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2024年9月30日 (月)

人生意気に感ず「袴田再審、控訴は断念すべきだ。意外な総裁選の結果」

◇静岡地裁の再審公判につき改めて記す。大方の予想通り無罪判決だった。死刑の再審無罪は戦後5例。今回警察による酷い拷問が認定された。睡眠時間も十分に与えられず衰弱すると医師が注射を打ったり薬を与えたりした。戦前の特高を思わせる拷問が、新憲法下、拷問は絶対に禁ずるという制度下で行われた。検察の控訴に注目が集まる。その期限は10月10日。88歳の袴田さんは逮捕から58年、認識能力も極度に落ち、姉のひで子さんが言うように余命はいくばくもない。検察は意地とか面子で控訴すべきでないことは明らかである。司法の筋を通すために控訴することは有り得るがそれは今回の判決の中味による。検事側は控訴につき判決内容を精査し、適切に対処すると述べた。主人弁護人は検察に控訴を諦めさせるのに十分な判決と評価。

 証拠について捏造を明確に認めた点に私はこの弁護人と同じ思いを抱く。検察は裁判開始後に血痕が付いた衣類を提出した。

 再審請求の時、弁護側は血痕に残る赤みに着目した。弁護側は再審の実験をした。その結果を踏まえて1年以上味噌に漬ければ赤みは消える。袴田さんのものではないと主張。今回裁判所は前の裁判より明確な形で捏造と断定した。これでも控訴するかと突きつける形である。

 袴田さんは47年7ヶ月拘束された。国の誤りが明らかになれば責任を取るのは当然。刑事補償法は無罪が確定した場合の補償を定める。弁護側によれば2億円超になる見通しという。更に弁護側は警察や検察の責任を追及する国家賠償請求控訴も起こす方針とされる。

◇自民総裁選は意外な展開となった。当初憲政史上最年少の小泉氏が最有力と思われていた。その後高市氏が頭角を現し初の女性首相の誕生かと注目されだした。石破氏は党員の間では人気第一ながら議員の支持者は少なく無理と思われていた。高市氏のアキレス腱は靖国神社参拝を主張する点にあった。中国、韓国とうまく行かないだろうという懸念である。派閥が麻生派を除き無くなって総裁選の雰囲気が一変していた。第一回での過半数獲得は無理で上位2人の決戦となることは確実であった。小泉、高市、石破各氏の中で2人である。押し詰まった段階で麻生派が動いた。決戦では一致して高市氏を押すというのだ。60人近くがまとまれば結果は明らかである。私は高市氏に不安を抱いていた。勝敗は意外であった。最後の挑戦と訴えていた石破茂氏が第102代の総裁、つまり事実上の首相である。顔が悪いと人は言うが首相の舞台が顔をつくるに違いない。(読者に感謝)

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2024年9月29日 (日)

死の川を越えて 第43回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

「ご隠居様はアヘン戦争のこと、北のロシアの恐ろしさのことなどよく話して下さいました。そんな世界で正義ということが通用するのでございますか」

 先ほどから黙って聞いていたこずえが口を挟んだ。

「当然じゃ。いつの時代も戦いには正義がなくてはならぬ。国の運命、国民一人一人の命が関わることは、正義があって初めて動くべきこと。この基本を忘れるなら必ず失敗する。これは長い人類の歴史が教えることなのだ」

 こずえは感心したように大きくうなずいた。

「今の戦いはヨーロッパが主戦場でな、中国大陸はがら空きになっておる。日本は日英同盟によってイギリス側でな。イギリスの要請で日本はドイツに宣戦布告した。そしてドイツの領分を攻撃し、勢力を広げようとしている。日本の指導者は絶好の好機を考えとる。ここぞとばかりに中国に無理な要求をつきつけたというわけだ。わしに言わせれば、家事場泥棒じゃ。火事場泥棒の片棒を担がされる正助は、このことを知らぬ」

「まあ」

「何ということ」

 さやとこずえは不安そうな視線を交わした。

「とにかく、このところの中国の情勢は目が離せぬ。わしの所へは、いろいろ情報が入る。その都度話してやるが、お前たちは心配せず、しっかり毎日を生きねばならぬ。それが銃後の守りというものじゃ」

 万場老人は、口元を引き締めてきっぱりと言った。

 京都帝国大学で小河原泉に会って、さやは子を産むことに光明を見いだした。そして、何としても産みたいという強い決意になっていた。神から授かった尊い命であり、正助との間を結ぶ唯一の絆でもあった。さやの決意を知ってから、こずえはしっかりとさやを支えた。それは、万場老人の指示であったが、それ以上に命を育むさやへの同志的思いもあった。

つづく

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死の川を越えて 第42回

 

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

「秘密はあるけど、あなたは別よ。ふもとの村に大きな屋敷があって、昔のご先祖は大きな力をもっていました。ご隠居様は東京でお生まれになり立派な大学で学問を積まれました。発病されて、一族の名誉を考えて、湯の川地区に入られたのです。私は縁者で、里から物を運んだり、身の回りのお世話をしているの。話せるのはこの位よ」

 さやは、話を聞いて胸がふくらむ思いであった。こずえの明るい笑顔の奥に、品格と人の歴史を感じるのであった。

 うなづくさやの横顔を見てこずえが言った。

「ご隠居様に、あなたのお世話をするように言われているの。今日のお話を聞いて、私も勇気が湧いた。ご隠居様に報告しましょうね。私の里にあなたをご案内する日が来ると思います。一緒に頑張りましょう」

「ありがとう、こずえさん」

 さやの目に涙が光っていた。正助が旅立ってからしばらくして、便りがあった。それには、正助の隊は中国へ向かうらしいとあった。

 ある日、さやはこずえと共に万場老人を訪ねた。

「そうか、京都大学の先生がそう申したか。それが正しいと思う。それを信じようではないか。遺伝はしない。感染の力も弱い。これこそ湯の川地区の光を支える力だ。正助が知ったらどんなに喜ぶことか」

「正さんは中国へ向かったと言います。中国とはどんなところで、戦いはどうなるのですか」

 万場老人は、傍らの書物の山から何枚かの書類を引き出した。

「中国に4億の民がいると申す。前にも話したことじゃが、中国の民が日本に対し一斉に怒りを向け始めた。若者だけでなく、一般の市民や農民までは半日を叫び出した。正助がそこに向けて入って行ったとすれば、わしは正助の身が、そして日本の将来が心配でならぬ」

 さやが抗議するような目を老人に向けた。

「問題は情報じゃ。国民に正しいことが伝わらぬうちに日本丸が恐ろしい方向へ向かう恐れが生まれる。その中に向かう正助が不憫じゃ。勝っただけで安心してはいけないのだよ」

〈私たちだって大変〉。さやは心でつぶやきながら、そっとおなかを撫でた。

「まずな、今の世界戦争を日本の指導者は天の助けとみている。わしには、日清、日露で勝ったことで付け上がっているように思えてならん」

 老人の目が光った。

つづく

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2024年9月28日 (土)

死の川を越えて 第41回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 小河原は去っていくさやたちを研究室の窓越しに見ながら、ああいう人たちまで隔離するというのは絶対に間違っていると思った。研究室の同僚が小河原に言った。

「上州の草津の人たちですか。あそこは研究の宝庫だね」

「そうです。僕は草津の人に会ってここの方針が正しいことを確信したよ。感染力は弱い。学界と国は隔離すればいいと思っている。僕はこれは間違っていると思う。君はどう思うね」

「基本的には、小河原君と同じだよ。日本の主流は一生隔離というんだから、ひどい。人道に反する。実際、治る人もいるのだから、よくなったら解放すべきだと思う」

「僕は、草津のあの女の人たちの輝く表情を見て思ったんだ。仮にあの人たちを隔離したら、あの表情は消える。ということは何を意味すると思う。心の力が失われるということじゃないか。免疫力が下がってしまうと思う。あの人たちが言っていた。湯の川というハンセン病患者の集落は、患者たちが助け合って村を運営しているというんだ。僕はこういう助け合いの力が免疫力を生み出しているとさえ言えるんじゃないかと思うんだ。医は仁と教えられた。隔離は仁に反することだと思う。今日、あの人たちに会って、改めてこのことを確信したよ」

 小河原は、にっこりと笑って言った。

 京都帝国大学の構内を出たさやたちの足取りは軽かった。前途に光明を見いだした思いであった。

「こんなうれしいことはないわ。ご隠居様も大喜びよ」

 こずえが自分のことのように喜ぶ姿が、さやには光を放つように見えた。

 帰りの車中で、2人の話は万場軍兵衛のことに及んだ。

「万場老人は不思議な方ですね。病気のことを聞いてはいけないのでしょうけど。心の支えです。とても感謝しているわ」

 

つづく

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2024年9月27日 (金)

人生意気に感ず「袴田再審無罪下る。兵庫県知事の意外な決断の行方。新総裁は」

◇昨日午後2時が少し過ぎて予期した出来事があった。建物から飛び出して来た人は大声で叫んだ。「無罪です。無罪」。事件から58年経っていた。裁判官の声である。「主文、被告人は無罪」、法廷に被告人の袴田さんはいない。長い間の恐怖で精神が破壊され出廷が免除されていた。姉のひで子さんが判決を聞いた。91歳とはとても思えない若々しい姿。弟を思う闘う姿勢が支えてきたに違いない。死刑が確定していたから、無実の人を死刑にするところだった。再審の扉は容易に開かない。人間は誤りを犯す。裁判官も人間である。多くの冤罪が報告されてきた。極刑たる死刑も冤罪が有り得ることを袴田事件は改めて突きつけている。裁判官は3つの証拠捏造を指摘した。自白調書などを捜査機関ででっち上げたというから信じ難い。今後の最大の課題は検察が控訴するか否かである。検察は今回も死刑を求刑していたから、その面目は丸潰れである。しかし面目に拘わる場面ではない。潔く非を認めることが司法の権威を守ることだ。

