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2023年12月31日 (日)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一二九

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 

 モスクワ経済会議における高良とみの振る舞いと評判について聞いていたグロムイコは、改めて見る目の前の日本女性の姿に打たれたに違いない。二人の会見は、四、五時間にも及んだ。

 高良とみは、グロムイコにぜひとも抑留されている日本人に面会したいと申し入れた。グロムイコは、できるだけ希望がかなうように努力しましょうと言った。その表情には、とみの熱意にこたえようとする誠意が表れていた。この会見によって、高良とみのハバロフスクの日本人収容所訪問が実現したのである。

 女として単身、地の果てのシベリアへ、しかも国法を犯してまで行きたいという真心が、いまだ戦争状態にあるロシアの高官を動かしたのだ。

 ハバロフスクの収容所の日本人の中には、高良とみの行動を選挙目当ての売名行為と見た人もいたらしい。また、高良とみに会った十八人の人々は正しく受け止めることは出来なかったようだが、彼女のことを後に伝え聞いた人々の中には、高良とみの訪問によって祖国が動き出すのではないかという一条の光を見い出す思いの人もあったであろう。

 やがて、日本政府が本格的に腰を上げる時がくる。鳩山一郎首相が苦心の末に日ソ交渉をまとめ、長期抑留の日本人が帰国を許されるのは昭和三十一年末のことであった。

 

 

『第五章 日本人が最後に意地を見せたハバロフスク事件の真実』につづく

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2023年12月30日 (土)

人生意気に感ず「不屈の闘魂石橋湛山に学ぶとき。日中国交の初の橋渡しを」

◇未曾有の政治不信の嵐が吹き荒れている。これを切り抜ける政治家はいないのか。棺を覆って事定まるというが、今石橋湛山に注目が集まっている。戦時中は軍部に抵抗し、戦後はGHQに抵抗した剛直の自由人である。

 戦時中の軍部への抵抗とはいわゆる「小日本主義」を主張して中国大陸への侵出に反対したことを指す。大陸へ勢力を拡大すればやがて米英と対立し日本の首を絞めることになると信じていた。満州は生命線という当時の大勢の意見に対しては平和を前提とした貿易で十分やっていけると主張した。

 GHQへの抵抗とは、勝者に対して堂々と筋を通して言うべきことを主張したのだ。多くの政治家や言論人は戦後宗旨替えしたように変化したのに対し湛山は一貫していた点が凄い。ポツダム宣言にも賛成であった。湛山は敗戦を見通していたのでポツダム宣言の中味は戦後の復興と再建のためには望ましいことであった。湛山は終戦の翌日、「再生日本の門出は実に洋々たり」と論文に書いた。それは、日本全土が壊滅状態になる前にポツダム宣言を受諾したから復興は可能という信念に基づいていた。

 敗色濃厚の時、湛山は著名な経済学者等と秘密に議論を重ねた。彼の小日本主義に反対する人もあったが湛山は自説を曲げなかった。戦後の日本は湛山の言った通りになった。このような一貫した政治姿勢を基礎に戦後の波乱に満ちた政治家としての歩みがあった。その例として、1946年4月戦後初の総選挙に落選しながら翌月5月の第一次吉田内閣の大蔵大臣に就任している。この時の湛山の風貌は、頬がこけ眼光鋭く戦う侍を思わせるものがある。非妥協の姿勢が現れている。多くの政治家は目先の利益を追い選挙民の顔色を見て動くが湛山は違った。1967年の週刊東洋経済の「政治家にのぞむ」で次のように語る。

「政治家になったからには、自分の利益とか選挙の世話よりもまず国家・国民の利益を念頭において考え行動してほしい」。まるでキックバックに木の葉のように翻弄される現在の政治家にあの世から湛山が叱責しているようだ。

◇石橋湛山は昭和31年総理大臣になったが病に倒れ在任2ヶ月で引退した。この時73歳であった。しかしその後意外な長命を得て戦後最初の日中国交の橋渡しの役割を果たした。それは昭和34年のことで、周恩来等と会談し「石橋、周共同声明」を発表したのである。私は今年11月北京の日中交流会議に出席し湛山を身近に感じた。その死は89歳だった。(読者に感謝)

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2023年12月29日 (金)

人生意気に感ず「年末に自慢を披露。83歳、挑戦の年に。バイデン氏への不安は」

◇愚直に続ける習慣を振り返る。その一つは雨の日も風の日も、外国に行っても続ける走りである。83歳で楽しく走れることを天に感謝する。通常は1日3回、1回2キロ弱である。午前2時45分、午前7時、午後6時で、7時と6時は若干ずれることがあるが2時45分のスタートは正確である。それにはちょっとした訳がある。決まった場所である人物の会うのだ。古内さんというこの人を勤め先の名を使ってすかいらーくさんと呼んでいる。100キロを超える巨体は黒い服装なので闇に溶け込んでいる。ポッと白いマスクが浮かぶとホッとする。ほんの10秒位の会話は1日の楽しみの一つだ。相撲の時期には力士の話になる。お陰で相撲の世界に入り込むことができた。午前3時という深夜に小走りに工場に向う若い女性がいる。また恐らく健康目的でこの時間に歩いている中年女性がいる。工場群はほとんどが24時間体制である。人手不足もあり機械化が進んでいることが想像される。

 別の健康法として続けているのが水行である。数年前、吾妻の岩櫃の滝に打たれて、大袈裟に言えば革命的な体験となった。11月28日、身を切るような寒さであったが修験者の指導で落下する水に進んだ。頭を打つ衝撃で寒さを忘れた。革命的とは、水から出た後の爽やかさである。表情が若くなると言われた。岩を削り龍の姿を思わせる滝の雰囲気にも意味があると思われたが、それと相まって脳細胞への刺激があるのではと自分なりに解釈する。何十億の脳細胞のほとんどは眠っている。滝行は脳の奥に刺激を与えるに違いない。私の滝行は新聞でも報じられた。以来、毎朝風呂場でバケツ7杯の水をかぶっている。

 自慢ついでに明かすと走りながら英文の暗唱を続けている。日本国憲法の英文、ケネディ大統領の就任演説を終え、オバマ大統領の就任演説は3分の2位まで征服した。最近記憶力の低下を感じる。足の筋力と同様、老化の影が忍び寄っている。新年はこれらの現実に対する挑戦の年にしたい。

 来年は84歳になる。私と比べバイデン大統領の81歳という老齢が気になる。来年の選挙を乗り切ってその後の4年、世界の指導者の責任を果たせるのか。トランプの再選は御免である。アメリカの民主主義が泣く。プーチンを喜ばせてならない。分断が続く中、現在の世論調査はトランプが独走気味であるが無党派層の多くはトランプに批判的らしい。来年は内外共に選挙の年。ロシアのは選挙の名に値しない選挙である。(読者に感謝)

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2023年12月27日 (水)

人生意気に感ず「柏崎原発のずさんさは酷い。夢のエネルギー核融合の一歩。日本の地下で何が。AIの危険性」

◇柏崎原発のずさんさは酷いものだ。目と鼻の先に北朝鮮がある。近くの海岸では多くの拉致があった。プロのテロリストがこの原発に侵入しようとすれば容易なことと思えた。私は何度も訪れてそう感じた。この原発は東電のものである。東日本大震災の原発事故を忘れているに違いない。スマホの持ち込みとか、ひどい人的不祥事が重なった。東電は軽微なことと見ているようだ。金城鉄壁も蟻の一穴からという諺を知らぬと見える。この度運転禁止命令が解除されるというが大丈夫なのか。安全神話にあぐらをかいていると思えてならない。

◇夢のエネルギー、地上の太陽と言われる核融合発電が実現に向けて一歩を踏み出す。約50の企業が連携し協力する新組織が間もなくスタートする。核融合はCO2を出さず少ない燃料で膨大なエネルギーを生む。将来的にエネルギーの重要な選択肢になるのは確実。内閣府が参加企業・団体を募集したのだ。原発の将来が暗いだけに新年に向けての朗報である。

 先日ふるさと塾で核分裂を話した時少し触れた。核融合は分裂でなく融合である。融合時に莫大なアネルギーを出す。1グラムの燃料から石油8トン分のエネルギーである。太陽も核融合で熱を生み出すから地上の太陽と呼ばれる。国民一般の関心は薄いがこの際注目すべきであり学校教育でも触れるべきだ。

◇累卵の危機の上で今年が終わる。不安と希望が交差するが不安が大きい。列島そのものが頻繁に起きる地震に怯えて震えているかのようだ。富士山、浅間山の地下で何が起ころうとしているのか。少子高齢化は止まらない。列島を船に例えれば、船頭は無きに等しい。政治不信は行き着くところまで進んだ感がする。間もなく除夜の鐘が響くがそれは悲しい運命を暗示するかのようだ。私たちに必要なことは歴史を振り返って最悪の事態から学ぶことである。原爆投下と敗戦が遠景になっていく。沈みゆく日本を救うのは私たち一人一人の自覚と覚悟だ。除夜の鐘の無常観を振り払わねばならない。

