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2024年8月 5日 (月)

人生意気に感ず「書道授賞式の光景、豆粒のような姿。フェンシングの輝く少女たち。予選で敗れた富士見の女性」

◇豆粒のような女の子が表彰台に登る。小さな手で筆を握る姿が浮かぶ。第77回群馬教育書道展の受賞の光景である。私は4団体に群馬日中友好協会長賞を与えた。私は県書道協会顧問。最近日中友好協会賞が創立され会長として授与を行った。

 書の世界に大きな変化が起きている。書を学ぶ人が少なくなっているのだ。書は心の文化であるから私は日本人の心の衰退に繋がる問題として懸念する。今回の出品総数は1万6千567。かつては遥かに多かった。それでも群馬県書道協会は格別の存在感を示す。昭和23年4月に第一回書道展が行われた。昭和20年敗戦、昭和22年新憲法施行という時代背景の中のスタートであった。昭和22年といえば私が小学校に入学した年。国破れて山河ありの混乱の社会が甦る。

◇柔道団体選では日本はフランスに惜敗して銀。日本で生まれた柔道がここまで発展したかと感動した。ある日本人女性選手は言った。「オリンピックの借りはオリンピックで返すしかない」と。リベンジを決意する表情は美しい。

 女子フェンシング「銅」に注目した。中世ヨーロッパの剣術で、かつては決闘の手段であった。細い剣をふるう姿を見て日本の剣道がいつの日か五輪の種目になる日を想像した。銅を得て写真撮影に応じる選手の姿からも感じられるが、女子フェンシングに携わる人々は限られたお嬢さん達と思われる。かつてコーチは厳しく指摘したという。「お前たちは外国チームから可愛い存在だとなめられている。弱さは捨てろ。虎になれ」と。フェンシングの女子フルーレ団体で日本勢が表彰台に立つのは個人団体を通じて初。日の丸を背にして立つ女性選手たちの笑顔は輝いている。これを機にフェンシングに参加する少女たちは増えるに違いない。次の五輪に向けた歴史の新しい扉が開きつつある。フェンシングは日本の武士道と通じるものがある。国際舞台に立つ変身した大和撫子、美しさと強さを備えた女性像を期待する。日本の歴史に於いて「太古女性は太陽であった」。男尊女卑の暗い壁を超えて真の男女平等が五輪の場で実現しつつあることを感じる。

◇宮田選手の喫煙飲酒による辞退の結果、追加配分で五輪の切符を得た樺沢選手は予選で敗退。隣町で我が家とも近い。パリでは家族が応援したと報じられる。富士見中学時代の恩師は「人一倍の努力であの舞台に立ったと思うと感無量」と語る。そして激励する。「ここがゴールじゃない。ここから学び進化して」と。同感である。(読者に感謝)

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