◇昨日の兵庫県知事の会見を見た。ごうごうたる世論は正に四面楚歌だった。止めとも言うべき一撃は県議会の不信任決議だった。86人全員の一致は前代未聞であった。辞職するだろうという見方が多かったが知事は失職を決断した。「鋼のようなメンタル」という声があったがこの日も理路整然乱れるところはなかった。決断は前日の朝だという。一高校生の手紙に触れた。世間は厳しいが負けないでとあることにぐっと来たという。うそとは思えない。知事はこの会見で数々の実績を挙げた。改革の断行には反対や抵抗があるのが常。高校生は改革の状況を見たに違いない。知事は選挙のことに触れ、一人でやると公言した。知事選となれば無数の団体が集まるのが常だ。敢えて一人でと表明したことに大きな戦略を感じる。選挙になれば世の注目が集まりマスコミは連日オリンピック並みに騒ぐに違いない。逆境を逆手に取った作戦の行方を見ることにしよう。民主主義は衆愚政治の波に溺れようとしている。兵庫県知事は恥の上塗りで天下の笑いものになるのか本物ぶりを発揮して一石を投じるのか全国民が見守ることになる。

◇今日午後自民の新しい総裁が決まる。決戦投票になるのは確実で旧派閥の動きも慌ただしくなっている。事実上の次の首相である。裏金問題で前代未聞の政治不信が生じた。そこに踏込んだサプライズは見られるのか。自民党の再生は日本の再生。コップ内の嵐で終わってはならない。(読者に感謝)

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2024年9月26日 (木)

人生意気に感ず「息を呑む自民総裁選の行方。今日袴田再審、信じ難い拷問のテープ。兵庫県知事の決断」

◇事実上の日本のリーダーとなる自民党総裁選を前に駆け引きが激化している。石破、小泉、高市3氏のうち上位2人の決戦投票に進むのは誰か。かつて「実弾」が戦争のように飛び交った時とは様相が一変した。1万円札の段ボール箱が積み重ねられていた話を聞いたこともある。金まみれがなくなったことは日本の民主主義の進歩かも。

 次の総裁にふさわしい人を問うある世論調査では石破26%、小泉21%、高市11%とか。当初と比べ小泉氏がやや失速、石破と高市各氏が力を得ているらしい。いよいよ明日投開票だ。派閥はほとんどなくなったが旧派閥の人の魂は残る。人と人との繋がりは簡単に切れるものではない。一般社会以上に政治の世界ではそれがいえる。物心両面でのドロドロした関係だ。注目される動きは麻生太郎副総裁、菅前首相、岸田首相。実弾でなく電話等による「声弾」作戦の展開が伝えられる。

◇いろいろな事が起きる毎日だ。歴史の激流の中に居ることを感じる。袴田死刑囚の再審判決が今日26日午後2時に行われる。凄惨な録音47時間分が2014年静岡県警の倉庫で発見され弁護側に開示された。奇蹟の出来事というべきだ。取調官は連日執拗に自白を求めた。衰弱していく袴田さんに医師は注射や薬を処方。「他に犯人が挙がったらどうする?」。袴田さんの声である。「お前が犯人だ。謝れ」、「泣いてみろ」、「泣きなさい」。この泣いてみろの言葉は約100回も発せられた。憲法は拷問を絶対に禁ずるがこれは拷問以外の何物でもない。今日2時の判決は無罪の公算が大きいが検察は改めて死刑を求刑している。

 昨日、袴田さん姉弟の姿をテレビで見た。91歳の姉はかくしゃくとし、弟を思う気持ちが伝わってくる。その笑顔は無罪を確信しているように見えた。この判決を機に死刑制度の是非を巡る議論が大きく沸き起こっていくことを期待する。世論が少しでも死刑廃止の方向へ前進するなら、それは長い間苦しんだ袴田さん、そしてその姉に対する大きなプレゼントになるに違いない。冤罪で処刑された人もあるに違いないと私は考えている。そういう人たちは天国で今日の再審判決を感慨深く受け止めるに違いない。処刑された後の問題については死後再審が現実のこととして問題になっている。

◇兵庫県知事の出直し選挙はあるか。不信任決議が可決され、29日までに議会を解散しないと失職する。社会的知名度の爆上がりをどう読んでいるか。再選を諦めていないとも見える。衆愚の大衆と民主主義が試される瞬間だ。(読者に感謝)

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2024年9月25日 (水)

人生意気に感ず「野田氏は千載一遇のチャンスと。ハリスの姿を息を呑んで見た。新総理への期待」

◇「政権奪取の千載一遇のチャンス」こう言っていた野田元首相が新代表に選ばれた。23日の立憲民主党の臨時党大会である。チャンスとは裏金事件で多くの国民が自民党離れを起こしている事態である。日本の政治の悲劇は政権を担当し得る野党が存在しないことである。しかし、政権担当の経験がある野田氏なら大丈夫かも知れないという期待感がある。この期待感は代表選に臨む4人の公開討論の中で生じてきたといえる。野田氏は政治改革に先立つ党大会でも政権交替こそ最大の政治改革と訴えていた。今回野田氏が選出されたことに関し、自民の石破氏は弁論の雄で非常に手強い相手になると評した。このところ小泉氏の評価が下降気味なのは野党の勢いと関係があるのではなかろうか。

◇大統領選が1ヶ月半後に迫るハリス氏支持が加速しているようだ。超党派の退役軍人や外交安全保障を担当した元高官ら700人以上がハリス氏支持を表明した。これは大変な事態に違いない。ハリス氏が民主主義を守るのに対しトランプ氏は民主主義を危うくすると警告。元高官らは「民主主義か権威主義かの選択になる」としてハリス氏への投票を呼びかけた。

 また、トランプ氏の具体的問題を次のように厳しく指摘した。「2020年の大統領選の結果を覆そうとして議会襲撃事件を扇動し結果を確定させる議会手続きを妨害したとして起訴されたのにも拘わらず一切反省をせず軍の最高司令官の資格はない」。共和党を含むこれだけ多くの要人がトランプ氏に危機感を抱くことはただ事ではない。アメリカの良心を見てとることができる。トランプ氏に対する痛烈な打撃であることは間違いない。

 トランプ氏は、11月の大統領選に敗北した場合2028年の大統領選に出馬しないと発言した。メディアや解説者には気が弱くなった、半ば諦めていると説く向きがあるようだ。さすがの猛獣も風船の空気が抜けるように力が尽きようとしているのか。

◇今月の「ふるさと塾」は目前の土曜日。9月10日の世紀の対決に強い関心を寄せてきた。アメリカでは6700万人が生で見た。私も期待と不安が混じった気持ちで開幕を待ち、幕が開けてからはハリス氏に喝采を送りながら胸をときめかせて見た。塾ではあの感動を共有しその後の変化を語り11月5日に繋げたい。総裁選も状況は予断を許さなくなった。新総理は世界の指導者と互角に渡り合って日本の運命を守らなければならない。熱い歴史の渦中なのだ。(読者に感謝)

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2024年9月24日 (火)

人生意気に感ず「84歳で10キロに挑戦!認知症は1千万人を超えた。大谷の快音は響く!ハリスの勝利、日本の総裁選」

◇来月私は84歳を迎える。今年は人生で一つの節目と捉えている。毎日約2キロのコースを3回走っているがぐんまマラソン10キロ完走の壁が目の前に立ちはだかる。足の筋力が衰えているのだ。ふと気付くと「あの人もか」と知人が活動の一線から後退している。認知症の大波がひたひたと押し寄せる。65歳以上で認知症の人は軽度を含めると1千万人を超える。役に立たなくなった老人を捨てる姥捨て伝説を想像する。現代社会でも判断力を失い生産性のない人間の存在を否定する事件は珍しくない。問題の根本は基本的人権である。かつて認知能力を失った人は偏見に晒され部屋に閉じ込められたり施設のベッドに拘束されたりした。私は抑制廃止研究会を立ち上げた一人として抑制され人権を無視された人々の悲惨な現実を見てきた。

 今年1月に認知症基本法が施行された。この法の目的は認知症の人が尊厳を保持しつつ希望を持って暮らすことが出来ることである。この法律は毎年9月21日を「認知症の日」とする。認知症への関心と理解を深めるためである。

◇閉塞感に苦しむ人々の胸に「カーン」と大谷の快音が響く。本塁打と盗塁を示す「53-55」の数字が世界を駆け、日本の新聞は号外を出した。大谷の雄姿は絵になる。現在彼ほど日本及び日本人の存在感を世界に示せる者はないと言っても過言ではないだろう。

 大谷の快挙は日米で大きな反響を生んでいる。かつてホームラン王として一世を風靡した王貞治は「びっくりした。大したものだ」と語り、セリーグ三冠王村上宗隆氏は「日本人でもやれると証明してくれた。尊敬しかありません」と称える。大谷は全国の小学校に野球のグラブをプレゼントした。それでキャッチボールした小6の生徒は「将来大リーグで大谷選手の記録を超えてみたい」と語ったという。教育の目的は生きる力を育むことであり、そのために夢を与えることは欠かせない。今や大谷は偉大な教育者でもある。