◇新年はどんな年に、そして何を求めるべきか。私は人間性の回復と確保をあげたい。機械が異常に発展し人間の領域が侵されようとしている。人口知能(AI)が突然のように現れ、人間より賢くなろうとしている。人間は横着だから易きに流れ人間性が失われていく恐れがある。技術は人間のためのものだから、本末転倒ではないか。社会がこぞって心の主体性尊重に取り組むべきだ。伝統文化を守らねば。そのために教育と政治の役割は重大。(読者に感謝)

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2023年12月26日 (火)

人生意気に感ず「激動の一年を振り返って。ガザを救うための日本の役割は」

◇一年が終わる。一年を振り返る。それは自分を総括することだ。10月30日に83歳になった私は11月3日、どうにかぐんまマラソンで10キロを完走(ビリから2番目)し、11月6日から一週間北京に渡り思わぬ貴重な体験をした。日中友好交流会議で中国の覇権の動きに言及した意義は大きいと思うが、天安門で一時拘束されたことも国際関係の現実を知る上で大切であった。帰国後いろいろな所で話をする時、人々の目が輝くのは天安門であった。天安門をはじめ北京には激動の世界情勢が凝縮されていた。改めて一衣帯水と言われる日中関係の重要生を考えた。狂気の隣国北朝鮮が振りかざすミサイルという凶器の下で日本国民は危機を意識しないかのようだ。これは何を物語るのか。刹那を生きる人々は過去も未来も考えないのか。23日のふるさと塾で、ある塾生が言った。「日本に政治家はいないのか。唯一の被爆国を活かしてアメリカにも世界にも核反対を訴えるべきではないか」。私は言った。「その通りです。賛成です」。この塾生とはウクライナ等で意見を異にすることが多かった。政治家の質は国民のレベルを反映する。平和ぼけで志を失った多くの国民には目先の利益と選挙民の顔色を窺う政治家がふさわしい。

◇内憂外患の今年が暮れる。イスラエルの攻撃に晒されるガザの哀れを思う。非情なイスラエルの人々の根底にはヤハブエに繋がる選民思想があるに違いない。唯一神はユダヤ人自身の問題である。アラブ世界の神との共存を考える他に解決の道はない。キリスト教も宗教改革を経て今日に至っている。ユダヤの神も妥協を迫られる時がきた。

 国連安全保障理事会は22日ガザ地区への人道支援強化を訴える決議案を採択した。米国が拒否権を行使せず棄権したことは大きな前進である。ガザ地区で食糧支援に集まる子どもたちの姿が報じられている。一方でイスラエルは攻撃の手を基本的にゆるめない。これ以上イスラエルが攻撃を進める時イランを中心として勢力と本格的な戦争の恐れが生じる。新年に於いて最大の課題は世界大戦を阻止することだ。日本はそのために人事を尽くすべきだ。その可能性はインドを初めとした多くの途上国と力を合わせることにある。日本はこれらの国から信頼を得ている。これらの国々と力を合わせることにより中国やアメリカにも影響力を発揮できるに違いない。国内で追い詰められた岸田政権の起死回生の一手になると思う。令和5年の終わりが刻々と迫る。新年の最大の政治のお年玉は信頼回復である。(読者に感謝)

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2023年12月25日 (月)

人生意気に感ず「ユダヤの神はねたみ深い。ユダヤから派生したイエスはユダヤを悪魔と。アインシュタインとオッペンハイマー」

◇今年最後の「ふるさと塾」は23日厳寒の中で行われ約40人が参加した。テーマは「世界を動かしてきた謎の民族ユダヤ人とは」。ノーベル賞受賞者が40人もいる。その中にはアインシュタインに代表されるような世界を変えた人物が多い。ナチスのホロコースト(大虐殺)など幾多の民族の苦難を乗り越えて貫いた歴史を支えるものは何か。私たちと同じ人間かと思うと正に謎。彼らを結びつける力は宗教であった。私はモーゼの十戒から始めた。その中の要点はギラギラと血をしたたらせるような恐い彼らの神の姿。この神ヤハヴェは言う。「私だけを信じよ。私はねたみ深い。私以外を信じる者は許さないが、私のいましめを守る者はどこまでも恵みを与える」私たち日本人はやおよろずの神々の表現にみるように多くの神を受入れるが、彼らは唯一神なのだ。ここに彼らの原点がある。彼に選ばれたという選民思想はユダヤ人を排他的非妥協の存在にした。

 私の話はモーゼ、キリストから近現代のアインシュタイン、ノイマン、オッペンハイマー等に及んだ。一つの流れとして捉え現在のイスラエルが世界の非難を浴びる中であのように頑なな訳の一端を語ろうと努めた。

 イエス・キリストはユダヤ人であるが、ユダヤの排他的な思想を否定し「隣人を愛せよ」の人間平等を訴えた。ユダヤ人からすれば裏切りであり、キリストからすればユダヤは悪魔である。かくしてキリストは十字架にかけられる。キリストの思想はローマの国教となる。国家権力との結合であり、ここからユダヤ人に対する虐待が強大な権力の下で行われることに。

 エピソードとしてシェークスピアのベニスの商人を取り上げた。ここでは冷酷非情なユダヤの金貸しが登場する。かつてキリスト教は商取引を禁じた。底辺に追い詰められたユダヤ人は高利貸しとなって生き延びようとする。裁判官は「約束の肉を切り取ることは許すが血は一滴たりと取ることは許さぬ」と主張してユダヤ人を追い詰める場面である。

 第二次世界大戦でドイツはいち早く原爆の研究に着手した。ユダヤの科学者は危機を強く意識しルーズベルト大統領にその開発を直訴する。科学者を代表してアインシュタインが署名した。原爆開発のトップに立ったのはユダヤ人・オッペンハイマーだった。1945年7月実験は成功し8月6日には広島に投下された。アインシュタインもオッペンハイマーも日本を訪れた。会場から、日本は核反対を世界に訴えるべきとの発言が。私は賛成した。(読者に感謝)

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2023年12月24日 (日)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一二八

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 

 モスクワ世界経済会議は、冷戦下における世界経済の平和経済の平和的発展を目的とするものであった。高良とみは幸運にもこの会議に出席できることになったわけであるが、本会議場で演説するチャンスも得られたのだ。

 何百人もの各国代表が並ぶ大ホールで、高良とみは満場の相手に迎えられ和服姿で登壇、約四十五分、英語でスピーチした。

 高良とみは、日本の工業生産と貿易の状況、そして失業問題や国民の生活水準などについて説明しながら、日本国民は、過去から教訓を得て平和に生きようと決意していること、だから日本の経済は世界平和のために役立たねばならないこと、平和的東西貿易の必要性および日本は近い将来中国やソ連から食糧を買うことを望んでいることなどを格調高く訴えた。演説が終わると会場には割れんばかりの拍手が起きた。

 このモスクワ経済会議の直後、高良とみはソ連外務省に呼ばれ外務次官と会見する機会を得た。この人は後の外相グロムイコである。グロムイコは、高良とみの訪ソの目的や日本における所属団体などについて詳しく知りたがっていた。東京やワシントンで大きく騒がれている日本の女性国会議員につき興味と疑念を抱くのは当然であったろう。高良とみは、自分はキリスト教徒であること、平和運動を行っていること、そして、ソ連など共産圏諸国を除いた形の平和条約が結ばれたことにより、ソ連に抑留されている同胞がどうなるのか心配でたまらずソ連にやってきたことなどを説明した。グロムイコを正視して英語で堂々と訴えるとみの姿には、国を憂い同胞を思う気迫と信念があふれてい

た。

つづく

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2023年12月23日 (土)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一二七

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 ある時、ソ連が世界各国の人をモスクワに招いて経済会議を開くことを企画し、石橋湛山ら財界指導者にも招待状が出されていることを知った。実は、高良とみはこの訪ソの話しを聞く直前にパリにおけるユネスコ会議への招待状を受け、すでにパスポートを手にしていたので、訪ソ団に加わり、パリからソ連に入り日本人抑留者の問題を調べたいと願った。

 運良く訪ソ団に加わることになったが、政府は講和条約発効を前に、アメリカとの関係を心配してソ連へのパスポート発行を認めない。そこで、高良とみは単身パリのユネスコ会議へ向けて出発した。

 ユネスコ会議を終えた高良とみは、何としてもソ連に入りたいと思い、パリ駐在の日本人外交官に懇願し協力を求めたところ、モスクワへ入る方法が見つかった。パリのデンマーク大使館が力を貸してくれることになったのだ。とみはデンマーク大使館に出向き熱い胸のうちを詳しく話した。デンマーク大使館はとみの姿に打たれて仲介役として動いた。ソ連は高良とみをモスクワ経済会議に出席させるということで受け入れることになったのである。ここでもとみの英語力が大いに役立った。自分の心を正しく伝えるには、通訳を介さずに直接語ることが何より効果的なのだ。

 モスクワのホテルに着くとソ連政府の役人がやって来て、東京とワシントンでは大騒ぎになっている、そして、吉田首相とアメリカの大統領もかんかんに怒っていると話した。コペンハーゲンにいる朝日新聞の記者から電話が入り、日本人として初めて鉄のカーテンを越えた高良とみに、ぜひインタビューをしたいという。とにかく、高良とみのソ連訪問は、世界の大ニュースになっているらしかった。しかし、日本人抑留者を助けたいという彼女の信念は少しも揺るがなかった。

