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2024年2月29日 (木)

人生意気に感ず「大型バスで中国大使館へ。卓球とバスケに見る対中国戦。人口減、日本沈没を救え」

◇2月は逃げると言われるが、あっという間に月末が迫る。29日、大型バスで中国大使館を訪問する。10人は直接大使館で合流。総勢43名である。中国の人気は必ずしも良くない。しかしこの43人という数字は中国への関心の高さを示すもの。大使館もこの雰囲気をしっかり受け止めて歓迎の姿勢を示している。大使館は初めてという人も多い。そういう人たちは大使館に近づいた時、その物々しい警戒態勢に驚くだろう。福田元総理も参加されることになった。午前8時30分、前橋駅南口を出発する。

 今回の中国大使館訪問は、先日の群馬県日中友好協会の立春パーティの延長線上にある。日中の交流を深めたいという相方の熱意が背景にあるのだ。私は民間主動の交流がいかに重要かを痛感している。43人の人々は大使館中庭にある日本の松とその根元の石碑を見るだろう。碑には「友情の絆を」の文字が刻まれている。松は日中友好協会理事の山梅造園が植えて管理している。碑は福田康夫元総理と私の合作である。合作の意味は、文面は私のもので字は元総理によるからである。この松と碑を背景にして写真を撮ることになろう。

◇民間交流といえば中国との間でスポーツの激しい競り合いが行われている。卓球とバスケットボールである。

 中国は卓球王国である。日本女子は団体戦で善戦したが2対1で惜敗。中国は世界ランキング1位で日本は2位である。私は前の試合で張本と早田の見事な戦いぶりを見ていたので期待は大きかった。かなりの善戦であったが王者中国にわずか及ばなかった。早田は自分の成長ぶりを実感したらしい。各種スポーツでパリへの切符を目指して欲しい戦いが展開されている。

 男子バスケットでは日本は中国に競り勝ち開幕2連勝を飾った。世界ランキングでは日本は26位、中国は29位である。中国戦の勝利はアジアカップ以上の主要国際戦では88年ぶりの快挙。今回は男子アジアカップ予選だった。

 パリ五輪が近づく。アジアの代表となる上で中国は手ごわい相手。観戦の応援団の様子は日中友好の輪が熱く深く広がることを物語っていた。

◇人口減少が止まらない。2023年の子どもの出生数75万8,631人で過去最少。婚姻数は戦後初めて50万組を割った。最近の若者の間で結婚しないことが選択肢の一つになっている。彼らの間で生きることへの夢や情熱がなくなっていると思える。日本の沈没を救わなくてはならない。(読者に感謝)

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2024年2月28日 (水)

人生意気に感ず「岩田亀作さん105歳の人生。戦場で示した人間の良心。毒薬を土に埋めて」

◇岩田亀作さん死すの報告があったのは26日の午前である。ああ遂にと思った。105歳であった。「俺が死んだら中村さんに知らせて欲しいと言われていたので」と娘さんの声であった。私は弔辞を述べる決意をした。かつて私は約束した。「亀作さん、百歳まで頑張って下さい。私が弔辞をやりますから」と。訃報と共に、ニューギニアの過酷な戦場が甦った。「生きて帰れぬニューギア」と呼ばれたのだ。

 第二次世界大戦でニューギニアでは約12万人の死者が出たが、そのうち9,230名が群馬県出身者だった。慰霊巡拝は平成13年10月21日から始まった。巡拝団の構成は県側の小寺知事(当時)、県議会は副議長の私、その他遺族会会長、町村会長等であった。実はこの慰霊巡拝には大きな不安が伴っていた。というのは、前の月9月11日に全世界を震撼させたニューヨークの同時多発テロにより世界情勢は日毎に険悪になっていたからである。私は、ダンピール海峡を臨むラエ市の祭壇で弔辞を読んだ。この街には極限の地獄、亀作さんが重傷兵たちの毒殺を命じられた野戦病院の跡地もあった。弔文を読む私の声は震えていた。

 亀作さんが語った数々の出来事。時を越えてその生々しい現実と対面している自分を感じたのだ。あれから23年が過ぎた。世界情勢は大きく変化し再び各地で戦争が起きている。私の中のニューギニアも変化した。私は次のように語りかけた。「亀作さん、あなたの人生が偉大なのは105年という長さではありません。それは極限の苦難の中を人間としての信念を曲げずに見事に生き抜いた素晴らしさの故なのです」

 私はここで亀作さんが示した野戦病院での決断を語った。衛生兵の亀作さんはある時上官に命じられた。「これをマラリアの薬と言って2粒ずつ飲ませよ」と。負傷兵の毒殺命令だった。野戦病院は正に地獄であった。兵士の大腿骨を麻酔なしでノコギリで切断した。玉砕命令は次のように非情であった。「病兵に至るまで立ち上がり斬り、死の覚悟をせよ。生きて捕虜になる者一人もあるべからず。この一点一兵に至るまで徹底すべし」と。亀作さんは冷酷な命令に迷った。命令に従うべきか、人間としての良心に従うべきかの闘いであった。亀作さんは毒薬を土に埋めた。多くの命を救ったのだ。私は遺影に語りかけた。「あなたの決断は人間無視の戦場の中で示した大きな救いでした。安らかにお眠り下さい」と。

(読者に感謝)

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2024年2月27日 (火)

人生意気に感ず「モンスター選挙年の意味。もう一人のバイデンか。もしプーチンが勝てば」

◇24日のふるさと塾は、予想以上に盛会だった。いつも二つの教室の境を取っ払って一つにして使う。約50人が参加した。テーマは「モンスター選挙年」。モンスターの表向きの意味は世界人口の半分が投票できるという巨大さであるが、それだけではない。不気味な怪物が潜んでいること、そしてそれが私たちの運命にも関わりを持つことを訴えたかった。私はホワイトボード一面に世界地図を描いた。アメリカ、ロシア、ウクライナ等を描き、こことここにモンスターがいますと言うと笑いが起きた。

 人々の関心はモンスター選挙の結果がロシアとウクライナの戦争にどう影響するかに集中していた。冒頭私は発言した。「奇しくも今日は2年前、ロシアのウクライナ侵略が開始された日です」。モンスター選挙をテーマにしたふるさと塾は誠にタイムリーであった。

 マスコミでは自由主義陣営の支援疲れがしきりに伝えられていた。その行方は独裁者プーチンの動向にかかっている。そしてプーチンの戦争政策のいかんは目前の大統領戦の結果と結び付いている。プーチンは選挙に都合の悪い候補者は権力で抑え込み毒殺にも及んだらしい。正にモンスターなのだ。プー心と並ぶもう一人のモンスターはトランプ前大統領である。トランプは共和党の指名争いで現在独走を続けている。11月の米大統領選はトランプとバイデンの争いになりそうだ。77歳と81歳の老老対決である。前日、ジョンフォード監督の荒野の決闘を観たばかりだ。現代版荒野の決闘に全世界がかたずを呑んでいる。

 仮にトランプが勝てばプーチンの思うつぼになるかも知れない。「その時西側陣営はどうするのですか」塾生から突然質問があった。「西側自由陣営は次は自分がやられると必死です。ロシアと地続きなのです。今まで以上に防衛力増強に力を入れようとしています」。モンスターと妥協することはこれを増長させると訴えたかった。

 プーチンのモンスターぶりを示す証拠として、勇気ある反権力の闘士ナワリヌイ氏を取り上げた。今回北極圏の過酷な刑務所で死んだ。ゼレンスキー大統領はプーチン政権に殺されたと叫んでいる。ナワリヌイ氏は以前国外で毒殺未遂にあっている。ドイツの医療技術で救出されたのだ。ロシアに帰れば命が危ういことは分かっていたが敢えて帰国して反プーチンを叫んだ。ロシアはその勇気を恐れた。ロシアの選挙は3月17日、アメリカは11月5日。全世界が固唾を呑む瞬間である。モンスターが野に放たれるのを許してはならない。(読者に感謝)

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2024年2月26日 (月)

人生意気に感ず「角田義一さんの死。水餃子と残留孤児。トランプ独走の意味」

◇角田義一さんが86歳で亡くなった。老いても激しい闘士の姿勢は消えなかった。私との接点はカトリックであり、フランシスコの町の評議員として顔を合わせていた。社会福祉法人フランシスコの町は孤児や難民に関わっているがそこでの課題は社会の矛盾などに結び付く問題も少ない。そんな時、角田さんの鋭い歯に衣きせぬ発言があった。それを見て、足はかなり力を失っておられる様子であるが心の情熱は衰えていないことを感じとっていた。

