死の川を越えて 第71回
※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。
- 再会
段取りが進んでいたらしく、正助の身は日本軍の部隊に移され、一応の取り調べを受け、軍の病院に入ることになった。病院で検査を受けたところによると、正助の傷はかなり深刻であった。弾丸が貫通した太ももの機能は回復しておらず、従軍して重労働に従事するのは無理と判断された。
また、正助が長いこと抱えているハンセン病について、これまで、厳密に軍の手で検査を受けることはなかったが、この入院で正式に調べられた。その結果、病状の進行はないがハンセン病の患者を軍に置くことはできないということになった。これらの事情で、正助はひとまず軍を除隊し本国に帰ることになったのである。
意外な展開に正助は驚いた。不名誉と思う一方で、古里の山河が浮かぶ。さやとわが子、正太郎に会える。先日までのことを思うと激しい変化に戸惑うばかりであった。
正助はさやに手紙を書いた。「正太郎は元気に成長していますか」。そう語りかける紙面に元気な男の子の顔が浮かぶ。「けがをして帰ることになったが命に別状はないから大丈夫です」と書き、ウラジオストクのハンセン病の集落などに触れ、「詳しくは帰ってから話すから楽しみに待っていておくれ、万場先生や権太たちにもよろしく伝えてください」と結んだ。さやの喜ぶ顔が見えるようだ。正助の心は早くも古里に飛んでいた。
正助が、他の送還される兵士とともに福岡の港に着いたのは、ある秋の日のことであった。踏み締める大地も町の家並みも正助を温かく迎えているようであった。
万場老人の家の戸を激しく叩く者があった。老人が何事かと戸口を開くと息を切らしたさやが叫んだ。
「正さんが帰るの」
「えっ、本当か」
万場老人も叫んだ。
「これを見てください。正さんの手紙です」
老人は受け取ると食い入るように呼んでいる。
「うーむ、正助は大変な経験をしたらしい。海底の洞窟の事が書かれているな。恐ろしいことだ。正助があそこを通ったとは不思議な因縁じゃ」
万場老人はそう言って、目を閉じしばらく考えている様子であった。恐ろしい暗黒の場面を想像しているのであろうとさやは思った。それにしても、万場老人は、その洞窟をなぜ知っているのだろうと不思議に思った。
つづく
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