つづく

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2023年12月22日 (金)

人生意気に感ず「ダイハツに見る企業倫理の低下。議員に迫る特捜の網はどこまで」

◇ダイハツの不正問題が紙上で炎上している。トヨタの完全子会社、軽自動車のシェアは3割を占める。品質で世界に誇る日本の信用を傷付ける事態だ。一番古い不正は1989年というから驚きである。内部告発で明るみに出たことにホッとした。自浄能力が細々ながら生きていたからだ。リコールに発展するのか、事故に繋がらないか等は、消費者の素朴な不安である。ダイハツはこれ迄に関連する事故はないと発表した。また、社長は「安心して乗って頂ければ」と述べる。ダイハツは立ち直れるのか。この問題を中国の人たちと話す機会があった。「日本は厳しいから倒産になるかも。中国は謝ってあいまいに済んでしまう」と話していた。中国には内部告発の制度が存在しないのではないか。国民の知る権利に繋がる問題である。決められた開発日程を守ることは製造の現場にとって大変なプレッシャーだったと言われる。経営側の責任が厳しく指摘されている。トヨタはトヨタへの供給車が増えたことが現場の負担を大きくした可能性があるとして深く反省していると述べた。

 ダイハツ問題の根底には企業倫理がある。企業は公的存在である。地球温暖化・脱炭素等が大きな社会問題となるのに合せ企業の存在は重大になった。もはや大企業が目先の利益追求に走ることは許されない。それは自らの墓穴を掘ることに繋がる。ダイハツのトップが6秒問題を下げて謝罪したがその姿は日本の全企業を象徴する。

◇予想通り特捜部は動き出した。松野、高木、世耕氏等への任意聴取が始まる。3氏は1千万円超を不記載にした疑い。刑事責任追及の動きである。任意聴取を受けることへの一般国民のインパクトは大きい。人々は先生たちが牢獄に繋がれる姿をイメージする。私はかつて議員だった頃、同僚議員が地検から出頭を求められた事態を想像する。彼は私に語った。追及は容赦のないもので非常に厳しかった。当局とすれば中途半端で終えれば自らが大きく非難されることになるから当然である。高官たちは密室で冷静な法との対決を迫られる。高いプライドは踏みにじられる。

 中国の諺「天網恢々疎にして漏らさず」を改めてかみ締める。天の網(法)が疎(あらい)ことに不平等感を抱いた一般の人々は高官が出頭を求められ、「漏らさず(見逃さない)」を知り溜飲を下げたに違いない。議員の悲鳴が聞こえるようだ。「他の議員にも捜査の手が伸びるのでは。政権運営はできない」と。(読者に感謝)

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2023年12月21日 (木)

人生意気に感ず「アカデミーの忘年会に見る希望。校長のワイセツは何を語る。医師の安楽死と医の倫理」

◇日本アカデミーの忘年会は楽しく爽やかだった。コロナ禍での生徒の激減や理事長交替などの波乱を乗り越えた安堵感が流れていた。職員など学校運営にあたる人々の集いである。

 外国から生徒が入れず厳しい経営環境に耐えられずに撤退した同業者も多い。日本アカデミーは経営陣の内紛も重なって一時は大変だった。私は新しい体制づくりの一角を狙って頑張った。挨拶の中で述べた。「コロナ禍の苦難を協力して乗り越えて実現した忘年会です。教訓に生かすことが多くあります。多くの外国の若者は時代の大転換点にあって、国境や文化や肌の色を超えて大切なことを学ぼうとしています。それを支えるのが私たちの役割です」。外国人との共生の時代が進む。この学園は複雑な時代状況の先端に立っている。職員の表情には安心感がみなぎっていた。

◇これも教育の場の出来事か、信じ難い中学校校長の所業が報じられている。東京練馬区の元校長は女子中学生の校内やラブホテルでの性的行為を撮影し所持していた。「削除はもったいない。妻に見つからないよう校長室に保管していた」と供述。児童売春、ポルノ禁止法違反の罪に問われた。どんな顔で生徒に対応していたのだろうか。都教育委員会はどのように受け止めているのであろうか。新宿歌舞伎町ではドロドロした大人の世界に入り込み補導される女子中学生の姿が報じられている。彼女たちが校長の事件を知れば、「校長先生だって同じことをやっている」と言うかもしれない。校長の行為は特異な例外中の例外なのか、それとも病んだ教育界の深淵を窺わせるものか。教育の危機、日本の危機を感じざるを得ない。

◇京都の医師が嘱託殺人罪に問われ実刑判決を受けた。医師免許取り消しだから元医師である。難病の女性患者は殺してほしいと頼んだ。これに応じたから嘱託殺人罪であり、また回復の見込みがなく苦痛の激しい患者を人為的に死なせる行為は安楽死の問題である。安楽死は現代社会の大問題の一つである。外国では一定のルールの下に認めているところもあるが日本では殺人である。元医師は被害者から振り込まれた130万円を全額消費。裁判長は「その日に会ったに過ぎない被害者をわずか15分程の間に、ろくに診察せず殺害に及んだ」と非難した。人命を担う医にとって最も大切なことは倫理。古代ギリシャのヒポクラテスは「医は仁」を訴えた。これは時を超えた普遍的な原理。人間性が地に落ちた享楽の世で医までもが泥にまみれているのだろうか。(読者に感謝)

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2023年12月20日 (水)

人生意気に感ず「天才輩出の謎の民族ユダヤ人とは。政治不信の大波に自民は耐えられるか」

◇今年最後のふるさと塾が迫った。23日(土)、テーマは世界を動かした謎の民族ユダヤ人だ。現在の彼らは暗いイメージである。長い歴史の中で幾度も不死鳥のように甦ってきた。最近の苦難はナチスによるホロコーストだ。およそ600万人が虐殺された。現在のハマスの攻撃はホロコーストではという批判の声が高まっている。モーゼ、イエスを初めとして世界を動かしたユダヤ人は枚挙にいとまなし。マルクス、アインシュタイン、オッペンハイマー、キッシンジャーと。40人というノーベル賞受賞者はその人口からすれば異様である。ユダヤ人を支えてきた力は宗教で彼らの神エホバは妬み深いことで有名。十戒の第一に「自分だけをうやまえ」と記す。ユダヤ人から生じたイエスは「汝の隣人を愛せよ」で、普遍の愛を基本とするからユダヤと対立する。

 今回はじめに取り上げるのはユダヤ人の脱エジプトを導いたモーゼ。昔、巨大スペクタル映画「十戒」を観た。紅海が割れる場面は圧巻だった。事実は浅い湿地帯を人々は渡り後を追うエジプトの戦車はそこに入れず引き返した。それが神話になったらしい。シェークスピアの「ベニスの商人」も語るつもり。狡猾なユダヤ人の金貸しとして描かれている。かつてキリスト教の世界では金を貸し利息をとることは許されなかった。

 最近の天才としてアインシュタイン、オッペンハイマー、ノイマン、キッシンジャーにも触れられればいい。ノイマンは数学の天才でコンピューターの父と言われた。キッシンジャーは日本の頭越しに毛沢東と会った人。日本には良い感情をもっていなかった。ロッキード事件で田中を陥れたという説も。90歳を超えて生き、つい最近亡くなった。

◇安倍派と二階波の事務所の家宅捜索が始まった。13日の国会終了から捜査が本格化。来年1月の通常国会迄が山となるのだろう。開会中は不逮捕特権の関係で捜査への支障もあり得るからだ。関係者の刑事責任、逮捕まで進むかもしれない。

 安倍、二階派に属する本県国会議員もそれぞれ「重大に受け止めたい」、「今後の捜査に協力したい」、「政治への信頼を大きく損ねていることを申し訳なく思う」等のコメントが出されている。政治不信は増加しているが刑事責任にまで発展した場合不信は更に深刻化するだろう。内閣支持率は現在22%とか23%まで落ちた。世界中で大地震や火山の噴火が起きている。まるで政治の混乱と大自然が呼応しているようだ。(読者に感謝)

 

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2023年12月19日 (火)

人生意気に感ず「重監房の衝撃。人権の碑に込められた差別と偏見を排除する思い」

◇12月15日の重監房資料館運営委員会に私は緊張した気持ちで臨んだ。人権無視の極致、その象徴たる重監房の存在意義をしっかり受け止めねばという思いがあったのだ。運営委員会の役割は重い。一般の行政に関する委員会のように表面的に流れていくのであっては重監房の歴史が泣く。

 事務局が活動報告等を行った。入館の状況が説明されるのを聞いて、学校関係がかなりあることに注目した。具体的に校名とその人数があげられているのもあった。草津中学校2年生28人、六合中学校17人などだ。この若者たちの胸に重監房の悲劇がどこまで伝えられたであろうか。私の懸念は人権の碑及び堕胎児の碑が十分に説明されたかという点である。かつて人権の碑建設委員長として関係者と一語一句を検討した会議が甦った。その文面を敢えてここに再現することにする。

