死の川を越えて 第56回
※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。
「土の中からお前の手が伸びて動いているので生きていると分かった。われらは死人から着物をもらうのが目的だが、お前の顔を見て助ける気になった。大けがだが、助かるだろう。お前の腕を見て、我々と同病と分かった。人は、ここをハンセンの谷とも死の谷とも呼ぶ。お前を助けたことが不思議だ」
男は上手な日本語で話した。
「これを食え、力がつく」
先ほどの女が湯気の昇る椀を差し出した。
「あ、いたた」
身を起こそうとして叫ぶ。
「まだ動くのは無理だろうが食え。普通の人間の食うものでねえが、こんないい薬はねえ」 別の男が言った。どろっとした何やら動物の臓物のようだ。大変な空腹に堪えていた正助は椀に口を付けてすすった。
「うまい」
思わず叫ぶと周りからどっと笑い声が上がった。
「上着を」
正助は手を挙げて探るように動かした。
「これか」
女は、軍服を引き寄せて正助の手に近づけた。正助はそれをしきりにまさぐっていたが、やがて襟元のあたりから何かをつまみ出した。
「これを見て下さい」
人々の好奇の目が一点に集中した。油紙に包まれた一片の紙。一目見て男は叫んだ。
「あっ。やはりお前は」
驚く声。興奮した朝鮮語が飛び交っている。
「どこで、これを」
一人が鋭く聞いた。正助は、京城の出来事、日本のハンセン病患者の集落のことを話した。
つづく
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