« 2023年12月 | トップページ | 2024年2月 »

2024年1月31日 (水)

人生意気に感ず「総決起大会でマイクを握る。現職優位のアナウンス効果は。福田元総理を迎えて」

◇30日、芳賀地区の総決起大会でマイクを握る。「紀雄さん若くなりましたね」という声があった。開口一番「皆さん、私が若く見えるのはこの選挙で燃えているからです。皆さんと共に新しい時代の扉を開く理想故です。人間は理想と共に若いのです」とこの選挙の意義を訴えた。

 この日の新聞では一面「現職山本氏、やや優勢」の文字が大きく躍った。アナウンス効果は大きい。我が陣営は時代の大きな逆風に晒され危機感をもって頑張ってきた。いくつもの世論調査が行われているが、中には僅差で女性候補が優っているというものもあった。それを覆すべく必死で頑張ってきて手応えを感じていた所であった。各地の大会の盛り上がりは正直に状況を映している。アナウンス効果と重なっているといえる。勝ち組になりたいと思う企業は特に勢い付いているようだ。政策については次のような話をした。「県と市は力を合わせ赤城の観光事業に力を入れようとしています。これからは心の時代です。憩いの場として甦らせるのです。芳賀地区は赤城の玄関口として重要です」。これからは食や環境や地域の伝統文化を生かすことが重要だと訴えたかった。

◇今日31日は日中友好協会の立春パーティである。福田元総理が参加するとあって事務局には緊張感が走っている。私は主催者として初めに挨拶する。毎日文章を書いているので挨拶のストーリーは直ぐに浮かぶ。会の性格からして日中の関係に絞らねばならない。日中友好条約のポイントを述べ、それを天安門広場の出来事と繋げようと思う。挨拶には人々の注目を引きつける要素も必要なのだ。昨年45周年を迎えた日中友好条約で私が取り上げるポイントは3点ある。①両国間の全ての紛争を平和的手段で解決する。②全ての地域で覇権を求めない。③民間交流の促進に努める、である。エピソード的に触れる予定の天安門の出来事とは天安門広場で原稿を没収されたこと。私は日中友好交流会議で北京を訪れていた。反スパイ法が強化され北京の空気はピリピリしていた。外国人の文書には公安の目が鋭かった。天安門で身体検査され、内ポケットの原稿用紙を発見された。会議で中国の覇権を巡る動きを批判したこともあり緊張した。幸い事無きを得たが、激動の国際情勢に北京の大地が密に繋がっていることを感じた。反スパイ法違反で拘束された人は多い。懲役12年の刑を受けた人が複数いる。人権が厚く保障される日本の空気のおいしさと有り難さを味わった。(読者に感謝)

|

2024年1月30日 (火)

人生意気に感ず「市長選から世界の選挙を思う。トランプが大統領になったら。その傍若無人ぶり。外国人との共生が進む」

◇市長選の渦の中で他の選挙を思う。今年は国外で様々な選挙がある。今年は「モンスター選挙年」と言われるそうだ。世界人口の約半分が選挙に参加する状況は正にモンスターである。アメリカ、ロシア、インドと指導者を選ぶ選挙が行われるのだ。

 世界中がトランプ氏の動きに注目する。共和党内では独走しており、共和党候補になることは間違いない状況。世界の注目はその先の11月の本戦である。トランプ氏が再び大統領になれば世界は大変なことになる。海面の上昇など地球の危機が進む。気候変動の国際ルールである「パリ協定」との対応が問題である。トランプ政権は協定から離脱しバイデン政権は復帰した。トランプ氏が再び離脱するのは確実と言われる。地球がどうなろうと自国の目先の利益を優先させる姿勢である。イスラエル・パレスチナ問題でも、極端にイスラエル寄りの政策をとるだろう。国際社会ではイスラエルへの批判が高まっているのに。6月の欧州議会選挙も目が離せない。専門家は欧州ファーストの極右が勝つ可能性が高いと分析している。欧州のファーストはウクライナ支援を止める方向である。ロシアとウクライナの戦いは混沌としている。国際社会に支援の強化を訴えるゼレンスキー氏に声援を送りたい。

◇トランプ氏に対しニューヨークの裁判所は天文学的賠償金、日本円で123億円の賠償を命じた。性的暴行を受けた女性作家の訴えが認められたのだ。トランプ氏は「私や共和党に対するバイデン主導の魔女狩りだ」と主張している。トランプ氏は4つの刑事事件の被告人でありながら政治的迫害の被害者を演出し支持層の力を結集してきた。そして今回の天文学的賠償額。トランプ氏の傍若無人ぶりをアメリカ社会はどこまで許すのか、不思議でならない。

◇人手不足は深刻である。背景は少子高齢化である。私の年来の友人が外国人労働に関わっているので、私も直接間接的にいろいろな問題に接してきた。対象分野が限られているため、いろいろ不都合が生じていた。政府は特定技能の対象に4分野を加える方向である。自動車運送、鉄道、林業、木材産業の職種である。近い将来、バスやタクシーなどの運転手に従事する外国人の姿が見られることになる。世の中が大きく変わりつつある。外国人との共生の時代が進む。この流れの中に私が関わる日本語学校がある。1,000人を超えようとする途上国の若者たちの逞しさ、そして日本人の若者の無気力を思う。(読者に感謝)

|

2024年1月29日 (月)

人生意気に感ず「祈願祭と出陣式の光景。映画“十戒”を語る。奴隷の女に『私の母でないと神に誓えるか』と迫る」

◇28日山本陣営の祈願祭と出陣式が行われた。朝8時というのに多くの人が参加し総決起大会の感である。必勝祈願祭は通常神社で行われるが我が陣営は広い選挙事務所の大広間なので多くの人が参加できたのだ。出陣式で多くの議員等が挨拶したが中には「天気晴朗なれど波高し」を口にする議員がいた。我が陣営の興廃はこの一戦にありと言わんとすることが胸に伝わる。知事は相手候補が一歩リードしていると言って危機を訴え引き締めた。選対事務長はさすがで「至誠にして動かざるは未だ有らざるなり」を持ち出し、これは明治維新に大きな影響を与えた吉田松陰の言葉です。この至誠をもって前橋市民に訴えていきましょうと呼びかけた。事務長は私の年来の同志である。私は楫取素彦顕彰会の会長であるがこの言葉は松陰が江戸に引かれていく前夜楫取素彦に送ったもの。私の胸の内を代弁してくれたようで嬉しかった。私は選対副事務長として、いよいよ戦の火蓋は切られた心をあわせて戦い抜こうと短く訴えた。

 選挙になると顔を合せる人が多くいる。選挙戦は出会いの場なのだ。一週間各地を飛び回ると意外な人に出会うことも多いに違いない。

◇27日のふるさと未来塾はいつもと違った展開であった。セシル・B・デミル監督の「十戒」を題材にした。空前絶後と言われる壮大なスペクトルの、私が感動した場面を紹介した。ファラオは新しく生まれた奴隷の男の子を殺せと命じた。ある母親は篭にいれナイル川に流した。王女に拾われた子は数奇な運命を辿る。王子として成長したモーゼはある時巨岩に潰されるところの奴隷の女を助ける。この老女はモーゼの実母であった。モーゼの過去があばかれる時がきた。育ての親の王妃は奴隷の家を訪ね、真実を隠せ、この家を立ち去れと迫る。そこへモーゼが現れる。「岩にひかれそうになった女だな」「はい、そうでございます」。「私の母か」。「違います。私の子なら奴隷のはず」。「神に誓って母でないと言えるか」。「おぉモーゼ、おぉモーゼ、私には言えません」。目が我が子であることを語っていた。かくしてモーゼは王子から奴隷の身に陥ち毎日ムチで打たれ泥をこね煉瓦造りに打ち込んだ。やがてモーゼは神のお告げに従い奴隷たちを率いてエジプトを脱出する。旧約聖書にある「出エジプト」の場面である。紅海が割れ道が現れる光景は圧巻である。塾が最後にかかる頃、市長が現れた。「明日は告示です。政治に信頼を回復し新しい扉を開かねば」と市長を紹介した。(読者に感謝)

|

2024年1月28日 (日)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一三十八

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 瀬島龍三は、石田三郎のことを振り返って、あの環境で指導者となったのは、友のため人のためという強い信念の持ち主だったからこそで、普通の人のできることではなかった。事件の間、大局を誤らないよう折々私と意見を交わしたが、状況判断、対策など的確な戦略と強い指導力を見せたと語っている。

 ストライキや暴動に対するソ連の弾圧は峻烈を極めた。ソ連人が収容される収容所において、ストライキや暴動が時々あったが、どれも戦車が出動し、多くの死者を出し、首謀者は必ず処刑された。石田をはじめとする日本人も、ソ連のこのような方針を知らぬはずはなかった。