「らい(ハンセン病)に感染した私たちは、百年以上の永きに亘り社会から排斥され、療養所という名の「収容所」に隔離されました。「らい予防法」による終生絶対隔離でした。これにより私たちは自らの名前、かけがえのない家族、そしてふるさとを失い、更には人としての未来を奪われました。正に「人間の尊厳」を剥奪されたのです。(中略)私たちは国と園当局に必死で対峙し、団結して人権闘争を闘い、重監房を撤廃させました。(中略)そして二〇〇一年五月、私たちはついにらい予防法違憲国家賠償訴訟で勝訴しました。一世紀に亘る国の政策が断罪されたのです。私たちは、人間の空を取り戻しました!まさに太陽は輝いたのです!この勝訴によって「人間回復」の道が開かれました。この私たちの勝利を社会に存在する不当な人権侵害を克服するための大切な拠り所にしなくてはなりません。そこで私たちのこの思い(遺言)を「人権の碑」に刻み、「人権のふるさと」栗生楽泉園から平和で人権が尊ばれる社会の構築を切に願うものです。

◇この人権の碑には、「人間回復」、「人権のふるさと」、「平和で人権が尊ばれる社会」の文言にあるようにハンセン病を超えた普遍的な意味が込められている。人間の社会では差別と偏見は永遠になくならない。子どもたちの世界に存在するいじめも根は同じである。この碑を訪れる人に碑文の核心、碑文の魂を伝えることは運営委員の大切な責務である。特別病室、日本のアウシュビッツと呼ばれた重監房でもがき苦しんだ人々を生かすことでもある。(読者に感謝)

 

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2023年12月18日 (月)

人生意気に感ず「プレハブ撤去で心に空洞。原子力の現状と今後。核融合の動き。心の文化書道はコロナ後の社会の柱」

◇12月16日、工事は終わった。裏の二階建てのプレハブ撤去に数日かかったのだ。深夜、何かに引かれるように跡地に向った。目の前に衝撃の光景があった。闇の中に芳賀中学校が白く浮かび上がっている。改めて黒い足元を見詰めた。長い間選挙戦の拠点だった舞台は消え、私は心にぽっかり空洞が広がるのを覚えた。様々な思い、人、出来事が詰まった空間が飛び去って行った。人生の一つの区切りを意識した。

◇16日は充実した一日で、尾身朝子氏の講演と書道の表彰式があった。尾身氏の話は私が代表を務めるミライズクラブで行われ、テーマは「原子力の現状と今後の進展」。資料は産経省が協力して作ったもので、最新の資料として重みが感じられた。話は、原発政策に批判的立場からもエネルギー危機の現実と課題を知る上で重要なもので引きつけられた。

 2011年の東日本大震災、原発事故後大きく変わったことがある。その一つは人材難で、原子力関係に就職する若者が激減した。かつては東大でも原子力に進むのは花形だった。東海大では原子力科がなくなるという。若者は原子力に将来がないと見ているに違いない。

 核融合研究についても国内外で進展が見られるという。核融合は水素などの軽い原子核どうしが融合する際、大きなエネルギーを放出する。太陽のエネルギーもこの原理で夢のエネルギーである。核融合の話が聞けるとは思わなかった私は質問するつもりでいた。ベンチャー企業による開発競争も活発化していることを知って意を強くした。

 また、生成AIの拡大により電力需要が加速度的に増加することなども学んだ。生成AIの利用は始まったばかりの感があるが、あっという間に大きな流れになりつつある。これが電力消費の巨大な拡大と結び付くことを知らなかったのだ。

◇書道の表彰は第74回書道展に関するもの。74年は戦後の混乱と重なる。私は挨拶の中でそれを支えたのは伝統文化であり、精神文化の書は大きな柱であったと述べた。挨拶でもう一点強調したのはコロナ禍に関するもの。コロナ後は社会が大きく変わるに違いない。それは心を重視する社会である。現在は余りに器機が発達し人間の心が失われつつあり、これは人間の危機である。そして、書がこのように盛んであることは大きな救いであると繋げた。最後に天安門で拘束されたことに触れ、書による交流は国境を超えて重要であると結んだ。(読者に感謝)

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2023年12月17日 (日)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一二六

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 とみは帰国後昭和二年三十一歳で母校日本女子大学の教授に就任、三十三歳で慈恵医大の高良武久と結婚する。女性の学者はオールドミスで終わると思われていた時代なので、三十三歳の彼女が三つ年下の男性と結婚、しかも恋愛結婚ということもあって大いに話題となり新聞や雑誌が書き立てたという。

 敗戦後は呉市長に懇願され、呉市助役となる。呉市は、軍港を初め重要な軍事施設が多く会ったところで、終戦後は多くの進駐軍が進駐し、これらの外人とのトラブルや占領軍との交渉が多かったから高良とみの経歴、特に英語力が必要とされたのである。全国初の助役として新聞で大きく報道された。

 やがて、高良とみの人生に大きな転機が訪れる。女性に参政権が認められることになったのだ。どこのまちにも、腹をすかせ目をギョロギョロさせた戦災孤児が多くいた。また、大都会には、外国人の腕にぶら下がって歩くパンパンと呼ばれる日本女性が溢れていた。

 婦人解放の問題に取り組んでいた母の姿を見て育ったとみは、敗戦の社会で喘ぐ哀れな女たちの姿を見てつらかった。婦人参政権の実現は天が与えた絶好のチャンスと思え、とみは一大決心をして参議院議員選挙に立候補する。昭和二十二年のことである。高良とみは民主党から立候補して三十四位、女性では十名中四位で当選する。

 高良とみは参院議員になって海外同胞引揚委員会に属し、その副委員長を務めていた。この委員会には、ソ連における日本人抑留者の情報が時々入っていた。高良とみは、一銭五厘の葉書一枚で戦争に召集され、激しい戦いの中で九死に一生を得て生き延びたにもかかわらず、酷寒のシベリアに送られ長く抑留されている日本人が哀れでならなかった。また、その帰りを待ち焦がれる家族の姿を見て心を痛めていた。そこで、このシベリア抑留者を一日も早く帰国させることが、国会議員としての自分の第一の使命であると固く信じて、行動を起こす機会をうかがっていた。

つづく

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2023年12月16日 (土)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一二五

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

二 高良とみの歩み

 

 高良とみは明治二十九年、和田義睦、郁子の長女として富山県富岡市で生まれた。とみは公務員である父の転勤により、新潟県の小学校に入学する。その血筋をみると群馬県と関係が深い。母邦子は群馬県佐波郡島村の田島家の出身である。邦子の祖父は、蚕種製造に成功し、「蚕聖」と呼ばれた田島弥平である。田島弥平は蚕糸業によって島村を発展させ、島村は「新地島村に黄金の雨が降る」と言われるほどにぎわったという。

 時は明治の新しい国づくりの気運がみなぎる時節、島村は近代産業である製糸業の隆盛という活気のあふれる中で、西洋の風潮も積極的に取り入れ、また、キリスト教の影響もおおきかったところである。田島弥平はパリの万国博覧会にも出かけたほどのハイカラな人物であった。母邦子は、このような時代の風を吸って、また祖父弥平の影響を受けて育った。

 高良とみは自伝の中で、母のことを次のように語る。

「母は将来島村を背負って立とうとする気概と時代の先端を歩もうとする気迫があふれた勇ましい少女だったようです。断髪に飾り羽根の帽子、乗馬袴といういでたちで、前橋女子高に通う姿は当時でもさぞ人目を引いたことでしょう」

 邦子は前橋女子高校を卒業後、横浜の共立ミッションスクールに進み、そこで西洋風の教育を受けた。邦子はやがて、アメリカ帰りの技師である公務員和田義睦と結婚しとみを産む。

 とみが小学校二年の時、日露戦争が始まり、父は測量の仕事で朝鮮に渡る。その間、邦子、とみ、とみの弟新一は、群馬の島村の母の実家に住むことになった。とみは島村の小学校に転入し、母の実家で養蚕業の実際を身近に体験する。

 しばらくして、とみは再び新潟の小学校に転入する。高等女学校もいくつか転校するが、神戸第一高等女学校を首席で卒業。大学は日本女子大英文科を卒業。その後渡米し、コロンビア大学大学院、バーナード女子大、ジョンズ・ホプキンズ大学などで学ぶ。とみのこのようなアメリカの大学生活で得た英語力は、彼女のその後の活動を大いに助けることになった。

つづく

 

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2023年12月15日 (金)

人生意気に感ず「アルツハイマー新薬は高齢社会の光明。旧統一教会・被害者救済法の骨子は」

◇高齢社会に一つの光明をもたらす新薬がエーザイから発売される。アルツハイマー病の治療薬・レカネマブである。アルツハイマー病の本格的治療に向けた新たな一歩となる。発売は米国に次いで2カ国目。エーザイは家族の介護の負担を減らせる画期的な新薬だとしている。アルツハイマー病は記憶力や判断力が低下していく恐ろしい病気。人間としての存在範囲、つまり自分の世界が狭くなっていくことを想像すると耐えがたいものを感じる。ことは自分だけの問題ではない。介護にあたる家族の負担は大変である。高齢化でアルツハイマー病の人が増えるのは確実である。それにしても科学の力は素晴らしい。この薬は脳内に蓄積する原因物質を除去する。脳の障害悪化を遅らせるという。効果が見込めるのは早期の患者、つまり軽度の認知症患者とその前段階である軽度認知障害の人である。エーザイは国内にこのような人は約120万人と推計する。この新薬の保健適用も認められる。気になるのは個人の負担額だが高額療養制度の支えもあり70歳以上の一般所得層では年14万4千円の見通し。今後介護費用の削減効果が適正に評価されれば薬価は更に変化すると思われる。かつて脳の中、つまり心の病に科学のメスは届かなかったことを考えると隔世の感がある。