 私はカトリックに席を置くが信者の中に時に感じる闘う心を失ったかのような姿には不満を抱く。真のカトリックは教会で手を合わせることだけではない。義一さんの反権力の姿には惹かれるところがあった。冥福を祈る。

◇25日、中国残留帰国者協会の料理教室に出た。ここで作る水餃子の味は独特でつい何十個も食べてしまう。私は協会の顧問として挨拶した。「現在、日本と中国の関係は非常に重要です。協会の皆さんは貴重な橋渡しの役割を果たしておられます」と。協会には残留孤児の友人も何人かいる。彼らは戦後の動乱の中で塗炭の苦しみを味わった。日本に来ては心ない日本人に差別される悔しさに耐えた。私は彼らが育てられた中国奥地を何度も訪れた。黒竜江省ハルビンの奥地の貧しさは想像をはるかに超えた。私は戦後の貧困時代開墾生活の苦しさを体験した者として他人事ではなかった。黒い土間の隅にはカマドが二つ並び裸電球が天井から下がっている。一段と高い所が一切の生活の場であった。私の友人はここで育ったのだと思うと、その場の光景が胸に刺さった。残留孤児の多くは老境を迎え、ありし日を夢のように振り返っている。中国の近代化はハルピンの奥地まで押し寄せ、かつての光景は一変したに違いない。

 ハルピンで私は731部隊の跡地を訪ねた。細菌戦に備えた恐ろしい人体実験の建物は日本人の罪証博物館となっており、中には信じ難い証拠の品や写真が陳列されていた。私はナチスの残虐と重ねた。戦争は勝ためには手段を選ばない、何でもありの現実を極めて身近に見て鳥肌立つ思いであった。

◇トランプは24日サウスカロライナの勝利を確実にした。これで5連勝である。サウスカロライナは対立候補のヘイリー氏が6年間知事を務めた州。今年はモンスター選挙年。注目の米大統領選は11月5日。サウスカロライナでの勝利はモンスター実現への一歩と私は考える。トランプ再選なら世界は大きな衝撃を受ける。もう一人のモンスターはプーチンである。これらモンスターから世界の自由と平和を守らねばならない。(読者に感謝)

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2024年2月25日 (日)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一四七

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 また、次のものは、バンコク赤十字社に宛てた山中顕夫の請願書の要点である。

 

請願書   一九五六年一月三十日

バンコク赤十字社事務総長宛                     山中顕夫

「謹んで一書を呈します。ソ連邦ハバロフスク第十六収容所の日本人全員が労働を拒否し、ソ連邦政府に対して請願運動中であります。しかし、既に一ヶ月余を経過するも何等の解決が見られません。そこで、我々は、国際的人権・博愛の象徴たる貴社に対し、我々の実情を訴え、世界人類の審判を仰ぐと共に公正なる解決のために援助を与えられんことを懇願するものであります」という文に始まり、続けて、収容所の扱いの過酷さをこまごまと訴えていく。そして、「ベリア処刑の後、一般のソ連囚人に対して、画期的待遇改善が行われたのにもかかわらず、日本人に対してはかえって過酷の度を加えています」と指摘。これは、スターリンが死に、スターリンの下で、過酷な受刑者の扱いを指揮してきた内相ベリアが政変により銃殺され、囚人に対する処遇が大きく変化したことを指す。また、「我々は、このような過酷な管理の下で、十一年目に入り、平均年齢は四十二.六歳となり、健康状態は、昨年春以来急激に悪化し、我々総員の過半数は完全病人、または半病人となるに至ったのであります。それにも拘わらず我々は、隠忍自重し、困苦極まりなき非人道的奴隷的生活に耐えてきたのでありますが、管理当局は、零下三十度の酷寒の中に、八十人の病人を労働に狩り出すに至り、遂に自己の生命を自ら守るために人間として最後の要求を叫ばざるを得なかったのであります。即ち今日の八十名の運命は明日の我々全員の運命なのであります」

 と切実に訴える。そして、自分たちに対する処遇を改善するために力を貸してくれと請願している。

 

つづく

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2024年2月24日 (土)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一四六

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 請願書    一九五六年、一月三十日

ウォロシーロフ宛             石田三郎

 尊敬する議長閣下、現地機関は、事件発生後一ヶ月以上を経過しているにも拘わらず、私達に対して依然として不当な扱いを継続しております。収容所当局の非人道的取扱いに端を発しているこの事件の最中に重病患者二名が遂に死するに至りました。そのうちの一人は、希望食として、タマゴとリンゴを求めており何回となく、日本人病院関係者及び看護人から請願しても認められず、ハバロフスク地方内務省長官の巡視時に直接請願することにより、その命令によって初めて死の直前に与えられました。しかし、効果なく死去するに至りました。

 更にもう一人は、やはり、唯一の摂取可能食品としてタマゴとリンゴを求めましたが、希望は実現せず死去するに至りました。賢明なる閣下には、この小さなことがらの中から、管理機関の取扱い態度の一端を知って頂けると思います。即ち、これを拡大したものが、労働、衣糧生活その他全般にわたって、管理の中で行われてきたのであります。そして、この悪質な管理の諸事実の集積が我々の生命を脅かすに至り、今回の問題となって爆発したのであります。そして私たち全日本人は、全員が死を決意してこの運動のために結束せねばならなかったのであります。私達は、貴国における軍事俘虜でありますが、私達もやはり人間であります。私達は、人間としての極く普通の取扱いを請願しているのであります。それを現地官憲が最も卑劣な手段で、しかも威嚇的恐喝的手段で圧殺せんと企図する行為は、果たして正しいものでしょうか。

 尊敬する議長閣下、私達全日本人は、閣下の考えておられる人道主義、即ち広汎な世界人民に、今、支持を受けているソ連政府の平和的政策は、決してかくのごとき内容のものでないことを深く信ずるが故に、再度、閣下の直接指示に基づく、解決のための全権を有する公正なる委員会の派遣方を衷心より請願するものであります。

 

つづく

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2024年2月23日 (金)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一四五

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 いくつもの抑留者の手記で述べられていることであるが、戦いに敗れて、同じように強制労働に服していたドイツ人は、収容所側の不当な扱いには、毅然とした態度をとったという。また、ある手記によれば、メーデーの日に、日本人が赤旗を先頭に立てて祝賀行進していると、一人のドイツ人捕虜の若者が、その赤旗を奪い取って地上に投げ、「日本の国旗は赤旗なのか」と怒鳴った。この若者は同じようにソ連から理不尽な扱いを受けている仲間として日本人が、共通の敵に対して尾を振るような姿を許せなかったのであろう。

 

八 請願運動の実態

 

 石田三郎を中心とする日本人は、知恵をしぼり、あらゆる手段を尽くして闘った。しかしソ連側おしたたかで、闘いは長期化していった。闘争手段の主たるものは、中央政府に請願書を出す運動であり、これに多くの精力が傾注された。代表名で多くの請願書が書かれ、また、各個人が精魂込めて文を書いた。そのために、密かに用意した大量の紙がすべて使い果たされるに至った。しかし、これらの請願書は、中央に届けられることなく、握りつぶされていたことが後に分かるのである。

 ここで、請願闘争の実態を知るために代表名と個人名の請願の中から各一例ずつ、その要点を示して紹介する。

 

つづく

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2024年2月22日 (木)

人生意気に感ず「脱税だの国民の怒りは頂点に。盲導犬との別れる姿に思わず涙」

◇国民の怒り、政治不信はここに極まるの感がある。内閣支持率21%が全てを物語る。国会内の政倫審出席をめぐるゴタゴタは国民の不信感を高めるばかりだ。自浄機能がない、こんなことを決められない、それで国難に対応できるのか。大方の国民の目にはそう映る。

 政倫審は疑惑の国会議員に質疑や審査を行う場である。疑惑とはキックバックのことであり、その実態は脱税だと厳しい声が上がっている。時あたかも国民は確定申告に追われている。税を納めるという身近な具体的なそして切実な問題が国政の紛糾と直結している場面である。

 疑惑の議員に対するアンケートの対応ぶりはいかにも稚拙で村社会ぶりを露呈している。憲法の「国会は国権の最高機関」という定めを汚すものだ。アンケートの回答拒否、未回答は7割超という。その理由の多くは周りから白い目で見られるといったことでいかにも軽い。これで国政の重大事に関わることが出来るのかと改めて思う。日本が崩壊する姿を象徴するようだ。

