シベリア強制抑留 望郷の叫び 一二九
※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。
モスクワ経済会議における高良とみの振る舞いと評判について聞いていたグロムイコは、改めて見る目の前の日本女性の姿に打たれたに違いない。二人の会見は、四、五時間にも及んだ。
高良とみは、グロムイコにぜひとも抑留されている日本人に面会したいと申し入れた。グロムイコは、できるだけ希望がかなうように努力しましょうと言った。その表情には、とみの熱意にこたえようとする誠意が表れていた。この会見によって、高良とみのハバロフスクの日本人収容所訪問が実現したのである。
女として単身、地の果てのシベリアへ、しかも国法を犯してまで行きたいという真心が、いまだ戦争状態にあるロシアの高官を動かしたのだ。
ハバロフスクの収容所の日本人の中には、高良とみの行動を選挙目当ての売名行為と見た人もいたらしい。また、高良とみに会った十八人の人々は正しく受け止めることは出来なかったようだが、彼女のことを後に伝え聞いた人々の中には、高良とみの訪問によって祖国が動き出すのではないかという一条の光を見い出す思いの人もあったであろう。
やがて、日本政府が本格的に腰を上げる時がくる。鳩山一郎首相が苦心の末に日ソ交渉をまとめ、長期抑留の日本人が帰国を許されるのは昭和三十一年末のことであった。
『第五章 日本人が最後に意地を見せたハバロフスク事件の真実』につづく
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