◇旧統一教会の献金被害者救済法が成立した。被害者救済の原資となるべきは教団の財産であるが、これが隠匿や処分されるのを防ぐことが法の目的である。安倍元首相を銃撃死亡させた男が教団への恨みを供述した事実は社会に衝撃を与えた。家庭を破壊された高額献金の例は私たちの想像を超えて多いに違いない。被害者支援の弁護士たちの努力は救済法成立の大きな力となったと思われる。弁護士たちは指摘していた。教団は海外拠点や関連団体が多数あるから、それを利用して財産を巧みに処分してしまう恐れがあると。

 文科省は昨年旧統一教会の解散命令を東京地裁に請求した。今回成立した救済法の骨子は解散命令を請求された宗教法人が不動産を処分する際、1ヶ月前までに国や県に通知することを義務付け、通知がない場合処分を無効とする点である。大方の政党が賛成して法は成立したが、れいわ新撰組などは反対した。このような法は多くの場合妥協によって成立する。国会の議論の一つのポイントは「信教の自由」であった。救済をより厚くする包括的な財産保全策はこの宗教の自由に抵触する恐れ有りとして実現しなかった。法の今後の運用に注目したい。(読者に感謝)

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2023年12月14日 (木)

人生意気に感ず「自民党を一新する千載一遇のチャンスと首相は語るが。前橋市長選の行方は」

◇13日国会が終了し夕刻首相の記者会見が。この国会で明らかになったのは失墜した政治の信頼であった。この思いで首相の言葉を待った。果せるかな首相はこの点に決意を込めた表情で語った。私は激動の内外の情勢を想像しながら一語一語を受け止めた。

「信なくば立たず。国民の政治の信頼回復のため先頭に立つ。自民党の体質を一新します」首相はまた「複雑化する東アジアの中で来年は緊迫の一年になる。だから日本ならではの外交を展開する。そのためには政治の安定が重要です」。ここで首相は来年は千載一遇のチャンスだとも語り、そのために火の玉となって国民の先頭に立つと決意を述べた。大いに期待するが政治の世界は一寸先は闇、首相退陣の声が高まる中、高いハードルをいかに乗り越えていくのか。

 記者から内閣改造について質問があった。「人事は今調整中です」と答え、同時に問われたキックバックのことにつき「事実が確認されたら国民に説明しなければなりません」と述べた。当局の捜査は私たちの想定を超えて進んでいると言われる。私が知りたいのはこの点である。国民には知る権利がある。あらゆる事実を白日の下に晒すことこそ政治への信頼の基礎であり民主主義の基本である。

◇首相は裏金疑惑の松野官房長官の後任に林芳正前外相を西村経産相の後任に斉藤健法相をそれぞれ立てる、またその他の主要ポストも後任候補が報じられた。首相は昨日の会見で自民党の体質一新とか火の玉となって国民の先頭に立つと威勢良く打ち上げていたが果たしてそこへ少しでも近づけるのか国民は注目している。

 13日以降、特捜部の追及は本格化し厳しくなっていると言われる。その過程で何が出るか分からない。そのいかんにもよるが岸田政権の支持率は更に下落するだろう。死に体の状態では山積する課題も十分に動かせないに違いない。少子高齢化に関する問題はまったなしで進行する。日本丸は船頭がいない状況で底無し沼に沈んでいくようだ。救世主は存在しないのであろうか。

◇今年も暮れる。新年早々の最大の課題は前橋市長選である。1月28日が告示だから既に臨戦態勢である。共産党などは独自候補擁立を見送ることにした。山本市長と小川氏との一騎打ちとなるのは確実である。先日山本氏と二人で色々話した。この人の市政に関する壮大な構想を実らせる時がきた。従来行動を共にしてきたが危機に於いて本分を発揮する人。その行動力と突破力に期待して支持するつもり。(読者に感謝)

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2023年12月13日 (水)

人生意気に感ず「“頭悪いね”と言う頭が悪い議員。岸田派にも及ぶのか。首相退陣論の行方」

◇国会の動きは奇怪である。松野官房長官辞任の声が高まっていた。それが、不信任案が提出され否決され官房長官は継続となった。国民世論と国会の動きには大きな食い違いが感じられる。国民の国政への不信と怒りは高まっている。昨日、党費をこつこつ集めている党役員に会った。党員に「厳しく叱られ、党費は払わない」と言われたという。

 キックバックを受けた安倍派議員の名が続々とあがる。この動きは続くに違いない。13日、国会閉幕と共に検察の動きが強まる中で捜査された議員や事務所の実態があぶり出されるからだ。

 キックバックの事実は地方議員の間にも見られるに違いない。国会での指摘と追及があった。政治と金の関係につき同様な構造にあると見るべきだから地方議員も同様と見るのがむしろ自然だろう。ここで強く懸念されるのは「赤信号みんなで渡れば恐くない」という心理の広がりである。一方で市民の政治不信は増すだろう。

◇議員の罪の意識が薄いことを窺わせる事実があった。最大のキックバックを疑われている谷川弥一氏。表情をこわばらせて言った。「頭悪いね。これ以上言いませんと言っているじゃない」。同氏は4千万円超の環流疑惑に晒されている。更に厳しい声が向けられた。「頭が悪いという声は国民に向けられたものですか」と。新聞は公器であることを踏まえ、テレビという公開の場でのやりとりを考えれば「頭が悪い発言」は国民に向けられたと捉えられても仕方がない。谷川氏は自分の頭の悪さを暴露したことになる。仮に選挙になった場合、谷川氏に国民はいかなる審判を下すのか非常に興味がある。

◇現在のキックバックの問題の特色は、議員一般を覆う罪の意識のなさ、あるいは軽さと国民一般の怒りが混沌と渦巻く状態にあることだ。その解決方法は国民が選挙によって厳しい審判を下す以外にない。現在民主主義は危機にある。選挙によって国民が賢明な答えを出せないなら、それは衆愚政治ということになる。

◇岸田派よお前もかと言いたくなる。首相の派閥にも2日パーティ収入数千万円の不記載が明らかになった。派閥という組織に不可避に結び付いている問題なのか。とすれば野党にも何かがあるかも知れない。政権は崖っぷちにある。無派閥からは首相退陣論が公然と上がり始めた。その急先鋒は元幹事長の石破氏だ。来年3月新年度予算成立後の退陣を主張する。(読者に感謝)

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2023年12月12日 (火)

人生意気に感ず「再び思う特捜の覚悟。解散の可能性高まる。ゴリラに学ぶ人間の本質」

◇特捜部はどこまで迫れるのか。手に汗握る瞬間が展開されているらしい。政権側は12月13日の国会終了まではと逃げの一手と見える。しかし実際の捜査は日ましに本気度を強めていると言われる。疑惑の本質はどこにあるのか。国民の素朴な感覚が大事である。それは賄賂性である。なぜ巨額の金を提供するのか。見返りがあるからに違いない。大きな政治権力を有利に動かしてもらえるという期待である。5年の時効期間を超えて構造的に長く続いていることは確かな見返りがあることを窺わせる。

 ロッキード事件やリクルート事件などで活躍した最強捜査機関・東京地検特捜部が社会正義の危機に当たりその存在をかけている姿勢が伝わってくる。疑惑の対象者は安部派を超えて非常に多い。従って捜査は物理的にも厳しさが予想される。そこで全国から応援検事が参加し、更に特捜部主力の特殊班も全力を注いでいると言われる。中でも特殊班のリーダーの堀木検事はかつて森友学園事件で籠池前理事長の取り調べで辣腕をふるったことでも知られる。

 私は先日のブログで首相の選択肢として解散があり得ると書いた。今、ある観測が強まっていると言われる。それは今月13日の国会会期末に野党が内閣不信任案を出し総理はそれを受ける形でサプライズ解散するというもの。憲法は解散から40日以内に総選挙をすると規定。これからすれば投開票は来年1月21日になる見込み。因みに1月21日は仏滅であるが、それは瑣末なこと。岸田氏の覚悟が見もの。

◇文芸春秋で面白い記事を読んだ。ここに記すに値する。著名な霊長類学者山極寿一氏のゴリラの話だ。人類の進化の歴史に心を躍らせた。湯川秀樹のもとで物理を学ぼうとして京大理学部へ進学するがある人との遭遇がきっかけでゴリラ研究者の道へ。突然京大総長に任命され、その記者会見で座右の銘を聞かれ「何が起こってもゴリラのように泰然自若」とこたえた。山極氏はゴリラを徹底的に研究することで人間を知ろうとしているのだろうか。サルやゴリラと同じ目線で自然を眺めることで人間であった時には気づかなかったことに気づくという。「サルを研究するのでなくサルになれ」とも。私はかつて動物園で長時間ゴリラを観た。哲学的ともとれる表情は人間をじっと観察しているようで飽きない。人類がゴリラの祖先と分かれたのは地球の歴史と比べればほんのわずか前。人類はどこへ向かうのか。ゴリラがそれに答えているようだ。(読者に感謝)

