人生意気に感ず「国の役人に見るハンセン病に対する姿勢。恥を知れと叫んだ。真の人権教育を。台風10号の教訓」
◇8月30日の重監房の会議で私は燃えた。厚労省の役人がオンラインで参加。その発言は長い間ハンセン病患者を苦しめた偏見の国策を象徴するように見えた。膨大な敷地には元患者の住宅が並ぶ。今は亡き藤田三四郎さん宅を何度も訪れたことを思い出した。この敷地に隣接して重監房資料館に至る細い道がある。舗装されていない凸凹道で酷い状態なのだ。長い間、町・県・国に陳状がなされて来たが進展しなかった。この日も議論がなされた。国の役人は頑なであった。出来ない理由は道路の所有権が国の物でないからと主張した。私は思わず叫んでいた。「恥を知れ恥を」。都知事選で165万票を集めた石丸候補の言葉である。わずか1キロ足らずの細い道は見学者を導く命の綱。再現された資料館には怨みをのんで死んだ人々の幽鬼の姿が漂っている。近くにはかつて死の谷と言われた湯川が流れている。私はこの谷を舞台の出発点とした小説「死の川を越えて」を約1年上毛新聞に連載した。新聞がハンセン病を正面から取り上げることは決断を要することであった。
差別と偏見は永遠の課題であり現在の子どもの世界のいじめとも繋がる。道路舗装は国が後押しして県や町と強力すれば簡単にできることだと主張した。役人は前向きに検討する趣旨の発言をしていた。烈火の如く怒るのは私の悪い癖。反省の気持ちが湧いてくる。これをエネルギーとして83年を生きて来た。
◇この日の会議でいくつか発言したがその中に人権教育に関することがあった。事業活動計画の一つに「教育委員会等と強力して児童生徒の人権教育に強力します」とある。「生きた人権教育がなされていない」と発言した。これは長い議員生活で痛感したことであった。私は自民党の議員として人権を発言したが、人権問題は特別の政党が取り上げるのが常であった。この風潮は変わっていないと思われる。
◇台風10号は不思議な動きをなし熱帯低気圧に変化した。予測不能の社会が進むがその象徴というべきだろう。30度を超える海水は想像を絶するエネルギー供給源となっている。線状降水帯、瞬間風速60m、見渡す限りが海と化す光景、その中を走る車の列、こんなことが常態となっていくに違いない。伊勢湾台風なみの強力と恐れられたがそれを避けられたのは不幸中の幸であった。災害は様々な要素が結び付いて結果が生まれる。10号は台風新時代、そして災害新時代到来への教訓とすべきだ。(読者に感謝)
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