 かくて、七百六十九人の日本人は石田三郎を中心に結束し、死を覚悟の作業拒否闘争が始められた。役割を決めて組織がつくられ、戦術が練られた。この収容所の人々は、ほとんどが旧制中学卒業以上の知識人で、人材にはこと欠かなかった。このような人々が心の底から結束し立ち上がった点にこの闘争の特色があった。

 要求事項は、皆、健康を害しているので、帰国まで、本収容所を保養収容所として、全員を休養させること、病人や高齢者を作業に出さないこと、高齢者や婦女子を即時帰国させること、留守家族との通信回数を増やすこと、今回の事件で処罰者を出さぬことなどであった(スパイとされた女性抑留者もいたのだ)。

 戦術としては、暴力は絶対に使わない。収容所側を刺激させないため、闘争という言葉は避け、組織の名称は交渉代表部とし、運動自体も請願運動と呼ぶことにする等が決められた。

 石田三郎は全員を前にして決然として言った。

「私たちの最大の目的は、全員が健康で祖国の土を踏むことです。これからのあらゆる行動は、このことを決して忘れることなく心を一つにして目的達成まで頑張りぬきましょう」

「そうだ、そうだ」

 ワーッと、会場は熱気で震えた。長い間、奴隷のように扱われ、屈辱に耐えてきた人々が、初めて日本人としての誇りを感じ、人間として自覚した瞬間であった。

つづく

|

2024年1月27日 (土)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一三十七

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

「自滅するよりは闘おう。座して死を待つのは日本人としての恥だ」

 一人の班長が押し殺した声で言った。

「同感だが、どのように戦うのだ」

「いや、戦うなら勝つ戦いをしなければならぬ。さもなければ生きて祖国に帰ることだけを目的にしてこれまで耐えてきたことが水の泡になる」

「まず作業拒否だ」

「そうだ、そうだ」

 いろいろな意見が交わされた。そして、重大なことだから、各班で話し合って、その結果を踏まえて結論を出そうということになった。

 十二月の十九日を迎えた。各班の結論は、作業拒否で戦うことであった。これで全体の方針が決まった。そこで、代表を決め固い組織をつくって、死を覚悟の交渉をやろうということになった。班長会議が一致して代表として推薦した人物は、元陸軍少佐の石田三郎であった。

 石田は要請を受けたとき、作業拒否を実行する班はどの班かと聞いた。班長会議の面々は、浅原グループを除く全部だと答えた。浅原とは、シベリアの天皇といわれた民主運動のリーダー浅原正基のことである。

 作業拒否闘争の代表になることは死を覚悟しなければならない大変なことであるが、石田三郎は人々の熱意に動かされ決意した。石田は人々の前に立って言った。

「この闘いでは、犠牲者が出ることは覚悟しなければなりません。少なくとも代表たるものには責任を問われる覚悟がいる。私には親もない、妻もない。ただ、祖国に対する熱い思いと丈夫な身体をもっています。私に代表をやれと言うなら、命をかけてやる決意です。皆さん、始める以上は力を合わせて、最後まで闘い抜きましょう」

つづく

 

 

|

2024年1月26日 (金)

人生意気に感ず「京アニ死刑判決の意味。月探査機ピンポイントの快挙。スウェーデンのNATO加盟」

◇京都アニメーション放火殺人事件の被告に判決が言い渡された。予想通りの極刑である。最大の焦点は刑事責任能力の有無だった。裁判所は初めに主文を読まず、判決に至る理由を長々と続けた。途中、昼の休憩をはさんで午後一時過ぎに死刑が言い渡された。刑事責任能力については神経喪失でも、心神耗弱でもないことが明らかにされていた。京都地裁は専門家の鑑定とは別に独自の検討をしたことが伝えられていた。

 青葉被告は19年7月京アニのスタジオにバケツに入れたガソリンを持ち込み社員に浴びせ放火した。事実関係に争いはない。だから最大の焦点は責任能力だった。自分をコントロールする可能性があったのに、敢えて違法行為に踏み切った点が責められるのだ。

 被告には強い妄想があった。闇の人物に監視されている。京アニはこれと結びついて嫌がらせをしていると。判決は妄想性障害の存在は認めつつ犯行の決意に妄想の影響はほとんどないと判断。極刑は改善の期待がない時に下される。その期待を測る一つの要素は謝罪である。公判で「申し訳ない」と謝罪したが判決は真摯な反省はなく死刑は回避できないとした。

 2008年の秋葉原無差別殺傷事件を思う。同種の事件が跡を絶たない。人口があふれる中で人間関係は増々稀薄になり、人は孤独に陥る。生きづらい社会が人間の不幸を生む。青葉被告は子どもの頃日常的に父から虐待を受け定時制高校に通いながら働いた。事件で自らも大やけどを負った。主治医に励まされ優しい人もいると涙したという。死刑台に消えていく命を哀れに思う。

◇暗い社会にビッグな朗報だ。正しい成果を待っていた。月探査機のピンポイント着陸成功が明らかに。世界に前例がない数メートルの精度。日本の科学力を誇りに思う。ピンポイント着陸は宇宙時代の人命尊重を支えるものだ。人権尊重の国の科学力発揮は素晴らしい。宇宙への扉が開かれたことを実感する。530年前のコロンブスの新大陸発見に始まる大航海時代の宇宙版である。

◇トランプの躍進につけロシアの自国本位主義が懸念される。ここに一つの朗報がある。スウェーデンのNATO加盟が実現する。これでロシアと欧州に面するバルト海はロシア以外の全ての沿岸国がNATO加盟国となる。北欧のスウェーデンとフィンランドは共に加盟申請しフィンランドは昨年4月に加盟を果たしていた。今回スウェーデンは32カ国目の加盟国となる。(読者に感謝)

 

|

2024年1月25日 (木)

人生意気に感ず「トランプ氏の独走と民主主義。豪雪に耐える孤立の人々。市長選の行方」

◇「11月の米大統領選はアメリカの歴史と現代の複雑な状況を反映して興味の尽きない世界劇場である。それは共和党の指名争いを巡り既に始まっている。トランプという特異なキャラクターの言動に大衆が振り回され沸き立っている。アメリカ大統領は世界の指導者の役割を担う。大罪の嫌疑で告発されている人物が選挙で独走している光景は何を物語るのか。民主主義とは何かを世界に突きつけている。共和党の発足は1854年、この年日米和親条約が調印された。リンカーン、T・ルーズベルト、アイゼンハウワーなどを輩出している。アメリカ国民は歴史への誇りを忘れているのか。アメリカを再び偉大にすると絶叫するが問題は偉大の中味である。トランプが大統領になれば自国本位の大波が世界を襲うだろう。ヘイリー元国連大使は敗れたが善戦し、戦いを継続すると主張。今後の複数の大勝負が注目される。77歳、トランプのエネルギーには驚く。

◇記録的な大雪が被災地を襲っている。ビニールハウスを離れようとしない人々の姿が大きく報じられている。長年過ごした地域への愛着がいかに大きいかが痛い程伝わる。まだ多く存在する孤立状態は人々の地域への愛着と複雑に結び付いて苦しめているに違いない。発災から時を経るにつれ孤立の中味と深刻さが伝わってくる。

 問題なのは外国人、障害者、持病を抱えた高齢者など。日本で長年住むある外国人は緊急情報を伝える日本語がツナミしか分からないと語る。情報を理解することの重要さが分かる。日本人との親密な人間関係を普段から設けることが必要である。

 施設で暮らす知的障害者も深刻な問題を抱える。一般の避難所で一緒に過ごすのは困難なのだ。自分の気持ちを伝えるのが難しい人々には人権の観点からも格別の配慮と工夫が求められる。能登の被災地ではこのような人々のために施設避難所が設けられた。一歩前進であるが異常時の効果的な運用が問われることになるだろう。

◇前橋市長選の告示が4日後に迫った。実質的に二人の対決である。通常なら現職は安泰だが、今回は大変な逆風の中悲壮感を強めてきた。私は選対副事務長の立場でぎりぎりの努力をしている。長いこと草の根の運動をやったので各地に個人対個人の絆が残っている。7期約30年激戦の県都で上位当選を果たしてきた過去を振り返る。手応えを感じるこの頃だ。山本龍氏が東日本大震災の時草津の温泉を被災地に運んだ行動力と公共心を評価する。(読者に感謝)

|

2024年1月24日 (水)