◇21日のミライズは私が担当することになった。アメリカ大統領選及び日本の総裁選の行方を話した。大統領選は10日のハリス対トランプの勝敗が最大の問題点で私の予想通りだったことを語った。総裁選は9人が競っているが予断は出来ないことを話した。新しく選ばれる首相は諸外国のトップと渡り合うことになる。それに耐えられるか、残された期間で失点が現れ状況が変わることもあり得るのだ。(読者に感謝)

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2024年9月23日 (月)

死の川を越えて 第40回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 なんとうれしい言葉であろう。岡本トヨから遺伝病でないことは聞かされていた。しかし、今、有名な大学の先生から改めてそれを聞くことは、格別な重みをもってさやに明るい衝撃を与えた。さやには、目の前の学者が救いの神に思えた。小河原は、手を伸ばして1枚の紙を机に広げた。

「これが細胞の図です。精子という一つの細胞、卵子という一つの細胞。これが合体して受精卵となり、分裂して増えて何十億となり、人の体をつくっていくのです。神の業ともいうべき神秘の世界ですね。この細胞から人体が作られる過程、つまり赤ちゃんが作られる道筋にハンセン病菌が入り込む余地は全くありません」

 さやは、学者の説明がよく分かる気がした。そして、おなかの赤ちゃんにも学者の言葉が伝わり、小さな命が喜んでいるように感じられた。

「感染はどうなのでしょう」

 さやのもう一つの大きな不安であった。

「私が今、研究している最大の課題です。皆さんの草津は、重要な示唆を与えています。一つの実験場と言えます。共同浴場は昔、患者と混浴でしたね。人々は長い経験から容易にうつらないことを知っていたのではないでしょうか。少し正確に言うと、菌が体に入ることと病気が発症することとは別なのです。菌が体に入っても、体に力があればほとんど発症しません。栄養が悪かったり、体の力が落ちると発症する。私が集めている資料では、貧しい農村に患者が圧倒的に多い。これは貧しくて栄養事情が悪いからではないかと思います。この体の力、菌と戦う力を免疫力と言います。私の集めた統計では一般の感染率が非常に高いというのは迷信だと信じます。近い将来、ハンセン病菌は薬によって撲滅されるに違いありません。ハンセン病の撲滅は人間の回復です。しかし、ハンセン病の撲滅はらい病の撲滅だけでは達成できません。世の中の偏見をなくした時、ハンセン病の撲滅は実現するのです。地域社会が力を合わせ偏見と闘わねばなりません。現在は、社会全体でハンセン病の患者をいじめている状態です。皆さんの湯の川地区は特別な所として注目しています。キリスト教徒のマーガレット女史、岡本女医も同じだと信じています」

 小河原の言葉をさやは熱い心で受け止めた。

つづく

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2024年9月22日 (日)

死の川を越えて 第39回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

八、小河原泉医師

 

 さやは旅の途中、偉い大学の先生とはどんな人だろうと、いろいろ想像して緊張していた。大学の門をくぐり、立ち並ぶ建物の偉容さに接すると、その緊張は一層高まった。

「さやさん、頑張るのよ。おなかの小さな赤ちゃんがお母さん頑張れと応援しているじゃないの」

 こずえの励ましの声にうなずきながら建物に踏み入れたのであった。小河原泉医師は研究室で2人を迎えた。雑然と積まれた書物の山は湯の川の万場老人の小屋を連想させ、なぜかさやをほっとさせた。

「上州群馬の山奥ですね。草津温泉、そしてハンセン病。私が長年大いに注目してきたことです。遠距離で疲れたでしょう。要点は岡本さんとあなたのお手紙で承知しております」

 遠来の労をねぎらう視線は優しかった。髪はぼさぼさで身なりは飾らない人である。怖い先生を想像していたさやは身近なものを感じて安心した。

「私は、恐ろしい遺伝病で人にうつるということで東北の村を追われました」

 さやは重い胸の内を思い切って口にした。このことでどんなに悩んだことか。偉い大学の先生の口から直接真実を聞きたかった。おなかの赤ちゃんの運命がかかっていた。さやは判決を前にした被告のように身を固くして小河原の言葉を待った。

「結論から言います。遺伝はしません。感染の力は非常に弱い。ハンセン病は治らない病気ではないのです」

「まあ、本当でございますか」

 さやは、信じられない思いで、そっとおなかをなでた。隣のこずえがよかったねと視線を送る。その表情は輝いている。

「ノルウェーという国のハンセンという学者が、らい菌を発見したのです。ハンセン病の名は、この学者に由来します。これでハンセン病は菌の仕業ということがはっきりしました。人間の体は細胞という小さな単位でできています。遺伝は、この細胞の中にある遺伝子によって伝えられます。ハンセン病の菌は、この細胞とは全く別の存在ですから遺伝することは全くありません」

 小河原はきっぱりと言った。

 

 つづく

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2024年9月21日 (土)

死の川を越えて 第38回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

 女医は、まばたきもせず、さやを見詰めて聞いていた。そして、後ろを振り向くと、マリア像を指して言った。

「マリア様は馬小屋でイエス様をお産みになった。今から1900年以上も昔、古代ローマ帝国の時代で、今よりもっと大変でした。奴隷制度があり、キリスト教徒は迫害されました。ハンセン病の人は死の谷に閉じ込められ肉親が面会することも許されませんでした。イエス様は成長して隣人愛を説きましたが、ローマの総督により十字架の刑に処されました。イエス様の死は全人類を救うための死でした。人の命は地球より重いという言葉を噛み締めます。女は命を産む存在です。女は命を大切にする覚悟を持たねばなりません。私は、あなたに子を産むべきかどうか意見をすることはできません」

 そう言って女医は言葉を切り目を閉じた。そして目を開くときっぱりと言った。

「キリスト教徒としては信者でないあなたにキリスト教の信念を言えないからです」

 さやは遺伝病でないことを女医から直接聞いても、まだ不安だった。さやの表情を見て女医は笑顔をつくって言った。

「私が尊敬するある医師に会うことを勧めます。私が東京にいたころに知り合った医師であり、学者です。京都帝国大学医学部を卒業されました。小笠原泉様と申され、大変優れた方なのでいずれ医学部の先生になられることでしょう。ハンセン病については学会の主流とは異なった進んだお考えをお持ちです。あなたに決意があるなら、紹介状を書きましょう。京都大学に聞けば、その方の所在が分かると思います」

 さやは大きくうなづいた。正助は、国のために命を捨てる覚悟で出て行った。おなかの子は正助がさやに託した財産であり、正助の分身である。自分も命がけで、この財産に取り組まねばならない。そのための大事な一歩が、この小河原という医師に会うことだと思えた。

 さやは万場軍兵衛に相談した。すると、老人はすぐに動いた。京都大学に連絡し、小河原泉という医師と会えることになった。旅費などの費用は万場老人が面倒をみるという。恐縮していると、こずえまで同伴につけると言ってくれた。万場老人はきっぱりと言った。

「この問題は、さやさんと正助だけの問題ではない。おなかの子のためでもある。そしてな、われらハンセン病患者全体に関わる予感がするのじゃ。金のことは心配せんでいい」

 岡本トヨは、喜んで紹介状を書いてくれた。さやは出発前に紹介状を自分の手紙とともに京都大学に送った。

つづく

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2024年9月20日 (金)

人生意気に感ず「中国の日本人学校児童の死の衝撃。兵庫県知事のメンタル度、議会にも責任が」

◇不幸な事件は18日に起きた。中国の日本人学校児童が中国人に刺された事件である。生死を気に掛けていたが19日死亡した。何の罪もない児童を狙った卑劣な犯罪行為である。中国で暮らす日本人に衝撃が広がっている。日本人学校では野外で日本語を大声で話さないよう呼びかけていると言われる。北京の日本大使館は国旗を半旗にして弔意を示した。また、事件が起きた深圳市の幹部は遺族宅を訪れお見舞いを述べ哀悼の意を表明した。

 事件の背景に近づくために事件の日「18日」を重視しなくてはならない。中国はこの日を「国辱の日」と位置づける。1931年の柳条湖事件の日だからだ。これは満鉄線路が爆破された事件で、関東軍は中国側の仕業と発表し全面的軍事行動を起こしたが事実は関東軍の計画的行動であった。関東軍は満州全域に侵略を広げた。日本は国際的非難を浴び遂に国連を脱退し破局への道を突き進んだ。

 今回の事件がこの歴史的事実と結び付くか否かは不明である。今私たちに求められることは感情的にならず、冷静に判断して行動することだ。私は昨年11月、北京の天安門広場で原稿を没収されスパイ容疑で拘束されかけた出来事を思い出す。主義や思想が異なる国で冷静に行動することの重要さを学んだのであった。

◇兵庫県知事不信任決議か県議会の全会一致で可決された。知事の選択肢は10日以内の辞職、失職、議会解散であるが明言は避けしっかり考えて決断すると表明した。ほぼ四面楚歌と見える状況でよく頑張っているという感も受ける。県議会、マスコミ、世論との攻防の場でもある。県会議員の状態はよく分からないが私の議員経験からして議員の資質も問われる場面だと思う。不信任の理由としていくつかあげている。①公益通報保護法の対応の不適切さ。②元県民局長の命を守れなかったこと。③道義的責任に対する不理解。④県政に停滞と混乱をもたらした政治的責任等である。これらの点は議員及び議会にも多いに関わることではないか。大体議会は知事の追認機関になっているところが多い。地方議会の形骸化が指摘されて久しい。長いことあれだけ叩かれて動じない背景にあるものを知りたい。19日の最後通告的決議に対しても知事は表情を変えなかった。しかし、上の④にあげる政治的責任は動かし難い。「信なくは立たず」と言う。引っ込みがつかなくなっている点もあろう。熱慮の上潔い、そして鮮やかな引き際を作ることがこの人に残された最良の選択肢であると思う。(読者に感謝)