◇にんげんドキュメント・テノール歌手と盲導犬との物語に胸を熱くした。込み上げるものを抑え難い場面もあった。後に述べる別れの光景である。ある小学校が舞台となった時、講堂いっぱいの子どもたちの犬を見る目は一様に輝いていた。子どもは皆、動物好きである。しかしそれ以上に彼らの関心は主人に忠実な犬に向けられ、盲目の主人を助ける物語を想像しているに違いないと思えた。危険がいっぱいの大都会で犬は前方の障害を巧みに避けて主人を導く。心と心が一つになっていることが伝わってくる。賢い犬が選ばれるのだろうがどのような苛酷な訓練に耐えたのかと想像してしまう。地下鉄では空いている席に導き主人が座るとその足下にじっとうずくまる。彼の目に高度に発達した人間の文明社会はどのように映っているのであろうかと思った。傷ついている老犬は任務の限界を迎えていた。別れる時が来たのだ。引き受ける家庭も見つかった。賢い犬は事態を知っていた。主人が「ステイ」と命じる。動いてはいけないという声には必ず従うようしつけられている。しかし驚いたことにこの時犬は命令に逆らって主人を追って玄関の出口まで動いたのだ。主人は言う。「イヤになったら帰っておいで」と。犬の目は涙でうるんでいるように見えた。私はこの原稿を書きながらNHKのドキュメントを観た。あのワンちゃんの新しい生活が始まっているに違いない。私は秋田犬ナナとの別れを思い出す。一途な心の絆は人間以上なのだ。(読者に感謝)

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2024年2月21日 (水)

人生意気に感ず「盛山文科相はスーパー大臣か。内閣維持率21%の衝撃。支援疲れは真実か」

◇いかにもほっとしたように深々と頭を下げた。衆院で不信任案が否決された瞬間の盛山文科相の表情である。それまでの苦汁に満ちた目つきと別人のように対照的に見えた。

 盛山氏のことを「スーパー大臣」と呼ぶそうだ。異例のはやさで苦境を脱した姿を皮肉を込めて表現しているのだろう。自民、公明、維新の反対で否決された。22日に東京地裁で教団の解散命令の審問が始まる。その前の否決を狙っての異例の動きであった。

◇このような緊迫した状況下、盛山事務所には教団系の機関誌が毎月発送されていたことが大きく報じられた。盛山氏は「既に関係を絶っている」と強調していた。本気度が疑われても仕方が無い。

 盛山氏に対する世論は厳しい。世論調査では盛山氏の辞任を求める声は66%に上がった。そして岸田内閣の支持率は21%に下がった。それでも内閣が持ちこたえていられるのは野党に力がないからに違いない。現在の混沌とした国内外の情勢下で野党に政権を任せれば大変なことになると思う。しかし現在の与党で乗り切れるかも極めて深刻な問題なのだ。

◇「ふるさと塾」が今度の土曜日に迫った。中心のテーマは「世界の選挙イヤー・モンスター選挙年」である。世界中で選挙が行われる。世界人口の半分が投票に参加できる。正にモンスターなのだ。その中で特に注目されるのがアメリカとロシアである。トランプ氏が再選されたらどうなるのか。日本にとって決して他人事ではない。

 大統領を意識してウクライナに対するロシアの攻撃が激化している。この状況でプーチン氏の当選確実が叫ばれトランプ氏再選の可能性も否定できないとされる。トランプ氏はウクライナ戦でもプーチンの侵攻を肯定する動きをとると見られる。「支援疲れ」が懸念されている中、ウクライナ敗北の結果は、世界及び日本にとって深刻な事態を生む。塾ではこの点にも踏込むつもりだ。専門家はウクライナ敗北の結果を客観的な数字をあげて鋭く指摘する。次のような点である。ロシア軍が1千キロにもわたり迫る欧州はそれに備えるため天文学的な軍備の増強を要することになる。例えば1機100億円もする最新鋭の戦闘機を数百機増やさねばならない。

 専門家たちの結論はウクライナの支援を継続してロシアを負かすことが経済的にも格段に安く付くというのだ。政敵を次々に毒殺する国の選挙は民主主義の形をした世界に対する詐欺行為に他ならない。その行方を見届けたい。(読者に感謝)

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2024年2月20日 (火)

人生意気に感ず「東大研究室で林健太郎先生を拝す。先生は県民会館で語った。173時間の闘い」

◇過日、久しぶりに本郷の東大構内を歩いた。目的は書籍部で東大出版会のある本を捜すことであった。正門から入ると正面に安田講堂がそびえるように建ち、左右には法文系の古式色蒼然たる建物が並ぶ。それは学問と国家権力が複雑に絡み合った姿にも見えるし、かつての東大紛争を知る者には強者どもの夢の跡とも見えるだろう。銀杏並木を若い男女が屈託のない笑い声で歩いている。私がいた西洋史研究室は右手の建物の一角にあった。若い教授と数人の学生は先輩として私を迎え入れてくれた。私の目的は、今は故人となった林健太郎先生の写真に接することであった。しげしげと林先生を見詰める姿に若者たちは興味深げな様子。そこで、林先生との関係を話した。東大紛争の時の林先生のこと、私が群馬の県議選で金も地盤もなく立候補したとき先生は手弁当で駆けつけてくれたこと、等である。

 その端正で静かな顔立ちからは内に秘められた強さは想像できない。東大紛争の時、文学部長だった先生は学生たちによって軟禁状態にされた。173時間、筋を通した主張を少しも曲げなかった。機動隊の救助の申し出に対しては「私の救出のための出動は無用、只今学生を教育中」というメモが届けられた。林先生は遂にドクターストップの状態で救出されたが文学部長室の壁には学生たちの手による「林健太郎に敬意」という文字が貼られていた。多くの教授たちの狼狽ぶりが酷かっただけに林先生の侍ぶりが際立ったのだ。「偉大なる教育者」と讃えられたのは当然である。その後先生は東大総長になられた。群馬県民会館の集会には元東大総長の肩書きで来られた。「元東大総長来たる」のポスターと共にこのことが世間に知られた時、先生のところへなぜ中村の応援をするのかと何か理由をつけた抗議が届いたと言われる。先生は動じなかったし、このことは一言も私に話すことはなかった。ひょんなことから私の耳に入ったのだ。県民会館(現ベイシア文化ホール)で先生は言われた。「中村君は東大で本格的に歴史を学びました。政治家には歴史の素養が必要です。歴史を活かした政治家になって欲しい」。不肖の弟子は先生の言葉を裏切らぬことを念じて愚直に走り続けて83歳を迎えた。私は未だ人生の幕を下ろす気はない。体力と気力が「まだまだ」と叫んでいる。現在未曾有の歴史的事実が迫っている。首都直下、南海トラフ等の巨大地震である。現在進行中の能登地震はその前兆と捉えるべきだ。政治不信と重なり日本が危機にある。(読者に感謝)

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2024年2月19日 (月)

人生意気に感ず「奴隷制と非難される外国人労働。南方熊楠を読んで。H3ロケットの成功」

◇17日のミライズクラブの須田さんの話はいくつかの点で会員に衝撃を与えた。長い間「技能実習制」の実態に深く関わってきた者のみが知る現実を突きつけられたからだ。政府はこの技能実習制に代わる新たな仕組みとして「育成就労制度」創設の方針を決めた。新たな仕組み作りを迫るのは人種差別、人権侵害の現実とそれに対する国際的な非難であった。アメリカから「奴隷制度だ」「仕事を止める」と迫られた。妊娠をさせないなどの実態は奴隷制と言われても当然であろう。労働基準法を守らない、そして頭をたたくなどの暴力も行われていたとされる。これらは奴隷状態の一端と言われても仕方がない。貧しく知的レベルも低い人々への差別が横行していたことを知って驚いた。アメリカの非難の経済面における現れとして「仕事を止める」という動きがある。アメリカのIT関連企業は日本の産業と広く繋がっている。仕事を止められたら大変である。外国人労働がこんな所にも深刻に波及していることに驚いた。有識者会議の提案には一定の要件の下に労働者本人の意向による「転籍」を可能にすることがある。これは同じ業種内で職場を移れることを意味する。少子高齢化、人口減は加速する。外国人との共生は時代の大きな流れ。外国人の人権を保障しつつ外国人に選んでもらえる国となることが日本が生き残る道でもある。

