来の行動が出来なくなる。与党との協議事項の当面の課題は「103万円の壁」である。所得税がかかる年収の最低ラインを178万円に引き上げることだ。国民民主党では玉木雄一郎氏の存在感が抜きん出ていただけに不倫問題と役職停止は同党にとってかなりのマイナスになるに違いない。それが形の上で現れるのは来夏の参院選だ。注目したい。(読者に感謝)

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2024年12月 3日 (火)

「闇バイトが広がる。サケに畑に日本は隙だらけ。万引きにとって宝の山。西成地区が変わる」

◇石破首相は所信表明演説の中で多発する闇バイト事件に触れた。大きな社会問題となっているが「バイト」という表現は良くないと思う。アルバイトという正当な仕事と繋がっていることを連想させ、罪の意識をうすくさせる効果があると思われるからだ。闇バイト事件は多発し続けている。首相は防犯カメラ整備などを宣言した。日本の犯罪状況が大きく変わりつつある。

 〈闇バイトここまで来たかサケをとる〉北海道の川でサケを密漁し逮捕される事件が報じられている。これも闇バイトとされる。川は監視がゆるいから犯罪グループにとって絶好のターゲットなのだろう。斜里町海別川左岸である。この事件では既にベトナム国籍の男が逮捕されている。道警はSNSなどを通じて離合集散する「匿名・流動型犯罪グループ」いわゆる匿流のメンバーとみている。社会の急激な変化に伴って犯罪現象も変わる。注目されるのは外国人である。豊かで優しい、そして隙だらけの日本の社会が赤子の手をひねるように狙われるのは当然である。サケが狙われているが田畑にも簡単にとれる価値ある物がいくらでもある。

 私の友人で外国人実習生に関わる人がいる。この人はベトナム人の犯罪について驚くべき実態を語った。国際的な組織犯罪グループが万引きの商社のような動きを示している。ベトナム人が各地で盗品の集積所を設け空港を経由してベトナムに輸出しているという。ドラッグストアなど、盗む気ならいくらでも盗めると言われる。あらゆる商店が人手不足もあって死角だらけである。万引きのプロにとって宝の山に違いない。これから先、日本は人口が更に急激に減る。不法外国人は増えるだろう。

 私たちは国を守るということを根本的に考え直さねばならない。それはミサイルによる侵略に備えることだけではない。白アリに食い荒らされるような国内の治安からも守らねばならない。「天網恢々疎にして漏らさず」。法の網は粗いようだが、決して悪事を逃さない。古い諺をかみ締める時が来た。

◇日雇労働者の町、大阪西成の象徴が大きく変わる。1日支援施設から野宿者たちが強制撤去させられた。西成では過去に労働者らによる暴動が繰り返されてきた。その日その日の仕事を求める多くの労働者、家族や地域などの人間関係を捨てた人々、色々な事情で身を隠す人も多かったろう。ここにも高齢化が迫っていた。西成の高齢者の今後は。一つの時代が終わったのだ。(読者に感謝)

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2024年12月 2日 (月)

「日中水墨画展の嬉しい出来事。甦る“中村文庫”のこと。日中友好を増進させる時」

◇11月30日の日中現代墨画会展は大きな催しであった。小さな子どもから大人まで何十人という人々が受賞した。群馬県日中友好協会は共催者として役割を担った。その懇親会で、私の心を熱く揺り動かすことがあった。

 メインのテーブルで私の左は中国大使館文化部書記官孫研女史、そして右は日中現代墨画会顧問の曽令富氏である。この人は人物画を得意とする。国内外で催された美術展で数々の賞を得た。そして中国書画百傑の一人とされ21世紀で最も影響力のある画家にノミネートされている。私の隣りに座るこの人の風貌は飾るところのない野人である。この人から自作の作品集の水墨画「曽令富の世界」を頂戴した。

 懇親会では、初めに群馬県日中友好協会会長として挨拶した。中国語と日本語半々で話した。さて心を熱く揺らす出来事とは大使館の孫さんが語る意外なことであった。この人は大連外国語学院大学を卒業され、この大学で日本語を指導した経歴を持つ。この大学には懐かしい思い出がある。私はかつてこの大学へ多くの本を寄贈したことがあると語り出した時、孫さんは目を丸くして「まさか中村文庫の」と発言したのだ。きっかけはこの大学で大勢の学生に講演したことである。担当の教授は「通訳は必要ありません」と自信ありげに言った。満堂を埋めた学生は私の話をしっかり受け止めていた。話は「明治維新を中心とした日本の近代と現代日本が抱える課題」であった。話が終わった後、何人かの学生は日本語で的確に質問した。東大の生徒が英語の講演を聴いて、このように英語で質問が出来るだろうかと想像し舌を巻いたのである。この出来事が契機となり県立図書館の多くの古い本を贈るようになりやがて「日中友好中村文庫」成立に繋がった。孫さんの目には涙があった。中村の姓はありふれている。まさか私が“中村文庫”の産みの親とは想像もしなかったらしい。孫さんは言った。

「中村文庫は日本を研究する人々に愛され役に立っています」。この文庫が出来た後、群馬県は県が定期的に出す出版物を定期的に贈るようになった。それがまだ続いているに違いない。この大学と県立女子大との提携も成立し交流は細いながら続いている。孫さんはまた、「近い将来大連外国語大で中村さんがまた講演するといいですね」と言った。私もそのことを考えていた。文庫が出来た時と違う状況は私が日中友好協会の会長であることだ。この文庫を日中友好の発展のために真に活かす時が来たのだ。この大学は現在大連市から規模を大きくして旅順に移っている。(読者に感謝)

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2024年12月 1日 (日)

死の川を越えて 第62回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 ロシアの沿岸警備艇は高速で近づき、舳先の旗を見、船をのぞき込み、何やら叫んで去って行った。

「死体は一つか。後で報告しろと言った。全く形式のことだ」

 朴は、こう言って、もう大丈夫と筵の下の正助に合図した。

 小船は島影を目指して進む。間もなく樹木が覆うひときわ大きな島の姿が近づいた。

「あの向こうが悪魔の腸です」

 朴の声が緊張している。突き出た大きな岩の山を巡ると黒い闇の所からごうごうと響く音が聞こえた。黒い穴が口を開け、海流はすごい勢いで流れ込んでいた。

「えー、ここに入るのですか」

 正助は思わず叫んだ。

「体をつないで」

 朴の声で総勢4人の人々は、船底に固定された綱を取り、それを体に巻いた。そしてたいまつに火をつけた。炎に浮き出る徐の目が正助に〈大丈夫よ〉と語っている。

 船は吸い込まれるように突き進んだ。流れがまわりの壁に反響してごうごうと音をたてる。正助は体に巻いた綱を必死で握りしめた。

 たいまつの炎の中をいろいろな形の岩肌が過ぎる。それは巨大な舵のくねる姿であったり目をむく悪魔の顔にも見えた。

 長いこと時間がたったように感じた。水の流れ方と岸壁に響く音が変化したと思われた時、金が必死でさおを岸壁に付き立てて船を止めた。逆巻く渦が岸壁に当たって波頭が光っている。

 徐がうなづいてたいまつを高く掲げた。そこで流れは3方向に分かれている。それぞれの流れは轟音を立てて漆黒の闇に消えている。正助は流れの先の地獄を想像して怯えた。間違えたら大変なことになるのは明らかだった。

つづく

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