シベリア強制抑留 望郷の叫び 一一九
※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。
収容されていたある日本人の証言によれば、ソ連側はあらかじめ女史が見る部屋を決めておき、そこには間もなく退院予定のものを残し、重病患者と外傷患者のすべてを他の分院に移しておいた。だから高良とみが病室を見舞ったとき、病人はみな元気で、ベッドに起き上がれない者、口がきけない者は一人もいなかった。しかし、事実を語ることは禁じられていたし、話したくても周囲は、警戒兵と通訳で固められており、自由にものが言える状況ではなかった。
高良とみが病室に入ったとき、日本人の目は一斉に彼女が持つハンドバッグに貼られた赤い日の丸に吸い寄せられた。日本の女がいきなり目の前に現れるのも意外なことだが、その持ち物に堂々と日の丸がつけられているのが信じられないのであった。懐かしい祖国の旗。命をかけて戦った日本が目の前にあった。病室の日本人一人ひとりの胸に懐かしいものが込み上げてきた。彼らは高良とみの目を見た。彼女も、目の前の日本人を見つめた。ベッドの日本人は床に座り直し、あらためてじっと食い入るように日の丸を眺め、また、顔を上げて高良とみを見た。高良とみは病人の目から頬を伝わってすっと流れるものを見た。こけた頬とやせた手足、厳しく射るような視線。それは、長い間の苦労の激しさを物語っていた。長い間に何があったのだろう。高良とみは、人々の表情を順に見ながら日本でこれらの人々の帰りを待つ妻や子のことを思った。そして、自分を見つめるこの目の奥には、ふるさとへのどれほどの思いが隠されているのかと思うと、こみ上げるものを抑えられず、ハンカチを出して目頭をぬぐった。
病室の日本人たちは、密かに伝えられていた限られた情報から判断して、今日の来訪者にあまり期待していなかった。しかし日の丸と目頭を拭く高良とみの姿を見て考えは変った。
元大本営参謀瀬島隆三は、このとき、この収容所にいた一人であるが、その回想録で次のように述べている。
「昭和二十七年五月、参議院議員の高良とみさんが、単身第二十一分所を訪問した。ちょうど我々は作業に出ていたので会えなかったが、営内にいた人たちからそのときの様子を聞いた。高良とみさんの持っていたボストンバッグに一面日の丸が貼ってあり、大変感動したという。入ソ以来我々に会いに来た最初の日本人であった」
つづく
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