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2024年9月19日 (木)

人生意気に感ず「敬老の日、本県最高齢は110歳女性。旧統一教会との癒着は大スクープ。立憲民主の存在感」

◇今年も敬老の日を迎えた(16日)。私の誕生日は10月30日、84歳になる。振り返れば人生夢の如しである。動乱の中で生まれた。誕生の月、昭和15年10月に三国同盟が結ばれ、翌年太平洋戦争に突入した。瓦礫の原と化した前橋市は「国破れて山河あり」で、あれが私の人生の原点であった。夥しい若者が空に散り海の藻屑と化した。この年で敬老の日を迎えられるのは束の間の平和のお陰である。

 全国の100歳以上は過去最多9万5千人余。そのうち女性は88.3%。最高齢者は116歳女性で、本県では前橋市の110歳女性である。女性の生命力の凄さよ。

 11月3日のぐんまマラソンが近づいた。中秋の名月が美しい。午前3時40分、私の足は定期便となる。10キロ、制限時間内の完走を期するが一抹の不安もある。大相撲が終盤にかかる。力士の筋肉が眩しい。大の里が驚異の躍進を続けている。何人かひいきがいるが宇良もその一人。大関琴桜を倒して会場が沸いた。「ご祝儀を抱えて嬉し宇良がゆく」。

◇朝日の大スクープは一面大見出しで伝える。「安倍氏、旧統一教会会長と面談か」。当時、巨額の金を韓国に送ることが社会的大問題となった。家庭崩壊が至る所で起きた。最大の問題は政治不信であった。旧統一教会の犯罪的行為に自民党政権が大きく関わっていると疑われた。自民党は党として教団との組織的な関係はないと繰り返してきた。一枚の写真に自民党本部総裁、応接室で安倍元首相が当時の統一教会会長等と写る姿を報じている。このスクープ写真は教団との組織的関係を示すものだ。2013年の参院選で自民の候補を教団が全国組織で支援することを確認する場であったという。ほぼ10年前の出来事は極めて今日的である。今総裁選の真っ只中で日本を変えることが叫ばれているがその成否は政治不信を乗り越えられるか否かにかかっているからだ。

◇立憲民主の代表選が同時進行しているためその存在感が大きくなっている。日本の政治の悲劇は政権を担い得る野党の不存在である。今回自民党の最大の危機が叫ばれているがこれは野党にとっては大きなチャンスである。4人の争いとなっているが野田元首相が他の3氏を引き離しているらしい。天下分け目の関ヶ原は衆議員総選挙である。勝敗を決めるカギは政治の信頼の回復だ。424年前と違って戦いを決するのは主権者たる国民である。世界の中の日本となりその役割は極めて大きい。日本丸の舵取りを託すに足る人物を選べるか、その時は迫る。(読者に感謝)

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2024年9月18日 (水)

人生意気に感ず「再びの暗殺未遂に驚く。総裁選の行方は」

◇信じ難いことが15日再び起きた。トランプ氏暗殺未遂事件である。7月は銃弾が耳を負傷させた。今回はトランプ氏所有のゴルフ場内で起きた。発砲はなかったが容疑者は370~460mの距離で自動小銃を持っていた。危機一発であった。

 トランプ氏は「再び命を狙われ、私の決意は更に強まった。妨げるものは何もない」と叫ぶ。支持者へのメッセージである。共和党下院議員は「再び神が守ってくれたことに感謝」とX(ツイッター)に投稿した。バイデン大統領は「トランプ氏が無事で安心した」と声明しトランプ氏に対する特別の警護を命じた。ハリス氏も「政治的暴力を非難する。トランプ氏の無事に感謝する」と声明。

 トランプ氏は10日の討論会で民主党が7月の暗殺未遂事件を誘発したと主張していた。現在劣勢の状況のトランプ氏は今回の事件を逆手にとって反撃に転じようとすることは必至である。

 この事件は大統領選にどう影響するか。トランプ氏への批判が暴力を引き起こしたとの風説が広まることを恐れる。トランプ支持者の中には神が助けたという声がある。神はそんなものであろうか。神は正義の筈だ。今回の容疑者はトランプ氏について「米国人を再び奴隷にして支配する」などと批判していた。今回の事件はトランプ氏の危険性を浮き彫りにした面もあるに違いない。この事件で改めて痛感するのは容易に銃の入手が可能なアメリカ社会の恐怖である。

◇日本では総裁選が意外な展開を見せている。自民の9人の候補者の姿は解放的である。銃社会でない日本にアメリカのような緊張感がないのは当然であるが警備当局は相当の力を入れていると思われる。アメリカの暗殺未遂事件は当局の緊張に拍車をかけているに違いない。世論調査では9人の中で現時点では小泉、高市、石破の各氏が先行していると言われる。1回目で過半数を得られないだろうということは明らかだから上位2人の決戦投票になるに違いない。自民支持層電話調査では、新総裁にふさわしい人の順位は高市氏が27.7%、石破氏が23.7%、小泉氏が19.1%である。総裁選投票資格者に限れば小泉氏27.9%、高市氏21.4%、石破氏19.7%とか。更に的を絞って議員の動向を見れば小泉・小林両氏が50人弱、林氏が40人程度、茂木氏は40人弱、そして高市、石破、河野3氏は30人程度という。必至の獲得合戦が想像されて面白い。私のところにも総裁選投票用紙が来ている。投票締切日は26日。候補者一名を投票用紙に記入。ドント方式で比例配分する。(読者に感謝)

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2024年9月17日 (火)

人生意気に感ず「古武士の風貌・左手の書家の執念。総裁選で示される資質。宇宙時代は火星に、13キロの隕石」

◇眼光炯々(けいけい)人を射るという。古武士を思わせる風貌の書家金澤子卿さんは脳梗塞により命とも頼む右手の機能を失った。昨日15日、冥誕百年を祝う会で私は挨拶する名誉を得た。「書は人を現すと言います。優れた書を見ると一本の線からその人の人柄が伝わってきます。私は金澤先生が左手で書いた書から衝撃を受けました。右手の機能を失った先生が左手で書くことは精神力で書くことを意味します。その姿は障害を乗り越えて新たな境地に達したことを意味しました。私は神様が敢えて試練の場を与え先生は見事に応えたのだと受け止めました」大要このように述べたのです。

 先生は右手の機能を失った時、「これで書道人生も終わりかと思った」と語られた。しかし直後左手で書くことを決意し即刻、子卿左手所作の印を発注し己を奮起させる。「それにより奈落の底からかすかな光明を見ることが出来たのです」と語る。この決意を詩でも詠う。「方今(いま)、左を以て新風を拓かん」と。福田康夫元首相は「左手の書聖」と評した。

 子卿先生の魂を継ぐ高崎書道会は群馬県書道会でも中心的存在である。人間の精神がおかしくなり文明の危機も叫ばれる昨今、子卿先生の精神も堅持していかねばならないと思う。

◇自民党総裁選の討論会で9氏が議論を交わした。多くの国民が見ているに違いない。これが世論調査にどう現れるかと思いながら見た。私が注目した一つは解散時期。本当の判断材料が国民に与えられることが必要である。小泉氏は既に示されている。だから解散前の国会論戦は不要だと主張。石破氏は解散前の予算委員会が必要だとする。本当のやり取りは予算委員会だけだ。私は石破氏の言う通りだと思う。予算の攻防ほど首相を追及する舞台はない。

 直後の世論調査は次の総裁として石破氏26%、小泉氏21%等と出た。朝日、日系、読売などが概ねこのような動向を示している。

◇宇宙への扉が開かれ探査の舞台は月から火星になった。地球の外を回る惑星でお隣さんだ。来年の万博で火星由来の隕石の展示が決まった。南極の昭和基地近くで日本が採取したものでラグビーボール大で重さは13キロ。約1,000万年前に火星を離れ数万年前に地球に到達したとされる。一般公開は初めてのこと。生命の起源を解明する重要な手がかりとなるもの。万博のテーマ「いのち輝く」を象徴する。遥か彼方から夢を運んでくれた珍客を歓迎したい。(読者に感謝)

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2024年9月16日 (月)

死の川を越えて 第37回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

「正助さんが前にここへ見えた時、この病は遺伝病ではないこと、観戦する力が弱いことを話しましたが、正助さんは、この話をおなかの子の運命と結び付けて聞くことはなかったことになります。感染力が弱いということは、草津の人が知っていたことではないかしら。共同浴場で皆一緒に入っていたことがそれを示すでしょう。しかし、世の中には多くの患者がいます。生まれてくる子が感染しないとは限りません。私は医師として悩んでいるのです。怖いのは、世の差別と偏見です。そういう中で、子を産むことを覚悟せねばなりません」