◇南方熊楠(みなかたくまぐす)の伝記を読んだ。博覧強記の博物学者であるが人並み外れた「奇行の人」で柳田国男は「日本人の可能性の極限」と評した。多様性が尊重されるべき現代においてこのような人物に注目する意義を感じるのだ。

 多くのエピソードの中で特に興味ある出来事は昭和天皇へのご進講である。それは昭和4年のことで、天皇は神とされた時代である。予定時間は25分と決められていたが、天皇は延長を命じた。後に天皇は「家では裸でいるというが私の前へ来るときは正装であった」と懐かしそうに語ったと言われる。天衣無縫奇行の人も特別の思いを抱く人に対しては意外と細かく気を遣った。彼は植物研究所設立のため寄付金を集めたが有力な賛助者には紀州特産の安藤みかんを贈った。このみかんを贈られた意外な人に山本五十六がいる。偉大な奇人が生まれない社会は萎んでいく社会である。それはAIに負ける殺伐たる社会でも

ある。

◇H3ロケットの巨体が大空に突き進んだ。バンザーイ、思わず快哉を叫んだ。日本の科学力がまた宇宙の扉を大きく開けた。(読者に感謝)

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2024年2月17日 (土)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一四四

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

「いかなることがあっても、浅原グループに手を加えてはならない。それは、ソ連側の実力行使の口実となり、我々の首をしめる結果になる」と、逸る青年を代表部は必死に抑えた。

 収容所側は、この空気を憂慮して、ついに浅原グループを全く分解する方針をとるに至った。しかし、このような対応のしこりは消えることなく、後に帰国船興安丸の船上で、青年たちは浅原たちを本気で海に投げ込もうとしたほど、根深いものであった。これは、別に取り上げる「民主運動」なるものが、いかに日本人の心を傷つけたかを物語るものであった。

 

 

七 日本人を「意気地なし」と軽蔑した外国人

 

 日本人が結束して闘う姿は、同じ収容所の外国人を驚かせた。ハバロフスクには、中国人、朝鮮人、蒙古人がかなりの数、収容されていたが、彼らの代表がある時、闘う日本人を訪ねて共闘を申し込み、こう発言したという。

「私たちはこれまで、日本人は何と意気地がないのかと思っていました。日本に帰りたいばかりに、何でもソ連の言いなりになっている。それだけでなく、ソ連にこびたり、へつらったりしている。情けないことだと思いました。これが、かつて、私たちの上に立って支配していた民俗か、これが日本人の本性かと、実は軽蔑していました。ところが、この度の一糸乱れぬ見事な闘いぶりを見て、私たちが誤っていた。やはり、これが真実の日本人だと思いました。私たちもできるだけの応援をしたい」

 石田三郎たちは、この言葉に感激した。そして、これまでの自分たちが軽蔑されるのは当然だと思った。ソ同盟万歳を叫び、赤旗を振って労働歌を歌い、スターリン元師に対して感謝状を書くといった同胞のこれまでの姿を、石田三郎は改めて思い返し、日本人収容者全体の問題として恥じた。

 

つづく

 

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2024年2月16日 (金)

人生意気に感ず「毒薬で娘を殺す恐怖。今、みる地獄の戦場を読んで。太平洋と日本の役割」

◇おどろおどろしい出来事を想像する。4歳の女児毒殺容疑で両親が逮捕された。捜査は進行中である。毒薬を使った新たなタイプの虐待なのか。薬物の名はエチレングリコールとオランザピン。4歳といえば通常精神的にはかなり成長している筈。美輝ちゃんの場合どうだったのだろう。出生直後に虐待があったらしい。異常な事態は理解できない。想像するに夫婦関係が破綻し母親は常時ではないにしろ自分を失った狂乱状態にあったのか。犯罪は社会が生み出す一面がある。病める社会の一面をのぞく思いだ。日本の社会が崩れていく恐怖を感じる。一家は千葉県に居た時、夫婦の子どもへの心理的虐待があったとされる。母親は美輝ちゃん出産の直前、精神的に不安定で支援を要する特定妊婦とされていた。そして出産直後、自宅ベランダで衣に火を付け警察の聴取を受けた。指摘されているこの時期の美輝ちゃんへの虐待は心を失った状態のことであったろう。母親の責任は問えないというべき。重ねて思う。児相を含めた地域社会はなぜ救えなかったのか。

◇拙著の小冊子「今、みる地獄の戦場」を改めて読んだ。副議長の時、ニューギニア慰霊巡拝を期に書いたもの。地獄と敢えて表現したのは「生きて帰れぬニューギニア」と言われ、特に酷い戦場だったからである。日本軍は兵士を消耗品として扱い無謀な戦いを展開した。

 この慰霊の旅で、私は大きな収穫を得た思いであった。不毛な地獄に人間の営みの跡を発見したからだ。その一端は皆川大使(当時)の次の言葉に現れていた。「白人は昔、現地の人を豚や虫のように軽蔑したが日本兵は平等に付き合った」極限の状況下で命を大切にする人々の姿の跡を幾つも知った。岩田亀作さんが上官から毒薬を渡されたが命令に逆らって土に埋めた。ミッションヒルで一人の裸足の少年が現れ、私にシャコ貝を渡して走り去った。あの少年の輝く瞳が甦る。あの貝は今、書斎の目の前にある。あの少年はどうなったかと思う。

◇地獄の戦場を振り返る動機は南太平洋の国々が米中の綱引きの場になっていることである。太平洋進出は中国の悲願である。中国には覇権を広げる下心があると見られている。南太平洋の平和と安定、そして地球環境保護のため日本の役割と使命は大きい。かつて日本は太平洋を戦場として迷惑をかけた。今その反省を活かして地域に貢献する時。上川法相は太平洋島サミットに向け南太平洋を巡った。米中の綱引きが激化する中、日本の使命は増すばかり。(読者に感謝)

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2024年2月15日 (木)

人生意気に感ず「外国人就労環境が変わる。外国人に選ばれる国に。戦場のピアニストを観た」

◇今月のミライズクラブのテーマは「外国人労働者派遣法の改正について」。副代表幹事の須田さんが話す。この人は外国人労働に長いこと携わり、この問題の表と裏をよく知る。彼の片腕となって支えるのは中国人女性の沈さん。私が保証人となって来日した。

 現在の技能実習制度は複雑な問題を抱える。制度の理想は発展途上国に技術を伝え、その国の発展を助けること。しかし実態は異なる。受入れ企業は安い労働力を目的とし、外国人は少しでもお金を稼ごうとする。ブローカーが暗躍し人権無視が深刻なのだ。人権無視として驚くべきことは就労の妨げとなるとして女性に妊娠を禁じたり、妊娠が分かった場合契約継続を拒否するなどが横行しているらしい。このような実態を許すことは人間尊重、人権の国がいつわりであることを示しさらけ出すもの。

◇この外国人就労制度が大きく変わることになった。問題を抱えた技能実習制度に代わる「育成就労制度」の創設である。新しい制度の下で外国人の人権が守れるか、外国人が安心して働ける環境を整えられるかが問われる。時代の変化はダイナミックである。尊敬される日本、外国人から選んでもらえる日本を目指さねばならない。岸田首相は我が国が外国人から選ばれる国になるという観点で制度づくりを進めると述べている。

◇映画「戦場のピアニスト」を引き込まれて観た。ナチスの弾圧を耐えて生きる人々を描いた映画は多いが異色の作品である。ユダヤ人の天才ピアニスト・シュピルマンの真実の物語。ポーランドが舞台である。ユダヤ人が強制収容所へ送られていく。シュピルマンは貨車に乗せられる人の列から奇跡的に抜け出し必死の逃亡を続ける。ナチスに抵抗する組織に助けられ隠れ家を転々とする。ハラハラの連続である。最後の隠れ家は「最も安全な場所」だった。なぜならナチスの拠点と目と鼻の先の位置で敵もまさかユダヤ人が居るとは思わないからだ。目の下で地下組織の人々の襲撃が展開される。スピルマンの指が空に躍っている。目を閉じてショパンの演奏を想像することが生き抜く力になっていた。連合国がノルマンジーに上陸しソ連が迫るというニュースに胸を躍らせるシュピルマン。しかしある時、目の前にドイツ軍将校が立っていた。「ユダヤ人だな。何をしていた」「ピアニストでした」「何か弾いてみろ」部屋の隅の古いピアノから美しいメロディが流れ、将校の瞳は輝いた。「あとわずかで解放される」そう言って将校は去って行った。ナチスのホロコースト、血の海の中を流れる美しい旋律は人類の救いの音色だった。(読者に感謝)