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2023年12月11日 (月)

人生意気に感ず「特捜はキックバックにどこまで迫れるか。池田大作の死の衝撃度。日中友好青年会の意義」

◇物価高や少子高齢化に関する諸問題が師走の市民を駆り立てる。一方政界はにわかに現れた感の「キックバック」騒動で天下大乱の様相である。問題の本質は政治不信である。多くの政治家に罪の意識がないことが深刻化を加速させている。首相のラッパ「異次元」対策も政治不信の嵐の前で虚しく響く。政権の要、松野官房長官の裏金疑惑が一際大きく報じられ1日2回の記者会見は晒し者の舞台となっている。泥舟の岸田政権は持たないこと必至。轟々たる世論の前で東京地裁特捜部は威信をかけて頑張るだろう。今月13日臨時国会終了と共に国会議員の捜査が本格化する。会期中は議員の不逮捕特権の関係があるからだ。身に覚えのある議員たちは既に怯えているに違いない。事は安倍派だけの問題ではない。自民党全体の問題であり、日本の政治は危機にある。

◇日本全体が大きな転換期にある。自民党の大乱はその一つの象徴である。根本的なものを変革しなければ日本は立ち上がれない。自民党だけの問題ではないのだ。折しも池田大作氏が11月15日95歳で亡くなった。日本最大の教団の政治的パワーに大変化が生じるのは不可避である。

 私は少年の頃から創価学会とは直接間接関わってきた。家が貧しかったため地域学会員の執拗ないわゆる折伏の的となった。軽薄な現世利益を説く姿は私のプライドを傷付けた。それは現在の旧統一教会と重なる。宗教のパワーの本質にはその単純な一途さがあるに違いない。その中心にあったのが池田氏のカリスマ性であった。その吸引力は絶大であった。東大駒場寮時代、部屋に仏壇を置いて熱心に信仰に打ち込む知人がいた。学会の集票力の源泉には信者がひたすらに信者以外にも働きかけるパワーがあった。その創価学会にも今大きな変化が進んでいたと言われる。その一つは信者の高齢化であった。そこに合せて池田氏の他界である。多くの信者は精神的支えを失ってその衝撃波を乗り越えられるのか。公明党との関係で懸念されるのは憲法の政教分離があいまいになることである。自民党は公明党との関係をすっきりさせるべきだ。それこそが最大の改革であり国民の信頼を回復に繋がる道である。

◇群馬県日中友好協会青年会の忘年会が行われた。私は来賓として出席し発言した。次はその要点だ。「日中の関係が益々重要になる中、日中の未来を担うのは若者である。隣県とも連携して会を発展させたい」(読者に感謝)

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2023年12月10日 (日)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一二四

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 高良とみはパリのユネスコ会議に出席し(パリ行きのパスポートは取得していた)、ヘルシンキを経てモスクワの国際経済会議に出席した。ソ連はパスポートのない彼女を受け入れたのである。

 モスクワ国際経済会議での高良とみの出番は、昭和二十七年四月九日だった。着物姿で行った約四十五分間の英語のスピーチは、会場が割れんばかりの拍手を得た。その様子は、モスクワ放送で報じられた。そしてその後、グロムイコ外務次官からの連絡を受け、会うことができた。

 ここでは、抑留されている日本人捕虜の収容場所、人数、志望者の名簿の公開、墓参、現在収容されている人々との面会などについて、長時間にわたって話すことができた。

 経済会議でのスピーチの素晴らしい反響や日本の政府から批判されている国会議員であること、そして、実際に会ってみて彼女の真摯な態度に動かされたことなどからグロムイコは、ハバロフスクの収容所を訪問することを特別に許可したものと思われる。許可した上で、都合の悪いことは見せないように中央から指示したのであろう。かくして、演出された収容所の一部を高良とみに見せることになったのである。しかし、それにもかかわらず高良とみのハバロフスク収容所訪問の意義は大きい。

 野党の国会議員でもこれだけのことができた。それを可能にした主な要因は、逮捕の危険までも冒して実行した高良とみの勇気と信念と行動力である。もちろん、野党の国会議員だからこそできたということもいえよう。しかし、それにしても高良とみの行動は、日本の国会議員として、なし得ることがあることを証明したことになる。冷戦構造の中にあって、いかに政治の壁が厚く高かったとしても、なし得ることをぎりぎりまで努力しなかったことに対する政府や与党国会議員への批判は免れない。その後社会党議員団のハバロフスク収容所訪問が行われたことがあった。結局、昭和三十年に首相鳩山一郎が日ソ交渉をなし遂げて抑留者全員の帰国を実現させるわけであるが、祖国を思う同胞の苦しみを思えば、その間、政府与党はなぜもっと必死の行動をとらなかったか理解に苦しむのである。

 

つづく

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2023年12月 9日 (土)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一二三

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 終戦のとき、四十九歳であった高良とみが、ハバロフスクの強制収容所で被収容者と出会うまでの軌跡を戦後の動乱の社会を背景にして、ごく大雑把に見ることにする。

 

 昭和二十年八月六日広島に、次いで九日長崎に原爆が投下された。そして、八月八被、ソ連は日ソ中立条約を無視して満州に侵入。このような流れの中で、日本はポツダム宣言の受諾を決定し、八月十五日天皇のラジオ放送で戦闘は停止された。

 さて、満州を守る関東軍は終戦に近づく頃は、その主要な部分は、南方の備えに回され、形だけのものになっていた。ほとんど戦う力もない状態のところへ、ソ連軍は、怒濤のような勢いで攻め込み、日本軍は武装解除され、約六十万人の兵士は、シベリアを中心としたソ連各地の収容所に連れ去られていった。祖国日本へ向けて、各地から兵士の引き揚げが始まる頃、日本とは逆方向への強制的な連行が始まり、その先には、新たな、より過酷な「戦い」が待ち受けていたのである。ソ連への強制抑留は、昭和二十年八月から始まった。

 このころ、日本国内では歴史上かつてない大きな変化があった。

 昭和二十一年に日本国憲法が公布され、その下で行われた参議院選で、高良とみ初当選したとき、彼女は五十一歳だった。戦後、初めての婦人参政権が認められたことの成果であり、男女平等の大きな前進として、日本の歴史の上でまさに、画期的なことであった。

 高良とみの動きが注目を集めるのは、国交のないソ連に日本人として初めて、ましてや国会議員として初めて、鉄のカーテンをくぐって入ったからである。米ソ対立の冷戦下その勇気ある大胆な行動は、日本ばかりでなくアメリカをも脅かす世界的なニュースとなった。

 出発は、昭和二十七年三月であるが、高良とみは旅券法違反で逮捕されることを覚悟して出国した。これは、アメリカとの間の関係に神経を使う、時の吉田政権が高良とみのソ連訪問に強く反対して、ソ連へのパスポートの発行を認めなかったからである。

 前年の昭和二十六年、ソ連などを除いて、アメリカを中心とした国々との間で平和条約を結び、その発効が昭和二十七年四月であり。高良とみの出発は、その直前の三月ということで、首相吉田茂はアメリカとの外交関係に影響することを恐れていたのである。

 

つづく

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2023年12月 8日 (金)

人生意気に感ず「日本社会が縮む。それは介護崩壊だ。多子世帯の大学無償化を。 地下道水攻めの無慈悲さ」

◇日本の社会が急速に縮んでいく。少子高齢化は不気味に足元を揺り動かす。喫緊の課題は高齢者介護の状況である。介護を支える人手不足は深刻な人権問題とつながっている。

 厚労省はこの度「離職超過」が生じていることを明らかにした。介護職から離職する人がこの分野に入る人を上回る状態を指す。問題は賃金格差である。他の分野と比べ賃金が格段に安い。高齢者を支えたいという志に頼ることは出来ないのだ。間もなく高齢者人口はピークを迎える。私たちを待ち受けるのはいわゆる42年問題。2042年に団塊ジュニア世代が全て高齢者となり高齢者人口は4千万人のピークに達すると予測される。その時、介護はどうなるのだろうか。介護の現場の声は悲痛である。「40年度には69万人の介護職員の不足が予想され、10年後には団塊の世代が85歳となり6割は要介護者になる」

 ヘルパーの高齢化も深刻である。現在、ホームヘルパーの平均年齢は54.7歳。「介護崩壊」が迫っているのだ。総合的に、そして抜本的に手を打たないと手遅れになる。外国人の活用、介護ロボットの一層の導入拡大などだ。

 首相は「異次元」という用語を少子化対策のキーワードとして打ち上げたが、高齢者介護の分野でも異次元の対策が求められる。

◇政府は異次元の少子化対策の内容を具体的に一歩進めようとしている。それは「多子世帯の大学無償化」である。3人以上の子どもがいる世帯で2025年度から大学授業料を無償にする方針である。対象につき所得制限を設けない。大学には短期大学や高等専門学校も含める。教育費の負担軽減により子どもを設けやすくする狙いである。首相は高等教育の支援拡充に意気込んでいる。人材育成は日本の未来への扉を開くカギ。最近子ども達の学力向上が国際比較で脚光を浴びているが、大学無償化はこの方向を後押しするものとして期待したい。