 さやは女医の口元を見つめ、何を言おうとしているのかを知ろうとして真剣に耳を傾けた。

「偏見とは間違った考えのことですか」

「そうです。無知や誤解が偏見を生むのです」

 さやは、この時大きくうなづいて息をのむしぐさをした。

「・・・」

 女医は、さやを目で促した。さやはぽつりぽつりと話しだした。

「実は、里でお姉さんが、その偏見とやらの犠牲になりました」

「村のお医者によって、私がハンセン病だと分かりました。ほんの初期で軽いということでしたが、お巡りさんが先頭に立って、白い服を着たお役人たちと一緒にやって来て調査をすることになったのです。私は助け出されましたが、その後で調査は行われました。パッと村中に知れ渡りました。伝染する、怖い、と誰も近づかなくなりました。姉は嫁ぎ先にいられなくなり、離縁され家に帰りましたが、家にもいられないのです。気が変になっていたと思います。ある時、姿が見えなくなって、探したら井戸に飛び込んでいるのが発見されました。姉の思い詰めた顔が浮かびます。男の人を好きになるのは悪いことなのかとずいぶん悩みました。まして、赤ちゃんを産むなんて許されないことなのかと苦しんでいます」

 

つづく

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2024年9月15日 (日)

死の川を越えて 第36回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

七、小さな命

 

 正助は草津を去って行った。取残されたさやは、言い知れぬ孤独と不安に襲われ、正助の後を追いたい気持ちに駆られた。

 正助が草津を発ってしばらくした時、さやは体の異変に気付いた。それが小さな命だと知った時、さやの衝撃は大きかった。それは大きな喜びであると同時に新たな不安と悩みの始まりだった。

 小さな命がいとおしい。この小さな命は正助との絆の証。神様が与えて下さった何よりも大切なもの。

 しかし、そう考える胸の内に、暗雲のように湧いてくるものがある。生まれてくる子が恐ろしい病を継いでいたら。正助によれば聖ルカ病院の女医さんは遺伝しないと言ったというが本当だろうか。信じ難いが信じたい思いが湧いてくる。

 正助が知ったら何と言うだろうか。一番聞きたい正助はいない。さやは大いに悩んだ。聖ルカ病院の岡本トヨのことは正助から聞いていた。女医に相談したいが、よく分からない異国の神のことを語られたらどうしよう。しかし、誰かに相談したい。迷った末に岡本女医に聞くより他はないと決心した。

 女医は笑顔でさやを迎えた。背後の子どもを抱いた白いマリア像が目についた。正助さんも、ここであのマリア像を見たのかしら。さやは、その小さな赤子の姿が気になった。

「生まれはどちら。差し支えなければ」

 ハンセン病の患者は出生地を隠すのが常であったのだ。

「福島です」

「まあ、私は郡山です」

「え、では隣村です」

 さやは驚いた。懐かしい古里の山河が浮かび女医に親しみを感じた。岡本トヨも、うれしそうな笑みを浮かべている。さやは、話すべきか迷っていたが、女医が同郷の人と知り、気持ちが軽くなって、おなかの子のこと、そして現在の悩みを話した。

 女医は大変驚いた表情をしたが感情を抑えるようにして言った。

「正助さんはおなかの子のことは知らないのですね。あなたもさぞ辛かったことでしょう」

 さやは黙って下を向いた。

つづく

 

 

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2024年9月14日 (土)

死の川を越えて 第35回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

「誰にも分からん。だがな、わしは、日本が中国を侮って、敵にしようとしていることが心配じゃ。日清戦争、日露戦争に勝って、日本は神の国になった。神の国は正義の国でなければならぬ。ところがどうじゃ。この世界戦争に乗じて中国に二十一カ条の要求を突きつけた。中国人の誇りを踏みにじる侵略だと叫んで、中国の若者が立ち上がっている。わしは、正助がこのような流れに巻き込まれていくことが心配なのじゃ。だが正助よ。先のことを心配しても始まらぬ。勇気をもって運命に立ち向かうのだ。さやさん、泣いてはいかん。さやさんの明るい笑顔だけが正助の助けに違いない」

「はい、私はもう泣きません」

 さやはきっぱりと言った。正助の顔も吹っ切れたように明るかった。

 徴兵検査合格には正助を担当したある医官の思惑も働いたに違いないと言われた。この医官は、ハンセン病の患者はハンセン病で死ぬならお国のために死ねという考えを持っていたので、積極的に合格させたというのだ。

 しかし、正助にとって合格は大きな生きる励ましであった。さらに天皇陛下から召集令状をもらうとは、差別と偏見の暗雲を吹き飛ばすような出来事であった。草津を発つ前夜、さやは正助の胸で激しく泣いた。

「正さん、必ず生きて帰ってね」

「さやちゃん、お国のために命を捧げられることを喜ばなければいけない。さやちゃんのことは生きる支えだ。どんな世界が待っているのか俺には分からないが、力いっぱい戦うんだ。勝って帰ることを祈っておくれ」

 

つづく

 

 

 

 

 

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2024年9月13日 (金)

人生意気に感ず「元木・櫻井両選手の祝賀会で。総裁選告示に思うこと。フジモリ氏の死で甦ること」

◇11日、五輪・パラリンピックの選手に首相が感謝状を授与し「多くの国民に勇気や感動を与えてくれた」とたたえた。本県の元木咲良・櫻井つぐみの両選手が出席した。12日、育英大学主催の両選手の祝賀会が行われ、私は育英学園名誉理事として来賓席についた。中曽根弘文氏、山本一太知事、小川晶氏市長等多数の来賓が出席、両選手は金メダルを胸にして感動と感謝を語っていた。私は6月の壮行会にも出席し、開学7年という歴史の浅い同大学の選手が金メダルを得ることは奇跡に近いと感じたが奇跡は実現した。知事は栄誉を称える特別賞の授与を決定したと述べた。中曽根氏は金決定の瞬間、感動の声を上げたと語った。

◇12日自民党総裁選が告示された。上川外相が11日に立候補を表明し、斉藤経産相は断念し9人の争いとなった。過去最多である。数日の状況から推薦人20人の確保がいかに難しいかを知った。9人それぞれが抱負と目標とする政策を語るが最重要は地に落ちた政治の信頼をいかに回復するかである。裏金事件を乗り越えてこの国をどう変えるか、誰がどのように変えるかが最大の課題である。

 文藝春秋の特集記事「自民党よ、驕るなかれ」を読んだ。その中で政治学者御厨貴氏は次のように語る。「地方の過疎化は深刻ですが人口が少ない分政治の力で現状を変えられる余地がある。地域の若者はそれに気付き市議会や県議会に出馬するようになっています。これが連帯しながら国政に広がっていけば日本の政治も捨てたものではないと思います」。

 ふるさと塾から来春の前橋市議選に4人が立候補するのはこの記事が示す新しい動きである。日本は人口減少が加速する中で萎縮し続けている。最も懸念されるのは日本人の心の問題である。全体としてハングリー精神を失い、特に若者には進取の精神が見られない。

 選挙に出手がいなくなり条例で議員の数を減らす所が出始める始末。地方議会の形骸化である。

◇フジモリ元大統領が死去した。私はかつてペルーを訪ね、ペルーの悲劇に接し衝撃を受けた。フジモリはこの国はなぜ貧しいのかと悩み大統領選出馬を決意した。アンデスの人々にはスペインに征服され鎖で繋がれた悲しい歴史があった。フジモリの出現にインカの末裔であるアンデスの人々は日本に期待してフジモリを応援した。アンデスが燃えたのだ。私の訪問後世界を震撼させた大使館占拠事件が起きた。ゲリラを制圧したフジモリはペルー・リブレ(ペルーは自由)と叫んだ。栄光と挫折の人生は現代社会に多くのことを投げかけている。(読者に感謝)

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2024年9月12日 (木)

人生意気に感ず「カマラ・ハリスの圧勝が意味すること。大統領選の行方は決まったか。自民党総裁選の行方は」

◇正に世紀の対決であった。私はトランプ氏に対する先入観を抑えようとしてその時を待った。それは呆れる程の悪行やスキャンダルである。トランプ氏の胸には前回の討論でバイデン氏を打ちのめした光景が焼き付けているだろう。一方のカマラ・ハリス氏は彗星のように現れた黒人女性でごく短期間で世の脚光を浴びた。数々のエピソードを最大の公式な舞台で効果的に全米の市民に届け得るかが勝負どころなのだ。2人はメモを見ることは許されない。第一印象はハリス氏の笑顔とトランプ氏の追い詰められたような落ち着かない表情であった。真剣勝負の手段は拳銃でなくい日本刀が適当に思えた。女性剣士は正眼に構えて突き進む。その姿は新鮮で時々剣先がキラリと光った。

◇討論会はハリス氏の勝利で終わった。直後のCNNの世論調査で人々は63%対37%でハリス勝利と答えた。私はハリス氏を女性剣士に例えたが、最初の一撃は歩み寄って握手を求めたことだ。理性的で勇気ある政治家という印象を与えた場面であった。トランプ氏はうろたえているようにも見えた。ある日本の専門家はこの場面を見てハリス氏勝利の印象を持ったと語る。トランプ氏は事実無根のことを繰り返し司会者に間違いを指摘された。ハリス氏はそれを笑い飛ばして相手にしない。その一例が不法移民が犬や猫を食べているという発言だ。討論会の大きな目的の一つはどちらが大統領にふさわしいかを国民に判断させることだ。ハリス氏の「全ての米国人のための大統領になる」という発言は説得力をもって国民に伝わったに違いない。感情に動かされるトランプ氏と冷静なハリス氏。米大統領の責任は極めて重い。核戦争の危機も叫ばれる現在その冷静な決断力は全世界の運命に繋がる。私は今回の討論会に関し1960年のケネディ対ニクソンの対決を想像した。今回のハリスはケネディ以上の勝利をもたらしたのではないかと思われる。討論会の影響力示す一つの事実が人気歌手テイラー・スウィストさんの動きである。若い層を中心に絶大な人気があるこの人はカマラ・ハリスに投票すると発信し、次のように述べた。「着実な手腕と才能を備えたリーダー。この国を混沌ではなく冷静さをもって導くことが出来れば私たちはこの国でさらに多くのことを達成できる」と。

