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2020年8月 8日 (土)

小説「死の川を越えて」第257回

 ここまで読んで水野は副島と同じように胸を躍らせ冒険小説の先に期待するような気持ちで視線を進めた。副島の文は続く。

「尋問は、和泉証人のこのような信念の背景に向けられ旧癩予防法に及びました。国の予防策の中味はと訊かれ和泉証人は、国は猛毒の菌による強烈な伝染病だから絶対隔離が必要だと主張していたと答えました。そして、尋問は、では当時の医学界にそのような伝染病説に対して批判的な見解を持った人はいたかと訊ねました。私はいよいよだなと思いました。和泉証人は、批判的な見解の代表的人物は京都大学の小河原泉氏だと答えたのです。

 ここで尋問者は深く頷きながらその小河原氏は学界でどういう立場であったかと訊きました。この時の和泉氏の態度は見事なものでした。胸を張り顔を上げ、小河原氏が大阪の日本らい学会で総攻撃に遭ったことを語ったのです。小河原氏を糾弾する学界の光景が目に浮かぶようでした。『その考えは隔離政策を危うくするものだ』、『お前は万死に値する者だぞ』、『実にけしからん』という怒号の中で小河原は自説を翻さなかったと和泉証人は誇らしげに語りました。

 そこで尋問者は、全てのハンセン病患者を絶対隔離することの弊害を訊ねました。これに対する証言は実に明快で、私たちには、侍が国の誤った政策に名刀を振りかざす姿にも見えました。和泉氏は、隔離によって患者の人生がめちゃめちゃになってしまう。全ての患者を隔離することで、外来診療で十分治る患者まで療養所に入れてその人たちの人生を台無しにしてしまうことは残酷すぎるとはっきり証言したのです。

 これを聞いた時私も本吉氏も有馬氏も国の隔離政策を行政の場で遂行してきた者として正に身を切られる思いでありました。尋問は窮極の結論を求めるかのように切り込みました。国の長いハンセン病対策の歴史を振り返って国はどのような理念でハンセン病対策を進めたのですかと。

 和泉氏は、これを正面から受け止め堂々と答えたのです。国はハンセン病をなくすというよりも、ハンセン病患者を全員隔離し死に絶えるのを待つというかたちで撲滅政策を進めたのですと。私の周りの傍聴席から信じられないというどよめきが広がるのが分かりました。私たちが、皆さんにお知らせしたい証言の主な点は以上でありますが、最後に和泉氏が証人に立つに至った覚悟をお伝えします。それは、尋問者が和泉氏に証人になるに当たっては随分悩んだのではないかと訊いた時のこの人の姿です。和泉氏は胸を張り姿勢を正したのです。

 

※土日祝日は中村紀雄著・小説「死の川を越えて」を連載しています。

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