◇ネタニヤフ首相の顔が無慈悲な悪魔の化身に見える。ハマスの要塞地下道に海水を入れることに言及した。日本の戦国時代秀吉は水攻めを得意とした。子どもや女性がひしめく地底深くへの水攻めはその比ではない。アドバルーンを上げ世界の反応、特にアメリカの反応を窺っている節もある。アメリカの言うことにしか耳を傾けないイスラエル。もし許すとなればアメリカは同罪である。イスラエルの考えていることはナチスのホロコーストと変わらない。今、私たちは大戦争の瀬戸際にある。(読者に感謝)

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2023年12月 7日 (木)

人生意気に感ず「週休3日制の意義。ルフィの逮捕と犯罪の国際化。有県施設を発電所に」

◇県は来年度に週休3日制を試行する。前橋市がこの夏に試行した。都道府県で取り組むのは珍しい。県と市がよく連携していることを窺わせる。山本市長は過日、知事が頻繁に市長室を訪れると語っていた。私は長いことこの二人の姿を見てきた。草津出身同志には共通するものがあるようだ。私が県議会に居た頃、県政のある大先輩が「政治は情だ」と言ったことがある。情を強調し過ぎるのは誤りだが、理念の一致を踏まえた上で情の役割は非常に重要である。「政治は理念と情だ」といえるだろう。私は二人の山本を見てそう感じてきた。

 週休3日制は働き方改革の問題である。進歩した器機の導入等により労働環境は革命的に変化した。1日の勤務時間を延ばし総労働時間を変えず出勤日を一日減らす。そして知恵と工夫を凝らし県民サービスを向上させることが理想である。今や時代は少子高齢化が加速し人口減少のただ中にある。週休3日制はこの社会現象の中で一つの活路を生む契機になり得る。前橋市と県は慎重に研究を重ね良い先行例を実現して欲しい。この動きが県内全行政に波及すればその効果は大きいに違いない。

◇ルフィを名乗り広域強盗を指示していた特殊詐欺グループの4人が再逮捕され事件は大詰めを迎えた。フィリピンを拠点にした4人は役割を分担し、若者を闇バイトに誘っていた。4人の悪人面が表紙を飾る。フィリピンでの傍若無人ぶりはかねて報じられた。特殊詐欺は人々が根無し草と化したような現代社会の象徴。金のために若者はいとも簡単に犯罪に手を染める。犯罪の国際化に厳しく対応しなくてはならない。老子の言葉にある。「天網恢々疎にして漏らさず(てんもうもうかいかいそにしてもらさず)」、天の張る網は広くて粗いようだが悪人を漏らすことはない。犯罪人引渡条約がないフィリピンが悪事の拠点となっていた。今回フィリピンの協力があってうまく進んだ。フィリピンで法の網を逃れている例は多いのではないか。日本が犯罪人引渡条約を結ぶのはアメリカと韓国のみ。犯罪の国際化が加速する。日本の治安維持と世界のそれは繋がっている。国際化時代の犯罪対策について改めて考える時だ。

◇県は県有施設と県有地で大規模な太陽光発電導入計画を示した。県立学校の屋根などが発電所に。一般家庭約1万5千世帯分の発電である。技術的には直ぐ可能だし範囲はいくらでも広げられる。地球危機打開のカギは身近にいくらでもある例だ。(読

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2023年12月 6日 (水)

人生意気に感ず「キックバックにうろたえる議員、岸田首相の優柔不断。ぐんまマラソンの波及効果」

◇旧統一教会の問題は今年を振り返って日本の社会を震撼させた最大事件の一つだった。憲法で保障される信教の自由を手段として善良な市民を欺き家庭を破滅させる。その闇は国家の根幹を傷付け日本社会を危うくさせている。選挙で票が欲しい政治家が砂糖に蟻が群がるように集まった。ある意味でオウム真理教以上に深刻。その旧統一教会がいよいよ解散に追い込まれようとしている。一方で人々の関心は急速に薄くなっているようにも見える。教会に関わった国会議員は嵐が通り過ぎた状況の中で胸を撫で下ろしているかもしれない。

 そんな中で「キックバック」という妙な現象が頭をもたげた。以前からあった問題で身に覚えのある多くの議員は戦々恐々である。

 追い打ちをかけるように、岸田首相が旧統一教会の友好団体トップと面会した写真が大々的に明るみに出た。首相がきちんとした説明をしないために疑惑と混乱が広がっている。首相はこれまで教団との接点があった自民党議員に点検と説明を求めてきた。従って自らの説明責任が問われるのは火を見るより明らか。

 旧教団関係の重要人物との面会は首相が政調会長の時のことで安倍元首相の要請で行われたというから、事実の記録が存在するのは明らかだ。変に隠そうとするから不信を大きくする。次々に押し寄せる大波を自民党は乗り越えることができるのか。自民党にとって構造的な問題であり、余りに多くの人が関わっているから解決を託そう人物はない感がある。この閉塞状況を打開する唯一の道は解散によって国民の信を問うことではないか。今選挙すれば負けるというのが大方の見方であるが、野党は弱い。国難を真摯に訴え乾坤一てきの賭けに出る道が残されているのではなかろうか。

◇県は4日、県議会の一般質問に答えて11月実施のぐんまマラソンの経済波及効果を発表した。3億5,300万円だったという。参加者は年々増え、今回は全国から1万4,726人が晴天の秋空の下走った。この金額の算出根拠はよく分からないが、多くの人々に精神面を含めた健康上の良い効果を及ぼしたに違いない。それは数字に現れない成果だろう。私は83歳で10キロを走りその達成感と共にこのことを確信した。先日中国大使館を訪ね来年のぐんまマラソンに中国からの参加を検討した。コロナ禍で中断したものだ。ぐんまマラソンの国際化が加速する一歩になればと思う。先日北京の大地を走りながらこのことを痛感した。(読者に感謝)

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2023年12月 5日 (火)

人生意気に感ず「世界を動かした奇蹟の民ユダヤ人をふるさと塾で。働く女性を真に支えることこそ」

◇奇跡の民ユダヤ人に対し、今非道の民との非難が寄せられている。謎の民族ユダヤ人とは何か。ハマス・イスラエル戦争の行方に胸を痛めつつ「ふるさと塾」のテーマに世界を動かしたユダヤ人を取り上げることにした。折しもユダヤ人ヘンリー・キッシンジャーが先日100歳で世を去った。ナチスを逃れてニューヨークに渡りハーバード大学で記録破りの業績を残し、政治の道に進んでは中華人民共和国との関係修復の道を開いた。その波乱万丈の人生は項を改めて取り上げねばならない。モーゼやイエスを初めとした空前の思想家と天才たちは人類の歴史に文字通り最大の影響力を発揮してきた。その分野は思想から始まり、科学、芸術、産業、金融、医学等人間活動のほとんど全てに及んだ。

 輝かしい特異の存在はその選民思想と共に長い歴史の過程で悲運を招く要因にもなった。ナチスのヒトラーがなぜあのようにユダヤ人を憎みホロコーストを引き起こしたかは私たちの理解の範囲を大きく超える。このことが結局自らの首を絞める結果となった。

 世界を動かしたユダヤ人を取り上げる場合、その存在があまりに多様であるため誰から始め誰まで及ぶかに迷う。その上で今月のふるさと塾(12月23日土曜日)はアインシュタインを始め、何人かを取り上げるつもり。アインシュタインは、科学の歴史の上のみでなく日本の運命についても深く関わった人物である。今年最後のふるさと塾の冒頭を飾るテーマにふさわしいと考える。塾を進化させねばと考えていた。かつてコロンブスを取り上げたことがあった。新大陸の発見は、発見された側に立てば恐ろしい時代の幕開けだった。あれから530年を経て、今宇宙時代である。アインシュタインが開いた科学の扉は果てしなく広がっている。人類はどこに向うのか。膨張する宇宙に終わりはあるのか。宇宙船地球号の一員たることを自覚しながら新時代の旅を続ける一歩としたい。

◇働く女性が増えている。総務省の調査では全国の働く女性は3,000万人を大きく超え、その就業率は53.2%。女性は家庭を守り育児に当たるという私が子どもの頃の姿を考えると隔世の感がある。人口減少社会に於ける自然の流れであるが課題もある。その一つは、非正規労働者が男性に比べ多いことだ。安定した働きやすい職場環境を整えることは女性の平等を確保し少子化対策にも繋がる。官民が力を合わせること、特に地方社会がその特色を活かして成果を上げることが求められる。(読者に感謝)

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2023年12月 4日 (月)

人生意気に感ず「パーティ券をキックバックは民主主義の危機。政治不信は国難だ。我が家に新しい家族が」

◇支持率急落の自民党にとって泣きっ面に蜂だ。安倍派のパーティ券に関しノルマを超えた分を議員が裏金としてキックバックを受けていた疑惑である。東京地検特捜部は政治資金規正法違反容疑で調べている。新聞は降って湧いたように一面で連日報じ始めたが、長く続いてきた実態であり安倍派だけの問題ではない。マスコミがこれまで報じなかったのは結果として事実を容認してきたと取られても仕方がないのではないか。少なくとも党と議員に罪の意識を薄くさせる効果があったと思われる。真実、寄付された金だからという認識の下、収支報告書への不記載を軽く捉えた一面あったに違いない。