◇自民党総裁は今日(12日)告示である。9人の争いとなる。斉藤氏野田氏は推薦人確保がならず断念。上位2人の決戦投票は必至だ。この日に合せたように文春と新潮が小泉進次郎のことを書いている。(読者に感謝)

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2024年9月11日 (水)

人生意気に感ず「袴田死刑囚の再審を機に死刑制度を考える。国境なき医師団は呼びかける。総裁選の行方」

◇袴田死刑囚の再審判決が26日に言い渡される。死刑囚は自分の扉の前で靴音が止まるか通り過ぎるかに全神経を集中すると言われる。この凝縮された時間こそ死への恐怖の実態である。多くの死刑囚は拘禁ノイローゼになるという事実は死刑の恐ろしさを物語る。

 パリ五輪、パラリンピックが幕を閉じた。革命広場が舞台になったことは時を超えた人間の生と死を甦らせる。王妃マリー・アントワネットの死を窺わせる場面も報じられた。王妃は死刑を宣告され牢獄に入れられると短い間に老婆のように変化した。そのリアルなスケッチが残されている。

 袴田再審を機に死刑制度の是非につき私たちは改めて考えねばならない。人を殺したのだから酬いとして殺されるのは当然と捉える人は多い。目には目の応報の思想は時を超えて人間の心の奥に流れていることを感じる。

 憲法は残虐な刑罰は絶対に禁ずると定める。では死刑は残虐ではないのか。最高裁は現行の絞首刑は残虐ではないとする。この判決は人の命は地球より重いと論じながら絞首は火あぶり、はり付けなどと違って残虐ではないとする。残虐か否かを絞首の瞬間に限って見ているのだ。独房の死刑囚がコツコツと近づく靴音に凍る思いで耳を傾ける事実から目をそらしている。

 袴田再審では冤罪と判断される可能性が高い。冤罪とは無実の罪である。人権を何よりも尊重する憲法を軽んじている最高裁の自己矛盾に改めて目を向けねばならない。

◇文藝春秋最新号で国境なき医師団による寄付呼びかけが報じられている。「国境なき」とは人種も宗教も超えることを意味する。現在世界各地の争いは人種や宗教の対立を背景とする。医師団は空爆と停電が続くガザで携帯電話のライトで手術を続行したと報じる。遺贈寄付資料問い合わせは03-5286-6430。協力を呼びかけたい。

◇今月27日の自民党総裁選を経て新たな日本のリーダーが誕生する。時代の大きな節目だ。日本は変わるのか、変われるのか。どのような国になるのか。有力な候補者は総選挙の実施を主張しているから、選挙の顔になる人物が総裁になる可能性が大きい。そこで43歳の小泉進次郎氏が脚光を浴びている。現在の国際情勢と日本の立場から新リーダーはトランプ、ハマス、習近平、その他世界のリーダーと渡り合うことになる。混乱と激流の中を進むのは政治家だけではなく主権者たる我々国民である。我々の自覚が日本を変え世界を創る。(読者に感謝)

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2024年9月10日 (火)

人生意気に感ず「ハングリー精神を欠いた日本の政治。野党は変化したか。パラに人間のすばらしさ を見た。兵庫県知事の責任は」

◇今月の「ふるさと塾」(28日)は2本立てで行こうと思う。私はアメリカの大統領選に格別の思い入れがあるので大詰めを迎えたこの世界劇場を熱く語りたい。しかし一方で日本の現在と直結する総裁選を語れという声も強いのだ。幕末維新や第二次世界大戦後の日本に当たるような国難に直面している。乗り越えるためには日本が変化しなければならない。それを可能にする人材は存在するのか。物の豊かさは人の心を貧しくする。ハングリー精神を失った日本人は政治をも軟弱にした。これは我々国民自身の問題である。そこで総裁選の問題を世界の動きと関連させる心境で語ろうと思う。歴史の大きな歯車はギシギシと回る。話が散漫となり焦点がぼやけることがないように注意しながら具体的な問題を語ろう。

 日本の危機は政権担当力ある野党がないことだ。「自民党をぶっ壊せ」という力が党外で育たなければ自民党は壊れないし日本の再生もない。一度試みに野党にやらせてみてはとよく言われた。その実験は無残な結果を晒した。だから自民党内の改革勢力に期待せざるを得なくなる。これが分断か再生かの問題である。しかし野党の存在を無視するのは誤りである。変化している可能性があるからだ。そこで立憲民主党の動きに注目する。当選一回の女性衆議院議員の代表選立候補に注目する。泉健太代表は「小泉進次郎来い」と意気込み「国民の側を向くまっとうな、正義が通じる国」を掲げ政権奪取の決意を語る。野党の変化はどこまで成長しているのか。これら政界の勢力地図は全て次期総裁選で決まる。その主役は主権者たる国民である。

◇パラリンピックが幕を閉じた。私が感じたことは人間の素晴らしさである。生まれつき両腕のない人が離れた的の中心に矢を命中させた。人間技とは思えない。那須与一の扇の的を思い出す。手のない人が水をかく、義足の人が空を飛ぶ。健常の姿を標準としていた自分に気付く。差別の念がどこかにあったのだ。次はアメリカである。継続していくことが世界を変えていく。人間の尊厳と基本的人権の問題と深く結び付いてパラリンピックの存在は今後大きく成長していくに違いない。

◇兵庫県知事は公益通報者保護法に関する理解に欠ける点があった。告発文書を「うそ八百」と捉えている。八百はオーバーだが真実でないものもあったと想像する。見るに耐えない幹部の醜態もあった。県議会の存在価値が問われている。信を欠いた知事の責任は大きい。(読者に感謝)

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2024年9月 9日 (月)

人生意気に感ず「小泉旋風の行方、分断か再生か。茂木幹事長の発現の真意は」

◇小泉進次郎の総裁選出馬表明で政界がにわかに騒がしくなってきた。泡立つような状況はアメリカの大統領選と呼応しているかのようだ。日本が置かれている国際状況を考えると日本は緊張と危険の最前線に居る。ロシア、中国、北朝鮮が隣国であるからだ。アメリカ大統領選は実質的に真っ只中である。アメリカが世界のリーダーたることは第一に中国とロシアとの関係で示されねばならない。同盟国日本の役割は極めて大きい。新たな総理大臣はこのような国際情勢の中で使命と役割を果たす人物でなければならない。そのためのステップが総裁選である。与党自民党からは小泉氏が勢いよく走り出し、野党からは立憲民主党が動き出した。自民党はかつてない多くの顔ぶれが名乗りをあげ驚くような公約の表明を始めた。これは自民党の真の再生の扉を開くものなのかそれとも内部崩壊の始まりなのか。日本の政治の不幸は与党がどれだけ腐敗してもこれに代わる野党が存在しないことである。今回の野党の状況を見てもこの構造が変わるとは思えない。

◇43歳の小泉氏は首相に就任したら早朝に解散し総選挙を行うと表明している。そして、憲法改正のための国民投票の実施、選択的夫婦別姓の推進、政策活動費の廃止などを打ち出している。小泉氏は今回の総裁選は自民党を本当に変えられるのは誰かが問われる選挙だと強調。その姿は髪を振り乱して「自民党をぶっ壊す」と叫んだ父の元首相を思わせる。新首相に選ばれれば44歳で初代首相に就いた伊藤博文を抜いて憲政史上最年少となる。元気の点及びメディアの取り上げ方などに於いて群を抜いている。自民党の国会議員は皆総選挙を気にしている。従って選挙の顔となる人物を総裁に求めるのは当然。これらの状況に於いて総裁選レースで一馬身前に出ているのは明らかだ。この勢いは今後加速するだろう。最も注目されるのはやがて行われる討論会だろう。厳しい目にどこまで耐えられるか注目したい。討論会といえばアメリカのハリスとトランプの対決も世界の目を集める。同様な構造の状況が進行することが面白い。

◇茂木敏充氏が注目すべき発言をしている。与党の幹事長の発言は国民の知らぬ所で重大事が進行していることを窺わせる。防衛強化のため1兆円規模の増税を決めたのに増税ゼロを打ち出したのだ。経済が成長し税収が増えているからだという。従来の自民党の敵基地攻撃論との整合性はどうなるのか。議論の行方を見たい。(読者に感謝)

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2024年9月 8日 (日)

死の川を越えて 第34回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

「分からないんだ。さやちゃん。何も分からない。俺は一晩考えた。さやちゃん、聞いてくれ。俺は思いついた。国のために尽くさなければならない。お国のために働ける機会が与えられたんだ。喜ばなくちゃならないんだよ」

「そんな。私はいや。お国のためなんて分からない。正さんと離れたくないの」

 さやは、涙の目で正助を見詰め、正助の膝に両手を置いて肩を震わせている。

「さやちゃん。まだ永久に離れると決まったわけじゃない。俺は泣かないぞ。人間には定めというものがあるんだ。どうにもならないことなんだって。それを泣いても仕方ないじゃないか。さやちゃん、俺に力を貸しておくれ。離れても心は一つじゃないか。体も一つじゃないか。さやちゃんが励ましてくれれば俺は生きられる」

