死の川を越えて 第26回
※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。
「えー、親分て誰だい」
正助は思わず声を上げた。さやはそれには答えずに語った。
「ぴゃぶんさんは巡査を殴り倒し、私を馬に乗せて助け出したのです。人の目を避け、夜に馬を走らせて、3日かかって草津に着きました。私は、死のうと思っていましたから、親分は命の恩人です。私は助けられましたが、姉が大変なことになりました」
さやはそう言って押し黙った。2人の間に重い沈黙が流れた。
「うーん。親分といえば、今は大門さん1人だが」
さやは黙って首を横に振った。
「では、大川仁助さんかい」
さやは、じっと正助を正視してうなずいた。
「それは驚いた。仁助さんが馬で助け出した少女のことは聞いていたが、さやちゃんだったとは。仁助さんは、気の毒なことになったが、あの最期を無駄にしちゃなんないと俺たちは思っているんだ」
さやは目に涙を浮かべていた。
ある日のこと、正助はさやがいつになく深刻な顔つきであることに気付いた。正助と会っても視線を避けるし、一見してただごとでないことをうかがわせた。
〈何だろう。湯川に身を投げるようなことでなければよいが〉
正助は心配に駆られ思い切って声を掛けた。
「さやちゃん、どうしたの」
「・・・」
さやはうつむいて答えない。
「何かあるんだな。同病の仲ではないか。俺にできることなら力になるよ」
「うん、ありがとう」
さやは消え入るような声で言って去って行った。それから2,3日を経たある日、さやが近づいて言った。
「正さん、相談があるの。今日、仕事が終わったら聞いてくれる」
さやの目には思い詰めた様子がうかがえた。その晩、山田屋の一室で、さやは衝撃的なことを語った。
「正さん、あたしお嫁に行くの」
つづく
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