人生意気に感ず「討論会の男との因縁。月面ピンポイント着陸は宇宙への扉を開く」

◇公開討論会で第三の男出現に驚く。海老根氏は出馬の可能性があるという。“よくやるなあ”と感心(?)。実は私とは少なからぬ因縁がある。私が議長の時、県議会で騒ぎを起こし出入り禁止の処分となった。彼は前橋地裁に訴え裁判所で私と対決する一コマもあった。この流れに不満の彼は私の自宅にも抗議に押しかけた。私がつい大きな声を出すと「言葉の暴力だ」と言った。この人の言動には権力への抵抗として注目すべき点も感じる。しかし残念ながら方法論で支持が得られない。狂気か勇気かで社会は狂気に分類する向きが多い。しかし、狂気の中に何かを認めて支持する人々も存在するらしい。みどり市議になったことがそれを物語るともいえる。みどり市議の時、議会とトラブルを起こし、私は学識経験者としてどこかの大学教授と出席して意見を述べたことがある。“ここでもやっているのか”と思った。少数意見を頑なに貫く勇気に心の底で感心しながらも、表向きは優等生的発言をしたことが甦る。仮に出馬しても市長選の大勢には影響しないだろうがその言動に注目したい。討論会では反則で退場となった。

◇月面探査機スリムの月面着陸成功に「やったぁ」と思わず快哉。世界で5番だが、その中味は他国に誇るべきものだ。その最大のものは狙った所から100メートル以内というピンポイント着陸を目指したこと。狙ったところに正確に着陸させることは人を安全に月に送る上で極めて重要。太陽電池が思い通り機能しながったことを差し引いても非常に大きな成果をあげることができた。機体には本県関連企業の技術が活かされている点も宇宙の扉が開かれたことを身近に感じる。月の両極には水が氷のかたちで存在することが確かめられている。水は飲み水に必要であるばかりか水素からロケットの燃料も取り出せる。更に月には鉄やチタンなどの鉱物もあるらしい。これらは月面でのインフラ構築を可能にする。これは月を中継基地として人類が宇宙に進出することを可能にする。まずは隣りの惑星火星である。子どもの頃、火星人のことがよく語られた。それは隣りの惑星として生物生存の可能性を前提とするものだった。今やそこに人類が住むことが夢ではなくなった。私の胸は少年のように躍る。遠くの惑星の知的生命と遭遇する日も有り得ることだ。この感動を子どもたちの夢に繋げたい。理科教育の生きた教材にすべきだ。宇宙は謎に満ちているがそれが一つ一つ解き明かされつつある。トランプ氏の置き土産とされるUFO情報の解禁もその一つだ。(読者に感謝)

|

2024年1月23日 (火)

人生意気に感ず「胡耀邦の失脚。ゴルバチョフの訪問はデモに拍手。遂に戒厳令。死者は1万人以上」

◇天安門の事件の背景の続き。胡耀邦は「百花斉放・百家争鳴」を旗印として掲げた。百花、つまり多くの花が一斉に動き出すことで言論の自由化は一挙に進むかと期待され、胡は国民から開明の指導者と期待された。これに対し鄧小平等保守派が危機を抱いたのは当然であった。言論の自由は人権の中心であり、民主主義の根幹である。これを進めればチベットやウイグルなどに対する人権侵害は続けられなくなる恐れが生じる。言論の自由は必然的にデモの発生に繋がる。北京をはじめ各地で学生デモが起きると保革の対立は激化し、胡は失脚に追い詰められるに至った。警察監視のもと失意の生活を送る中で、1989年4月心筋梗塞で倒れ死去する。胡が死去すると各地で学生の追悼集会が起き、それは日を追って激化し規模も大きくなり遂に4月21日、10万人を超す学生や市民が天安門広場でデモを行うまでに至った。デモ隊の数は更に激増し全土から天安門広場に集まる人々は50万人に迫る。この流れに刺激を与える出来事が生じた。ゴルバチョフの北京公式訪問である。デモ隊の多くはゴルバチョフを「民主主義の大使」として歓迎した。外国メディアの報道姿勢はデモを煽る結果になった。最早収拾がつかない状態である。強硬手段について政権内は割れた。

 最高権力者鄧小平は遂に次のように決断する。「今ここで後退の姿勢を示せば、事態は急激に悪化し統制は完全に失われる。よって北京市内に軍を展開し、戒厳令を敷くこととする」

 地方から続々と人民解放軍の部隊が北京に集結した。広場へ続く道路で、民衆はバスを横転させ放火し炎のバリケードを作り橋の上からは石やコンクリートブロックを兵士に投げつけた。兵士の中にはデモ隊に巻き込まれ暴行され、撲殺される者もいた。軍はこうした民衆を鎮圧する為に行動を始めた。BBCやCNNは鎮圧の様子を世界に報じ、それは無差別発砲による市民の虐殺として世界中から非難された。天安門広場でどの位の人が殺傷されたかについては様々な説がある。

 事件当時鄧小平は「20万人位の血の犠牲はかまわない。中国では100万人といえども小さな数にすぎない」と述べたと伝えられる。抵抗する民衆の一コマが報じられ衝撃を与えた。1人の若者が戦車の前に立ちはだかったのだ。タンクマン(戦車男)、無名の反逆者として世界に放映された。英・米の公文書では最低に見積もっても一般市民の死者は10,000人以上と報告している。私は日の出前の天安門広場を歩いてかつての惨劇を想像した。(読者に感謝)

|

2024年1月22日 (月)

人生意気に感ず「天安門の原稿没収事件。反スパイ法、逮捕者リスト。天安門事件を語る」

◇20日のミライズクラブは私が担当講師で、天安門の出来事を語った。天安門で書類を没収されたことが人々の関心を集めたのだ。現在の中国の特殊な状況を語る良い機会と思い引き受けた。そこで反スパイ法、天安門事件などを踏込んで話した。11月10日、夜明け前の広場は人々の黒い影が動き、隊列を組んで動く兵士の姿が緊張感を高めていた。1989年の流血の惨事、天安門事件が甦る。人々の目的は日の出に合せて行われる国旗掲揚の儀式である。彼方に毛沢東の姿を掲げた天安門が赤く浮き上がっている。1949年毛沢東はここで中華人民共和国の建国を宣言した。毛沢東のカリスマは衰えず覇権を広げる中国の象徴の感がある。入場者のチェックは厳しく金属探知機の後、ボディチェックが行われた。内ポケットにその日日本へ送る原稿用紙が発見され何の文書かという事になった。反スパイ法は国家の安全に危害を及ぼす活動をスパイ行為とし、国の安全と利益に関わる文書には特に厳しい目が注がれていた。外国人が文書によって敵国に重要な情報を発信すると見たのか。現場の公安官は職務に忠実である。日本はアメリカと同盟する敵国と思っているのだろう。「これには何が書いてありますか。説明して下さい」。一緒にいた通訳・黄さんの鞄の中も調べられた。黄さんは日中友好協会の行事に参加していることを必死で説明。何人かが私の原稿を検討している。解放された時はほっと胸を撫で下ろした。

 ミライズの席で反スパイ法による日本人拘束、逮捕事件リストを紹介した。皆が驚いている。2015年5月から昨年3月までの16件である。懲役12年が3件、6年が2件などと並ぶ。非公開、非民主的な手続きで裁判は行われる。

◇話は天安門事件に進む。年輩の人ならあのタンクマンの光景を覚えている。戒厳令下、戦車(タンク)の前に立ちはだかった男のことだ。会員は天安門事件はなぜ起きたか、そして死者の数を知りたがっていた。それは一党独裁体制の行方を知る上でも重要である。

 天安門事件の少し前から世界各地で民主化の動きが盛んになっていた。特筆すべきことは旧ソ連のペレストロイカである。これは再編立て直しのことで、1986年以降ゴルバチョフ政権の下で行われた民主化政策である。これとほぼ時を同じくして中国でも民主化が始まった。その推進役は中央委員会総書記胡耀邦(こようほう)等で言論の自由化を推進した。これに鄧小平等は強く反対。一党独裁が崩れるというのだ。(つづく)

(読者に感謝)

|

2024年1月21日 (日)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一三十六

四 忍耐の限界をこえて事件は起こった

 

 昭和三十年の秋に入る頃、この状態は一層進み、病人が多発するようになった。これに対し収容所側は何ら適切な対応をしない。

 ソ連の原則は、「政治がすべての優先する」である。人の生命にかかわる医療のことも例外ではない。だから、政策で入院患者は全体の2%以内というようなことが行われ、それを超えることになれば、入院することも許されない。仕事を休むことも認められない。