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2024年2月14日 (水)

人生意気に感ず「能登は南海トラフの前兆か。怒鳴り込むパンパンの親分。増える外国人」

◇能登元旦地震、私は勝手にこう命名している。1ヶ月半が過ぎ惨状が細かく分かってきたが、人々の苦しみはまだまだ続く。誰もが思う。これが首都圏で起きたらどんな地獄が出現するかと。南海トラフを含めてそれが確実に近づいている。歴史的に南海トラフの前には内陸型の地震が多発したという。阪神・淡路、鳥取県西部、新潟県中越、熊本など内陸での地震が続いている。そして今回進行中の能登元旦、これも内陸型に属するのだと言われる。

 専門家は厳しく指摘する。「これらの内陸型地震を南海トラフの前兆と捉え、今から最大限の警戒をしておくべきだ」と。

◇地震研究の世界では地下の地震活動を科学的に解析した「地下天気図」を随時作成している。本来の天気図に模した地下の状況である。それによれば「秋田沖エリア」、「千葉・茨城エリア」などが要注意だと言われる。「秋田沖エリア」に関しては地震学者の間で「大きな地震が起きる」と意見が一致している。ここでは地震学的にはいつ起きてもおかしくない。大津波の警戒も必要という。

 我々の関東に関しては首都直下の他に上記の千葉・茨城エリアが問題で特に房総半島沖が要注意である。この地域は地震の巣だと専門家。日本列島全体が地震の巣なのだから、巣の中の更なる要注意地点ということか。

◇NHKの朝ドラブギウギが面白い。赤ちゃんを抱く主人公のところへパンパンガールの親分の女性が怒鳴り込む場面があった。あたしたちを見下すなというのだ。この場面に惹かれたのには訳がある。私は売春婦を買った経験はないがこの種の訳ありの女性に関わったことが一度ならずあったのだ。ギリギリの人生を生きている女性には惹かれるものがある。娘がよく言う。「パパはきれいな女の人に優しい」と。しかし私が興味を持つのは表面ではない。決して美しさとは関係なく目の奥に潜むものに引きつけられることは良くある。長い議員生活はよろず相談受付の感があった。かつての友人でどこかの看護師との浮気が奥さんにばれ、二度としませんという誓約書を書いてやったことも。今構想を練っている自伝の続編にいくつかを取り上げようかと思う。

◇人口減が進む中、外国人居住者が増えている。県のまとめではベトナム人、ブラジル人、フィリピン人、中国人、ペルー人の順である。これは私が関わる日本語学校の状況と似る。外国人への理解と共に日本の文化を守らねばの思いが募る。(読者に感謝)

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2024年2月13日 (火)

人生意気に感ず「女性市長誕生の投稿をここに。小川丸の行く手には何が」

◇上毛新聞への私の投稿「女性市長誕生に思う」が注目されているらしい。何人かから電話をもらい、その中にはコピーして知人に配るという人も。市長選への関心が高かったことを示す。多くの人にメッセージを送りたいという目的があったので、このブログでも再現し、合せてコメントを加えたいと思う。

「前橋市の歴史で初の女性市長が誕生しました。弾ける笑顔が時代の変化を物語っています。私は現職の市長の応援をしていたので、当初は落胆しました。しかし、冷静になって考えた時、歴史の歯車が大きく回転し、新しい時代の扉が開いたことに大きな意義を感じるようになりました。

 小川晶新市長は県議の時から交流があった人で、その人柄や見識をよく知っています。底なし沼を思わせるような政治不信、八方塞がりの閉塞感、山積する課題。このような政治的・社会的状況が彼女に人生をかけた一大決心を迫ったに違いありません。

 市長選は現職側もいくつもの大会が人であふれ盛り上がっていました。しかし、それも時代の潮流には勝てなかったのです。大地が動いたかの感があります。第一の効果は、人々の心に勇気と希望を与えたことです。

 古来、洋の東西を問わず天下の危機にあって神がかった女性が登場しました。日本の社会がしぼんでいくとき、最も期待されるのは女性の力です。上州の“かかあ天下”が姿を変えて登場したと思いたくなります。

 山本龍市長は多くの種を蒔きました。新市長はその種を芽吹かせ、育ててほしいと思います」

◇上の「多くの種を蒔いた」ことを実感したのは、山本市長が政策発表会で驚く程多くの企画を熱く語った時のことであった。これによって私は前橋市の未来のために龍さんをもう一期させねばと確信した。そして本腰を入れて私の関係先へ呼びかけたりとエンジン全開で頑張った。新市長への「芽吹かせ、育ててほしい」という思いは、かくて強いのである。衆望を担って劇的に登場した新市長は是非とも山本市長のバトンを大事に受け継いで欲しい。これまであまり関心を持たなかった前橋市議会であるが今回の議会では特に新市長の所信表明には注目したいと思う。小川丸が何を目指すのか、その意気込み等がある程度分かるに違いない。待ち受けるのは未曾有の激流である。暗い淵には得体の知れないモンスターが潜んでいる筈。冒険の船には市民全員が乗っている。(読者に感謝)

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2024年2月12日 (月)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一四三

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 長い収容所の生活の中で、国歌を歌うことは初めてのことであった。「民主運動」の嵐の中では、国歌も日の丸も反動のシンボルであり、歌ったり貼ったりすることは、まったく不可能なことであった。「民主運動」の中では、祖国は、日本ではなくソ連でなければならなかった。「共産主義の元祖ソ同盟こそ祖国なのだ」と教えられた。多くの日本人は、不本意ながらも民主教育の理解が進んだことを認められて、すこしでも早く帰国したいばかりに表面を装って生きてきた。収容所では、表面だけ赤化したことを密かに赤大根と言ったという。心ある者は、このようなことを卑屈なこととして後ろめたく思っていた。中には自分は日本人ではなくなってしまったと自虐の念に苦しんでいる者もいた。

 ところが図らずも今度の事件が発生し、一致団結して収容所当局と対決することになり、日本人としての自覚が高まり、日本人としての誇りが甦ってきた。

 この湧き上がる新たな力によって、「民主運動」のリーダーでシベリアの天皇と恐れられた浅原一派ははじき出され、彼らは今や恐怖の存在ではなくなっていた。このような中で迎えた正月であり、その中での国歌「君が代」の斉唱であり、日の丸であった。石田三郎が「日本人となり得た」とか、民族の魂を回復し得たということも、このようにして理解できるのである。

 ところで、浅原正基を中心とする「民主運動」のグループは、もとより作業拒否の闘争には加わっていなかったが、同じ収容所の中の一角で生活していた。彼らは勢力を失ってはいたが、依然として水と油の関係であり、闘争が長引き作業拒否の意識が激化してゆくにつれ、この関係は次第に険悪になっていった。特に、彼らを通じて収容所側に情報が漏れてゆくことが、人々を苛立たせ、怒りをつのらせた。そして、状況は緊迫し、いつ爆発するかもしれぬ状態になった。血気の青年防衛隊は、このままでは闘争も失敗する、浅原グループを叩き出すべきだと代表に迫った。

つづく

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2024年2月11日 (日)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一四二

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 六 感激の正月を迎えて・浅原グループとの対決

 

 石田三郎たちは、ソ連に連行されてから十一回目の正月を闘争の中で迎えた。打開策も見つからず、闘争の行方については大きな不安があったが、今までの正月にはない活気があふれ、収容所の日本人は大きな喜びに浸っていた。

 正月づくりに取り組む日本人の表情は明るかった。日本の正月の姿を少しでもここシベリアの収容所の中に実現しようとして、人々は前日から建物の周りの雪をどけ、施設の中は特別に清掃された。器用な人は、門松やお飾りやしめ縄まで代用の材料を見つけてきて工夫した。各部屋には、紙に描かれた日の丸も貼られた。懐かしい日の丸は、人々の心をうきうきさせた。作業に取り組む日本人の後ろ姿は、どこか日本の家庭で家族サービスするお父さんを思わせるものがあった。それは、自らの心に従って行動する人間の自然の姿であった。

 石田三郎は、『無抵抗の抵抗』の中で、ソ連に連行されてから、この正月ほど心から喜び、日本人としての正月を祝ったことはなかった、それは本来の日本人になり得たという、また、民俗の魂を回復し得たという喜びであった、と述べている。

