シベリア強制抑留 望郷の叫び 一一八
※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。
この収容所は、被収容者のほとんどが高学歴のインテリ層であった。それはかつて、満州で関東軍将校、特務機関員、警察官、通信の仕事などに携わっていた人々が収容されていたからである。彼らはその前歴ゆえに「侵略」にかかわったという理由で、戦犯として長期の刑に服していたのである。それだけにロシア語に堪能な者も多く、ソ連の新聞など、限られた情報源から自分たちに関係する情報を入手する者もいた。この時も、日本の国会議員が来るらしいという情報を一部の者は得ていたのである。しかしそれは、首をかしげるような、にわかには信じられないようなことであった。日本政府のパスポートをもらえないでやってくる、女の国会議員だというが、はたして女の国会議員なんていうのがあるのだろうか。日本の戦後の大きな変化を知らない収容所の人々は、仲間からこのことを知らされても納得がいかなかった。
このころ日本国内は、世の中の流れが180度変わって、民主憲法の下で男女同権が驚くほど進展していた。つまり女性の参政権が認められ、昭和二十一年の第一回衆議院総選挙では女性三十九人が当選した。昭和二十二年の第一回参議院選挙では女性十人が当選した。その一人が高良とみであった。男尊女卑の社会の象徴ともいえる軍隊生活を長くやり、さらにその続きのような、そして閉ざされた特殊な状況におかれている彼らとすれば、女の国会議員を信じられないのは無理のないことであった。
昭和二十七年5月十一日、参議院議員高良とみの車は営門をくぐり、収容所の病院の前に静かに止まった。きれいに掃除された収容所には、日本人の姿はまったく見られない。
本日は日曜なので、日本人は街に映画を観に行ったり、川に魚釣りに行っていますと、高良とみは案内係から説明を受けた。病室は花で飾られ、窓にはきれいなカーテンが掛けられ、ベッドは純白のシーツで覆われていた。
つづく
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