 資料によれば、昭和三十年十一月二十六日、収容所側は政治部将校の立ち会いの下で、営内の軽作業に従事していた病弱者二十六人を営外作業に適するとして無理に作業に出した。十一月の末といえば、零下二十度、三十度というシベリアの酷寒である。病弱者には、外の作業は生命にかかわる。病状は悪化して営内にたどり着くや倒れる者が何人も出た。それにもかかわらず、十二月十五日になって、ソ連の将校たちは、さらに病弱で営内に居る別のグループに検査を実施して、外の作業に適するとして、新たに六十五人の者に営外作業を命じた。必死の嘆願も耳を貸してもらえない。これらの人々の病状は悪化し、血圧は一七〇、一八〇以上になる者が多くなり、中には二〇〇を超す者も出る始末で、寒風の吹きすさぶなか、病弱者は、あるものは友の肩にすがりながらやっと身体を動かし、ある者は虚空をつかむ幽鬼のように手を伸ばし、よろけながら歯を食いしばって頑張った。あらゆる嘆願運動は効果がなかった。囚人は、作業休を認められない限りいかなる状態でも休むことは許されない。休めば、非合法のサボタージュとみなされる。

 急遽、班長会議が開かれた。

「このままでは皆死んでしまうぞ」

 一人の班長が悲痛な声をあげた。

「そうだ。収容所側は、これからも、このような仕事の命令を繰り返すに違いない。そうすれば、病弱の者はこの冬に殺される。そして、現在健康な者もやられてしまう」

 別の班長が思い詰めたように言った。

 他の班長も一様にうなづいた。では、どうしたらよいのか。収容所側にいくら懇願しても、誠意のある滞欧が期待できないことは明白である。では、このまま自滅を待つのか。話を進める中に、班長たちの眼光は殺気を帯びるほどに鋭くなった。

つづく

|

2024年1月20日 (土)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一三十五

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 昭和二十六年、日本はアメリカを中心とする自由主義の諸国と講和条約(サンフランシスコ平和条約)を結んだ。翌年、条約は発効し日本は独立国となる。

 この条約締結については、国内世論は二つに分かれて争った。自由主義陣営だけでなく、ソ連などの社会主義陣営も加えた全面講和を結ぶべしとするのが、政府に反対する立場であった。この問題は、ソ連で抑留されている日本人の運命にもかかわっていた。ソ連も含めて平和条約を結べば、日本人はすぐに帰国を許されることが考えられるからである。昭和二十七年に日本人として初めてハバロフスク収容所を訪れた参議院の高良とみは、海外抑留者の引き揚げ促進の運動にかかわっていたので、少しでも早く日本人をシベリアから帰国させるために、ソ連を含めた全面講和を強く主張していた。

 当時の世界情勢は、米ソの対立という冷戦状態の中にあった。そして、吉田政権は現実的な選択として、アメリカを中心とした自由主義陣営と講和を結ぶべき、サンフランシスコ平和条約の締結に踏み切ったのである。

 このような大きな政治の流れの中で、シベリアの日本人抑留者は取残された状況に置かれていた。わずかに情報を得ていたハバロフスクの収容所の日本人が高良とみに、政府は自分たちの帰国を考えてくれるのかと訴えたのも無理はない。

 このような情勢の中でも、次のような動きがあった。

 先に触れた昭和二十七年参議院議員高良とみのハバロフスク収容所訪問

 昭和二十八年、日本人をシベリア強制労働に駆り立てた最高責任者、スターリンの死

 昭和三十年九月、社会党議員団のハバロフスク収容所訪問

 昭和三十年、鳩山内閣が誕生し、日ソ交渉が始まる。(昭和三十年から三十一年にかけて)

 このような世界の流れの中で、ハバロフスク強制収容所では、人々の忍耐が限界に達しつつあった。特に申告なことは日本人の健康状態の悪化であった。

 

つづく

 

|

2024年1月19日 (金)

人生意気に感ず「原発事故が起きたら能登の人々は?朝鮮人追悼碑の撤去。派閥解散?」

◇17日、死者は232人に達した。被災地の孤立状態はなお続く。大火災の輪島朝市の跡地から10人の遺体が見つかった。安否不明者は21人。巨岩と倒木が道路をふさいでいる。孤立の主因は道路の寸断である。原発事故が起きたらどう避難するのだろう。私は東日本大震災の福島第一原発事故を想像する。日本海側には柏崎刈羽・志賀原発・敦賀・美浜・大飯・高浜と原発が並ぶ。志賀原発では1・2号機の使用済核燃料プールから多くの水があふれた。志賀原発1号機では1999年に重大な臨界事故が起きている。今回の地震では日本海側の複数の活断層が連動して動いた。地震と原発を被災地・孤立の問題とを合せて検討すべきだ。政府は原発推進に前のめりになっているが地震大国、地震の巣の上に原発が存在する現実を謙虚に見詰めねばならない。

◇昨日県庁前を通ると、横断幕を掲げた多くの人々の姿があった。群馬の森の朝鮮人労働者追悼碑撤去に反対する人々である。この碑は戦時中に犠牲となった朝鮮人労働者を追悼する目的で設置された。碑を管理するのは「記憶、反省、そして友好の追悼碑を守る会」。

 県は「宗教的、政治的行事を行わない」との条件で設置を許可した。ところが「強制連行」を問題にする政治的行事が複数回行われ、県は条件違反として設置許可を更新せず、守る会に撤去を求めた。

 守る会は更新しない行政処分の取り消しを求め前橋地裁に提訴、最高裁まで争われ県の勝訴は確定した。これに基づいて県は期限を定めて同会に撤去と原状回復を命じていた。守る会が応じないので、県(行政)は守る会に代わって撤去する、つまり行政代執行の方針を固めた。県は今月内に着手する方針である。

 この碑の問題は私の県議時代から議論されていた。碑には朝鮮人の強制連行が結び付いているからここでの行事が政治的になることは避けがたい。守る会の追悼行事が条件の「政治的行事」に当たるかが問題なのだ。山本知事は「最高裁でも結論が出ている。法に基づいて粛々とやらせていただく」と述べている。

◇岸田派・安倍派が解散を検討している。キックバックの嵐の中で世論を気にしていることは明らかだ。この両派閥が解散すれば他の派閥も解散するだろうというのが大方の見方である。果たして本格的な政治改革に繋げることができるのか。政策研究会は必要なものだから看板を変えただけに終わる可能性がある。派閥の悪い面を改めねばならない。それは金集めの装置だった点である。法改正が必要だ。(読者に感謝)

|

2024年1月18日 (木)

人生意気に感ず「トランプ氏躍進の意味。米の民主主義とは。能登は232人に。近づく集いに福田康夫さんが」

◇トランプ氏が共和党の大統領候補者選びの初戦で大勝した。アイオワ州の党員集会で51%の得票で2位に大差をつけた。大統領選は今年の11月で、その結果は日本に直ちに大きな影響を及ぼす。日本だけではない。現在の混沌とした国際情勢に於いて世界の平和と安定に大きな影響を及ぼす。

 2021年の連邦議会襲撃への扇動などで起訴されたトランプの躍進は何を意味するのか。刑事被告人が指名争いでトップを独走するのは私たちからみて異様である。トランプ氏は共和党の討論会全てに欠席している。問題が山積している状況である。討論は民主主義の根幹を成す。民主主義の元祖と言えなくなるだろう。中国、ロシア、北朝鮮などに対し自由や人権を説く力を失うことになる。仮に11月トランプ氏が再選されれば世界にとって憂慮すべき事態となる。世界はグローバル化しているから地球環境、紛争、移民難民問題など相互に結び付いている。アメリカだけの繁栄は有り得ない。ゼレンスキー大統領が国際会議でウクライナへの支援継続を訴えた。トランプ氏が再選されればウクライナへの支援は大きく後退するだろう。プーチン氏の思う壺である。アメリカの病理が頭をもたげようとしている。世界の同盟国の信頼を失い、独善の大国と化すのか。民衆は目先の利益に動かされる。衆愚政治というべきだ。自国第一主義の偏狭なナショナリズムが世界に広まれば世界戦争の危機は加速する。国際政治の危機を分析する米調査会社は米国の民主主義は機能不全に陥ったと指摘。バイデン大統領は11月の選挙を「民主主義と自由を懸けた投票になる」と述べた。アメリカの民主主義、ひいては世界の民主主義の真価が問われるのは明らか。

◇17日、石川県の死者は遂に232人に達した。孤立した人々は依然として多く、酷寒の中非情に雪が舞う。能登の唯一の総合病院は水や電気の不足で機能不全の状況で悲鳴をあげている。野戦病院を想像する。高齢者など弱者が窮地に立たされている。受験期を控えた生徒たちは集団による二次避難への決断を迫られている。子どもたちが地震ごっこすることが報じられ、私はほっとしたものを感じた。

