人生意気に感ず「1944年12月7日の東海地震、その翌日は真珠湾攻撃後3年の日。1707年は三つが同時に。オリンピックのサプライズ」
◇「南海トラフ地震臨時情報」を最大安全地帯で受け止めた。南に南海トラフ、北に東日本大震災、群馬は中間で周りの多くの人は臨時情報を他人事と見ている。反省の気持ちを込めて地震の歴史を振り返る時だ。数ある大地震の中で政治と結びついた特異な出来事があった。戦意喪失を恐れてひたすら隠そうとしたのだ。「大本営発表」に沸いた時代である。1944年は敗戦の前年で戦局は末期を迎えていた。この年12月7日、東海地震は起きた。M8クラスの巨大地震である。驚くべきはこの地震の翌日(12月8日)の各紙の紙面である。各紙一面は昭和天皇の軍服姿を大きく報じた。なぜか。この日は3年前、真珠湾を攻撃し米英に宣戦を布告した日であった。天皇が開戦の詔書を書いた「大詔奉載日」であった。地震について国民はほとんど無視された。日本を代表する大新聞も社会面に小さく昨日の地震は大した被害もなしと書いた。東南海のひと月後、1945年1月13日午前3時38分、三河地震が発生。ほとんどの住民が就寝中のため死者は2,306人という惨害が生じた。
現在地震の巣がにわかに騒がしくなった。とんでもないことが発生する危機が迫っていると考えねばならない。過去には東海、東南海、南海の三つが同時に発生したこともあった。1707年の宝永地震の時は3つの震源域が同時に動いて超巨大地震となった。この年には富士山も大爆発し大災害を生じた。私たちの地下は神のみぞ知る仕組みで連動しているに違いない。今回宮崎県沖で大地震が起き南海トラフの発生が高まったと報じられた。歴史的瞬間をしっかり見届ける覚悟である。
◇オリンピックが幕を閉じた。サプライズが爆発した祭典だった。私の胸を打ったのは先ずパリが舞台になったこと。ベルサイユ宮殿、革命広場、凱旋門、セーヌ川等々。フランス革命では多くの血が流され、そこで生まれた人権宣言は人類進歩の基盤となった。ギロチンで首を落とされたマリー・アントワネットは天国で女性の活躍ぶりに目を見張っていることだろう。女性が一際輝いたのが今大会の特色である。憲法14条は人種・信条・性別を超えた平等を高らかに謳う。金20、銀12、銅13のメダルはこの平等原則がエネルギ-となった。硝煙が鼻をつき、核の影がちらつく中での平和の祭典であった。ロシアの参加を国として認めなかったことはオリンピックの良識を示すものだ。ほとんどあらゆる種目で黒い肌が輝いていた。奴隷制度を乗り越えた人類の進歩を示すもの。(読者に感謝)
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