死の川を越えて 第25回
※土日祝日は、中村紀雄著「死の川を越えて」を連載しています。
四、出会い
正助は前橋市で生まれた。少年の時、腕に斑点が出来た。「つねっても痛くねえぞ」と面白がっていたが、ある時、医師の目に留まり、大変な病だと分かった。両親は驚き、なすすべを知らなかった。もちろん、最も悩み苦しんだのは正助自身であった。家族と暮らすことができないことを知ったからだ。八方手を尽くした中で、草津の湯が効く、そして湯の川地区という患者同士が助け合って自由に生きる村があることを知った。
そして、ハンセン病の患者が同病を泊める宿を経営している所も何軒かあることも分かった。その一軒が山田屋であった。正助は決心を固め、主人に直談判して、この旅館で働くことになった。
正助は真剣に働いた。やがて、その真面目な性格と聡明さは主人が認めるところとなった。正助も頼りにされることがうれしかった。そして、同病の権太や正男とも知り合いになった。
しかし、この集落にどっぷり浸かるにつれ、この病の実態が分かり、自分の将来に絶望し、おびえるのであった。
正助が山田屋で働くようになってからおよそ1年がたったころ、東北の出だというあるハンセン病患者の娘と出会った。娘はさやといい、正助と同じように患者が経営する旅館、大津屋で働いていた。さやは器量よしで利発そうであった。そして東北人らしい素朴さを失わないでいた。
2人は同病ということで時々顔を合わせ、さやちゃん、正さんと呼び合うようになったが、初めのうちはそれ以上に特別の感情を抱くことはなかった。というよりも、心の底にあるものに気付かなかったという方が正確かも知れなかった。時々言葉を交わすうちに、さやは、驚くべき身の上話を語った。
さやは福島の田舎の出で、ハンセン病にかかったことが分かり、大掛かりに調査されることになって、一家が途方に暮れていた時、湯の川の親分に助けられたというのだ。
つづく
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