「そんな、私は嫌」

「何だいさやちゃん。泣くなよ。俺まで弱気になるじゃないか」

「ええ、分かっているの。でも、でも」

 さやは激しく首を振って正助の膝に顔を埋めた。

「俺たちは、普通の人と違って大変な問題を抱えている。先日話したルカ病院の女の先生の言葉を信じようじゃないか。先生が言うには、人間の体には病気と闘う力があるそうだ。その力を強めるのは心の持ち方だと言うんだ。明るい気持ちで病気と闘うことが大切なんだって。だからさやちゃん。絶望しないで頑張ろうじゃないか」

 さやは顔を上げてうなずいた。2人はしっかりと抱き合った。更けていく夜の闇の中で湯川の流れが響いていた。

 2人は翌日、万場軍兵衛を訪ねた。

「ほう、お前のところにとうとう来たか」

 老人はそう言って、2人の顔をじっと見つめた。

「おめでとうとは言わぬ。困ったことだともわしは言わぬぞ。若い2人は十分に話し合ったことだろう。わしのできることは、側面からお前らの運命を助けることじゃ。正助よ、さやちゃんのことは心配するな。こずえに、助けになるようよく話す。ルカのマーガレット女史にも話してやろう」

 老人はそう言って、傍らの書類の山から何やら取り出して目を走らせている。

「世の中、これからどうなるのでしょうか」

 正助の声は不安そうである。

つづく

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2024年9月 7日 (土)

死の川を越えて 第33回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

早速、さやにありのままを話すと、さやは正助が驚くほど喜んだ。遺伝病でないことは。半信半疑のようであったが、心の持ち方と免疫力については、いかにも納得したようである。

「正さん、あたしうれしいわ」

「うん、俺もうれしい。生きる望みが湧いたね。力を合わせれば、その免疫力とやらも倍、増するに違いないよ」

 正助が抱きしめると、さやはその胸の中で泣いた。それから数日したある日、正助とさやは仕事が終わってから向き合っていた。正助の様子がいつもと違っていた。

「正さん、何かあったの」

 さやさんが心配そうに正助の顔をのぞき込んだ。思い詰めたような目がただならぬことを物語っている。

「大変なことが起きた」

 正助はぽつりと言った。

「何なのよ、正さん。話してよ」

 さやは泣き出さんばかりの声である。重い沈黙が流れた後で正助は口を開いた。

「召集令状が来た。お国から。本当なんだ」

「えっ。戦争に行くの」

 さやは叫んだ。

「まだ、どこへ行くのか分からない。どうなることか分からない。先日、万場老人が世界の戦争のことを話した。中国のことも話していた。あのことと関係あるのだろうか」

 正助は、きっと唇をかんでさやを見詰めた。言葉を出せない重い空気が2人を包んでいた。2人の運命はどうなるのか。2人には分からない。

 やがてさやが言った。

「病気があっても行くの」

「ハンセン病と登録されているわけではない。それに俺は軽い。だから20歳の徴兵検査でも合格した。その時、俺は国から一人前だと認められたことを喜んだ。しかし、まさか天皇陛下から召集令状が来るとは夢にも思わなかった」

「正さんはどうなるの。私たちはどうなるの」

つづく

 

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2024年9月 6日 (金)

人生意気に感ず「ハリス旋風はどこまで広がるか。ドラクロアの女神の絵。ふるさと塾から4人が市議選に。袴田死刑囚の再審迫る」

◇この世は矛盾と波乱に満ちている。遠い過去の事実は現在に繋がり現在の出来事は遠い世界の動きと連動している。事実は小説より奇なり。時の流れは果てしなく続く。人間の営みを追求する「ふるさと塾」は歴史を語ることを軸にして長く続けてきた。コロンブスの新大陸発見、フランス革命、アメリカの建国、世界大戦などなど。ある時は自分の義憤に衝き動かされることもあった。この躍動する世界の流れの中でアメリカの大統領選は歴史を語る者として目が離せない。トランプとカマラ・ハリス、2人の世紀の対決の決着が近づいた。大きな節目は10日のテレビ討論会。前回民主党はバイデン氏の惨敗で大きくつまずいた。リターンマッチに世界は固唾を呑む。若い世代でハリス氏支持が急伸している。ニューヨーク・タイムズ紙は驚くべき世論調査を報じている。8日6つの激戦州で18~19歳を対象にしたものだ。女性の支持でハリス氏がトランプ氏を38ポイントを上回った。この流れの先頭に拳を突き上げる女性闘士ハリスの姿がある。それはドラクロアが描くフランス革命(7月革命)で民衆を導く自由の女神を連想させる。自由の女神の力はどこまで続くのか。

◇来春の前橋市議選には注目が集まりそうだ。ふるさと塾から4人が立候補する。ふるさと塾は政治を扇動する場ではない。しかし、地方の政治は民主主義の原点であること、地方議会が形骸化していることを訴えてきた。私の姿勢が多少なりとも刺激になったと思うとふるさと塾の存在意義を感じる。私はおよそ30年間県都で政治活動を行い前橋市全域で支援者が健在する中で政治の道を退いた。多くの人々と培った絆を活かして4人を応援するつもり。4人はいずれも立派な社会活動を続けてきた。行政の職員だった人(岸川君・児玉君)、金融機関で活躍した人(木部君)、倫理法人会の責任ある立場の人(前原君)などだ。背水の陣の覚悟で臨んでいる。政治不信が渦巻く中で新風を起こすことが期待される。私の心中には「恥を知れ」の炎が秘かに燃える。

◇確定した袴田死刑判決の再審判決が26日に言い渡される。事件から58年。死刑囚は自分の扉の前で靴音が止まるかに全神経を集中する。かつて再審は針の穴を通る程難しかった。しかし冤罪の事実は厳として存在する。憲法は残虐な刑罰を禁ずるが判例は死刑の残虐性を否定する。私は死刑制度に反対である。袴田再審を機に死刑制度の議論が深まることを期待する。(読者に感謝)

 

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2024年9月 5日 (木)

人生意気に感ず「パラで続くメダルの波。車いすがぶつかり合う圧巻。多様性はどこまで。マングースの悲しい末路」

◇パラリンピックは人間存在を知る宝庫だ。障害故に差別と偏見の重圧に苦しむ人々。そしてそれと闘って生きる人々。人間とは何かを考え、人間の可能性を称える瞬間だ。第6日は日本のメダルラッシュであった。3つの金、それに銀と銅が続く。金は車イスラグビー、梶原大暉のバトミントン男子シングルス、そして里見紗李奈のバトミントン女子シングルス。鬼谷慶子、女子の円盤投げの銀は印象的で、山口尚秀の競泳100平泳ぎも固唾を呑んで見守った。

 車イスラグビーは決勝で格上のアメリカを遂に破っての金。繋いだ手を突き上げる選手たちの笑顔の光景は障害などを忘れた誇りに満ちている。車イス同志が激しくぶつかり合う姿は豪快で車いすの両輪は選手たちの身体の一部になっていた。

 円盤投げの鬼谷は銀を得て「信じられない、夢か」と語る。大学で脳幹部に炎症が起こる難病を発症し車イス生活に。練習で取り入れていたハンマー投げのフィニッシュ動作を意識したら円盤投げの飛距離がアップしたという。夫婦の二人三脚ぶりは円盤投げとハンマー投げの二人三脚に思える。

 トランスジェンダー公表の選手の活躍が報じられている。国際パラ委員会によるとトランスジェンダーを公表した選手は初めてという。ある時妻に「女性になりたい」と告白しホルモン療法を続けたという。性別変更して女子400m(視覚障害T12)準決勝まで進んだ。この人は言う。「私の夢が叶った日。もう差別や偏見は聞きたくない」と。多様性を大きく掲げるパラリンピックはどこへ向うのか。

◇かつてマングースとハブの闘いを見たことがある。猛毒の蛇とマングースの死闘は悲しい宿命の対決に見えた。巻き付こうとするハブの輪をかいくぐって頭をかみ砕くマングースの動きは遺伝子という本能に決定付けられたもの。現在は動物愛護の観点から禁じられている。環境省は3日奄美大島でマングースの根絶を宣言した。マングースは毒蛇ハブ対策として1979年約30匹が放たれた。マングースは増え続けハブ対策の効果はなく逆に希少な野生動物を襲う害が大きくなった。ハブ対策として効果がないのはハブは夜行性なのにマングースは昼行性だからである。マングースが「特定外来生物」に指定されたことで駆除が本格化、苦心を重ね根絶宣言に至った。奄美という大きな島で定着したマングースを根絶した例はない。希少種を救うことになったことに大きな意義があった。マングースの運命に心が痛む。(読者に感謝)

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2024年9月 4日 (水)

人生意気に感ず「両手のない名手の衝撃、パリパラは夢を広げる。ケネディ氏の異常な行動とトランプの焦り。総裁選の行方」

◇フランス革命の地パリでのパラリンピックが胸を打つ。障害を乗り越えての死闘が輝く。中でも一際迫るのはアーチェリーで金を得たアメリカのマット・スタッツマンである。生まれつき両腕がないこの人は驚くべき工夫で矢を放つ。「腕のない名手」の技の冴えは信じ難い。15射のうち1度を除いて全て10点満点という精度を示した。2015年には健常者も含め最も遠い的を射抜きギネス世界記録を打ち立てた。そこに至るまでにいかに苦しい鍛錬があったかを想像する。この人を含めパラリンピックの選手たちの姿は人間の可能性の素晴らしさを示す。全ての障害者に生きる勇気を与えるもの。否、私たちの全てに希望と夢を与えるものだ。

