シベリア強制抑留 望郷の叫び 一一五
※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。
青柳さんはこれまで生きてきた人生で最高の至福の時にあった。物心ついたころから血生臭い騒然とした社会で生きてきた。日本人全体が大戦に呑み込まれ、国家滅亡の淵に立たされて多くの人々が命を落とした。戦争が終わったのに俺たちは、より過酷な戦争ともいうべき強制収容所で地獄の苦しみを味わった。すべての難関を幸運にも通過できた者が今、この船の中にいる。この日を夢見つつ命を落とした多くの同胞が今さらながら哀れに思え、青柳さんは北へ向かって静かに手を合わせた。
青柳さんのメモによれば、昭和22年10月17日午前3時ごろ船は止まった。あたりは真っ暗で何も見えない。何が起きたのか、事故かと人々は訝った。やがて、空がわずか白みかかったとき誰かが叫んだ。
「まわりは島ばかりだ、ここはどこだ」
続いて別の声が上がった。
「日本だぞ、日本に着いたんだ」
船内はどっと沸いて、あちこちから歓声が起きている。舞鶴港であった。
日本の海、日本の朝が人々を出迎えていた。緑であふれるまわりの景色、海の色、流れる空気。どれもみなシベリアとはまったく違っていた。夢のような別世界であった。かつては当たり前と思っていた日本の自然が、シベリアから帰ってみて、新しく出合ったもののように新鮮に見える。日本はいい、と青柳さんは両手を大きく広げて朝の空気を胸いっぱい吸い込みながらつくづくと思った。
やがて上陸が始まった。長い桟橋から下を見るとボラが群れている。水面まで顔を出して飛び跳ねる魚までもが青柳さんたちの帰還を喜んでいるようであった。
桟橋が尽きて、陸地に足をつけた。小さな衝撃が身体全体に大きく伝わる。昭和20年1月に出国して以来初めて日本の土を踏んだ。その第一歩の靴音は、万感の思いをこめた祖国との対話であった。ついに生きて祖国に帰った。生きることの喜びが青柳さんの身体のすみずみから湧いてくるのが感じられた。
つづく
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