 元旦の早朝、日本人は建物の外に出て整列した。白樺の林は雪で覆われ、林のかなたから昇り始めた太陽が、樹間を通して幾筋もの陽光を投げていた。人々は、東南に向かってしばらく頭を下げ、やがて静かに上げると歌い出した。「君が代は、千代に八千代に・・・」

 歌声は次第に高まり凍った白樺の木々を揺るがすように広がってゆく。人々は、故郷の妻や子、父母や山河を思って歌った。人々の頬には涙が流れていた。とどろく歌声は、人々の心を一層動かし、歌声は泣き声となって凍土に響いた。苦しい抑留生活が長く続く中で、今、時は止まり、別世界の空間が人々を包んでいた。

 

つづく

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2024年2月10日 (土)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一四一

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 石田三郎はお礼の中で、運動の目的は一人残らず帰国することである。そのためには、暴力は絶対によくない、諸君の任務は暴力に訴えることが生じないように監督してくれることであると述べた。そして、私を拉致するために血を見るような事態に陥ったときは、私一人で出て行くと言うと、一人の青年は石田の言葉を遮るようにきっぱりと言い放った。

「代表が奪われるよりは、私たち青年は銃弾の前に屍をさらす覚悟です」

 青年の頬に涙が流れていた。すすり泣く声は聞こえ、それは広がって、今やすべての青年が泣いていた。石田三郎も泣いた。これまで、いかなる拷問にも耐え、いかなる困難を前にしても泣いたことのない石田三郎が、今は青年の手を握り泣いていた。

 人々がこのように純粋な気持ちで涙を流すことは祖国を離れて以来初めてのことであった。外の力で働くのではなく、内なる力に衝き動かされ、その結果人間として一番大切な生命をかけることになった。そのことによって、奴隷としての自分を解放し、日本人としての誇りを仲間と共に共感するという喜びであった。

 この青年隊は、その後大きな役割を果たした。闘争は、予想に反して長引いたので、若者の行動力を必要とすることがいろいろ生じたのである。また、ソ連側に軽々しく武力弾圧に踏み切ることを控えさせるために、決死の青年隊の存在は大きな意味があったと思われる。

つづく

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2024年2月 9日 (金)

人生意気に感ず「モンスター選挙年、特にアメリカとロシア。国会をなめている盛山文科相」

◇今月の「ふるさと未来塾」(2月24日土曜日)は時代の大転換点を現すテーマを取り上げる。今年は選挙イヤー、「モンスター選挙年」と言われる。奇しくも世界人口の半分が投票できる年なのだ。その動向は世界の安定平和経済に関わる。世界の一体化は加速しているから日本の状況にも影響を及ぼす。日本では能登大地震の惨状が続き首都直下南海トラフの足音が不気味に近づく。地球環境の危機は世界の政治情勢と密接である。今年地球人の一人として諦めの姿勢で臨むことは許されない。こんな意味で「モンスター選挙年」を語ろうと決意した。前橋の歴史で初の女性市長誕生も刺激となっている。因みにモンスター選挙の候補予定者に女性はいない。

◇今年行われる主な世界の選挙はアメリカ・ロシア・インド・インドネシア・欧州議会等であり、特に目が離せないのはアメリカとロシアである。私はアメリカの選挙に特に注目する。それは自由主義陣営の同盟国で戦後の日本に決定的な影響を与えた国であることであるがバイデン、トランプ両氏のキャラクターにも興味が沸くからだ。バイデン81歳、トランプ77歳の闘いは老老対決だ。高齢社会を象徴するような姿であるが広大なアメリカを部隊にどこまでエネルギーが続くのかと心配になる。

 トランプ氏はアメリカ第一主義を掲げアメリカを再びトップにして輝かせるとうそぶく。真のアメリカナンバーワンはトランプ氏が描くような軽薄なものではない筈だ。熱狂する民衆の姿に民主主義の危機、衆愚政治の恐ろしさを思う。彼はパリ協定やNATOからの離脱を主張する。地球環境より目先のアメリカの利益を重視するとは。そもそも幾つもの大罪で刑事被告人の立場にある人物に大統領選候補の資格があるのか。アメリカの正義はどこにいったのか不思議である。

◇ロシアの場合、およそ選挙の名に値しない形だけのものと思わざるを得ない。しかし選挙を経たということで、人権無視、他国の主権無視の強権が発動されるのだから恐い。

 モンスター選挙年の特色として各地で民主主義をよそおった権威主義が現れる傾向が指摘されている。これこそモンスターである。

◇盛山文科相の国会答弁の迷走が止まらない。これでは政治不信も止まらない。旧統一教会から支援を受けていたとの疑惑をめぐるやりとりだ。「軽率にサインした」その後「記憶に全くない」と逆戻り。テレビを観て人々はこんないい加減なのか、国会をなめていると思うだろう。(読者に感謝)

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2024年2月 8日 (木)

人生意気に感ず「女性候補誕生の瞬間。天の時を味方にした彼女の今後は。石川県の人々に冬の雪は容赦ない」

◇まさかの出来事であった。4日の午後6時過ぎから私は山本事務所に居た。広い選挙事務所には既に市長夫妻の姿があった。市長はイスを並べたりしている。私には幾分不思議にも見えた。何度も経験した緊迫の瞬間が甦る。投票日、結果を待つ候補者はどこかで息を殺して待機しているのが通例なのだ。幾つもの情報が飛び交っていた。「現職やや優位か」と新聞は報じていたが、知り合いの某記者は私に近づいて声を潜めて言った。「非常に接戦で、現職は楽観できませんよ」。また、こんな声も。「出口調査の結果は意外らしいです」。この日の午前、市長から電話があった。「紀雄先生、大変お世話になりました」。実態はどうなのか、何が起こるのか。私は胸の高鳴りを抑えて時の経過を待った。

◇「わっ」。テレビを観る人から声が上がった。午後7時、小川晶氏当選確実の文字が流れたのだ。人々の間に衝撃が走った。「こんなに早く」、「NHKだから間違いない」、様々な声が飛び交った。娘さんを入れた市長家族3人の呆然とした姿を見た。7時半から会見をすることになった。永田事務長が敗戦の声明を出し、次いで市長が立った。「私自身の力不足。私の責任としてこの現実を受入れている」と深く頭を下げた。敗軍の将兵を語らずの思いが滲んでいた。市長は私に近づき言った。「バッジがなくてもバッジがあった時と同じように活躍する紀雄先生と同じように社会の為に尽くします」。

 市長は人々の間を飛び回って「お世話になりました」と言っている。直後の興奮に衝き動かされているかのようだ。3日間が過ぎ、私は静かにこの歴史的出来事を振り返っている。負けても接戦と思ったが大差がついた。地殻変動が起きたかのようだ。未曾有の政治不信の中に姿を現した女性候補。喜びを語る弾けるような笑顔が全てを語る。古来、戦いの勝敗を分けるのは人の和天の時と言われてきた。今回は何と言っても天の時である。酷い社会的政治的状況が爽やかな女性候補に強く味方した。県議時代から思想的にも近い立場の私は彼女といろいろ接点があった。一番の効果は多くの人々の心に期待と希望を吹き込んだことであろう。少子化、大災害、高齢化の時代に求められるのは心の団結である。救国の少女ジャンヌダルクを思い出す。

◇石川県の死者が241人に。認知症、持病を抱え地域を離れがたい人々。空虚な目の人々に冬の雪は容赦がない。極限の場で人間の尊厳を救うものは何か。決して他人事ではない。(読者に感謝)

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2024年2月 7日 (水)

人生意気に感ず「ナポレオンの敗退を描いた“戦争と平和”を観て。プーチンの選挙のテーマは戦争と平和」

◇「戦争と平和」を観て感動した。あらゆる小説中、最も偉大な作品とモームが称するトルストイの名作である。昔観た映画であるが、時を経て世界情勢が変化した中で観ると新しい作品に出会うようである。作品を観る私も変化しているからに違いない。世界情勢の変化といえば、最近のロシアの傍若無人ぶりである。ロシアが嫌いになっていたが、この映画によりロシア観が多少変化したような気がする。

 19世紀前半のナポレオン戦争が舞台。オードリー・ヘプバーン演ずる天真爛漫なナターシャが輝くようだ。ジメジメ暗いと思い込んでいるロシアのイメージが一変する。ナポレオンのロシア侵攻は1812年6月。連戦連勝でモスクワに迫る。ロシアは退却を重ねる。反撃を迫る将軍たちにクトゥーゾフ元師は「今戦えば壊滅する。それは出来ない」と訴える。

