人生意気に感ず「いい夫婦で思うこと。悔恨の土下座」
◇11月22日は「いい夫婦の日」であった。いい夫婦は1122(イイフウフ)の語呂合わせであるが、ある新聞社等が夫婦の会話を増やし明るく健全な家庭をつくる目的で定めた。他者と良い人間関係を築くことは簡単ではない。まして特別に密な関係である夫婦においては人生の一大事である。一つの言葉が相手を深く傷付けたり喜ばせたりする。会話は音声によるだけではない。目は口ほどに物を言う。一つの空間で共同生活をする場合、この会話は一層重要な意味をもつ。コロナ禍で夫婦が一緒にいる時間が増えたことが様々な事態を生じさせたことが明らかになっている。
「今日はいい夫婦の日だった?」、その日3人で食事をしながら娘が面白そうに言った。どうなっているのと言わんばかりだ。老いた妻の姿を前にして過去の出来事が瞬時に甦った。
私は83歳を迎えたがこの女性とは40年以上行動を共にしてきた。前の妻をガンで亡くし再婚したからだ。様々なドラマがあったが、それは県議選の総決起大会である。群衆が広場を埋めていた。選対幹部は一つの決定をもって私に迫った。壇上で私たちに土下座をしろというのだ。妻はそっと呟いた。「もう選挙はしたくない」。私の選挙はほとんどがボランティアによって支えられていた。前回約200票の差で落選した後の補欠選挙で、皆必死だった。断れる状況ではなかった。私は言った。「高い所に立って大切なことを頼むのは失礼だから手をつこう」。妻は無言であった。教師を長く続け、政治への理想を信じて選挙に飛び込んだ彼女には苛酷な現実だった。行動を共にした幼い娘にとっても残酷な舞台であった。「どうしたの」と妻。「うん、昔の選挙のことを思い出していた」。妻も娘も私の胸中を察したようだ。箸を取り直して、妻と娘に対する感謝の念をかみ締めた。いい夫婦の日の思わぬ会話になった。
◇明日は「ふるさと塾」。ハマスとイスラエルの極限を語る準備をした。多くの人は問題の本筋を捉えていない。「地獄とは地上にありと閻魔言い」とどこかの川柳にあった。この地獄を終息させるために中国及び日本の役割は大きい。今私の胸には北京の一週間がある。ピリピリとした天安門広場で私の原稿にスパイかと厳しい視線が注がれた時、この厳寒の広場がガザ、イスラエル、そしてウクライナに繋がっていることを感じた。「北京の今」(仮題)を小著にまとめた。塾ではこの内容も話そうと思う。直ぐに師走がくる。(読者に感謝)
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