◇31日、群馬県日中友好協会立春パーティが近づいた。福田康夫元総理が出席されることに多くの人が勇気付けられている。内憂外患の時、大切な会議になるに違いない。私は会長として日中友好における民間交流の意義を語るつもりだ。福田さんは群馬日中友好協会の最高顧問である。(読者に感謝)

|

2024年1月17日 (水)

人生意気に感ず「厳しい市長選の行方。我が陣営は組織を草の根に繋げて。初雪の中を。阪神淡路の教訓を」

◇私が関わった中でかつてない激しい市長選になる予測である。山本陣営は異常な逆風に緊張している。キックバックに象徴される政治不信は逆風の中心である。マスコミは組織対草の根の闘いと報じている。しかし対立の構造はそんなに単純ではない。危機感を募らせた陣営は組織を草の根に結びつける作戦に懸命である。選挙は本来草の根が基本でなければならない。なぜなら、ここでいう草の根運動とは個人との繋がりを重視する立場であり、個人重視こそ民主主義の基本だからである。地域のボス、企業のトップを通してまとめて票を得る。こういう選挙の時代がかつてはあった。有力者の力に従うのでなく自分が判断して決める。こういう流れが生まれている。これが前記の民主主義の原点であり草の根運動の真の意味である。

 先日青果市場で市長を案内した。市民の胃袋と健全な食生活を支えるところ。「新年の挨拶にきました」「大変な社会が続きます。今年も皆さんと力を合わせます」。市場は長い間、私の県議活動を支えたところ。今でも私との絆は健在である。「頑張ってください」の声があちこちで起こる。選挙という言葉は使わないが皆分かっているのだ。手応えを感じることができた。約30年の政治活動は草の根を貫いたものだったので、根づいたものは各地で生きている。市長や夫人とそういう所に新年の挨拶に回っている。混乱と不安の時代なので小さな会話と対面が人々に勇気と希望を与えることに繋がる。組織と草の根を結ぶ動きは大きな成果を生むに違いない。

◇16日深夜、身支度をして戸を開けるとびっくり。激しい雪である。初雪の中、歩幅を縮めて走った。直前の2時半のテレビは雪の輪島を報じていた。酷寒、孤立、断水と被災者の苦痛が雪を通して伝わる。マイナス4度・5度の中、アナウンサーは低体温症への注意を呼びかけている。医療施設が崩壊の危機にあるという。妊婦専用の二次避難所が設けられ助産師が常駐して介護に当たっている。小さな命にとって救いの神というべきだ。受験のシーズンである。受験生は心細く不安に違いない。人生の試練を乗り越えて生きる力の糧にしてほしい。

◇1月17日、阪神淡路から29年となる。衝撃の光景は目蓋と心に焼き付いている。それが能登の惨状と重なって地獄の釜の上の運命を痛感する。6,434人の命が失われた。駆けつけたボランティアは137万人を超えた。その助け合いの精神を活かす時である。(読者に感謝)

|

2024年1月16日 (火)

人生意気に感ず「台湾有事と日本。核戦争の危機と日本国憲法」

◇13日、台湾総統に民進党の頼氏が当選した。日本にとって非常に重要な事態である。台湾は日本とは目と鼻の間。日本の最西端から見える位置にある。多くの邦人の存在と共に有事には日本は直接の影響を受けることは必至。

 民主進歩党頼清徳の勝利は、中台統一を「歴史的必然」と主張する中国に対し、台湾の有権者がノーを突きつけたことを意味する。台湾の人々が総統選を通じ成熟した民主主義の姿を実現させた意義は大きい。この選挙では中国による露骨な世論工作があったが逆効果だった。台湾が民主主義を守ったことの影響力は大きい。中国は現在南シナ海等で覇権主義を強めているが、それを食い止めるためにも効果ある成果であった。

 米政府要人等の中には、27年までに中国の武力侵攻の可能性があると見ている人々がいる。

◇台湾の今回の事態は日中間の関係がより重要になったことも意味する。昨年は日中友好条約締結75周年だった。この条約では両国は戦争をしない、対話で事態を解決することをうたい、そして全ての地域で覇権を求めるべきでないことを強調し合せて民間交流の重要性を訴えたのだ。

 北朝鮮と台湾有事は日本の安全保障にとって極めて重要である。現在、能登地震で大変な状況になっているが、首都直下そして南海トラフ型の巨大地震が発生したら日本全体がパニックに陥ることは必至である。そのような時、テロなどの侵攻があったら国民の安全はどうして守るのか。日本にはかつてない異常事態が迫っていると思える。自衛隊だけで守れる筈がない。世界の多くの国々と友好関係を密にしておくことが最良の備えである。中国との良好な関係、アメリカとの同盟強化、韓国との関係改善の促進を図りつつ東南アジア、インドなどとの信頼関係を構築しなければならない。そして、現在の国際情勢に於いて非常に重要な存在は地球上に広く分布する発展途上国である。ここで日本が真に信頼できる国であることを保障するものは日本国憲法である。人権の尊重と平和主義を基盤とするこの憲法は占領下にアメリカによって与えられたものであった。しかし今や世界の理想をリードする価値であり旗印となった。現在の世界は、ロシアとウクライナ、そしてイスラエルとハマスの戦いを巡り世界大戦の危機にある。平和憲法に加えて人類初の2発の原爆被爆国ということも最大限活かさねばならない。民主的なコントロールが望めない自国本位の核保有国が増えている。正に核戦争の危機にあるのだ。(読者に感謝)

 

 

|

2024年1月15日 (月)

人生意気に感ず「石川県出身力士の遠藤と大野里。深夜に会う人。首相の被災地入りは遅い」

◇毎日死者数が増える。心は沈む。14日221人に達した。そのうち災害関連死は13人、安否不明者は26人である。14日、大相撲が始まった。被災者は相撲どころではないに違いないが、それでも地元出身者の活躍には癒され励まされているだろう。石川県出身の人気力士は遠藤と大野里。遠藤はふるさとの家のそばまで津波が寄せたと言われる。相撲巧者の遠藤は惜しくも初日黒星に終わった。「全国からの義援金に感謝します」と述べていた。一方、大野里は未だ10代で、髷も結えない若者だがその風貌は怪力無双といった感じで期待に応えて初白星を得た。会見で記者が「津幡町は大変な状況ですがどんな思いですか」と向けると「はい、ふるさとのために一つ一つ頑張っていきます」と真剣な表情で答えていた。

 私は相撲に関し、関心も浅く知識もなかった。外国人力士ばかりが横綱になることに不満を抱いていたくらいである。一瞬の勝負で奥が深いことに興味を抱いたきっかけは、深夜に決まった場所で会う岩手県出身のFさんのお陰だ。午前2時45分に自宅を出て走るコース上に芳賀金属団地の工場群がある。その一角を私が東に走ると闇の中に握り拳ほどの白い点が現れる。駐車場から工場に向うFさんのマスクだ。ほんのわずかの言葉を交わすのが習慣となった。相撲通で、場所が始まると話題は誰が勝った負けたになる。祝儀袋にはいくら入っているかまで教えられる。人の出会いと縁は不思議なものである。「上毛の“ひろば”見ましたよ」などと言ってくれる。東日本では近い身内が津波にさらわれた。進行中の能登の災害は他人事でないらしく切実な気持ちが伝わってくる。「群馬はいいですね」と言うから「油断はできませんよ。240年前の浅間の大噴火は大変でした。そろそろ目を醒ます頃です」と群馬の火山の歴史を話す。赤城も活火山だと話すと驚いていた。

 今、午前2時半。30分ごとのニュースは孤立地区から避難する人々の姿を伝える。「2週間ぶりに風呂に入れるのが嬉しい」。こう話す老人に吹雪きが舞っている。道をふさぐ黒い巨岩がその先の孤立の人々を物語っている。岸田首相が14日被災地に入った。

「もう少し早く来て欲しかった」、「首相の地震対応は遅い」このような声が聞かれた。珠洲市の中学校でひざをついて話す首相の姿が報じられた。221人が死亡し断水と孤立が続く中、もっと早く駆けつけられなかったのか。これが被災者の正直な切実な思いである。激務の渦中なのは分かる。それにしても2週間は遅い。寝る間を割いて心を届けて欲しかった。(読者に感謝)

|

2024年1月14日 (日)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一三十四

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 三 日本と世界の情勢はどうであったか

 

 昭和二十年八月の敗戦後、日本国内では新憲法の下、瓦礫の中からの復興が続いていた。生活は苦しくも家族の絆は強く、人々は逞しく真剣に生きていた。

 私の家族が前橋市から移って、勢多郡宮城村の山奥で開墾生活に入ったのは、この昭和二十年の秋、私が五歳のときであった。食料が不足して、毎日、さつま芋、大根、野生のウリッパなどを食べたことが今でも生々しく記憶に残っている。今にして思えば、このころソ連も戦後の物資が非常に乏しい状況にあった。ソ連はドイツとの激しい戦争によって疲弊し、食糧事情も悪く、シベリアの収容所にも十分な食べ物が供給されなかった。このことが収容所の日本人の胃袋を一層苦しめたものと思われる。

