シベリア強制抑留 望郷の叫び 一一二
※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。
期間は三ヶ月とのことである。青柳さんたちは、三ヶ月という期限を再三確認して、四〇キロメートルほど離れた伐採地に入ることになった。やっと近づいた祖国が遠ざかってゆくと思うと身体から力が抜けてゆく。ソ連のやることは信じられない。三ヶ月というが、はたして約束は守られるのか。青柳さんたちダガラスナ組は自分たちの不運を怨んだ。
しかし、冷静に考えてみると、日本海に面したナホトカまで来ていることは事実なのだから、ダモイ(帰国)が不可能になったわけではないだろう。今、重要なことは、怠けたりして懲罰など受けないことだ。懲罰として、もっと奥地へ送られたりしたら、ダモイが本当に不可能になるかもしれない。青柳さんたちはこう思って、またノルマ達成に向けて真剣に作業に取り組むのであった。
青柳さんは、この作業場で小さな幸運に恵まれた。山作業に入って二日ほどしてから、ロシア兵士約八人の宿舎当番を命ぜられたのだ。宿舎当番の仕事は、普通短期間で交代になるが、青柳さんの交代はなく長くやった。その理由は兵士の食べ物をつくっている時、口に入れたりポケットに入れたりしなかったからだ。
捕虜たちは、ここでも常に空腹であった。だから目の前で温かい食べ物が煙をあげていれば、隙を見て口に入れたくなる。しかし、それをやると口のまわりが油でぬれていてすぐに分かる。兵士が、物陰から見ていることもあった。青柳さんの実直な姿が高く評価されたのだ。
約束の三ヶ月が過ぎたが、状況に変化はなかった。また欺されたのか、青柳さんたちは焦った。仲間で何度も会議をし、代表を立てて催促もしたが答えはない。四ヶ月が過ぎようとしていた。恐ろしい冬が進みつつあった。人々は、今年の冬こそはシベリアではなく日本で過ごせると思っていた。日ごとに増す寒さと募る絶望感を乗り越える気力も体力も、もはや人々には残されていなかった。
つづく
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