 ロシアの人々は家を捨て家財を積んで逃げる。雪の中に立って兵士を励ますナターシャの姿が神々しい。モスクワの市街に立って、立ち尽くすナポレオンの姿に私の目は釘付けになる。「鳥が南へ飛んでいく」、そう呟く彼の目はうつろに見える。本格的な恐ろしい冬将軍の襲来が迫っていたのだ。遂にナポレオン軍の退却が始まる。クトゥーゾフ元師は大地にひれ伏して神に感謝する。激しい反撃戦が始まる。ナターシャは傷ついた兵士を看病する中で愛する人との再会を果たす。逃げる夥しいフランス兵は冬の川に投げ出される。ナポレオンの失脚の始まりを示す光景であった。ヨーロッパを制した英雄も巨大な歯車を前に無力であることを晒した。

 映画では、ヘンリー・フォンダ演ずる侯爵ピエールも登場する。彼は「ナポレオンめ、地獄に堕ちろ」と叫び、モスクワの市街で狙撃しようとするが果たせなかった。ナポレオン軍の退却の光景を見て後の第二次世界大戦でロシアに侵攻したナチスドイツを重ねた。ヒトラーは戦いに勝ちながら冬将軍に勝てず退却しヒトラー失脚と第二次世界大戦でのドイツ敗戦の主因となった。トルストイはナポレオンが巨大な歯車に敗れたと語るが、現在展開されているウクライナとロシアの闘争が大変気にかかる。自由と民主主義の運命がかかっている。「戦争と平和」の物語はトルストイの言葉「人生を愛することは神を愛することである」で終わる。この映画から学ぶことは深く大きい。ロシアの人々にも熱い人間の血が流れているに違いない。目前のロシア大統領選でロシアの民衆はどのように動くであろうか。選挙の大きなテーマは「戦争と平和」である。(読者に感謝)

 

 

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2024年2月 6日 (火)

人生意気に感ず「麻生氏の容姿発言。車イス議員の訴え」

◇衆参の国会論戦を興味深く見ている。麻生氏の容姿発言が国会でも大きな波紋を興している。福岡県の講演での発言である。聴衆の笑い声が伝わってくるようだ。「このおばさん、やるねぇと思った」、「そんなに美しい方とは思わねえけれど・・・」。野党からは「暴言だ」という声があがる。

 岸田首相は参院本会議で発言した。「年齢や容姿を揶揄し相手を不快にさせるような発言は慎むべきだ」。麻生氏の話に笑った聴衆はもちろん麻生氏自身もことの本質を理解していなかったに違いない。白状すると私自身認識不足の点があった。女性の容姿批判につながる発言は国際的には当然許されないことになっていると言われる。

 ある元自民党女性議員は語る。「若手の男性議員は麻生氏の発言が変であることに気づき同調して笑わなくなりつつある」と。

 女性の問題が進化しつつあることを国会の論戦で知った。

◇2月2日の参院本会議で車椅子の女性が登壇した。重度身障者木村英子さんである。車椅子の人が国会に入りバリアフリーに向けて議場を改善したことは聞いていた。車椅子の姿がスロープを進むのを見て納得がいった。

 木村氏は発言をサポートする人と介護人を左右において発言した。障がい者のバリアフリーに関する話は当事者のものとして説得力があった。防災及び避難の企画に関し障がい者など当事者が参加しないと良い効果が得られないことを「インクルーシブ防災」として訴えた。インクルーシブ(inclusive)とは「一切を込めた」とか「総括的な」という意味である。木村氏は誰も排除されない、すべてを含めたという意味だと説明した。避難所で障がい者用トイレで苦しむこと、入浴の時障がい者が断られた例などを語った。手がかかる、希望者が多いなどの事情があることは分かる。しかし障がい者が抱える事情は切実なのだ。施設や設備を設置する段階から障がい者を参加させることの必要性をこの人は訴えているのだ。

◇経済安全保障分野の情報に触れる権限を民間人に与える制度がつくられる。経済安全保障に関する重要な情報は政府が指定する。民間企業は情報取り扱いに関われることで、これらの分野で国際共同研究に加われる利点がある。資格者が漏洩すると5年以下の拘禁刑が科される。外国のサイバー攻撃にも晒される現実は深刻だ。国家及び国民の安全を守るため重要情報への侵害を未然に防止する重要性は増大している。水道や鉄道、AIなどの情報が含まれる。社会安定の基盤である。(読者に感謝)

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2024年2月 5日 (月)

人生意気に感ず「今年はモンスター選挙年。プーチンとトランプ。真のアメリカ第一とは」

◇市長選の中で世界の選挙に思いを馳せた。選挙はその国の歴史や制度を色濃く反映する。日本では祈願祭で必勝を神に祈り出陣式で拳を天に突き上げる。戦国時代を想起させる。選挙戦と言い表すように一種の戦いなのだ。

 今年はモンスター選挙年と呼ばれる。世界中で行われる大きな選挙の動きは怪物に例えられるのだ。世界の選挙はアメリカ、ロシア、インド、インドネシア、欧州議会等で行われる。モンスターと言えばトランプ、プーチン両氏の特異なキャラクターを思う。2人はいろいろな意味で対照的である。およそ選挙の名に値しない仕組みから現れたロシアの独裁者によって世界はどのような影響を受けていくのか。

 もう一方のモンスタートランプ氏は民主主義の本場で大統領選に向け予備選連勝の勢い。議会襲撃を煽り、幾つもの事件に於ける刑事被告人の身で、女性への性加害で「天文学的」賠償金を裁判所から命じられた。それにもかかわらず支持率は衰えない。正にモンスターと言うべきか。麻生副総裁がトランプ氏への接触を試みたといわれる。この人の言動はその風貌と共に少し妖怪っぽいがトランプ氏の前ではその存在感はゼロに等しい。もし大統領に再選された場合、世界は大変なことになるだろう。

 地球環境よりもアメリカを優先させるからパリ条約からの撤退は確実、また世界の安全保障に関してはNATOからの離脱とウクライナへの支援の減少へと動きイスラエル・ハマスの戦いに関してはイスラエル支援の強化などが確実視されている。

 トランプ氏は再びアメリカ・ナンバーワンを取り戻すと強調している。しかし真のアメリカ・ナンバーワンは偏狭なナショナリズムではない。世界の平和と安定を支え、民主主義のリーダーとして尊敬される国であるべきだ。若い頃アメリカの開拓の歴史に感動し、西部劇に象徴されるアメリカの文化を愛する者としてアメリカが分断と対立を深め萎んでいく姿は見たくない。

 世界では各地で極右の政治体制が台頭しようとしている。それは民主主義のふりをした権威主義である。一見大衆に受けるから恐い。これこそモンスターである。日本は眉に唾を塗らねばならない。

◇先日、長女を元総理に紹介した。立春パーティの見送りの時である。何か話している風だった。後で聞いたら「お父さんのお陰で良い会になりました」と言ったという。長女は福田さんと話すのを願っていたので実現できたことを喜んでいた。(読者に感謝)

 

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2024年2月 4日 (日)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一四十

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

五 青年防衛隊の熱情

 

 代表石田三郎が当局によって拉致されることを誰もが恐れた。また、ハバロフスク検事総長は、収容所を訪れ、作業拒否に対して「直ちに停止せよ、さもなくば・・・」と武力弾圧をにおわせていた。

 このような状況の中で、日本人の間で一つの動きがあった。三十五歳以下の若者百三十人が自発的に青年防衛隊なるものを結成し、その結成式をやるから出てくれと、若者の代表が石田の所に来て行った。

 作業拒否闘争が始まって間もない頃であった。青年防衛隊宣誓式と銘打って式は野外で行われた。凍土の上に、シベリアの雪が静かに降っていた。若者は整列し、代表が宣誓文を読んだ。凜とした声が雪の空間に響く。顔にかかる雪にも気付かないかのごとく、青年たちの瞳は澄み、燃えていた。

 敗戦によって、心の支えを失い、ただ屈辱に耐えてきたこれまでの姿は一変し、何者も恐れぬ気迫があたりを制していた。彼らの胸にあるものは、かつて無敵を誇った関東軍の勇姿であろうか。いやそうではない。もっと大きな崇高な理想が彼らを突き動かしていたのだ。それは、国のため、天皇のためという上からの命令ではなく、自らの意思に基づいて人間の尊厳を取り戻すことを目的に、友のため、同胞のために正義の戦いに参加しているのだという誇りであった。