 昭和二十二年、私は宮城村の鼻毛石の小学校に入学する。前年に発布された日本国憲法がこの年施行され、民主主義の波が全国を覆っていた。私が手にした教科書は、それまでのものとは一変し、ひらがなが初めて使われ、内容も民主主義に基づいたものであった。

 おはなをかざる

 みんないいこ。

 きれいなことば

 みんないいこ。

 なかよしこよし

 みんないいこ。

教科書の最初は、この詩で始まった。私たちはこのように、教科書の1ページから民主主義を教えられ、また、社会のあらゆるところで、民主主義の芽は育ちつつあったが、ソ連に抑留されていた人々はこのような日本の動きは知らなかったであろう。骨のずいまで、天皇制と軍国主義を叩き込まれた人々が、収容所では上からにわか作りの「民主教育」と称するものを強いられたのである。そこで、帰国したい一心で、形だけの、そして上辺だけの「民主主義者」が生まれていった。このことは、別にシベリアの「民主運動」で取り上げた。

 日本は敗戦後、連合国の支配下に入り、マッカーサー元師の下で占領政策が行われていたが、やがて交戦した諸国と講和条約を結んで独立を達成する時がきた。

つづく

|

2024年1月13日 (土)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一三十三

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 事件は突発的に起きたのではなかった。このような状況が進む中で、不満は人々の心にうっ積し、過酷な環境は人々をのっぴきならないところまで追い詰めていた。それを物語る出来事がハバロフスク事件の前に起きた。

 監督官の不当な圧迫が繰り返されていた。特に、監督官・保安将校ミーシン少佐は、日本人から蛇蝎のごとく嫌われていた。ある時、彼は零下三〇度の身を切るような寒さの中、日本人がやっと作業現場にたどり着いて、雨にぬれた衣服を乾燥するために焚き火をすると、これを踏み消して作業を強制した。あまりのことに抗議した班長を栄倉処分にしたのである。

 一人の青年がこの理不尽な監督官の扱いに対して、ついに堪忍袋の緒を切って抵抗した。青年は斧で傷害を加えたのである。監督は倒れ、その場に居たソ連人は逃げた。大変なことであった。我にかえった青年は、とっさに近くの起重機に登り自殺を図る。

 起重機の上に立った青年は、腰に巻いた白い布を取って、自らの血で日の丸を描き、それを握りしめて「海行かば水漬屍、山行かば草生す屍」と歌って飛び降りようとする。仲間が駆け上がり必死に止め、こんこんと説得し、青年は自殺を思いとどまった。青年は斧の刃でなく峰で打ったことから分かるように殺意はなかったが、「公務執行中のソ連官憲に対する殺人未遂」として、すでに科されていた二五年の刑に加えて、十年の禁固刑を科され、別の監獄に入れられた。

 なお、山崎豊子の小説『不毛地帯』の中では、この事件をモデルにした部分が描かれている。そこでは、青年は腰の手拭いを取って、自らの斧で手首を切り、その血で日の丸を染め、起重機に縛り付けると、「皆さん、どうか、私がこの世で歌う最後の歌をきいてください」と言い、直立不動の姿勢で、“海行かば”の歌をうたう。死に臨んで歌う声が朗々として空を震わせる。歌い終わると身を翻して二〇メートル下の地上に飛び降り死ぬ、という構成になっているが、事実は、歌をうたい終わった後、死を思い止めたのであった。

 この事件は昭和三〇年六月のことで、ハバロフスク事件はこの数ヶ月後、同年十二月に起きる。きわだって従順と言われた日本人抑留者であったが、このような突発的な犯行は、各地の収容所であったらしい。

 

 

つづく

|

2024年1月12日 (金)

人生意気に感ず「34歳同性愛者の仏首相。犬肉禁止の韓国。激甚災害に指定」

◇戦後最年少の仏首相に注目。フランスといえば王妃マリー・アントワネットをギロチンで処刑したフランス革命の国である。その熱い血は今でも国民の心の底に流れているに違いない。マクロン大統領は9日、34歳のアタル氏を首相に任命した。アタル氏は28歳で下院選に初当選した異色の政治家で人気が高い。昨年12月の世論調査では政治家としての支持率は40%でトップだった。昨年教育相の時、いじめ厳罰化など教育分野で強硬策を次々打ち出し注目された。中学生の頃、いじめを受けていた体験も関係あるのだろうか。アタル氏は同性愛者である。フランスで同性愛を公表した政治家が首相に就任するのは初めてという。マクロン大統領は低迷する政治の浮揚を若く人気の高いアタル氏に期待していると思われる。果たして目前の突破力になるのか。政治不信の極限にある日本として興味ある状況である。

◇中国には羊頭狗肉という諺がある。狗は犬のことで羊の頭を看板に掲げて実は犬の肉を売ること。韓国国会ではこの程、食用を目的とした犬の飼育や食肉処理、料理の提供などを禁じる法案を可決した。違反者は懲役や罰金が科されることに。韓国では犬肉のスープが夏のスタミナ料理として知られてきた。長く続いてきた韓国の犬肉食の習慣は2027年で終わる。食は各国の文化の一環である。上の中国の諺は、中国で古来犬肉が広く行われてきたことを物語る。中国は現在でも地域によって犬肉食が行われている。中国の食習慣はすさまじい。長い歴史で何でも食べてきた。よく言われる。飛ぶ物は飛行機以外、4つの足のあるものは机以外、みな食の対象になるというのだ。私の中国人の友人は蛇のスープが好物である。タコは多くの日本人が好むが外国では悪魔の生き物として恐れるところも。

 食の習慣は宗教とも関わる。私が関わるホテルは多様な外国人に神経を使っている。ブタが食べられない国がある。トリは安心して出せるのだ。ユダヤ人は旧約聖書以来ウロコのない生き物は食べられない。科学が進歩して人造肉の時代が近づいている。人工のブタや牛は宗教上どう扱われるのか。

◇政府は能登地震を激甚災害に指定した。死者は213人、安否不明は37人に。厳冬の中ビニールハウスで身を寄せる人々は知っている人と助け合えるこの場所がいいと話していたが、「もう限界だ」と訴えはじめた。また、トイレに行きたくないから水分を控えていると話す。他県に移る人は見知らぬ人との人間関係に苦しむだろう。(読者に感謝)

|

2024年1月10日 (水)

人生意気に感ず「死者は202人に。能登半島全域が震源域に。旧角栄邸の炎上。池田議員の逮捕とその後」

◇ついに石川県の死者は9日、202人となった。不明が102人である。打ちのめされ、失意の人々に追い打ちをかけるように激しい雪が無情に降り注ぐ。ビニールハウスの中で寄り添う人もいる。安否不明の102人の人々はどうなっているのだろうか。124時間ぶりに救出された92歳の女性の例は人間の生命力の一つの限界を示すと思われる。懸命の救出活動が続いているが残された時間は限りなくゼロに近づく。

◇驚くべき地震のメカニズムが能登半島全体で動いている。専門家は半島先端にとどまっていた活動が1日一変したと指摘。半島全体が活動域になったというのだ。内陸型地震としては最大級で2千年に1回レベルだと言われる。

 半島のこの動きは何を意味するのか。能登に限らず日本列島の至る所に不気味で未知の力が眠っているということだろう。安全地帯に胡座をかく群馬の私たちへの天の警告でもある。子どもの頃教わった死火山の概念はなくなった。いつ目を醒ますか分からない身近な山々を恐れねばならない。

◇かつて目白御殿と言われた故田中角栄の屋敷が焼けた。闇将軍と言われた人物は湯水の如く金を使って人を動かし「田中金脈」と言われ、文春砲で葬られた。目白邸はつわものどもの夢の跡。立花隆は法廷で田中が号泣したことを書いた。目白は天国で、法廷は地獄だったのだろう。

天国の舞台もあえなく消失し田中は何を思っているか。人の命の大切さを極限の条件下で思う。

マスコミは面白く昔の姿を再現させていた。元首相の長女真紀子さんの線香が火元とか。いたるところで火事が続く。能登市の朝市の大火と何故か重ねてしまう。首都直下地震の最大の課題の一つは火災である。関東大震災もそうだった。時代は大きく変化し都市の構造も一変したが車社会が加速した大都市はガソリンであふれている。目白邸の「線香」は角さんの警告かも知れない。