 民主主義を支える上で事は重大である。集められた金で選挙が動き政治が運営されるのだから。政治資金規正法は「国民の不断の監視と批判の下で政治活動を行うこと」を目的に掲げている。

 どろどろとした実態が白日の下に晒され、岸田政権と自民党の支持率は更に下がるだろう。もう後がない。党の幹部のあたりから、「自民党の終わりになりかねない」、「底が抜ける」と言った声が聞こえてくる。

 長い間権力を握り続けた自民党のおごりがあるに違いない。今選挙したら大敗は必至。選挙だけではない。政治への不信が地に落ちれば様々な課題を抱える中で政治の推進力がなくなる。正にこれは国難と言わねばならない。国民は問題の重大さを認識すべきである。

◇我が家に家族が増えるかもしれない。最近、白黒の野良猫が出没するようになった。遠くから観察し様子を窺っているようだ。私もいつしか興味を抱くようになった。〈なかなか賢い奴だ〉。細い道で車が来るとサッと身を避ける。〈どうして野良になったのだろう〉。段々距離が縮まってきていた。ある時頭を撫でた。「おい、寒いのか」「にゃー」頭を上げてこたえた。初めての会話であった。一定の認知を得たと受け取ったのか、屋敷に入り込むようになった。そんなある時、松の下でうずくまる姿を見て妻が言った。「おまえ、寒いでしょう」。次の朝、軒下の一角に段ボールが置かれ中にタオルが敷かれ餌の皿にさん太のドッグフードが分けられていた。先代トコと同様なパターンが進んでいる。トコの場合は最初の一冬中猫嫌いだった私の目を欺くため段ボールは2階のベランダの隅にあった。

妻は私の反応を見て、動物病院へ行き病気の有無を捜査し避妊手術をしてくると言っている。これから家族の一員としてどのように落ち着くのか楽しみだ。

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2023年12月 3日 (日)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一二二

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 高良とみは、収容所で見たものが偽装であることを疑わなかった。当時の新聞をみるとこのことがよく分かる。彼女はソ連から中共、スイス、インドなどを回って帰国に向かうが、昭和二十七年七月十三被の朝日の夕刊は、ニューデリーで高良とみが、「ソ連で十八人の戦犯に会ったが、人道的な良い扱いを受けており、ただホームシックにかかっているようだ」と語ったことを。また、七月十六日の朝日の朝刊は、羽田に着いた高良とみが、歓迎の人々に囲まれて、「戦犯の人々は、労働は一日八時間で、週一回の映画会、劇や音楽会もあるそうだ。欲しいのは日本の食べ物、読み物、新聞だと口をそろえて言っていた」と説明したことを伝えている。

 そして、女性の集まりでの帰朝報告の中で、これら病人に会って、なんと気の毒な方々なのだろう、私は三四日は、本当に眠れなかったと述べている。重症の患者は、別の所に押し込められて会えなかった訳であるが、実際にその人たちの姿を見たら、高良とみはどんなに驚いたことであろう。

 高良とみは後に、この収容所から帰国した者が語ったことから、自分が捕虜収容所で見聞きしたことがつくられたものであること、また、日本人の墓地と言われて祈ったものが実は中国人や朝鮮人の捕虜によってにわかに造られた偽の日本人墓地であることを知って驚愕するのである。

 強制収容所の日本人は、自分たちの実情を少しでも祖国に伝えたいと願っていたから、日本の国会議員と接触することは、まさに絶好のチャンスであった。しかし、彼らはこのチャンスを十分に生かすことができなかった。なぜなら、一部の者が情報を得ていてもそれは不確かで、高良とみの人物と来訪の意味を正しく理解できなかったからである。

 高良とみが最初の日本の国会議員として、シベリアの強制収容所を訪れたという事実を私たちはどう受け止めたらよいのか。収容所の人々は、日本政府は、やればできることを何もしてくれないと、もどかしく思ったに違いない。

 それはともかくとして、高良とみの勇気と行動力は大したもの。高良とみはどのような人物か興味をそそられる。

つづく

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2023年12月 2日 (土)

シベリア強制抑留 望郷の叫び 一二一

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 愛知県出身というある男は、紙片に名前と住所を書いて渡しながら悲痛な表情で言った。

「私は運転手だったのですが、徴用された後に特務機関に入れられました。裁判ではスパイ行為をしたとして二十年の懲役です。こうなっては死んだほうが良いと考えています。妻には再婚せよと言いました」

「でもお母さんが待っておられるでしょう」

高良とみは思わず言った。すると男は、きっとなってとみを見詰め、顔色を変えて言った。

「母は待っています。しかし、私のことは伝えないで下さい。その紙を返して下さい」

 男は手を伸ばすととみの手から、さっと紙片を奪うと布団をかぶってしまった。とみは、小刻みに震える布団をじっと見詰めていた。日本軍が厳しく兵士に教えた、「死んでも虜囚となってはならない」ということが深く男の心にあって、母親に恥ずかしい思いをさせたくないと考えたのであった。

 高良とみが生活に不自由はないか、チョコレートを持ってきたが、と聞くと、彼らは生活には何も困っていない、小遣いもあるからチョコレートはいくらでも買える、ただ日本の雑誌や新聞が手に入らない、日本の批判をやってみたいが本がない、と語った。

 生活に困っていないとか、チョコレートがいきらでも買えるなどということは、まったく事実に反することで、警戒兵と通訳の前で、そう言わざるを得なかったのである。むしろ、新聞や雑誌を手に入れたいという所に狙いがあった。日本人を批判するためにという口実もソ連兵を欺くための知恵であった。高良とみは、家族との葉書の交信や雑誌の送付を約束して帰国したが、やがて約束通り葉書のやりとりが出来るようになり、日本の雑誌が手に入るようになった。

 一般の捕虜(短期抑留者)は、日本との文通をある時期から許されていたが、これらの人々が帰国した昭和二十五年の春から、長期の戦犯たちにはそれが禁止されていた。しかし、高良とみの尽力により再会されたのであった。雑誌を通して知る日本の変りように収容所の人々は驚いた。生活には何も困っていないとやせ我慢の発言をしたが事実はまったく逆で、収容所の過酷な扱いによって生存の危機にまで追い詰められた日本人被収容者は、ついに生命をかけて闘争に立ち上がることになる。かの有名なハバロフスク事件は、高良とみがこの収容所を去ってから、およそ三年半後の昭和三十年十二月のことであった。

つづく

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2023年12月 1日 (金)

人生意気に感ず「選挙の歴史、プレハブを整理した。中国大使館へ。北京を振り返って」

◇11月30日、身を切るような寒気である。この冬一番であろう。裏の2階建てプレハブを業者が整理した。30年近い議員生活に関わる夥しい品物だ。忘れ難い思い出が結び付くものも多い。妻の強い要望もあり思い切って処分することにした。大きなプレハブの東にある2つのボックスにギリギリ大切なものを運び込んだ。

 最近の異常気象は凄まじい。轟々たる強風には常に恐怖を抱いてきた。屋根が飛んだら近所に迷惑がかかる。火が出たらどうする。こんな状況と思いが私を決断させたのだ。幾日かかけて妹と友人が整理を手伝った。これから選挙に出る複数人が必要な物を運んだ。20箱程の紙の山が消えた。必勝と日の丸を描いたハチマキを持って行く人もいた。時代は変化して、今日の選挙ではほとんど使わない。広場を埋めた総決起大会の光景が甦る。改めて大きな選挙を続けたものと振り返る。

 一角には数千冊の書があった。私の屋敷は至る所本の山であるがなかなか捨てがたい。選択の結果をボックスに移した。数人の業者が去った後の空間に立つと複雑な気持ちにおそわれる。選挙に関わった多くの人がこの世を去った。ガランとした空間は多くのことを物語っていた。『83年を生きた』そんな思いが込み上げる。

今日から師走。プレハブ小屋の整理は私の人生の一つの節目である。鉄骨の解体は12月の半ばになる。更地の状況はまた複雑な思いが突きつけることだろう。

◇午前2時になる。窓外の闇は静かである。2時45分にいつも通り走り、7時36分の前橋駅発で上京する。中国大使館に午前10時ということになっている。いろいろな日中友好協会の行事の打ち合わせである。コロナ禍で中断となっていたものが動きだす。先日の北京訪問もその一つだ。毎日走る度に北京の朝を思い出す。天安門の夜明けは厳しかった。それは零下の気温だけではない。ピリピリした政治状況である。「激動の北京」8編を小冊子にまとめた。この中の一つのハイライトは天安門である。反スパイ法の現実を肌で感じた。天安門に掲げられた毛沢東の姿は近現代の中国の歴史と重さを物語っていた。キッシンジャーは毛沢東に初めて会って、現代の巨人と評していた。そのキッシンジャーが100歳で死去したと昨日報じられた。著名なユダヤ人の闘争をどう見ていたのか知りたかった。世界を駆けて大局観をもって事態の収集を図るキッシンジャーが今こそ求められている。束の間の休戦のガザを思う。(読者に感謝)

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