◇アメリカ大統領選でケネディ氏が異常な動きを見せている。名門ケネディ家の一員でケネディ元大統領の甥である。環境運動で大きな存在感を示しタイム誌の「地球の英雄」の一人に選ばれたこともある。この人物がトランプ氏と手を握った。環境をめぐる主義主張を放り出して。このことは何を意味するのか。ケネディ氏の特異性と共にトランプ氏の大きな焦りを示すものと私は思う。墓穴を掘るに等しい。ケネディ氏はハリス陣営に相手にされず兄弟からは「私たちの父と家族が最も大切にしてきた価値観への裏切りであり悲しい物語の悲しい結末だ」と表明した。私たちの父とはケネディ元大統領の弟、故ロバート・ケネディ氏である。トランプ氏の行動は共和党の良識ある人々の離反を招き更には無党派層の冷笑をかうことになるだろう。10日の公開討論会が目前に迫った。

◇上武道路の3人死亡事故に遺族及び社会の怒りが沸いている。亡くなった湊斗ちゃんの母は事故後に出産し、なぜ呑んで運転したのかと怒る。遺族は悔しくて仕方がない。「会社や家族は分からなかったのか」、「会社の反省の態度は表面的に見える」と憤っている。69歳の運転手は危険運転致死容疑で逮捕された。専門家は20年から30年の懲役かとコメントする。この人物は刑務所で人生を事実上終えることになるだろう。運転中のアルコールを検知し運転を停止させる技術が開発され取り入れているトラック会社もある。この事故は社会の交通規制を変える一つの契機になるかも知れない。

◇総裁選の候補者が雨後の竹の子のように賑やかである。裏金で地に落ちた政治の信頼は再生できるのか。国民の怒りは深い。台風10号の渦巻く濁流と一連の熱波も呼応しているようだ。(読者に感謝)

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2024年9月 3日 (火)

人生意気に感ず「国の役人に見るハンセン病に対する姿勢。恥を知れと叫んだ。真の人権教育を。台風10号の教訓」

◇8月30日の重監房の会議で私は燃えた。厚労省の役人がオンラインで参加。その発言は長い間ハンセン病患者を苦しめた偏見の国策を象徴するように見えた。膨大な敷地には元患者の住宅が並ぶ。今は亡き藤田三四郎さん宅を何度も訪れたことを思い出した。この敷地に隣接して重監房資料館に至る細い道がある。舗装されていない凸凹道で酷い状態なのだ。長い間、町・県・国に陳状がなされて来たが進展しなかった。この日も議論がなされた。国の役人は頑なであった。出来ない理由は道路の所有権が国の物でないからと主張した。私は思わず叫んでいた。「恥を知れ恥を」。都知事選で165万票を集めた石丸候補の言葉である。わずか1キロ足らずの細い道は見学者を導く命の綱。再現された資料館には怨みをのんで死んだ人々の幽鬼の姿が漂っている。近くにはかつて死の谷と言われた湯川が流れている。私はこの谷を舞台の出発点とした小説「死の川を越えて」を約1年上毛新聞に連載した。新聞がハンセン病を正面から取り上げることは決断を要することであった。

 差別と偏見は永遠の課題であり現在の子どもの世界のいじめとも繋がる。道路舗装は国が後押しして県や町と強力すれば簡単にできることだと主張した。役人は前向きに検討する趣旨の発言をしていた。烈火の如く怒るのは私の悪い癖。反省の気持ちが湧いてくる。これをエネルギーとして83年を生きて来た。

◇この日の会議でいくつか発言したがその中に人権教育に関することがあった。事業活動計画の一つに「教育委員会等と強力して児童生徒の人権教育に強力します」とある。「生きた人権教育がなされていない」と発言した。これは長い議員生活で痛感したことであった。私は自民党の議員として人権を発言したが、人権問題は特別の政党が取り上げるのが常であった。この風潮は変わっていないと思われる。

◇台風10号は不思議な動きをなし熱帯低気圧に変化した。予測不能の社会が進むがその象徴というべきだろう。30度を超える海水は想像を絶するエネルギー供給源となっている。線状降水帯、瞬間風速60m、見渡す限りが海と化す光景、その中を走る車の列、こんなことが常態となっていくに違いない。伊勢湾台風なみの強力と恐れられたがそれを避けられたのは不幸中の幸であった。災害は様々な要素が結び付いて結果が生まれる。10号は台風新時代、そして災害新時代到来への教訓とすべきだ。(読者に感謝)

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2024年9月 2日 (月)

人生意気に感ず「盛況のふるさと塾でトランプを再選させるなと叫ぶ。カマラ・ハリスとは何者か。バイデン大統領の涙」

◇8月31日、台風10号下のふるさと未来塾だった。遠隔豪雨とか言って本体は遠く離れているのに天が裂けたように降る。一抹の不安があったが驚くような盛会であった。塾に合せたように雨は止み西の空は真っ赤な夕焼け。天が塾に声援を送っているかのようだ。テーマはアメリカ大統領選。バイデン大統領が勇退を表明しカマラ・ハリスが登場したことで状況は一変。冒頭私は「トランプのような人物をアメリカの大統領にしてはならない」と訴えた。最大の問題点はカマラ・ハリスとは何者かということ。そのために彼女の出自を写真で紹介した。父はジャマイカ出身の黒人で優れた経済学者で母はインド出身のガン研究の学者。自らも乳がんを抱えていた。私はホワイトボードにフロリダ半島とユカタン半島がメキシコ湾を囲む絵を描く。フロリダ半島の下はキューバであり、その先の小さな島がジャマイカである。キューバの東方にサンサルバドルを描き、これがコロンブスが大西洋を越えて一歩を印した所で壮大な新世界の幕開けであったことを簡単に話した。ハリスはサンフランシスコ初の女性地方検事やカリフォルニア州司法長官等を歴任したがハワード大学卒業を誇りにしていた。同大は南北戦争直後黒人教育のために創設された伝統的黒人大学である。

 民主党は現在カマラ・ハリスで沸き立っている。この勢いが更に発展するか否かに大統領選の運命がかかっている。それを左右する大きなイベントが9月10日に行われる公開討論会である。前回バイデン大統領はみじめな負け方をした。そのために「ほぼトラ」は確実かと思われた。カマラ・ハリスはその経歴が示すように討論の駆け引きは得意と思われる。カリフォルニア司法長官時代大手銀行と対決し労働者世帯のために歴史的和解を取り付けたことは討論の力を窺わせるものだ。老いぼれと罵倒した前回の状況は逆転しブーメランのように自分に向う可能性が高い。

◇カマラ・ハリスは拳を上げて自分がトランプと対極にあることを訴える。それは検察官対犯罪者、未来志向対過去志向、自由と思いやりと法の支配の国対混乱と恐怖、情悪の国という構図である。犯罪者という点では数千の大衆を扇動して国会議事堂を占拠させた事件を取り上げた。民主党大会でバイデン大統領は涙を流した。民主主義を守れと叫ぶ演説への讃辞は鳴り止まなかった。それは彼の勇退の決断に対する賞讃であった。バイデン氏はトランプに対し強烈な勝利の一撃を加えたのだ。9月10日の討論が楽しみである。(読者に感謝)

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2024年9月 1日 (日)

死の川を越えて 第32回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

六、別れ

 

 正助とさやは、山田屋の主人の計らいで、離れの一室を与えられて生活することになった。人間は心の生き物である。心に何が宿るかにより、人は狂人にもなり革命家にもなる。

 追い詰められた男女の心に共通の愛が芽生えた時、それは強い生きる力となって2人をよみがえらせる。絶望のふちに立っていた正助とさやの瞳には、今、燃えるものがあった。

 幸い、2人はハンセン病の患者とはいえ軽症といえた。最近の2人を見ると、その生き生きとした動きは健常者と変らなかった。ただ、2人は日々、重傷者の姿を見るにつけ、あれが自分たちの将来の姿かと怯えるのであった。

 ある日、正助は、マーガレット・リーが建てた聖ルカ病院を訪ねた。そこにはマーガレットが話していた岡本トヨというキリスト教徒の女医がいた。

 岡本トヨは福島県の生まれで、東京の医大で学び、大正6年、マーガレットの招きを受け、33歳で聖ルカ医院の初代医師になった人である。正助が訪ねたのは。医師就任後間もない時であった。

「若い人が将来に不安を持つのは当然です」

 トヨはそう言って正助を診察し、正助の不安に耳を傾けた。診察室の片隅に聖母マリアの像が置かれていた。トヨは正助の目を正視して言った。

「この病はまだ良い薬、良い治療法が見つかっていません。無知や迷信が大きな妨げになっているのです。長い間、遺伝病で感染力が強いと恐れられてきましたが、ノルウェーのハンセン氏がらい菌を発見し、遺伝病でないことが科学的に分かりました。そして、このらい菌を研究した結果、感染力が非常に低いことも分かってきました」

 正助は初めて聞く事実に驚愕した。にわかに信じられない思いなのだ。トヨは続ける。

「大切なのは心の問題なのです」

 正助はマリア像に目をやりキリストの説教だなと思った。しかし、トヨの話は意外であった。

「病は気からと言いますね。これには科学的意味があります。病気を治す力は本来生き物には備わっているのです。それを免疫力といいます。人間は精神的生き物ですから心の持ち方が大いに影響するのです。西洋の例ですが、死刑の宣告を受けた人の髪が一夜にして白くなったことが報じられています」

 トヨの口から遂にキリストのことは一切語られなかった。正助の胸はなぜか膨らむのであった。

つづく

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