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2024年8月12日 (月)

死の川を越えて 第26回

※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。

 

「えー、親分て誰だい」

 正助は思わず声を上げた。さやはそれには答えずに語った。

「ぴゃぶんさんは巡査を殴り倒し、私を馬に乗せて助け出したのです。人の目を避け、夜に馬を走らせて、3日かかって草津に着きました。私は、死のうと思っていましたから、親分は命の恩人です。私は助けられましたが、姉が大変なことになりました」

 さやはそう言って押し黙った。2人の間に重い沈黙が流れた。

「うーん。親分といえば、今は大門さん1人だが」

 さやは黙って首を横に振った。

「では、大川仁助さんかい」

 さやは、じっと正助を正視してうなずいた。

「それは驚いた。仁助さんが馬で助け出した少女のことは聞いていたが、さやちゃんだったとは。仁助さんは、気の毒なことになったが、あの最期を無駄にしちゃなんないと俺たちは思っているんだ」

 さやは目に涙を浮かべていた。

 ある日のこと、正助はさやがいつになく深刻な顔つきであることに気付いた。正助と会っても視線を避けるし、一見してただごとでないことをうかがわせた。

〈何だろう。湯川に身を投げるようなことでなければよいが〉

 正助は心配に駆られ思い切って声を掛けた。

「さやちゃん、どうしたの」

「・・・」

 さやはうつむいて答えない。

「何かあるんだな。同病の仲ではないか。俺にできることなら力になるよ」

「うん、ありがとう」

 さやは消え入るような声で言って去って行った。それから2,3日を経たある日、さやが近づいて言った。

「正さん、相談があるの。今日、仕事が終わったら聞いてくれる」

 さやの目には思い詰めた様子がうかがえた。その晩、山田屋の一室で、さやは衝撃的なことを語った。

「正さん、あたしお嫁に行くの」

つづく

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