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2020年8月11日 (火)

人生意気に感ず「やはり気になるお盆の帰省。原爆慰霊式に出る。原爆の恐怖を教える時」

◇9日、新たに県内感染者5人が発表された。県内の累計は226人。うち死者は19人である。じわじわと迫ってきたという感じである。そして、最近の特徴は県外行動歴のある感染者が増えていることである。最近の増加状況は東京都に限らず各地で増えている。お盆にはこのような全国の増加地域から多くの人が来県するわけである。群馬県知事は、お盆は大切な伝統行事だからという理由で、特にお盆帰りの自粛を要請しないと表明した。知事発言の影響を私は心配する。

◇9日、私は嶺公園の原爆慰霊式に参加した。長崎投下の午前11時2分に合わせ黙祷をささげた。15歳の時長崎で被爆した矢野留恵子さんは90歳には見えないかくしゃくとした姿で「あの日のことは忘れられない」と挨拶した。私も挨拶の機会を与えられた。「75年目の夏を迎えあの戦争の惨状が忘れられようとしている。あれは新生日本の原点であった。今年の夏はこの原点を確認する時である。コロナの下で迎えることも特色である。原爆の惨禍を自分のこととして受け止めることが重要である。ここに真の助け合いが生まれる。コロナの克服に最も大切なことはこの助け合いの精神である」ざっとこのようなことを述べた。

◇ちょっとした雲の状況と変化が長崎の運命を決めた。第一目標は小倉市であったが、この日小倉の上空は雲で覆われていた。そこで爆撃機は小倉を断念し、第二目標の長崎に向った。長崎も雲で覆われていたが雲の切れ間が見つかり11時2分の投下となった。広島投下の原爆がリトル・ボーイと言われる砲弾型のウラン爆弾であるのに対し、長崎のは通称“ふとっちょ”と言われるプルトニウム爆弾であった。重量は両方ともおよそ4トン(長崎投下の方は4.7トン)であった。

◇アメリカは膨大な予算を注いで1945年7月16日には実験に成功、それは早くも8月6日広島、9日長崎にそれぞれ投下された。

 私は小学校を2年生の時、原爆の映画を観て大きな衝撃を受けた。当時子どもたちは「ピカドン」と言って原爆の地獄を表現しようとした。その後、学校では教科書の上でも原爆を教えなくなったようだ。福島第一原発事故を振り返るとき、国策としての原爆を守るために同根ともいうべき原爆に触れることを敢えて避けてきたのかと思ってします。75年目の夏に於いて原爆の恐怖を正しく知ることが原点を踏まえる上で重要であると思う。(読者に感謝)

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