「私たち青年百三十名は、日本民族の誇りに基づいて代表を中心に一致団結し、闘争の最前線で活躍することを誓う」

と宣言し、我々は代表と生死を共にする、我々は老人を敬い病人を扶ける、我々はすべての困難の陣頭に立つ、我々は日本民族の青年たるに恥じない修養に努力する、と続いた」

つづく

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2024年2月 3日 (土)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一三十九

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

石田三郎は、有効な作戦を立てるため、また重要な問題にぶつかったとき、アドバイスを受けるための顧問団を組織した。その中には、元満州国の外交官や元関東軍の重要人物などもいた。石田はこれらの人に、危険が及ばぬよう名は公表せず、個人的に密かに、そして頻繁に接触したと、『無抵抗の抵抗』の中で述べている。

 顧問団の中には、瀬島龍三もいた。瀬島は、回想録の中で次のように語る。「平素から私と親しかった代表の石田君は決起後、夜半を見計らって頻繁に私の寝台を訪ねてきた。二人はよそからは見えないように四つん這いになって意見を交換した」

 また回想録は、重要な戦略についても意見を交わしたことを述べている。それは、ソ連の中央権力を批判することを避け、中央政府の人道主義を理解しない地方官憲が誤ったことをやっているもで、それを改善してくれと請願すべきだということであった。

 石田三郎たちは、中央ソ連内務大臣、プラウダの編集長、ソ連赤十字の代表等々に請願書を送る運動を展開するが、資料を見ると、その文面は必ず、一定の形がとられている。

 例えば、一九五六(昭和三十一)年二月十日のソ連邦内務大臣ドウドロワ宛の請願書では、「世界で最も正しい人道主義を終始主唱するソ連邦に於いて」と中央の政策を最大限褒め上げ、それにもかかわらず当収容所は「労働力強化の一方策として、計画的に病人狩り出しという挙に出た。収容所側の非人道的扱いに耐えられず生命の擁護のためやむを得ず、最後の手段として作業拒否に出た」だから、私たちの請願を聞いてほしいと述べている。

 また、一九五六(昭和三十一)年一月二十四日のソ連赤十字社長ミチェーレフ宛請願書でも「モスコー政府の人道主義は、今地方官憲の手によって我々に対して行われるようなものではないことを確信し」と表現する。

 これらは皆、瀬島龍三のアドバイスによる中央を持ち上げて地方をたたくという作戦に基づいていることが分かるのである。

 収容所側は、作業拒否に対して、「これは、まさに暴動である。ソ連邦に対する暴動である。直ちに作業に出ろ」と執拗に迫った。そして減食罰などを適用しながら、一方で、「直ちに作業に出れば、許してやる」と言ってゆさぶりをかけてくる。

 予想される収容所の対抗策は、首謀者を拉致して抵抗運動の組織を壊滅させることであった。これに対する防衛策として、石田三郎は各班から護衛をつけてもらい夜ごとに違った寝台を転々とする生活を続けた。

つづく

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2024年2月 2日 (金)

人生意気に感ず「能登一ヶ月を振り返る。行政の責任は。最後の総決起大会」

◇2月となった。能登地震発生から1ヶ月である。石川県では死者は少なくとも240人、住宅の損壊は4万6千棟異常となり、1万4千人以上が避難所に身を寄せる。被災地の惨状を知るにつけもっと何とかならなかったのかと思う。そこで問題なのは地域の災害から住民を守る地域防災計画の存在である。災害対策基本法は都道府県や市町村に地域防災計画作成を義務づけている。石川県の地域防災計画が想定した想定被害は死者7人、建物全壊120棟、避難者2,781人だった。現実の被害と余りに違い過ぎる。これでは適切な備えはできなかった筈だ。人災だという声が上がるかもしれない。専門家は被害想定を作ってから10年以上が経過し想定をやり直す時がきていたと指摘する。この人は早くしないと手遅れになると、ことごとに県に伝えていたという。県は国の調査を待っていた。国に早く評価し被害想定を出すのを待っていた、県独自で被害想定を見直すのは難しいから国に急ぐようにと何度も要望したという。しかし、ただ待っていたのは義務違反ではないか。国の長期評価を待たず地震の被害想定を見直した県もある。新潟県である。各県には独自の研究機関がある筈だから漫然と手をこまねいているのではなく、為すべきことを実行すべきだった。神戸大学の教授は石川県が待っていたのは良くなかったと指摘する。仮に訴訟になったら石川県は為すべきことを為し得たのにしなかったとして敗訴の可能性がある。現在進行中の被災者救済が落ち着いた後にそういう問題が生じる可能性がある。興味深く今後の動向を見守りたい。

 発災の一ヶ月後、各地で黙祷の姿が見られ、運命の悲劇に遭遇した人たちの姿が報じられた、幸せいっぱいだった妻や子たちを一瞬に失った若い男の呆然とした姿に言葉を失う。爆撃を受けたような被災地が改めて報じられた。天は何を語ろうとするのか。明日の首都直下か南海トラフか。歴史的出来事の幕が開けようとしていることは間違いない。

◇激しい寒風の吹きすさぶ夕闇の中、続々と人々が集まる。人々の表情に緊張感が漂う。前日の建築関係に続き、1日は一般の人々だ。いくつもの総決起を続けてきたが昨日のは最後の総決起。よくこんなに多くの人々がと驚く。「至誠会」が中心となり医療系など様々な人々が集まった。知人の特定郵便局の局長の姿もあった。前橋以外の市町村の首長の顔が目立つ。「外野から声をかけることは大きな効果があります」と私は自分のかつての経験を思って訴えた。不安と期待が交差した。(読者に感謝)

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2024年2月 1日 (木)

人生意気に感ず「立春パーティで緊迫の天安門を語る。福田元総理は語った。総決起の盛り上がり」

◇立春パーティは盛会裏に終わった。日中友好協会の大切な行事であった。主催者として会長の私がまず挨拶。続いて元総理福田康夫さんである。マイクを握る胸に昨年11月の天安門広場の緊迫した光景が甦っていた。「新しい年が始まりました。新しい時代の扉が開かれつつあります。そこに見えるのは中国です。これとどう対応するかが私たちの、そして日本の最大の課題なのです」。冒頭こう切り出した私は、まず北京の日中友好会議で行われた出来事を語った。

 北京の会議で語った要点を再現することが中国の姿を説明する上で効果的と考えたのだ。

「昨年は日中友好条約45周年。この条約の原点をしっかり見詰めることが重要で、3点あります。それは両国間の全ての紛争を平和的手段で解決すること、全ての地域で覇権を求めるべきでないこと、両国民は民間交流の促進に努めるべきことです。このうち日中友好協会の会長として私は民間交流の促進がより重要だと考えます」こう主張して、群日中が尖閣関係で大変な時に船出したこと、その中で上海で大きな書道の交流を行い中国民の温かい心に接したことなどを話した。国と国が火花を散らす時でも民間交流の意義が大きいことを体験したのだった。

 次いで天安門広場の出来事を語った。人々のテーブルには全員に「激動の北京ー緊迫の世界情勢の中でー」が置かれている。「天安門広場のピリピリした空気は中国が深刻な世界の政治状況と密に繋がっていることを示していました。私は身体調査され、背広の内ポケットにあった3枚の原稿用紙を没収されました。お手元の小冊子にありますのでお読み下さい」人々の真剣な眼差しが小冊子に注がれている。反スパイ法運用は国際的に波紋を起こしている。日本人でスパイ容疑により拘束され懲役12年の有罪判決を受けた人が複数存在する。懇親会に入った時張公使が「失礼があったことを大使に報告します」と言った。2月29日、大勢で中国大使館を訪問するがその時話題になるに違いない。

◇この日6時からある部門の総決起大会があった。千人近くも収容可能と思われる選挙事務所を選んだことは正解であった。この日会場は大変な熱気で包まれていた。「あと3日、あと3日」と応援弁士の絶叫。山本知事は「非常に厳しい。僅差です。力を合わせれば乗り越えられる」と訴えた。古来戦いの勝敗を左右する要因とし、“地の利人の和時の運”があげられるが時の運は女性候補にある。活かせるか否かが間もなく分かる。(読者に感謝)

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