人生意気に感ず「南海トラフが近づいた。すかいらーくさんは語る。長崎の悲劇よ」
◇「すわ、南海か」、8日午後4時43分頃車の中でK君が叫んだ。食い入るようにスマホを見ている。「どこですか」と私。「宮崎県日向灘です」。「ヤバイですよ。普段から南海要注意の所だよ」」私の声は上擦っていた。
来る来ると言われ続けてきた。想定される最大の津波は20m以上とも。その時が来たのか。テレビはオリンピックより優先させた。当然である。宮崎県を中心とした津波予想線、そして高台へ逃げる人々の姿。最大の関心事は巨大地震との関連である。的確な情報こそ生命線だ。マグニチュード7.1、震度6弱、巨大地震との関連は専門家チームが協議中と報じられた。協議の結果が待たれた。遂に示されたのは「南海トラフの発生が普段と比べ相対的に高まっている」とのことであった。怪我人の発生、商品の散乱、道路の亀裂、建物の倒壊、新幹線の停止状況などが報じられている。地震の権威は今後マグニチュード8~9の規模の発生があると語った。地下で巨大な構造物がギシギシと動き限界の時が近づいているのは間違いないと思われる。
◇1日の人との出会いのスタートは深夜の“すかいらーくさん”。勤務先の名でこう呼ぶ。暗い中に黒い巨大な輪郭が浮かんで近づく。何十秒かの会話が毎朝の楽しみである。9日の話題は昨日の大地震。すかいらーくさんは東北岩手の出身である。「南海トラフが近づきました。東日本より大きいと言われています」私が言うとすかいらーくさんは東日本大地震の恐怖を語った。義理の兄は船2艘と共にさらわれた。溝側などには脚や首がごろごろ。人の身体は何倍にもふくれ上がる。異臭は耐えられない程。「この世の地獄ですよ」すかいらーくさんの声が暗い中で重く流れた。
◇79年前の今日、広島に続いて長崎に原爆が投下された。広島に投下されたのはリトルボーイと呼ばれたウラン爆弾であったのに対し、長崎のはファットマン(太っちょ)と呼ばれたプルトニウム爆弾でより強力であった。第一目標の小倉市は雲で覆われていたため第二目標の長崎の悲劇が生じた。長崎はカトリックが非常に多い。隠れキリシタンの苦難の歴史もある。カトリックの大聖堂浦上天守堂は当時信徒1萬4千人を数えた。原爆により司祭以下10数人が死亡した。
今回の平和式典には過去最多の100カ国地域と欧州連合が出席する。異例な事態が生じた。それはイスラエルが招待されなかったことから米英など主要6カ国とEUの大使が欠席となったこと。反戦と慰霊の追悼が粛々と行われることを祈る。(読者に感謝)
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