◇政治の世界の激震だ。最大派閥安倍派の池田議員の逮捕は震度7級といえる。余震がしばらく続くのは確実だろう。当選4回の池田氏と政策秘書だ。キックバックの4,826万円を寄付収入として記載しなかった疑いである。5年で時効だから5年を超えた分は黒い闇に繋がっている。文化と表現して批判された議員がいるが、これは構造的に広がり罪の意識が麻痺していることを示す。戦戦恐恐の議員は多いに違いない。政治不信は民主主義の根幹に繋がるから麻痺した政治家の倫理意識に一大衝撃を与えることを秘かに望む。

|

2024年1月 9日 (火)

人生意気に感ず「死者は126人に。124時間ぶりに救出された90代の女性。十戒の場面を塾で」

◇能登半島がずぶずぶと底なし沼に沈んでいくようだ。一週間が過ぎようとしているが大きな余震が不気味に続く。地底の怪物の生け贄なのか死者が増え続けている。6日の時点で126人に。行方不明者210人は生け贄予備軍なのか。もう勘弁してくれと言いたい。イライラの気持ちで脱線したが、私たちは持てる力を総動員させて被災者を救済しなければならない。政府は来週にも能登半島の被害を「激甚災害」に指定する方針である。寒さの中で家族を失った人々の救済は待ったなしだ。首相は災害の対策会議で、仮設住宅、災害公営住宅の建設を指示した。

 大津波の前には潮が引く。今回の能登半島ではそれが異常な形で現実となった。目撃した住民は「海底が見えた」と証言。その時避難を呼びかける女性アナウンサーの強い口調に瞬間頭が真っ白になったという。

◇次々に驚愕の事実が明らかに。発災後124時間後に90代女性が救済された。はっきり受け答えが出来る状態だという。正に奇跡である。捜索関係者たちから「頑張った、頑張った」の声。71歳の息子は「ありがたいです。本当にそれだけです」と語る。

 あの金正恩氏が岸田首相に見舞電報を寄せたというのも驚きである。内容は「被災地の人々が1日も早く被害から復旧し安定した生活を取り戻せるよう祈る」というもの。北朝鮮の最高指導者が国交のない日本の首相にこのようなメッセージを送るのは極めて異例だという。国民を飢えさせながらミサイルを発射し他国民を拉致する男に人間の心はないものと思っていた。林官房長官は感謝の意を表した。儀礼的な色合いが濃いとしても日本は尊重し外交上の材料として利用すべきだ。

◇閉店する店から、正月休みにDVDを大量に買った。一枚200円の作品の中には光るものが含まれていた。「十戒」がその一つ。モーゼを演じるのはチャールトン・ヘストン。1956年の作品。少年の頃、度肝を抜かされたが長い年月を経て宗教に関する思いも変化した。昨年末、「ユダヤ人の謎」でモーゼも扱ったこともあり、1月の「ふるさと塾」のテーマはこの「十戒」である。映画の場面を材料に使う。ファラ王の王子として育てられたモーゼはある時自分が奴隷の民族の一員と知る。石の下敷きになるところを救った女は生みの母だった。神の教えで奴隷を率いてエジプトを脱出する。紅海が割れ奴隷たちが逃れるシーンは圧巻。比類ない壮大な映画の場面は人々の心に重く響くだろう。

(読者に感謝)

|

2024年1月 8日 (月)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一三十二

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 ハバロフスクの収容所の人々は、不当な裁判によってその多くは刑期二十五年の懲役刑に服していた。長い収容所生活によって体力も、みな非常に衰えていた。それにも関わらず収容所の扱いは相変わらず過酷であった。

 ハバロフスク事件は、収容所の扱いによって生命の危険を感じた人々が、自らの生命を守るために団結して立ち上がった抵抗運動である。

 事件当時の状況を示す資料は、奴隷的労働の様子、与えられる食糧のひどさ、そして病弱者の扱いの不当などを示している。労働にはノルマが課せられ病弱者にも容赦がなかった。食糧については、まず与えられるカロリー数が少ないこと。旧日本軍は重労働に要するカロリーを一日、3800キロカロリーと規定していたが、収容所ではやっと2800キロカロリーであった。日本人の食生活の基本は、本来肉食ではなく米や野菜である。したがって、日本人の体にとっては、特に生野菜が必要であった。野菜が採れないシベリアの冬は、特に深刻であったと思われる。余談になるが、最近のシベリアの小学校の様子を伝える映像として、冬期、給食の時、野菜不足の対策としてビタミンの錠剤が配られる姿があった。

 

二 ハバロフスク事件の前兆としての出来事

 

 ソ連の態度は、威圧的で情け容赦がなかった。「我々は、百万の関東軍を一瞬にして壊滅させた。貴様等は敗者で、囚人だ」と、何かにつけ怒鳴った。日本人抑留者は、この言葉に怒りと屈辱感をたぎらせていた。あのように言っているが、関東軍の主力は、ほとんど南方戦線にまわされ、満州では実際戦える戦力はなかったのだ。そこへ入ってきて、強奪と暴行のかぎりを尽くした卑しい見下げはてた人間ではないか。人々は皆、こう思いつつ、帰国という一縷の望みを支えていた。ソ連側の基本的な考えは、日本人は憎むべき戦犯である。だから従順な日本人を徹底的に酷使する、ということであった。

 

つづく

|

2024年1月 7日 (日)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一三十一

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

  • ハバロフスク事件の背景

 

 ハバロフスクはロシア極東地方の中心都市で、アムール川とウスリー川の合流地点に位置し、シベリア鉄道の要衝である。強制抑留のシンボル的な都市で、多くの日本人はここを通って各地の収容所へ送り込まれ、帰国するときもここに集められてからナホトカ港に送られた。

 ハバロフスク事件の発生は、昭和三十年の暮れである。日本人抑留者のほとんどは、昭和二十五年の前半までに帰国した。しかし、元憲兵とか、特務機関員とか秘密の通信業務に従事した者などは、特別に戦犯として長期の刑に服し、各地に分散し受刑者として収容されていたが、一般の日本人抑留者の帰国後、ハバロフスクの収容所に集められていたのである。

 前橋市田口町在住の塩原眞資氏は、昭和二十五年に帰国したが、その前はコムソムリスクの収容所におり、その後ハバロフスク収容所に移されていた。昭和二十三年にここに入れられたときのことを塩原氏は、その著『雁はゆく』の中で次のように述べている。

「この収容所に集結された者は、聞いてみると、日本軍の憲兵、将校、特務機関員、元警察官、そして私のように暗号書を扱った無線通信所長等、軍の機密に関係した者ばかりの集まりであった。それからいろいろといやな記憶が頭をかすめる。この収容所に入れられた者は、絞首刑か銃殺か、または無期懲役かと寝台の上に座って目を閉じる」

 塩原さんたちの帰国後も、この収容所の日本人たちの苦しい抑留生活は続いた。そして、世界の情勢は変化していた。

 昭和二十七年、参議院の高良とみが日本人として初めてこの収容所を訪れ、一部の日本人被収容者に会ったとき、彼らは一様に「日本に帰れるのか」、「死ぬ前に是非もう一度祖国を見たい」「祖国は私たちを救う気があるのか」と悲痛な表情で訴えたという。

 ほとんどの日本人抑留者は帰国した。そして、昭和二十八年にはスターリンが死に、ソ連当局の受刑者に対する扱いは大きく改善され、ドイツ人受刑者も帰国を許された。それなのに日本人だけは、従来と同じような過酷な扱いを受けている。高良とみに訴えた日本人の心には、このような情勢のなかでのいい知れぬ焦燥感と底知れぬ淋しさがあったと思われる。

つづく

 

 

 

 

 

|

2024年1月 6日 (土)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一三十

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

第五章 日本人が最後に意地を見せたハバロフスク事件の真実

 

 シベリア強制抑留の真実を語る上で、ハバロフスク事件に触れないわけにはいかない。それは、奴隷のように扱われていた日本人が誇りを回復し、意地を見せた見事な闘いだったからだ。また、日本人とは何かを知る上でも重要だからである。

 最近、ロシア人の日本人研究者がこの事件を「シベリアのサムライたち」と題して論文を書いた。「サムライ」とは、私たちが忘れていた懐かしい言葉である。この事件を知って、私は日本人としてよくぞやってくれたと、胸の高鳴りを覚えるのである。

 昭和三十一年八月十六日付の産経時事は、「帰ってくる二つの対立 ― 興安丸に反ソ派とシベリア天皇 ―」という記事を載せた。それには、帰国船内または舞鶴で乱闘騒ぎや吊し上げなどの不祥事が起こる可能性が強いこと、二つの対立グループには、一方の反ソグループにハバロフスク事件の黒幕的な存在として知られる元陸軍中佐瀬島龍三が、他方には親ソ派で湿りかの天皇として恐れられた浅原正基がいること、帰還促進会事務局長談として、「浅原のように日本人を売った奴は生かしてはおけないといっている帰還者がいるから、何が起こるか心配している」という記事が載せられている。

