死の川を越えて 第23回
※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。
マーガレット・リーはイギリス貴族の名門につながる生まれで莫大な財産を有するキリスト教徒であった。カンタベリーで生まれ、一族はハイリーのうっそうとした森に囲まれた大邸宅に住み、一族と使用人は会わせて200人に達した。何不足なく貴族の令嬢として育てられ、巨万の富を相続した。
マーガレットは、この財産と自分の余生を人類のために使用できるようにと神に祈った。母と世界旅行の途中に立ち寄った時、日本の風物が深く心に刻まれたという。来日は明治41(1908)年である。マーガレットにとって、布教と患者救済は不可分のことであった。
マーガレットは湯の川地区を実際に訪ね、万場軍兵衛にも会って、湯の川の実態に近づけたことをかんじた。彼女は、理想の村を実現するためには、この集落の若者に会いたい、そして、キリスト教徒でない若者に会ってみたいと願った。
それは万場老人の力で実現することになった。ある日のこと、正助ら若者は、万場老人の家でマーガレットと会った。前回と同様、通訳の井村祥子が同伴していた。若者たちは、異国の高貴な女性といろりを囲むことに興奮していた。マーガレットは若者たちの心をほぐそうとするかのように笑顔を作っている。老人の背後にこずえの姿もあった。
「何でも尋ねてよいと申されておる」
万場老人が硬い空気をほぐすように口を開いた。
「誰から給金をもらうのですか」
正助の唐突な質問であった。マーガレットの英語まじりのたどたどしい日本語を通訳が補った。
「神の命令です。神に応えられたという喜びが何よりの報酬なのです」
「神様って、見えないけれど本当にいるんですか」
権太が聞いた。
「おられます。神は偉大です。神の前では皆平等です。国境も、人種も、肌の色もないのです」
マーガレットは静かに微笑んでいる。若者たちは、目の前の異国の女性から何か犯し難いものがにじんでいるのを感じた。
つづく
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