 またこの記事は、問題のハバロフスク事件については「ソ連の待遇に不満を抱き、昨年十二月十九日の請願サボタージュで、犯行の口火を切ったハバロフスク事件は、去る三月ハンストにまで及んだものの、ソ連の武力鎮圧により、同十一日はかなく終幕、四十二名の日本人が首謀者としていずれかへ連行され、一時、その消息を絶った」と報じている。記事は簡単であるが、事件の内容と結果は重大なものであった。事件からおよそ半世紀が経つ。この事件の重要性にもかかわらず、今日の日本人の多くは、この事件を知らない。

 

つづく

 

 

 

 

 

|

2024年1月 5日 (金)

人生意気に感ず「災害対応にはその国の特色が。能登半島の地獄。津波の実態は?」

◇今年はほとんどの日本人にとって、更には全世界の多くの人にとって心に刻まれる年になるに違いない。元旦の巨大地震なんてあまり例がないと思う。日本を訪れていた外国人は肝を潰し改めて日本の特性を知るきっかけになったことだろう。大災害への対応にその国の制度や国民性が顕著に現われるからだ。大地震は世界の多くの地で起きている。同程度の震度で壊滅状態の所もある。建物の耐震構造の違い、人命を尊重する国の根本規範の差が大きく結果の違いを生む。日本は人権尊重の憲法に立つ。今回も首相が先頭に立って被災地救済の旗を振る姿はこの憲法の基盤に立脚してのことだ。巨大災害の度に略奪が起こらないことを世界のメディアは奇跡のように報じる。公共心が薄いと言われる現代の若者の心にもいざという時には助け合うという精神が根を張っている。東日本大震災で、阪神淡路大震災でそのことが発揮された。今回能登半島という最悪の地形が救済の手を拒んでいる。それを乗り越えた救いの力が懸命に働いている。正に日本が試されているのだ。道路沿いの電柱の貼紙は訴える。「トイレ、食べ物が欲しい」と。ある老人は叫んだ。「地震後初めて水を口にした。ありがたい」と。4日午後の時点で石川県の死者は84人に達した。1日午後4時10分の発生時の確認死者は55人だった。4日現在の安否不明者は179人である。政府はこれらの人の名前や年齢を公表し情報を呼びかけている。孤立の人々は少なくとも780人。寒さの中、目を覆う惨状が広がっている。多くの家々の停電は人の心を暗くしていると思われる。現代文明は電気で支えられている。情報を得る妨げとなり医療も動かなくなる。輪島、珠洲市の医療機関は多くの患者を金沢市などの医療機関に搬送したという。

◇津波被害の実態が明らかになってきた。1日の夜、女性アナウンサーが狂ったように避難を呼びかける姿は少しオーバーかとも思えた。大津波警報は最大3メートル以上の予想の場合出される。今回の予想は5メートルだった。珠洲や能登の人の中には信じない人もいたようだ。巷には偽情報も多い中、公共放送は信じられる貴重な情報源。あの声を他県で聞いた親族が避難を促した例もあったようだ。検潮器で測った潮位と具体的な地形を駆け登る波の高さは違うだろう。私は今回も防波堤を越える恐ろしい波の姿を見た。海上保安庁によれば1人が津波によって行方不明になった。能登半島地震の全貌とその先の巨大地震はこれから明らかに。(読者に感謝)

|

2024年1月 4日 (木)

人生意気に感ず「添乗員の快挙。世界のメディアは奇跡と。群馬は、そして浅間は大丈夫か」

◇「禍必ず重ねて来る」という諺がある。1日午後4時10分石川県能登地方で巨大な地震が、そして2日午後5時50分頃羽田空港で日航機と海保機が衝突した。「逃げて!逃げて!」、「津波です!すぐ逃げて!」女性アナウンサーの必死の声が夕闇迫る街に響く。一瞬ドラマかと耳を疑った。テレビの画面には5メートルの津波と表示。あの東日本の惨状を想像した。赤い炎が黒い空間に広がっている。大火災らしい。夜が明けて被害の状況が次第に明らかになっていく。火災の煙が流れる輪島市の市街はイスラエルのガザ地区攻撃の場面かと思わせる。死者は増え続け3日の時点で73人に達した。能登半島だけに止まるとは思えない。日本列島に何が起ころうとしているのか。人口が超密集する首都圏で起きたら。ゼロメートル地帯が広がる所に津波が押し寄せたら。迫る南海トラフでは最大30メートルの津波が予想されている。能登の現状を壮大な予兆と捉えねばならない。

◇羽田空港の出来事は人為的ミスが絡んでいるかも知れない。海保機の5人が死亡したが日航機の379人は全員脱出に成功した。90秒の間にパニックが生じなかったのは奇跡的である。添乗員の冷静沈着さが想像される。

 昨年暮れ羽田から北京へ向う機内で女性乗務員がきびきびと動いていた。万一の時、我々の運命は彼女たちの手にかかっていると考えたばかりである。

 海外の主要メディアが全員脱出を「奇跡」と報じている。ニューヨークタイムズは緊迫した状況で「乗務員が全員を脱出させたのは正に奇跡だ」と、またCNNは犠牲者がいなかったことを「驚くべきこと」と報じた。海外の専門家は乗客が荷物を持たずに脱出したことにつきお手本のような対応だったと賞讃している。不幸中の幸であるが海外の反応に胸を熱くし日本人として誇りに思った。

 能登の被災地では倒壊した瓦礫の上を非情な時が過ぎていく。生存率が急激に下がる状況で安否不明者が15名いると言われる。緊迫した動きが見られ、呆然と立ち尽くす関係者の姿も。6階建ての建物が根こそぎ倒れている。地震のエネルギーがいかに大きかったかを物語る。150キロの活断層が動いたとされる。地震に備える場合地下の構造を知ることは極めて重要であるが、分からないことは余りに多い。備えようがないではないかと思ってしまう。吾妻地域をよく走るが垂直の断崖絶壁は異常な降雨で緩んでいると見なければならない。小規模な地震でも崩れるのではないか。不気味に沈黙する浅間が目を醒ます時も近い。(読者に感謝)

|

2024年1月 1日 (月)

人生意気に感ず「読者の皆様へ新年のメッセージ」

◇ブログ読者の皆様、新年明けましておめでとうございます。83回目の新年を健康で迎えられたことを天に感謝し新たな決意で一歩を踏み出します。このブログは個人的な情報発信の場ですが、多くの方々に読んで頂くようになり、小さいながら社会的存在になっていることに責任を感じています。皆様との見えない絆を大切にする思いで今年も続けます。

 今年はどんな年になるのでしょう。前方には何が待ち受けているのでしょうか。毎日のように起きる小さな地震は列島が限界にきていることを暗示しているかのようです。昔の人は地震につき政治の乱れに対する天の戒めと考えました。科学が発達した現代に於いてもこのような素朴な感情は大自然への畏敬として大切にすべきだと思います。

 昨年はキックバックという言葉に象徴されるような政治不信が吹き荒れ、年が変わっても続きそうです。この問題の根は深く民主主義の危機に繋がっています。民主主義は現在危機に晒され試練を受けています。それは民主主義を支えるべき国民の心が政治を離れ、政治の劣化がそれに拍車をかけているからです。国民は羅針盤のない船、あるいは船長のいない船で漂流している状態です。そこへ天地の鳴動が響きます。神の怒りかと、ふと私の胸にもそんな思いがよぎります。どうにもならない。どうにでもなれ。諦めが頭をもたげます。そこで気付くのです。諦めることは敗北なのです。諦めては力を合わせることが出来ないからです。私たちは進歩した社会の住人です。民主主義は合理的に判断して力を合わせるところに本質はあります。その上で神を敬うとか自然を恐れるという人間の心に備わる要素も大切です。それは個人の教養や価値観を育むことで判断力に影響を与えます。民主主義を支える上で何が主で何が従かという問題でもあります。新年にあたり自分の判断力を磨くことの大切さを痛感します。情報が洪水のようにあふれています。何を信じたらよいか迷う時代です。判断の基準となるものを自分の中で築くことが重要です。

 ブログの話に戻りますが、前記でブログの社会的責任に言及しました。私の価値観で情報を選択して発信することを心掛けています。皆さんとの絆を大切にし、力を合わせて良い社会を築いていきたいと思います。私の前に立ちはだかるのは84歳の高峰です。意外な危険が待ち受けている筈、勇気をもって挑戦いたします。今年もよろしくお願い致します。

|

« 2023年12月 | トップページ | 2024年2月 »